仮入部から数日が過ぎ、ついに本入部の日がやってきた。一応強豪ということもあり、体育館に集まった新一年生はとても多い。私も唯一の女子部員として端っこの方に立っていた。そして、この人の山の中枢に立っている人物を横目で見る。まるでこれからの部活が楽しみで仕方ない…みたいな表情をした花宮くんだ。それがあまりにも偽りの顔すぎてゾッとする。誰もわからないんだろうな、あの仮面の下を。彼は私の視線に気づいたようでにこりと微笑み手を振ってきた。
「ひっ」
引きつる口角を自覚しながらなんとか手をふりかえす。「何見てんだごら」という心の声が直接脳内に聞こえてきた。怖すぎる……。
その後男子たちは一人一人経験の有無を、経験者の場合ポジションを聞かれていた。花宮くんは経験者の方でポジションはPGだと言う。花宮くんがバスケットをやっていたなんて知らなかった。塾でしか会ったことがなく、そんなことを聞くタイミングがなかったのだから仕方ないのだけれど。そういえば、どの小学校にいたのかとか、何が好きなのかとか、そういうことは一切聞いたことがない。聞かないから彼も私をそばに置いてくれたのだろうけれど。
そんな様子を見ていると私は相川さんに呼ばれた。駆け足でそちらに行くとマネージャーの仕事を簡単に説明される。洗濯やドリンク作り、ユニフォームの管理……。仕事はたくさんあるがミニバスと内容はそんなに変わらない。
「ルールとかスコアボードの書き方は後々教えるから……」
「あの、基本の書き方は分かります。ルールも」
「え、わかるの!?即戦力だなぁ!」
相川さんはとても嬉しそうに笑って私の頭をくしゃくしゃと撫でてくださる。3Pが存在するスコアボードの書き方もミニバスのコーチにきちんと教わった。今後もバスケに関わりたいんですと言ったら二つ返事だった。だから今の私に抜かりはない。……テーピングは実践あるのみだけど。
「仕事も多分大丈夫です」
「そうかそうか。じゃあちょっとやってもらおうかな」
そう言って相川さんは私を部室に案内してくれようとする。何度も動線を脳内で反復させる。体育館の外に水道とウォータークーラーがあるのも確認した。そのすぐそばに洗濯機を二台も見たし、タオルやユニフォームなどを干すのだろう物干しがずらーっと並んでいたのも見ている。
大丈夫だ!と意気込んだとき、パシリと手首を掴まれた。慌てて振り向くと、いつもサボっている二年の代表格の男だ。名前を知らないから脳内で勝手に「ドラ息子」とあだ名をつけている。その取り巻きたちは「愉快な仲間たちA、B、C、D」である。
ドラ息子は相変わらず汚い笑みを浮かべていた。手を振り払おうにも力が強く抵抗ができない。相川さんは気づいていないようで楽しそうに一人で部室に向かってしまう。
「何ですか……先輩」
「うわ!生意気だなぁ。まだ俺らに挨拶してねえだろ。挨拶しろよ一年」
「…………」
生意気はこっちのセリフだと思いながらもペコリと腰を折る。「どうも、マネージャーのみょうじです」と簡素な挨拶をして相川さんのもとに戻ろうとしたのだが、全然手を離してくれない。
「あの、挨拶しましたが」
「は?舐めてんの?」
舐めてんのはそっちだろ と思っていると軽快な破裂音に頭が揺れる。先ほどまでざわついていた体育館が静寂に包まれる。頬が、痛む。真っ直ぐドラ息子を見ていたはずなのに、今は体育館の床しか見えない。サイドラインとセンターラインの交点が目に入る。
頬を、打たれた?
あまりに理不尽な暴力だった。涙も出ず違和感だけが脳内を蔓延る。ヒリヒリと痛む頬を押さえてゆっくりと顔を上げると、男はとても愉快そうに笑っていた。仲間たちも全員笑っている。むしろ彼らしか声を上げていない。
何だこいつらは。
好き勝手にやりやがって。
大人を舐めるなよ。
思わず振りかぶったその手は、誰かに止められた。
「いい加減にしろ」
それは相川さんだった。
いつの間にか私のそばに立っていた彼は真っ直ぐドラ息子を睨んでいる。ドラ息子はそれを鼻で笑ってそれからやっと手首を離した。想像以上の握力で握られていたようで指の跡が残っている。不快だ。
「この女が舐めた態度取んのが悪いんだろうが。どこの世界にもヒエラルキーってのがあってさぁ。そのてっぺんにはちゃんと媚びた方がいいぜって体に教えてやったんだろ」
ドラ息子は心底愉快そうに笑う。何だこいつ。何だこいつ。タイムスリップして初めてこんなに腹が立つ。いやむしろ人生換算でもなかなかのレベルだ。思わずじとりと睨んでしまう。媚びなんて誰が売るか。
「お前らの暴挙は目に余る。俺たちは本気でバスケをやってるんだ。遊びのつもりでやってるなら同好会でも好きに作ってそっちにいけ」
相川さんの凛とした声が体育館に響く。ドラ息子は一瞬不快そうに眉を寄せたがすぐに笑みを浮かべる。その笑みに背筋が凍った。
「へえ。そんなこと言っちゃっていいんだ」
意味深なその言葉に以前今吉くんに言われた言葉を思い出す。頭によぎるのは“強制退部”の4文字。そんなの嫌だ。私は思わず口を開いていた。
「ま、まって、ください!」
「みょうじさん…!」
「ムカついたのは私の態度ですよね!?謝りますから!相川さんにひどいことしないでください!」
相川さんが必死に私を止めてくれる。彼のことはよく知らないけれど、でも仮入部の時に見たプレイはとても綺麗だった。お世辞にも天才的なプレイヤーとはいえないが、他の部員からの信頼も感じられた。この人は絶対に必要な人だ。今日入ったばっかりの私より、絶対に。
「やめろっていうなら私がやめます!」
「はぁ?せっかく女が入ったのに追い出すわけねえだろ?」
「え…………?」
ドラ息子の言葉に、目の前が揺れる。相川さんの歯軋りだけが近くで聞こえた。
「もともと相川にはムカついてたんだよなあ。んで、今の言葉がカチンときたわけ。わかる?お前の態度と相川の退部は無関係なわけさ」
「どう、して」
「謝るってんなら、誠意見せろよ」
彼はそれだけを言い残して仲間たちのもとに帰っていく。ずしりと重い得体の知れない何かだけが心に残った。それは、憎悪か、責任か、覚悟か。
「……悪いな」
「っ!」
小さく、ポツリと呟く声がする。なんで、相川さんが謝らなければならないんだ。悪いのは絶対にあの男なのに。
「お前らには、ちゃんとしたバスケ部を見せてやりたかったよ」
彼はその言葉を最後にバスケ部を去ってしまった。相川さんと常に共にいた剛田さんも一緒に。そのことを誰も口にしない。まるで禁止用語のように、誰もが口を閉ざしていた。
このバスケ部は、死んでいる。
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