「なまえ、ちゃん!」
見学も出来ずに第一体育館から出て渡り廊下をとぼとぼと歩く。情けない。悔しくてスカートの裾を握ると、背中に声がかかった。ここで私をそう呼ぶ人は一人しかいない。
「今吉くん……?」
振り向くと走ってきたのだろう彼は肩で息をしていた。いつもの飄々とした余裕たっぷりな様子は見て取れない。
「ほんま、今日はすまんな」
「ううん。ちょっと、びっくりしたけど。それにしても大丈夫なの?」
「部長には説明してきっちり許可貰っとるよ。ちょっと、歩かん?」
「うん……」
今吉くんに誘われて私はゆっくり歩き出す。目的なんてなかった。教室棟はとても静かで、人影ひとつない。二人分の足音が反響して、ポッカリと空いた穴に落ちてしまうような感覚に陥った。
「仮入部、来てくれておおきに」
「追い出されちゃったけどね……」
「先輩も気ぃ遣ったんとちゃう?」
「…………」
「二年やで」
あの五人組は一体何者なの、と聞いていいのかわからず躊躇っているとすぐに答えは返ってきた。今更驚きはしないのだが、二年ということには驚く。確かに相川さんのことを先輩とは呼んでいたが。
「この前な、新しいコーチが来たんや。それがまぁごっついジコチューな奴でなぁ。あの二年はそのコーチの息子と取り巻き。今は三年も退けてレギュラーやしスタメンや」
「……そんなことが」
「ほんまに嵐みたいやったで。少し注意した三年も強制退部」
「強制退部って、そんなに……?」
「ああ、“そんなに”な奴らや。上手くもないくせに練習もせーへん、あいつらがやっとんのはお遊びのバスケや」
「……」
見上げたその横顔がとても冷たかった。いつも笑顔を浮かべているその唇も今は一文字に結ばれている。今吉くんにこんな顔をさせるなんて、本当に彼らの態度は酷いのだろう。
「なまえちゃんにマネしてほしかってんけどな」
「え、そんな。私、マネージャーやるよ…!」
「その意気込みは嬉しいんやけど……。あいつらはほんまに何しでかすかわからん」
そんなわけなかった。今吉くんがただ手をこまねいて見ているだけ? そんなはずがない。きっと彼は何かを考えている。どうにか現状を打開する方法を。それを今すぐ実行できないだけで。
「今吉くん、私手伝うよ」
「…………」
彼はびくりと足を止め、目を見開いて私の方を見てきた。彼の鋭い三白眼がまるまる瞬間が結構好きだったりする。
「何かあるんでしょう?どうにかする方法」
「どうにかする方法って……」
「言ってよ。私にできることなら手伝う」
「…………まぁ。そりゃああるけどな」
「なんでも言って!私、バスケが好きだから!」
「…………」
彼は私をじーっと見つめてから「ふぅ」と短くため息をついた。それが何を意味するかはわからないが、今は歩き出す彼に続く。
「そないホイホイ「なんでも〜」とか言うたらあかんで。男なんて悪意の塊なんやから」
「今吉くんだから言ったのに……」
「はいはい。そならもっとタチ悪いなぁ」
「えぇ……」
そういえば、受験の日にも花宮くんに同じようなことを言われた。二人はもしかしたら似通ったところがあるのかもしれない。でももし二人が出会ったら今吉くんは花宮くんの本性をすぐに見抜いてしまいそうだ。
「まぁでも、気持ちは嬉しいで」
「嬉しいなら受け取ってよ」
「あかんあかん。こないなこと頼んだら「最低」って言われて嫌われてまうやん」
「今吉くんそんなこと気にする人じゃないでしょ」
「ひどっ!」
私が知っている今吉くんは人からの好意とか嫌悪とか、そう言うのを全く意に介さない人だ。自分がやりやすいように、自分が生きやすいように他人を利用してでも生き抜いていく強かさがある。
「…………自分、後から嫌になって投げ出したりせん?」
「しない!粘り強い自信がある!」
あの花宮くんにお菓子を受け取ってもらえるまでになったのだ。粘り強さはピカイチだと言ってもいい。しつこいとも言う。
「はぁ。ここまで言われて引き下がるんわ男ちゃうなとは思うけどな。まずは入部してからや」
「うう……それはそうだけど…。仮入部もうまくいかないのに……」
「まぁまぁ、最悪入部届出してまったら終わりやし、そない気にせんでもええんとちゃう?」
「うん……。でも仮入部は行くよ。明日も、明後日も。何度追い出されても」
「…………自分、強いなぁ」
「でしょ?それが売りだからね!」
力こぶを作って(ほぼない)見せると、彼はやっといつもの調子で笑ってくれた。それが嬉しくて私も笑った。そして思い出したように彼は「ここは図書館やで」と校内案内を始めてくれた。私も黙ってそれに耳を傾ける。長い散歩はまだ終わらない。
この時は、まだあんな事件が起こるなんて思っていなかった。このバスケ部をガラッと変えてしまうような大事件が。
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