じゃがいも、にんじん、ベーコンにたまご。それをコンソメで煮込んだ熱々のスープと、切り分けたパン。おぼんにのった料理をじいっと見つめて、けれど手を出そうとはしない青年に、エミリリアーナは呆れ顔で肩を竦めた。
「そんなに見つめたって、ただの美味しいごはんですよ」
「……助けて貰ったことには感謝してる。けど」
紅い瞳が、エミリリアーナの顔を向く。その双眸には未だ警戒の色が強く、その証のように、チョコレート色の毛並みをしたふさふさの尻尾も、エミリリアーナと相対している時はずっとピンと伸びていた。紅い視線が鋭くなる。
「俺はまだ、アンタの事を信用出来てはいない」
「……むぅ。つまり、食べないってことですか?」
彼の目が覚めてから一日経って、ようやく起きていられる時間が長くなってきた。ずっと具も何もないスープと水、それから薬という、食べ物というより液体しか摂っていない青年に、今度は細かい具の入った、消化に易しそうなスープを出してみたのだが、結果はこの通りである。
この分だと薬も飲んでくれなそうだし、魔法での治療もしばらくは無理かもしれない。困った、と思いつつも、作ったスープをこうも警戒されるのは、さすがのエミリリアーナもちょっと面白くはなかった。返事のない青年をじとっと睨む。
「まあ食べないなら私が食べるのでいいですケド」
そうして、彼のために用意したおぼんを自分の手元に引き寄せると、本当はお腹を空かせているだろう青年の前で、パクパクと遠慮なく頬張り始める。
うっすら視線を感じながらも、エミリリアーナはむくれたまま、スープの具材を根こそぎ掬って口の中に頬張った。もぐもぐと噛んで飲み込む。うん、美味しい。パンをちぎる。
「何があなたの信用の基準になるかは知りませんけど……私が何かするつもりなら、あなたが目を覚ますまで待ってる理由は別にないんですよ」
「……それは、そうだが」
「あと、寝てる間にスープやら水やらいっぱい飲ませたので結構今更です」
「……」
ぺたんとベッドの横で座りながら、普通に食べているエミリリアーナを見下ろして、青年は呆れているような、睨んでいるような……はたまた恨めしそうな、なんとも複雑な顔をしている。
「苦手な食べものとか食べられないものはあります?」
エミリリアーナが問う。
「……別に、ない」
青年が答えた。
「なら、ちゃんと食べた方が良いですよ! 回復には体力がいりますからね」
にぱ、と笑って、エミリリアーナは立ち上がる。その手に抱えたおぼんの中は、すっかり空になっていた。喋りながらも、しっかり(青年の分の)昼食を完食していたのである。ちょっと待っててください、と言い残してパタパタ部屋を出ていった昼食泥棒は、しばらくすると、また新たにお皿を載せたおぼんを持って部屋に戻ってくる。パンもスープも、湯気が立っていて温かそうだ。
再びニコニコと持ってきたそれをサイドテーブルに置いたエミリリアーナを見て、青年が眉を寄せて、不可解そうに口を開いた。
「アンタは、何で俺を助けるんだ?」
「それはもちろん、家の近くで誰かが死んでたらめっちゃ嫌だからですよ」
結構素直に答えたのだが、彼はまだ、イマイチ納得出来なそうな表情だ。続けて問われる。
「危険だとは思わなかったのか?」
「え?」
「見た所、一人暮らしだろ。いくら手負いでも、男の……それも獣人だって分かってたら、普通は家になんて入れないはずだ」
もっともな言い分だった。だからすんなり家にあげてせっせと手当されている状況が、イマイチ怪しくて飲み込めない、という事だろうか。それに、青年は魔法にもあまり馴染みがない様子だし。
顰めた表情を崩さない彼を見て、エミリリアーナは考える。彼に言った理由は本当だ。けれど確かに、最初はこの青年を、わざわざ自分の家に連れ込んでまで手当しようとは思っていなかった。……そのフードの下の立ち耳を見るまでは。
というのも、この辺りに住む人々の間では、獣人の存在というのは、神経質にならざるを得ない話題なのだ。ここは獣人の住む隣国が近いというのも大きいかもしれない。過去に隣国との戦があった影響で、年配の人ほど獣人という存在を恐れている。
この国の王都からここへ来たエミリリアーナは、同じ国の中でも、それが都会に行くほど無くなる遺恨だとよく知っていた。けれど、だからこそ、一番近くにある街の高齢の医者へと運ぶ事は出来ないと感じてしまったのだ。
……だからといって、仕方なく家に上げたのかといえば、それも違う。
脳裏に蘇るのは、崖下で気を失う青年の姿だ。何故助けたのか。家の近くで誰かが死んでいたら嫌だ。それも本当。しかし、もう一つ。明確に言葉にしようとするならば。
(生きてやる、って。意志を感じた気がしたから)
腕に充てられた、短剣の鞘のような添え木。服を破いた紐で縛った頼りない固定。あんな大怪我を負ってまともに動けないような状況でも、生きるための処置を諦めない姿——それがなんだか、眩しかったのかもしれない。
己とは正反対な、そんな姿が。
「ふふふ」
「……なんだよ」
蓋を開けてみれば、思った以上に真っ直ぐな人だったな。そう思って、エミリリアーナは思わず笑ってしまった。訝しむ青年に、悪戯っぽく目を細めて見せる。
「確かにその通りですけど……何かしようと思ってる『危険』な人は、わざわざそんな事言いませんから」
「……は?」
でしょう? と得意気に笑うエミリリアーナを見て、虚をつかれたように瞬きをした青年は、その楽観的な姿に呆れたように、重く溜息をついた。
力の抜けた様子の彼の左手に、「はい、どうぞ」と木匙を渡すと、ゆっくりとスープをすくって食べ始めてくれたため、エミリリアーナも一安心だ。
「これからの話なんですが」
食べている所をじっと見つめているのも気まずいかと思って、この部屋に持ち込んでいた仕事道具を纏めながらも話しかけてみる。
「実は、もう一昨日くらいから雪が積もり始めてるんです」
「……随分早いな」
「そうなんですよ。でも冬本番はまだまだこれからですし、冬の山はとっても危険なので、その中に怪我人を放り出す訳にもいきません」
話が読めたのか、振り返ると、青年はなんとも言えない顔をしていた。紅い視線が逸れる。
「……山には慣れてる」
「ふーん……?」
落ちて怪我してるのに。なんて、ありありと含みを持たせた相槌に、彼はぐっと言葉に詰まった。エミリリアーナは続ける。
「そもそも、どこかに向かう予定だったんですか? 目的地があったなら、お手紙とか出しますけど……」
「……」
エミリリアーナの問いかけに、青年はふっと沈黙した。何か考えるようなその様子に、首を傾げる。
「どうかしました?」
「いや。……目的地は特にない。旅の予定だったからな」
「へえ、旅ですか」
それなら、どこかで彼の到着を待って心配している人もいないのだろう。特に急ぐ必要も無さそうだ。……うん、と独りごちる。
「じゃあ、ちゃんと治るまでは、暫くここでゆっくり休んでいってください!」
このお部屋を貸しますので。何か言いたげにする青年に、にっこりと畳み掛けるように告げると、この状況で出ていくのは得策では無い、ということは、さすがに解っていたのだろう。彼も「悪いが、世話になる」と小さく頷いたのだった。
「はい。改めて、私はエミリリアーナ・ストリエです! ……ところで、あなたのお名前は?」
実は名前は、彼の目が覚めた後に何度か聞いたのだけれど、その時は黙りで教えて貰えなかったのだ。警戒心があまりにも手厚い。実際、まだ警戒は完全には解けていないようで、迷うように口を閉ざす彼を、エミリリアーナは「……分かりました」とジトッと見据えた。まるで、そっちがその気なら考えがあります、とでも言うように。
「名前を教えてくれないなら……私が勝手に、変なあだ名をつけて呼びます!」
「何だよそれ」
「うーん……トゲトゲわんこ?」
「本当に何だそれ」
略してトゲトゲさん、と呟くと、トゲトゲさんこと青年は、分かったから勘弁してくれ、と遂に重い口を開いた。
「俺の名前はルーファウスだ。……そのあだ名はやめろ」
「! 分かりました! 教えてくれてありがとうございます!」
ようやく名前を聞けた事に、エミリリアーナはパッと顔を輝かせて、ニッコリと挨拶を続ける。
「じゃあ、これからしばらくの間、よろしくお願いしますね! ……ルーさん!」
「……結局あだ名かよ」
またも呆れたようなルーファウスの様子に、エミリリアーナはやだなぁ、と肩を竦めると「愛称ですよ」なんて、クスクスと笑って見せたのだった。
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