02

 火を起こす、水を汲む、灯りをつける……などなど。生活に必要な行為を楽にするため、人力に代わる力として、『魔法』という技術が使われるようになって、数百年が経つ。
 黒い森が有名なこの国は、寒さの際立つ大陸の北方に位置しており、国土もそこまで広くはない。しかし、魔法研究がとても盛んであった。国を挙げて魔法の研究に力を入れているのもあり、その甲斐あってか、生活水準は大国にも引けを取らないほど高い。
 魔法使いを養成する専門の教育機関もあり、魔力を持っていると判明した者は全員、そこに通って教育を受ける事が国から定められてもいる。魔法は便利であると同時に、扱いの難しい危険な力でもある為だ。
 つまり。この王国の魔法使いは必ず、魔法学院で魔力の扱いに対する最低限の教育を受けた後、自ら習得したい魔法の系統に沿って講義を選択して魔術を学ぶ。そしてその結果、専門的な知識を持つ魔法使いとなるのである。

「治癒と魔法医術の専門講義、取っといて良かった……」
 静かな部屋に、重い溜息がひとつ。疲れた顔で肩を回しているエミリリアーナは、少しだけ穏やかな寝顔になった青年を見ながら、うーん、と大きく伸びをした。黒い森の中、家の近くの崖のそばで倒れていた彼を自分の家へと運び込み、今の今まで、魔法で治療を施していたのだ。
 身体の状態をチェックしてから強めに痛み止めの術をかけて、傷口を消毒し、折れた場所を固定する。幸い、大きくずれてはいなかった。左腕と右足をがちがちに固めて、深そうな背中の傷だけは、縫合の代わりに治癒術で出来るところまで塞ぐ。
 ……そんな調子で、他の細かな怪我も処置を終えて、ひとまず息を付いたところだった。痛み止めの魔法が効いている内はこのまま穏やかに寝かせてあげられそうだ。……けれど。その寝顔を見て、エミリリアーナは眉を困らせる。
「……本当は、もっと凄い治癒士に診てもらった方が早く治るんですけど」
 はあっ、と肩を落とす。エミリリアーナは、この国の魔法使いの例に漏れず、魔法学院でしっかりと教育を受けた、きちんとした魔法使いだ。……きちんとした魔法使いではあったが、才能豊かな術士であるかというと、その答えは否だ。
 治癒も医術も、他人に施すのが初めてという訳ではない。しかし、専門分野という訳でもない。そういう訳で、慎重に、兎角気を使いながら青年の全身の傷を診たので、結構疲労していた。魔力も残りが少なく、体に独特の倦怠感がある。動けない、まではいかないのが幸いだった。彼を森の中から運ぶ時にも使った浮遊の魔法陣を紙に描いて、魔力を込めると、青年を自らのベッドへと運ぶ。
(……熱が出てますね)
 傷か、それとも骨折の影響だろうか。額に触れてみる。……結構熱い、苦しそうだ。とはいえ、魔法を重ねがけしすぎるのも体には良くない。
(捻挫も冷やしたいし、氷嚢と……あ、ペパーミントの熱冷ましも良いかも)
 必要なものを脳裏で数えて、ついでにご飯も、と考えたところで、街で買った荷物を外に置きっぱなしだった事を漸く思い出した。たしか、分かれ道の切り株の上だ。
「森の動物たちに見つかってないと良いんですけど」





 魔法での身体の治癒は、かなり体力を使う。怪我の程度が大きければ大きいほどそれは顕著になるもので、怪我をした獣人の彼はあれから数日、こんこんと眠り続けていた。
 その間、エミリリアーナはといえば、痛み止めや治癒の魔法をかけつつ、自宅の庭で育てている薬草やハーブなどを使って、熱冷ましの薬や栄養剤を作り、意識のない青年の口へ、せっせとそれらを流し込んでいた。魔法と比べたら効果は控えめだが、こちらの方が優しく効いてくれるはずだ。他にもスープやら水やら、彼の口には色々と流し込んでいるが、目が覚める気配は無い。
 そんなこんなで、いつもは書斎でしている仕事をベッドのある部屋に持ち込んで、机に向かう生活も数日目だ。そろそろ目を覚ましてくれた方が安心なのだけれど……なんて、考えつつ時計を見ると、もうお昼の時間をとっくに過ぎている。一人ならそのまま仕事を続けてしまうのだが、今は寝ている彼がいるので話が別だ。
(少しでも体力をつけてもらわないと……)
 朝作ったばかりのスープでも温め直して、私もついでにご飯にしよう——エミリリアーナが、そう考えて席を立ったその時。ガタッ、ギシギシ。後ろから、何かが落ちるような音と、木の板が軋むような音が突然響いた。慌てて振り返る。
 ……燃えるように紅い色をした双眸と、バチッと音がするみたいに目が合った。
 彼が、起きている。そう理解した瞬間、エミリリアーナは小さく安堵の息をつく。そして、すぐにキュッと眉を吊り上げた。
「あっ、なんで起き上がってるんですか!?」
「は……?」
「まだ傷がしっかり塞がってないんです! 無理に動かないで大人しく横になっててください!」
 見ると、ベッドの傍のチェストの上から時計が落ちている。ここに手をかけて体を起こしたのだろうか。ともかく、起きたのなら怪我の様子を見ようと思い、青年に近寄っていくと、その紅い眼差しが段々険しくなっていく。頭の上の立ち耳と、しっぽの毛もどこか逆立っているように感じる。
「熱はどうですか?」
 警戒心が見える彼の様子に、それでも、と声をかけて、意識のない間に何度もしたように、額に手のひらを伸ばす。……しかし。
「触るな」
「!」
 ぱちん。伸ばした腕ごと手を払われて、エミリリアーナは目を丸くした。ハッキリとした拒絶を含んだその声に、一つ瞬きをしてから大人しく手を引っ込めた。紅い目は、目の前のエミリリアーナの様子を仔細に探っている。
 ……確かに、知らない場所で目が覚めて、そしていきなり知らない人間があれこれ言ってくるのは怖いだろうな、と思い直して、エミリリアーナは一歩下がると、こほん、と咳払いを一つ。
「突然でしたね、ごめんなさい。ここは黒い森にある私の家で……、私はエミリリアーナっていいます。あなたが私の家の近くで倒れてたので、運んで怪我を処置しました。」
「……」
「えーっと……気を失う前のことは覚えます? どうして怪我をしたか、とか」
「……おちた」
「落ちた? ……崖から?」
 こくり。小さく頷かれる。状況から見て予想はしていたので、やっぱりと思う気持ちと、あの高さから落ちてこの程度の怪我で済んでいる、というのに驚く気持ちとが合わさって、「そうですか」と微妙な声音で相槌をうつ。そして、彼にはめちゃくちゃ警戒されてはいるけれど、一応会話は成り立つようで、エミリリアーナは密かにほっと胸を撫で下ろす。
 ずっと寝ていたからか、青年の声はかなり掠れている。気になって、台所から水差しを持ってこようと、エミリリアーナは手をかざした。次の瞬間。ぴたっとその手に収まる冷えた水差しに、青年は目を見開くと、ギッとエミリリアーナを睨みつける。
「? ええと……?」
 その警戒のされように、エミリリアーナが困惑しながらも水を差し出してみるけれど、彼は受け取る様子もない。
「なんだ、いまの」
「ただの魔法ですけど……」
「……魔法?」
 初歩も初歩である引き寄せ術だ。この国の魔法使いなら皆使う事が出来るはずだから、見る機会も多い魔法だろう。しかし、青年はまるで初めてその言葉を聞いたかのように繰り返すと、水差しをまた、まじまじと見つめた。
「もしかして、初めて見ました?」
 返事は無い。しかし、何より雄弁な視線がそれを物語っている。警戒を緩めることはないのに、興味深そうに耳をぴこぴこと動かしているのが器用だ。
(そういえば、獣人さんは高い身体能力を持つ代わりに魔力とは相性が悪いって聞いたことあるような……)
 彼はきっと、魔法使いと交わらない場所で今まで暮らしてきたのかもしれない。もしそうならばこの反応にも納得だ。今どき魔法を見た事がない人なんて、この国では相当珍しいからだ。隣国から来たか、それともこの森のどこかに集落があるのか……。
 ともかく、水を飲んでもらう為には工夫が必要そうである。もう一度、同じ魔法でコップをもう一つ持ってくると、先程の水差しから注いで、自ら飲んでみせた。
「……」
「……」
 エミリリアーナが飲みきって、それからしばらく無言で見つめ合う。だめか、と諦めかけたエミリリアーナが一旦台所へ行ってからまた部屋に戻ると、獣人の彼は体力の限界が来たのか、また横になって、早くも寝息を立てている。そして。
「!」
 ……ベッドの傍のチェストの上には、落ちた時計のあった場所に、空のコップがひっそりと置かれていた。
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