Love bite!E

「ななし、あの侑何とかしてや」
「え……」

ドヨーンと、あからさまに暗い雰囲気を醸し出す俺は、みんなから少し離れたところで一人でいじけていた。迎えた合宿最終日。結局も今日も、ななしとのキスのチャンスは一度もやってくる事無く夕方になってしまった。もうすぐ日が沈んで暗くなってくる。遂に全ての日程を終えた俺たちは春の合宿を終え、部室で帰り支度を整えているところだった。着々と帰る準備を整えていくみんなの横で、一人何も手を付けずに項垂れる。まるで燃え尽きたスポーツ選手の様に、その背中には哀愁を漂わせていて。

(……キス…、できんかった……)

ぼんやりと心の中でつぶやいて、深いため息をつく。チャンスは何度もあった。でもどれも掴みきれなかった。いや、掴んではいたんだ。ただ邪魔が何度も入って、それを実現させることができなかったのだ。自分のその不運さを呪う。「やっと終わったな」「腹減ったわ」なんて呑気に目の前で会話する治と角名の背中を睨み付ける。その目には、かなりの憎悪を含んでいる。

「おいツム。いつまでウジウジしてんのや、男の癖に。さっさと帰る支度せえ」
「誰のせいや!!お前がいちいち邪魔するせいで、俺は目標を達成できんかったのやぞ!」
「俺のせいやないやろ。白昼堂々、人前でキスなんてしようとするからそうなるんや」
「うっさい!ほんまに今日という今日は許さへん!」
「望むところや!このむっつり野郎!」
「はああああ!?」

また兄弟喧嘩が始まったぞー、なんて慣れた様子で北さんを呼びに行く部員。俺と治が兄弟喧嘩を始めるのは、そんなに珍しいことではなく、最早この男子バレー部の日常的な風景でもあった。こうなった俺と治は、幼馴染のななしでも止められない。止められるのはただ一人、キャプテンである北さんだけ。呼ばれて部室にやってきた北さんは、俺と治の首根っこを掴んで無理矢理喧嘩を止め、むすっとふくれっ面をする俺たちを正座させた。

結局みっちりと叱られた俺は、渋々帰り支度を終え、部室を出て家へ帰ろうとエナメルバックを背負った。苛立ちが収まらぬ様子で治や角名らと一緒に外へ出ると、そんな俺を待ち伏せていたななしがこちらに駆け寄ってきた。

「お疲れさま、侑」
「……おう」
「………あの……、」
「………」

完全にご機嫌斜めの俺は、またななしに当たるように、ポケットに手を突っ込んだまま彼女の前を通り過ぎた。前を歩く治と角名の後を追うようにして速足で歩いていると、ななしが慌てて俺に駆け寄ってきて、引き止めるように大きな声で名前を呼んできた。

「侑!!」
「……なんや」

今はあんまり話す気分じゃ、と言いかけた俺の腕を引っ張るななし。油断していた俺の体は、ななしの方へ傾いていく。驚いて目を見開く俺の唇に、ちゅ、と軽く触れる柔らかい感触と温もり。何が起こったのか分からずに呆然としていると、一瞬でその温もりは離れていった。周りでは、治と角名を始めとするバレー部の部員たちがその光景を目の当たりにして、「お〜」と額に手を当てて眺めている。目の前には、真っ赤な顔で控え目にこちらを見上げているななしの姿。いまだにぽかんと固まったまま突っ立っている俺に、彼女は言った。

「……合宿、頑張ったご褒美」
「は………、今、なにして……」
「き、きす!したかったんでしょ!」

ぷい、とそっぽを向きながらぶっきらぼうに吐き捨てたななしに、俺はようやく状況を理解した。あれだけ悪戦苦闘していたななしとのキスが、今彼女の手によって呆気なく叶ってしまった。蘇る唇の温もりに、俺の頬もほんのりと赤く染まっていく。俺、ななしとキスしたのか、今。何度も自分に言い聞かせながら、この状況が夢ではない事を確認した。そして、恥ずかしそうにどこかを向いたままのななしの肩を掴んで。

「そんなんじゃ足りんわアホ!」
「え…っ、」

ぐい、と引っ張って、今度は俺からのキス。唇を重ねて、その温もりと感触を今一度確かめる。羞恥心で固まっていたななしは、やがて再び目を閉じて、改めて俺とのキスを受け入れてくれた。好きだ。素直じゃなくて、不器用で、可愛げが無い女だけど。誰よりも可愛くて、大切にしたい存在。それを改めて実感する。

ゆっくりと唇を話すと、照れくさそうにはにかむななしの顔がすぐそばにあって。さっきまでへそを曲げていた俺は、一気に上機嫌になってしまったのだった。



後日、俺らのキス現場を目撃していた部員たちには、スマホで写真やムービーを撮られていて、しばらくの間はネタにされて散々からかわれてしまった。男子バレー部のグループトーク画面に貼られた、俺とななしのキス写真。それをこっそり保存した事は、ななしには口が裂けても言えない。


さあ、次はどうやって距離を縮めようか。恋人としてスタートを切ったばかりの二人は、これからもゆっくりと、色んな愛を確かめていく。その度に二人は、お互いの好きという気持ちをより深く実感するのだ。