しのぶれど

私には、父とも兄とも、師匠とも呼べる存在が二人いた。

「オビト!もう行くの?」
「ああ。留守を頼む」
「なら、…ん」
「は?」
「いってきますのチュー!」
「は!?」
「ほら早く!!」
「ばっ…、おい待て待て待て!!!」

一人は、名をうちはオビトという。彼も昔は、暁という犯罪者組織に属し、数々の罪に手を染めたのだとか。正直その頃、私はまだ生まれて間もない赤ん坊だったので、その時代の世間のことについては全く知らないし、覚えてもいない。だけど、オビトがとても悪いことをして、たくさんの人を傷付け、命を奪ったことは、何となく聞いた。しかしだからと言って、私が今のオビトに対して何かを思うかと聞かれれば、答えは否。私の知るオビトは今のオビトであり、他の何物でもない。

私の両親は、第4次忍界大戦で兵士として召喚され、そこで命を落とした。その戦争も、オビトが起こしたものだということは知っている。まだ幼かった私はそこで戦争孤児となり、引き取り手も無く途方に暮れていたところを、当時の火影だった綱手様に保護されたのだ。戦争が終わり、安寧を取り戻し、深く刻まれた戦争の傷を癒しながらも、ゆっくりと歩きだした各忍び里は、再び平和について考えさせられた。戦争は決して許されることではないし、個人の感情で起こしていいものではないけれど。皮肉にも、その戦争が世界の在り方についてを考えさせるきっかけとなったのである。

戦争の当事者であるうちはオビトは、重傷を負いながらもなんとか生き延びていた。生まれ故郷である木の葉の里に保護され治療を受けた後、大罪人として数年の時を監獄で過ごす。薄暗い牢の中で、身に纏う囚人服の上から手にも足にも体にも巻かれた拘束具と、目を覆う『封』と刻まれている布。私とオビトは、そこで鉄格子越しに初めて邂逅したのだった。

「…オビト」
「…カカシか。火影様が直々に面会とはな」
「今日はお前に話しがある」

私をここまで連れてきた、この時の6代目火影様…はたけカカシは、牢の向こうの旧友をまっすぐ見つめていた。幼い私の小さな肩を引き寄せる手には、強い意思を感じられる。オビトは、目こそ覆われているものの、気配で私を感じ取っていたのだろう。こちらに顔を向けることも無く、ぴんと背筋を伸ばして問うた。

「お前の子か?カカシ」
「な訳ないでしょうよ。…オビト、お前には今日からこの子の面倒を見て貰う」
「は…?」
「この子は、あの戦争で両親を亡くした戦争孤児だ」
「………」

突然の言葉に思わず気の抜けた声を漏らしたオビトだったが、私が戦争孤児であるという事実を知った瞬間、その表情を険しくさせた。自らが招いた戦争によって、私は唯一の家族を失った。引き取り手も無く、今までは綱手様に面倒を見て貰っていたが、どうやら今日から私は、この閉じ込められている人と共に生活するらしい。私も私で、幼いながらも何となくその話の内容が分かり、不安げにカカシを見上げた。「かかし…」と呼ぶと、カカシはいつもの優しい笑顔を浮かべて「大丈夫、あのおじさん怖くないから」と頭を撫でてくれる。

「誰がおじさんだ。だったらお前もおじさんだろう」
「オレはまだまだ現役だから」
「抜かせ」
「まあそんな事より…、オビト。今の話は決して冗談なんかじゃない。今日からお前を解放する。一実力者として、未来の忍びの卵を育成する傍らで、木の葉の為に働け。そして、この子を育てろ。それがお前の贖罪だ」

牢は開かれ、鎖は解かれ、囚人服は取り払われた。再び自由を取り戻したオビトは、カカシの手によって、目を塞ぐ布を外される。久々に見る光に目を細めるオビトを見上げる。この人と、一緒に生きていくんだ。そう思いながら、私をまっすぐ見下ろすオビトを、ただ無言でじっと見つめ返していた。











幼子の面倒を見るというのは、そんなに簡単なことではなかった。




「……なんだこれは」
「みて、おびと!おびとかいた!」

帰って来たオビトの目に飛び込んできたのは、白い壁一面に描かれた落書き。クレヨンを手にする私が生み出した、何が何だか分からない芸術的なソレ。何だか知らないが、頭の中にかつての仲間、芸術コンビを思い出して眉間を指で押さえた。すっかりカラフルになってしまった我が家の壁は、翌日オビトの依頼によって綺麗真っ新に直されて、大泣きしたことを覚えている。ちなみにこの時オビトも、思いがけない出費に涙していた。

二人で住むには、広すぎる大きな屋敷。うちは一族の屋敷だと聞いたが、今はその一族も2人しか生き残っていないらしい。一人は言わずもがな、私の保護者であるうちはオビト。そしてもう一人は、うちはサスケというらしい。私とオビトは、そんな大きな屋敷で共に生活していた。出会いこそ、牢獄の中という衝撃的なものではあったが、オビトは不器用ながらも優しくて温かくて、私が懐くのにそう時間は掛からなかった。忍びとしての実力も一流であるオビトは、日中は基本的に任務に駆り出されていたり、受け持つ教え子たちの師として鍛錬を積んでいたりと、家を留守にすることが多い。その間私は、里にいるサクラさんやヒナタさんやイノさん、綱手様等、その時手が空いている女性陣にお守りされていた。そして、夕暮れになると家まで送ってもらい、そこから一人でオビトの帰りを待つ。色んな人が構ってくれるとはいえ、一人でただぽつんとオビトを待つその時間が、寂しくなかったと言えば嘘になる。オビトも恐らく、私を一人残していることに罪悪感を感じていたのだろう。彼は任務の後、殆ど寄り道することなく真っ直ぐ帰ってきてくれた。

「やだー!おびとやだー!」
「おい!風邪を引くから大人しくしろ!」

風呂上り、髪も体もろくに拭かず、素っ裸のまま家を駆けまわる私を、困り果てた様子で追いかけるオビト。これがかつて世界を恐怖に陥れた暁のボスだっただなんて、誰が信じるだろうか。とにかくヤンチャだった私に手を焼いていたオビトだったが、それでも彼は滅多に私を本気で怒るようなことはしなかった。夜中、偶然目が覚めてトイレに行こうとした時、居間から漏れる光に釣られて覗き込んだら、料理の本を片手に必死に勉強をするオビトの背中があったことを覚えている。食事が必要無い体になってしまったオビトは、私の為に、必死に料理のことを調べてくれていたのだ。一人でご飯を食べるのがさみしいと言えば、彼はわざわざ二人分作って、必要のない食事を一緒に取ってくれる。優しくて、大好きな、たった一人の家族。オビトにとっても、私はたった一人の家族。彼は私の世話を通じて、徐々にその心の傷と寂しさを、ようやく埋め始めていたのだ。のはらリンを失ったショックから、オビトの時はずっと止まったままだった。あの頃からようやく、彼は前を向き始めていて。のはらリンと私を重ねる彼の眼差しは、優しくて温かい。

「ああ!だ、だめオビト!やめて!」
「…なんだいきなり」
「洗濯物は私がやるからー!だめ!」
「別に気にすることは…、…ああ、そういうことか」

私の制止もむなしく。彼の手に握られているのは、小さな白いスポーツブラ。オビトにとっては、子供の下着。何も意識することはなくても、年頃を迎えた私にとっては恥ずかしくて死にたいくらいだ。慌ててそれを取り上げて、これから洗濯物は私がするんだと言い張った。最初こそ、「別にオレは、」と納得がいかなさそうだったオビトであったが、後日サクラさんたちに叱られたらしく、「じゃあ頼む」と、その日から洗濯物は私が担当になったのである。この頃から、一緒に入っていたお風呂も当然別になり、同じベッドで引っ付いて寝ていたが寝室も別になった。部屋はいくらでもある。私へ割り当てられた部屋は、今までオビトと一緒に寝ていた彼の寝室の隣。次第に女であることを意識し始めていた私は、徐々に徐々に、オビトと過ごす時間が短くなっていく。

「…ただいま…って、げ」
「遅い。何をしていた?」
「別にいいじゃん。子供じゃないんだし」
「オレからすればお前はまだまだガキの小娘だ」
「いつまでも子供扱いしないでよ!」

一丁前に反抗期なんかも迎えちゃったりして。あの頃はよくオビトに逆らってたっけ。何か言われれば、その逆のことをやりたくなってしまう。あの時私は、あまりよろしくない友達と一緒に遊んだりして、ほぼ毎日、家に帰ってくるのは日付を超えた頃。バレないようにと静かに鍵を開けて中に入るのだが、いつもオビトは玄関で待ち伏せをしていて、私に説教をくれるのだ。今思えば、実の子供でもない女にあんな態度を取られて、オビトもよく我慢できてたなあ、なんて思う。勿論、平気だった筈はない。彼なりに色々悩んだだろうし、後々聞いた話では、イノのところに年頃の女の子の扱い方とやらを聞きに行った事もあったらしい。いう事を聞かず、育てて貰った恩も忘れて、好き勝手やる私。それでもオビトは、こんな私を見捨てなかった。一度も、家から閉め出されたことすらない。怒りながらも、いつも私を迎え入れてくれて、おかえりの言葉を掛けてくれる。これほどまでに幸せなことが、あるのだろうか。私は、幸せ者だ。だって、こんなにも私を大切に思ってくれる人が、両親以外に出来たのだから。

「オビトー!!」
「お前な…。人前で引っ付くのはやめろ。変な目で見られるだろ」
「えーなんで。私オビトのことこんなに大好きなのに」
「わかったわかった」
「もー!本当だよ!?私オビトと結婚する!」
「そりゃどうも…」

私たちのこの奇妙な、親子のような、兄妹のような、友達のような…、不思議な関係は今も尚、当然ながら続いている。色々複雑な時期を乗り越えた私は、すっかりオビトっ子へと進化を遂げ。今では私の猛愛っぷりに、オビトがタジタジになっている始末。里でも私たちのことは有名で、まるで家族よりも家族、親子よりも親子だと評判だった。街中で見かけた、仕事中のオビトの背中に抱き付いて、そのほっぺたにチュッと軽い口付けを落とす。またやってるよ、なんて呆れたように私たちを見るオビトの教え子も気にせず、私はただただオビトへの好きを連呼していた。ほら、娘はみんな、ファーストキスは父親、初恋の相手も父親だって言うでしょう?

木の葉の為に働き、未来の為に教え子を見守り、孤児になった私の面倒を見る…。今年めでたく35歳になったオビトは、恋愛にかまける暇もなく、今も尚独身。ただでさえ、私というコブが付いているのだ。恋人なんて、きっと作れなかっただろう。いや、本人には、恋愛をするつもりなど一切無いのかもしれない。かつての罪を、彼はいまだに背負い続けているのだから。そして、過去に本気で愛した、戦争まで起こさせる決意をさせた女性が、オビトの中で今も生き続けているのだから。


(私は、オビトが結婚したら、どうなるんだろう)


最近ふと頭をよぎる疑問。もう私もすっかり歳を重ねて、駆け出しの忍者として日々修行を積んでいる。いつか、一人前の医療忍者になる為に。残念ながらオビト班には配属されなかったが、これまた幼い頃にお世話になったカカシ先生の元で、忍者についてを学んでいる。通称、カカシ班の一人として。

もう、オビトの手を借りなくとも、一人で生活できるくらいにはなった。オビトだっていい歳だ。そろそろ私から解放されて、少しだけ楽になってもいいはずだ。それに、このままずっと一緒にいたら、本当にオビトは婚期を逃してしまうかもしれない。そう分かってはいても、私は切りだせずにいた。『一人暮らしするね』、その一言を言う勇気がない。だって、そうしたら私とオビトは離れ離れになってしまうから。別に同じ里で暮らしているから、家を出たって会おうと思えば会えるのに、私はそれがすごく怖かった。

所詮は、血の繋がりなどない。ただの他人で、オビトは自分の罪を償う為に私の面倒を見ていただけだ。だから、ここで私が自立したら、もうオビトは私のことを見てくれないかもしれない。次の日会った時、他人になっているかもしれない。そう一人で考えて怖くて不安になって、いつまでもオビトに縋った。甘えた。だから余計にオビトにべったりになった。…依存、という言葉が、正しいのかもしれない。

「ねえ、何か思い詰めてることがあるんじゃないの」
「サクラさん…」

医療忍者として、サクラさんの元で色々と勉強をさせてもらっている時、ふとそう問いかけられた。ずっと様子がおかしい私を、サクラさんは心配してくれていたらしい。温かい紅茶を入れてくれて、「勉強は終わり。今日は私とお話しましょう」と優しく微笑んでくれた。本当にできる人だ。医療忍者として立派に活躍しながらも、こうして後輩たちの面倒を見てくれる。忙しい筈なのに、私のことを心配してくれる。そんなサクラさんになら、この気持ちを素直に伝えてみてもいいかもしれない、と思った。


全てを伝えた後、サクラさんから返って来た言葉は、今後の私を大きく狂わせることになるとは知らずに。



「名無し。それって、オビトさんのこと、好きなんじゃないの?」
「え……?」





私とオビトは、友達になるには距離が近すぎて、親子になるには距離が遠すぎたのだ。私のこの想いは、とっくの昔に、親子愛を通り過ぎ、恋愛としての感情になっていた。