色に出でにけり

私には、父とも兄とも、師匠とも呼べる存在が二人いた。

「カカシー!」
「あれ、どうしたの名無し」
「これ!お弁当!今日から任務で里を出るって聞いたから!」
「え、弁当?」
「うん!カカシの為に作ったの!」

差し出した風呂敷包みを、カカシは呆然とした様子で受け取った。隣に立っていた同僚たちは、つんつんとからかうようにカカシの腕をつつきながら、「良かったなあ、立派に育ったなあ」なんて微笑んでいる。つん、と目頭の辺りを押さえたカカシだったが、しばらくの間の後私に向き直り、「ありがとう大事に食べるよ」と笑ってくれた。その優しそうな笑顔は、昔から変わらない。孤独な私の心を救ってくれた、あの大好きなカカシの笑顔だ。

彼は、戦争孤児になって綱手様に引き取られた私の面倒を、よく見てくれていた。第4次忍界大戦の後、火影に就任したカカシは、綱手様のサポートを受けながらも日々大量の激務をこなしていて、私はよくそんな火影室に連れて来られては、仕事に魘されるカカシを一方的に玩具にして遊んでいたのだ。オビトはこの時まだ牢獄の中にいたので、この当時は実質カカシが父親代わりみたいなもので、好き勝手暴れ回る私の世話を焼いてくれていた。

「かかち!」
「え、オレにくれるの」
「うん!かかち!」

折り紙で出来た、不格好な何か。それを誇らしげにカカシに渡す私を、彼は優しく見下ろしていて。それこそ、今お弁当を渡した時のように、ぐっと目頭を押さえて大切そうに受け取ってくれた。「ありがとね」とお礼を言われて、きゃっきゃとはしゃぐ私を、いつまでも見守る優しい眼差し。両親を亡くして孤独になってしまった私を、可哀想だと言う人もいるけれど。決して私は、不幸なことばかりじゃなかった。こんなにもたくさんの人に愛され、大切にされ、人の優しさに誰よりも触れてきた自信がある。優しさに触れた人は、自分も誰かに優しく出来る。いつか誰かに、そんなことを教わったっけ。



「かかち……」
「え、なに、どうしたの名無し」
「お前のところに行くと言って聞かないんだ。今晩預かってくれないか」
「オビト…、俺は別に構わないが…」

ある時は、急にカカシのところに行くと言って泣いて、二人を困らせたこともあった。幼いながらに、カカシに優しくして貰ったことはずっと忘れていなくて、オビトと共に暮らすようになった後も、何度かカカシを恋しがった時があったのだ。そういう時、オビトは泣きじゃくる私を抱っこして、カカシの家を訪ねた。どんなに夜遅い時間でも、カカシは玄関を開けてくれて、めそめそとしゃくりあげる私をオビトから受け取るのである。

「会いに来てくれたのか、名無し」
「うん……きょうはかかちとねる」
「その言葉、オビトが聞いたら泣くぞ」

笑いながら、私を寝室へと運んでくれて、一緒の布団に埋まる。カカシは、絶対に私より先に寝たりしない。私が寝るまでずっと、よく分からない私の話の相手になってくれたり、絵本を読んでというワガママを聞いてくれる。そして、いつの間にか私は眠っていて、朝、美味しそうな匂いに釣られて起きるのだ。カカシはオビトと違って、とっても料理が上手かった。

「もうすぐオビトが迎えに来るから」
「うん。おびとにあいたい」
「あれ、もうオビトが恋しくなっちゃった?罪な女だなあ」
「ふふ!つみなおんな!」

口の周りにお米をたくさんつけながら、オビトのお迎えを待つ。玄関から「カカシ」という彼の声が聞こえてくると、私は飛びあがって駆けだして、その体に抱き付くのだ。「おびと!」と笑うと、オビトは少しだけ照れくさそうに笑って。

「世話になったな」
「昨日あんだけカカシカカシだったのに、今日はもうオビトオビトだったよ」
「当たり前だ、残念だったな」
「……、オビト、」

よく笑うようになったな。そう告げたカカシの言葉に、オビトは一瞬面食らって。次の瞬間には、かつての少年期の時のような、屈託のない笑顔を浮かべた。「お陰様で、忙しすぎて落ち込んでる暇がないからな」そう言いながら、私の小さな体を慣れた手付きで抱き上げる。いつまでも私に向かって手を振ってくれるカカシに、私は大きく手を振り返しながら、彼と一緒にいつもの家へと帰った。カカシは、私とオビトをいつも優しく見守り、支えてくれていたのだ。





「ガガジィ…」
「名無し!?一体どうした、」
「わたし、びょうきになっちゃったの」

ある日のことだ。泣きながら、突然家を訪ねてきた私に、カカシは目を剥いた。ひっくひっくとすっかり取り乱している私に、目線を合わせるように屈みながら、カカシは問いかける。私から返って来た言葉に一気に顔を真っ青にして、彼にしては珍しく必死な形相で私の体を掴んだ。

「どうした、どこか悪いのか。何があった」
「あのね、あのね、」
「ゆっくりでいい。話してごらん。どこが痛いの」
「ぱんつ…」
「え?」
「ぱんつに、いっぱい血が付いているの」

そこでカカシは、頭を鈍器で殴られているような衝撃を覚えことを、今でも覚えている。し、下着に、血?いや、それって…、まさか…。と、いい大人の男が動揺する。いや、落ち着け。俺はこの子の親代わりなんだ。しっかりしなければ、と思いつつ、不安そうにする私の体を優しく抱き上げる。家から急いでバスタオルを持ってきて、私を優しく包んでくれた。

「大丈夫、その病気は治るよ」
「そうなの…?」
「今からサクラのところに行こう。サクラなら治し方知ってるから」
「かかしやおびとじゃだめなの?」
「俺やオビトじゃ……、その、な、治せないんだ」

まだまだ子供の女の子に、ここまでたじろぐとは情けない。カカシは急いでサクラの元を訪ねて、そっと耳打ちをしていた。きょとんとするサクラさんの表情が、次第にきらきらと輝きを放ち、私をぎゅうと抱きしめる。「おめでとう、名無し!今日はお赤飯ね!」おめでとう?病気なのに?そう首を捻る私を、サクラさんは嬉しそうに見つめて、「名無しは今日、また一つ大人になったんだよ!」と。初めての生理を迎えた私は、その日サクラさんの家にお泊りして、ヒナタさんやイノさんやテンテンさんと初めての女子会をした。女の子同士で話す夜は、すっごくきらきらしていて楽しかった。逆にカカシは、オビトに事の報告をした後、二人してパニックになっていたのだという。私はまた1つ、貴重な瞬間を大好きなみんなと迎えることが出来た。




「また喧嘩したのか、名無し」
「………泊めて」
「いいけど、オビトには連絡入れとくからな」

思春期時代の私は、よくカカシの家に泊まらせてもらうことが多くなった。オビトと喧嘩したり、何か辛いことがあったりすると、必ず私はここへ逃げてくる。呆れたように頭をかくカカシだったが、決して1度も私を拒んだことはない。いつも家へ招き入れてくれて、温かいお茶を出してくれる。そんな優しいカカシが大好きだ。私はいくつになっても、カカシのそんな優しさに甘えていた。

「…オビトの馬鹿」
「今度は何が理由で喧嘩したの」
「……………」
「ま!アイツには俺から叱っておいてやるから」

オビトとの喧嘩は、大抵私が悪い。私が外で悪さしたり、帰りが遅かったりして、オビトに怒られて、そのまま家を飛び出す。いつもそのパターン。オビトも、毎回私の行く先がカカシの家であることを知っているから、敢えて追いかけてきたりはしない。きっと私の気持ちも考慮して、時間をくれているのだろう。そういう大人なところすら、当時の私は腹が立って仕方がなかった。まるで私が子供みたいだ。いや、実際子供で幼稚で、どうしようもない私だったんだけれども。

カカシはいつも、私を責めずに静かに愚痴を聞いてくれる。どんなに私が悪い喧嘩でも、「謝りなさい」とか、「お前が悪い」という言葉を言われたことはない。私がこういう時、何故カカシの元を訪れるのか、彼は理解しているからだ。とにかく話しを聞いてもらいたい、吐き出してスッキリしたい。そんな私の気持ちを汲み取って、カカシは何も言わずに話を聞いてくれる。そして最後には必ず、「俺がオビトを叱っておくから」と言ってくれる。それだけで、私の心に広がっていたもやもやは綺麗すっきり澄み渡っていくのである。

一頻り怒って泣いて、疲れて眠る私を、寝室の布団まで運ぶのはカカシの役目。私の寝顔を静かに見つめながら、幼い頃、一緒の布団で寝たことを思い出して、小さく笑う。「大きくなったな、名無し」なんて、小さく呟いてたこと、本当は私、聞いてたんだ。寝たフリをして、優しく頭を撫でてくれるその大きな手のひらに身を預けて。あんなに小さかった私が、両親を亡くしながらも、日々逞しく成長している。それがカカシにとって、何よりも幸せなことだった。本当は、両親とする筈だった喧嘩も、一家団欒も、オビトやカカシと共に経験して、少しずつ大人へと近付いて行く。そんな私の成長の過程を、カカシは1つ1つ噛みしめて。

「…私、オビトに謝ってくる」
「ん。そうしなさい」
「許してくれるかな」
「許してくれるさ。アイツもそんな小さな男じゃない」
「…そっか。ありがとう、カカシ」
「泣かされたらまたいつでもおいで」
「うん。またね」

いつの日か、幼い頃、オビトに抱きかかえられながら、いつまでもカカシに手を振っていた事を思い出す。何度も振り返ると、カカシは私の姿が見えなくなるまで、玄関先から見送ってくれていた。いつでも私の味方でいてくれる。そんなカカシは、私にとっても大きな心の支えで、もう既になくてはならない存在にまでなっていたのだ。







「うおおお、カカシさん、めちゃくちゃ愛されてるじゃないですか!」

ぱかり、と任務先で開いたお弁当には、でかでかとハートマークに切りぬかれた海苔が、白米の上に乗っていた。それを見た同じ任務に就く仲間たちが、茶化すように声を上げる。少し恥ずかしい気もしたが、カカシはそれを大切に、1つ1つ噛みしめながら全て完食したのだった。愛されている、か。もしそうならば、それほどありがたいことはない。一応カカシなりに、彼女には愛情をこめて大切に面倒を見てきた。親がいない事を寂しく思わないよう、できる限りのことをしてきたつもりだ。今ではもう、彼女も立派な駆け出しのくのいち。これからどんどん力を付けて、未来の世に羽ばたいていくだろう。カカシはいつかそんな私の姿を見たいと、そう願ってくれていた。

「美味しかった、ご馳走さま」
「カカシ!おかえりなさい!」

空になった弁当箱を、律儀に洗って返してくれたカカシに飛びつく。昔より私の体は随分大きくなって、大人のそれになったが、今でもカカシはしっかりと受け止めてくれる。端から見れば、親子や兄妹というより、新婚の夫婦のようだ。すりすりと頬ずりをする私に、カカシも少し困り顔である。

「こらこら。こんなところ見たら、男が泣くよ」
「そんな男いないもん」
「男が出来たら、ちゃんと俺に紹介してくれよ」
「私はカカシと結婚するからいいの!」
「まーたそんな事言って……」

呆れた様に、でもどこか優しげに笑うカカシ。いつだって、彼は私の言葉を本気にしてはくれない。どこか飄々としていて、喰えない男。私はそんなカカシが大好きだ。オビトと一緒に私をここまで育て上げてくれた、良きパパのような、良き兄のような。まあパパにしては、ちょっと若すぎるけども。

そう。私にとっては、パパでありお兄ちゃんであり…かけがえのない家族だったカカシ。しかし、その認識は、ある日の午後、偶然休みが重なったイノさんとのお茶会で、崩壊することとなる。

「カカシ先生って、ああ見えてモテるのよ」
「そうなの?」
「そうよ〜、お見合いの申し込み、山ほど来てるんだって」

なのに未だに独身だなんて、と頬杖を付くイノさんの言葉なんて、もう私の頭には入ってこない。何故だか心がざわついて、落ち着いてはいられないのだ。自分を宥める為に、イノさんがご馳走してくれたオレンジジュースをじゅーとストローから吸い込むが、それでもやはり、この胸のもやもやは消えないまま残っている。一体私は何を焦っているのだろう。イノさんの言葉を聞いてから、嫌な胸騒ぎが広がって私の表情を暗くしていく。

「なに、どうしたのいきなり。そんな暗い顔して」
「……嫌なんです」
「え?」
「カカシが結婚したらって思うと…、何だか胸が苦しくて」

ぽかん、と意表を突かれた顔でこちらを見るイノさん。その視線に居心地が悪くなって、私は胸元を抑えながら視線を落とした。苦しい。きりきりと締め付けられるような感覚。私は、この感覚の正体をまだ知らない。

「ねえ、名無し」
「はい……」
「それって、カカシ先生のことが好きなんじゃないの?」
「え……?」



今まで、一度だって恋愛をしたことが無い。男手に育てられて、過保護なくらい大事に面倒を見て貰ってきた。俗に言う、箱入り娘という奴だろうか。心配性なオビトやカカシは、よく私に男の子が近づくだけで威圧してたっけ。だから私は、この感情がよく分からなくて。イノさんに言われるがまま、「ああ、これが恋心なのか」と納得していた。そしてハッと我に返る。数日前、サクラさんに言われた言葉。



『それって、オビトさんの事が好きなんじゃないの?』




頭の中で蘇るその言葉に、私は益々訳が分からなくなった。私は、オビトもカカシも大好きだ。だけど、どっちがどうかと問われると、答えが見つからない。選ぶなんて、出来ない。私には、どっちも大切で、どっちも必要な存在なのだから。うーん、とより難しい顔をして頭を抱え込んでしまった私に、イノさんは目を輝かせながら根掘り葉掘り聞いてくる。女性は、いくつになってもこの手の話が好きなのだ。


「私、どっちが好きなんだろう……」