見えつらむ

オビトとカカシへの気持ちを明確に自覚したあの日。私たちの関係は、家族から一転し、ガラリと変わってしまった。交わした唇の感触は、いつまで経っても消えずに残っている。あの時のキスを思い出すだけで、体は燃えるように熱くなった。私は、2人をはっきりと、異性として意識し扱うようになったのだ。

そして、私以上に変わったのは、オビトとカカシであった。






「行ってくる」
「気を付けてね。何日かかるの?」
「分からないが、数日はかかる」

まるで新婚のようなこのやり取りは、一緒の家に住む私とオビトの間では、昔から続く変わりない日常だ。私よりも早く出て、私よりも遅く帰ってくる事が多いオビトは、その日もそう言って、私に先に寝ているように促した。ここまでは変わらない。前と変わらない。……変わったのは、この先。


「ちょ……、オビト!」

ぐぐ、と私の肩を掴む彼の手に、力が入る。玄関の壁に押し付けられて、私とオビトの距離はあっという間にゼロになった。


オビトとカカシとキスを交わし、2人に好きだと告げたあれから。2人は、何かにつけて私にキスを求めるようになった。話によれば、カカシの家に上がり込んだ日の翌日。2人は早速話し合ったようだった。その内容はざっくりとしか聞かなかったが、私が2人に対して異性としての好意を寄せていること。そして2人もまた、同じ気持ちでいてくれていることをお互い確かめ合ったらしい。

そのせいか何なのか。オビトもカカシも、どこか競い合うように私に迫る。未だキス以上の事を求められてはいないが、まさかここまで変わるとは思っていなかったので、嬉しい反面恥ずかしく、そして戸惑いもあった。

「オビトってば!」
「………なんだ」

もう少しで唇がくっ付く、その距離で、私は何とか顔を背けて抗議の声を上げた。そこでようやくオビトの手の力が緩み、不満げな声が降りかかる。行ってきますのチューをせがむなんて、意外と乙女な所があるものだ。

「だ、駄目だってば」
「今更何言ってんだ」
「そうじゃなくて…!」

真っ赤な顔をようやく上げると、不思議そうにこちらを見下ろすオビトの顔。私よりも幾分歳上な筈なのに、この時の彼は、私よりもどこか幼く見えた。まるで少年のような、そんな顔。

「…数日いないんでしょ…?キスしたら、離れたくなくなる………」

か細い声で紡がれたその言葉は、数秒後にはオビトに飲み込まれ。上に被さる彼に、何度も何度も唇を食われるのだった。








それから数日。オビトは宣告通り帰って来なかった。

彼は、今や木の葉の平和を担う立派な忍びの1人。普段は若き忍びの卵達を育てる先生をやりながら、七代目の依頼があれば危険な任務先へと旅立って行く。それだけ実力もあり、火影様からの絶大な信頼を寄せられている。それは、オビトだけでなくカカシも同様で、2人はよく一緒の任務に従事する事も多かった。

かくいう私も、医療忍者としてサクラさんの元で修行を積んではいるが、まだまだヒヨッコ。2人の任務に同行できる実力など、当然ない。だからこうして、指を咥えて彼らの帰還を今か今かと待つしか無いのだ。

オビトがいない数日間は、私にとっては、1週間にも1ヶ月にも感じられた。前までこんな想いを抱いた事はあっただろうか。恋しくて仕方がない。恥ずかしくて拒んでいたキスも、今は体が欲している。抱きしめてほしい、キスしたい。

空っぽの部屋の中で、夕飯もお風呂も済ませた私は、後は寝るだけの格好で布団の上に座り込んだ。私の布団ではない。……オビトの部屋にある、オビトの布団だ。いよいよ末期状態の私は、まるで変態みたいに彼の布団を引っ張りだしてきて、その匂いに包まれながら眠ろうとしていた。

(オビトの匂い……懐かしい……)

潜り込んでみると、布団は彼の匂いを忘れずに記憶していた。まるで抱きしめられているような感覚。でも当然ながら、オビト本人ではない。ぽっかりと空いた胸の穴に、虚しさが広がるばかりだ。

怪我してないかな。危険な目にあってないかな。帰りはいつになるんだろう。オビトのことばかり考えて、何をしていても上の空。今日なんかは、そのお陰でサクラさんにも怒られてしまった。こんなんじゃ忍び失格だ。恋愛ごとにうつつを抜かして、修行を疎かにしていたら、きっとオビトにもカカシにも呆れられるだろう。もしかしたら、「そんな状態になるなら、前の関係に戻る」と言うかもしれない。2人は、色んな修羅場を潜り抜けてきた経験もあって、修行や忍びに対しての思いは誰よりも熱く、例え私相手であろうと容赦は一切しない。彼らが妥協したら、死ぬのはその弟子たちだからだ。

(明日からちゃんと気持ちを切り替えるから…。今日だけ……、今日だけは…)

枕に顔を埋める。まるでキスをしている時のように、そっと目を閉じて唇を押し付けた。これがオビトだったら。私の我儘に答えて、キスをしてくれただろうか。出発する日の朝の、あの荒々しくも優しいキスが忘れられずにいた。2人のせいで、こんなにも体が熱い。いやらしいことばかりを考えてしまう。

(早く帰ってきて、オビト……)



そんな想いが通じたのか何なのか。オビトが帰ってきたのは、その翌日のことであった。




◇◆◇◆






「もーオビト、ちゃんと歩いて」

凭れかかるオレを支えるその女性は、名無しではない。オレと同じ酒の匂いと、少しキツめの香水を漂わせた女性である。彼女は、今回の任務で共に戦った仲間でもあった。

ようやく帰ってきた任務終わり。仲間内の誰が言ったのかは明確に覚えていないが、お疲れ様会と称して開かれたこの飲み会に、オレ…オビトは全く乗り気ではなかった。頭の中に浮かぶのは、オレの帰りを待っているであろう名無しの姿。きっと寂しがっているに決まってる。強がりで意地っ張りな奴だが、彼女のことは誰よりもオレが知っていた。

早く帰りたい、というこちらの気持ちを知らない仲間たちは、決してお酒が強くないオレに何度も酒を勧めた。この会を早く終わらせたいという気持ちが背中を押して、半ばヤケクソの様にグラスを空にする。こうして飲んでやれば、コイツらもすぐ満足すると思っていた。




結果、先に潰れたのはオレの方だった。




1人で帰れないという情けない状態のオレを、その場にいた女が送っていくと名乗り出た。飲みの席の時から、やたらとグイグイ来る奴だとは思っていたが、オレもそこまで馬鹿じゃない。この女が、下心を抱いている事は見え見えだった。

だからと言って、オレとこの女の間に何かが起こる事はない。女性の手を借りるのは不本意ではあったが、ただ真っ直ぐ帰って、今は一刻も早く名無しに顔を見せてやりたい。オレの頭は、ただそれだけで一杯であった。

「……オビト」

つん、と袖を引かれて、オレは女を見た。女の目線の先には、輝かしく光るホテル街。酔っ払った男女が何組もそこへ吸い込まれていくのが見える。寄ってく?と首を傾げる女からは、オレと同じ匂い。だが何となく分かる。コイツはそこまで飲んでいなくて、酔ってもいないのに酔ったフリをしているという事が。酒の力を借りて、オレを誘っているのだろう。

「…………帰る」

オレはただ一言そう告げた。女の顔は、みるみる落胆の色に染まっていき、酒の赤は消えていく。すっかり空気は冷め、俯いている女もそれ以上しつこく誘ってくることは無かった。ただ一言、悲しそうに呟く。

「…あの子が待ってるもんね」

オレはその言葉に否定も肯定もしなかった。オレと名無しの関係には、他の人には計り知れない、強い絆がある。それを他人に心配されたり、とやかく言われる筋合いはないのだ。とにかくオレは、ただ早く家に帰りたい。ただそれだけである。








「おかえり!オビ……、」

玄関から飛び出してきた名無しの表情が、みるみる曇っていくのが見えた。それもそのはずだ。帰りを待っていた男は、女を引き連れてベロベロに酔って帰ってきたのだ。露骨に傷付いたような顔をする名無しに、オレも心が痛む。言い訳を並べようともしたが、余計にカッコ悪い気がして口を閉ざした。

「私たちがオビトに飲ませすぎちゃって。ごめんね」

オレの代わりに謝った女は、ぺこりと名無しに頭を下げて、オレの体を降ろす。オレに代わって、ごめんなさい、ありがとう、を繰り返す名無しを尻目に、オレたちは送ってくれたその人を見送ったのだった。

その後は、何となくお互い無言だった。オレを居間に運んだ名無しの口数は少なく、ただ無言でコップに入った水を渡される。それを受け取りながら、オレはこの空気をどうすべきかずっと考えた。悪かったと謝るか?いやしかし、別に浮気をした訳ではない。そもそも、オレたちはお互いの気持ちを確認してはいるが、まだ決して恋人という関係ではないのだ。それに、オレだって彼女からの誘いをしっかり断って、ここまで帰ってきたのである。それは、紛れも無く名無しの存在が心にあったからだ。

「……オビト」

ぽつりと呟かれた声に、オレは大袈裟な程勢いよく顔を上げた。説教か。それとも泣かれるか。どちらにしても、オレはコイツに逆らえない、逆らってはいけない。どんな言葉をぶつけられても、謝るしかない。怒りが爆発した女性は、尾獣よりも怖いのだ。それは、かつてのオレの先生の奥さんを目の当たりにしているので、しっかりと記憶に刻まれている。

「な、なんだ…」

やっとの思いで返事した後、名無しの出方を窺ったが、返ってきたものは、オレが恐れていた反応とは、180度違うものであった。名無しは、座るオレの膝に跨ると、何かを言う前にそっと唇を寄せて、控え目な口付けを落としたのだった。オレはといえば、そんな名無しの行動にただ呆然とするばかり。いつもはオレから強請り迫っていた行為を、向こうから、しかもこのタイミングで突然されるなんて。

唇に感じるのは、既に何度も堪能している柔らかい感触。いい歳した男が、幾らか歳下の女に…、ちょっと前まで子供だと思っていたソイツに翻弄され、動揺している。だが名無しも決して平気ではなかった。密着した体越しに感じるのだ。彼女の心臓が、煩く騒いでいるのを。

「わ、わたし、子供かな…」
「は………」
「妬いてるの、あの女の人に」

潤む瞳が、オレを下から見上げる。赤く染まった頬と、熱い吐息が漏れる唇。オレの理性はみるみる剥がされて、欲望が剥き出しになっていく。歳の近いあの女に誘われた時は何も感じなかったのに、目の前のコイツには、いつも調子を狂わされる。歳上だとか、男だとか、そんなプライドなんて最早塵に等しい。

「オビトを取られたくない……」

何も言わず固まったままのオレに、名無しは何度も何度も口付ける。唇、頬、鼻、瞼、首筋。繰り返されるその行為と、ストレートにぶつけてくる可愛らしい嫉妬に、オレは目眩さえ覚えた。取られるものか。お前は知らないだけで、オレはもうこんなにも夢中だ。


「ね、オビト」


キスして。


そこまで言わせて、オレももう止まれるほど、出来た大人では無かった。






ーーーー・・・・





何度も絡まる舌から、だらしなく唾液が垂れて、それが名無しの口元を伝っていく。名無しは、ずっとこれがしたくて堪らなかったらしい。オレが留守にしている間、枕をオレに見立てて寂しさを紛らわしていたなんて言われては、その期待に応えねば男が廃るというものだろう。

膝の上に乗せた名無しは、オレが深く口付け吸い寄せただけで、大袈裟な程に肩を震わせていた。息する暇すら与えてやらない。一瞬の隙に酸素を得ようと口を開く名無しの唇を、何度も何度も噛み付いてやった。

「んっ……ふ……、ぁ………!」
「ん…………、はぁ………」

やがてオレの気が済んだところで、そっと体を離す。これだけでもぐったり脱力している名無しを抱き留めていると、彼女の視線が下に向けられていることに気付いた。何に気を取られているのか。その視線を辿れば、答えはすぐに分かった。


「…………あんまり見るな」
「初めて見た………」


膨らむズボン。オレの下半身はその先を期待して、すっかり準備万端であった。布を上に押し上げて主張するソレは、名無しの太ももに当たっている。初めて見るそれを、まるで子供のように興味津々で見つめている名無しに、居心地悪そうに咳払いを残した。酒に酔った勢いで、コイツを抱くつもりはない。愛しているからこそ、この先はしっかりとお互いの意思を確認して、想いが通じ合った果てにするべきだと考えている。

終わりだ、と告げるかのように、オレはそっと名無しの肩を押し返した。膝から降ろして体を起こす。これ以上はオレも自分自身を抑えられる自信がない。それに、任務で疲労が溜まった体は睡眠を欲していたのも事実だった。さっさとお風呂に入って布団に潜り込みたい。

しかし、これで終わらせなかったのは、名無しの方だった。



「オビト……」
「お、おい…、」

戸惑うオレを他所に、名無しはソファーに座るオレの前に膝を付いた。伸ばされた手は真っ直ぐに股間に伸ばされて、ズボンに手を掛ける。一瞬で何をしようとしているのか理解して、慌ててその細い腕を掴んだ。知らない間に要らない知識を身に着けていたらしい。驚きを隠せないままに、オレは焦ったように彼女を諭した。

「馬鹿、何してんだ…!」
「言ったでしょ、私はもう子供じゃないって。どうすれば男の人が喜ぶか、ちゃんと知ってるよ」
「オレはそんな事頼んでない」
「私はオビトに喜んで貰いたい…。私も、オビトに何かしてあげたいの」

そうじゃないと…、と小さく呟いて俯いてしまった名無しを見下ろしながら、彼女も彼女で何かに焦っていることを感じ取っていた。元々歳の差があって、まるで親子のような関係からスタートしたオレたちだ。名無しにも色々と葛藤や不安があるのだろう。だがしかし、だからといって好きな女にこんな事をさせるのはいかがなものだろうか。確かにオレのそこは、熱を求めて昂っている。風呂の時にでも一人で発散しておくか、なんて頭の片隅で考えていたのだが、この展開は誤算であった。

今までだって、ずっと我慢してきた。コイツを女として見るようになってから、一緒の家に暮らしていれば当然意識するような出来事など山程ある。だがその度にオレは、なけなしの理性で欲望を抑え込んで、一人虚しく自分慰める夜を何度も過ごしてきた。それくらい、オレはコイツを大切にしたいと思っている。思っている、筈なのに…。


(クソ…。たったこれだけで揺らいでる自分が情けない……)


その理性を、手放そうとしているオレがいた。このままコイツに全てを任せて、自由になってしまえば楽になれるのではないだろうか。欲望のままに。思うがままに名無しを抱いて、好きだと愛を囁いて…。そうすれば、もう我慢する苦しみから解放されるのだろうか。嗚呼、考えれば考える程頭がくらくらする。元々酔っぱらっているせいで思考が覚束無い。ぼーっとする頭は働くことを完全に放棄し、オレはついに、名無しの腕を掴んでいた手を緩めたのだ。


「オビト…、私、頑張るから……」


ごそごそと、慣れない手付きでオレのものを取り出した名無しは、その白く綺麗な手でしっかりと根を掴んでいた。穢れを知らないその手を、名無しを、まるで汚してしまったかのような背徳感。それがまたゾクゾクとオレの中の何かを掻き立てていく。正直、そのぎこちない手付きではいつになってもイけない気がしたが、それでもオレは満たされていた。このまま、全てを委ねて、名無しと共になりたい。もどかしい快楽と、たった一人の女に対する愛に、オレの意識は徐々に微睡んでいくのだった。


















「……ビト……、……オビト!」

はっと目を覚ました時には、既に部屋には朝の日差しが入り込んでいて、視界いっぱいに名無しの呆れたような顔が映し出されていた。寝起きで思考が停止していたが、やがて脳が完全に覚醒して、勢いよく体を起こす。その瞬間、バキバキに固まっていた全身から痛みが走った。ソファーで眠ってしまったせいで体を痛めてしまったようだ。

「……オレは……、」
「昨日酔っぱらって帰って来た後、そのままソファーで寝ちゃったんだよ。何回起こしても起きなかったんだから」

怒ったように眉を寄せる名無し。寝ていた?帰ってきてからずっと?

「何とぼけた顔してるの。朝ごはんできてるから、顔洗ってきて」

何度目か分からない深い溜息を付いて、台所の奥へと消えて行った名無しの背中を見送りつつ、オレは片隅に残っている甘ったるい記憶に思いを馳せた。……あれは、オレが我慢に我慢を重ねた結果見てしまった、夢だったということか。



「………なんつー夢見てんだオレは……」

自己嫌悪に手で顔を覆いながら、ゆっくりとソファーから立ち上がり、洗面台に向かう。やはり飲みすぎは良くない、しばらくは酒を控えよう。昨晩の自分自身をそう反省しながら、オレは全く気付かなかったのだ。


台所で顔を真っ赤にした名無しが、そっとオレの背中を見つめていたことに。



「…恥ずかしいから、このまま夢だったことにしちゃおう」


そっと呟かれた彼女の作戦に、オレはきっと気付くことはないのだろう。