「そんなやつなんか、はやく別れろよ。」
デイダラは名無しにそう言った。荒々しい口調ではなく、ゆっくりと何かを諭すようだった。名無しはその言葉に何も言わなかった。少し眉をひそめて口角をあげる。愛想笑いだった。
デイダラと名無しの関係は特に何もない。その関係に名前をつけるとしたら、他人という単語があっているかもしれない。家族でも幼馴染でも親友でも友達でも恋人でもセフレでもない。ただ単に他人。それだけだった。それにも関わらず周りから見ると、彼氏と別れる別れないの話をしている。おかしな関係だった。
名無しには彼氏がいた。この彼氏というのが何とも言えないくらいクズ男だった。その男をXとここではよぶことにする。Xは名無しにいつも暴力をふるっていた。しかもまわりにバレないように必ず首から下を殴るような卑怯なやつだった。なにか気に食わないことがあると、名無しをサンドバッグのように、身体中を痛めつけた。男と女の力の差はとても大きい。それは名無しがとても強い忍だとしても、だ。名無しはいつもXが殴ったとしても特に何も言わなかった。へらへらと笑って、相手の気がすむまで黙っている。それは今日もそうだった。
Xは名無しを誰もいない路地裏でいきなり殴った。理由はタバコがない。それだけだった。名無しはXに頭を下げて謝った。「ごめんなさい、貴方が買っていると思って。」と。しかしXは理不尽なことに準備をしていないお前が悪いと言い返して名無しを殴った。更に今日は特にイライラしていたのか、名無しが倒れるくらいに腹を殴り、ライターで髪の毛を焼いた。そして、Xは普段は痛めつけない顔を殴っていた。
名無しは狂気に満ちたXの目に怯えて身体が動かなかった。殺されてしまう、恋人にタバコがないというただそれだけの理由で殺される。恐怖が目の前で直に感じると、ヒトというものは本当に声もでないというがそれはあっていたようだ。
目の上を殴られると、名無しの視界は白くなった。視力を戻そうと瞬きをするが、瞼が腫れて動かしづらい。口を殴られると、歯が当たり口内から出血する。鼻を殴られると、鼻の骨が曲がり、鼻血がどろどろと溢れる。極め付けに頭を殴られて、脳震盪をおこし何も考えられなくなった。
死というものは突然にくるものらしい。天災で死ぬ。病気で死ぬ。任務で死ぬ。他里の忍に殺されて死ぬ。愛していた恋人に殺されて死ぬ。名無しはクラクラとする頭を動かそうと必死になっていた。死にたくない。殺されたくない。ただそれだけだった。
目の前に血しぶきが舞った。ぼたぼたと血が溢れていく。そしてあっという間に死んでいた。
……Xという男が。
名無しは目の前の状況を理解できていなかった。いきなり最愛の人が倒れていたのだ。しかも多量の出血をして。口をパクパクとして、彼の名前を呼ぶ。しかし声は出ない。何故なら目の前の死んでいる男に傷つけられたから。名無しはXの後ろで立っている人影を見た。そして絶句した。そこにはあのビンゴブックに載っている顔が立っていたからだ。黒い外套に赤い雲模様。額当てには横線、顔を隠すための笠帽子。間違いない、暁だと確信した。
名無しは殺される、と感じていた。殺される感覚は二度目だったので分かる。一度目はさっき、二度目は今。
Xを殺した男は血の付いたクナイを地面に落とす。地面にクナイが綺麗に刺さると、次はお前だと言っているように感じた。男は帽子をとって、名無しの前にしゃがむ。それに対し、名無しは目を強く瞑った。死ぬなら、Xのように一瞬で殺してほしい。そういう意味を込めてだった。しかしその期待は大きく変わっていた。なんと男は名無しを片手で抱えると術を発動させて大きな鳥のようなものに彼女と自分自身を乗せたのだ。鳥は翼を動かして、空を舞う。Xが死んでいる地面はだんだん離れて、ついには里の建物も小さくなっていく。名無しの記憶はここまでだった。
▼▼▼
名無しは身体の痛みで目を覚ました。ズキズキとカラダが痛み、顔を歪ませる。しかし何故か先ほどより身体の痛みは落ち着いているような気がした。特に折られたはずの鼻は触っても普段と変わらない。目の上の腫れもおさまっているようだった。
「あ、起きたか? …うん。」
名無しは声のする方向に顔を向けた。そしてそこには先ほど最愛のXを殺した男が立っていた。名無しは記憶を遡り、ビンゴブックで男がデイダラという名前のことと、デイダラがXを殺したことを思い出した。
「デイダラ……。」
「ん、なんでオイラの名前知ってんだよ。」
「だって貴方はS級犯罪者で暁に所属する忍だから……」
名無しは素直に答えていた。それはこれからデイダラに殺されることは理解していたからだ。ここで嘘をついてもこれからのことに変化は何もない。それなら嘘をつくことなんかしたくない。名無しのある意味歪んだ抵抗だった。
デイダラは納得した表情をすると、何も言わずに名無しの怪我した身体に触れた。痛い、と名無しが声を漏らすと、デイダラは素直に悪いと謝った。
そしてなんとデイダラは本を片手に、名無しの傷を治療しだしたのだ。腕に出来た痣はどんどん薄くなる。名無しはデイダラの行動を理解した。この男は私の怪我を治している、と。しかし何故こんなことをしているのかは理解出来なかった。先ほどまでの殺気は明らかにヒトをこれから殺めるためのものだった。それにもかかわらず、目の前の男は自分を治しているのだ。
「オイラ、医療忍術は苦手なんだよ。こういうちまちましたやつは、サソリの旦那のほうが上手だからな…。」
デイダラは本のページをぺらぺらとめくる。途中で何かブツブツ呟いていたが、名無しの傷はどんどん治っていく。苦手といっていたが、センスはあるらしい。デイダラは名無しの傷をだいたい治すと名無しの前にパンと水を置いた。
「…食えよ。何も食べないと死ぬぞ。」
「えっと、私、その…。」
「いいから食えって言ってるだろ。」
名無しは手を合わせて、パンに口をつける。食べながら、名無しはこれまでの出来事をまとめていた。自分はXに殺されそうになり、その途中でXはデイダラに殺された。名無しもデイダラに殺されると思ったのに、何故か助けられていて食事まで与えられていた。
そこからまず考えられるのは、名無しは人質になった可能性があるということだ。しかしそれには少し矛盾が生まれる。まず人質にするのなら、名無しのような名前の知られていない忍を選ばないからだ。金を大きく動せる大名、または五影や上層部の忍など、里の重要な情報を知っている人物を狙うのが鉄則だ。だからこの人質という可能性はほとんどないだろう。
その次にあるのは、デイダラが快楽殺人鬼ということだ。わざわざ傷を治して、痛めつけて名無しを殺すことに快楽を感じるというものだ。ただこちらも矛盾がある。それならば本なんて読む必要がないくらい医療忍術には優れているはずだろう。それなのに、デイダラの手つきは明らかに慣れていなかった。はじめてやった、と言われてもおかしくない。この線もどうやら違うようだ。
名無しはパンを咀嚼して飲み込む。そんな名無しにデイダラは何かを感じたのか、彼女に問いかけた。
「オイラが何でお前を助けたのか気になってんのか、うん。」
「……!」
名無しは目を大きく開いてデイダラを見た。デイダラはため息をついて、顔に出過ぎだ、と吐き捨てる。名無しはパンを皿の上に戻すとゆっくりと頷いた。
「お前、名前は…?」
「名前…?」
「オイラだけ名前知られているなんてイーブンじゃねーだろ。助けてやったんだから、名前くらい教えろよ。」
「あっ……、名無しって言うの。」
「名無し、な。」
デイダラは皿の上に戻したパンを千切ると、名無しの口元に持っていく。名無しは無言で口を開き、口に入れられたそれを噛んで飲み込む。
「名無しはアイツに随分酷いことされてたみてーだけど、お前はアイツの恋人なのか?」
「えっ……。」
口を先に開いたのはデイダラだった。デイダラは再びパンを名無しの口元に運んでいく。名無しはそのパンを食べる前にゆっくりと頷いた。
「オイラの居た里では恋人の顔を殴るなんていうクソみたいな風習なんてないけど、名無しの住んでいる里はそういう風習なのか?」
「……違うよ、そんなことどこの里でもないと思う。」
「じゃあなんで名無しは殴られてもへらへらしてたんだよ。」
「それは……。」
私が全部悪いから。
名無しは小さな声で答える。それに対し、デイダラはどこがだよ、とぶっきらぼうに質問をする。そして続けてタバコがないくらいで恋人を殴るなんてしねーよ、と言った。
実はデイダラは名無しとXのことをたまたま見ていたのだ。最初は何も思わなかった。しかしXが名無しと手をつないで歩いていたのに、いきなり殺気をだして今にも彼女を殺そうとしそうなことに気が付いたのだ。路地裏に名無しが連れ込まれ、罵声を浴びせさせながら殴られているのをデイダラの目にははっきり映っていた。そしてそれが最初ではなく、普段から行われていたということもXの動きと名無しの表情からデイダラは理解したのだ。普通に喧嘩なら、デイダラは無視しただろう。でもそれが恋人関係だということを知り、定期的に名無しが痛めつけられていることを知った瞬間にデイダラの心は変わっていた。あの暴力男を殺さないと、彼女は殺されてしまう。殺されはしなくとも、名無しはまた再び今日と同じことを繰り返しされてしまうと。この運命から彼女を救う方法は、Xを殺すことだと、デイダラはすぐに分かっていた。
Xを誰にもバレないように殺し、名無しを空で運搬すればこの運命は変えられる。いつものデイダラなら、爆発させて辺り一帯を更地にしてしまうが、そうしてしまうと名無しも巻き込んでしまう可能性と周りにバレてしまって彼女を助けることが出来ないかもしれない。そう思ったらデイダラの身体は動いていた。そして今に至る。
「そんなやつなんか、はやく別れろよ。」
名無しはデイダラの言葉に愛想笑いをする。デイダラはそんな名無しに少し苛立ちを覚えた。殴られてでも一緒にいたい人間なんていないだろう。名無しの思考は理解出来ない。デイダラはそう感じた。
一方で名無しはデイダラの苛立ちに気が付いたのか、彼の目を見て呟いた。
「……私、彼のことが好きなの。こんな私を好きって、愛してるよって初めて言ってくれたの。」
「はあ? 口でなんかいくらでも言えるだろ…!」
「その言葉が嘘でもいいの。殴られても殺されそうになっても、初めて私にそんな言葉を言ってくれた他人だったから。」
「馬鹿かよっ…! そのせいで殺される一歩手前だった、
「死にたくないよ。……怖いから、死ぬのって。でもあの人になら殺されてもいいって1パーセントでも思っていた自分もいたことは真実だよ。」
名無しは大声を出して泣いていた。Xがデイダラに殺されて、この世にはもう存在していないことを改めて理解したからだ。デイダラはそんな言葉を吐き、泣く名無しを見て自分の拳を強く握りしめた。伸びた爪が手のひらに食い込んで血が出るくらいの強さだった。
デイダラも名無しも他人だった。それ以上でもそれ以下の関係はない。ただそれだけだったのだ。
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