雷鳴A

継子に、聞かれたことがある。強くなる為には何が必要ですか、と。人それぞれ、その答えや考え方は変わってくるだろう。例えば冨岡や錆兎は「鍛錬を積め」と言うだろうし、宇髄は割と現実主義な所があるから、「生まれ持った才能」とも言うかもしれない。蜜璃は優しいから、「貴方はきっと強くなれるわ!」と言うだろう。

私が出した回答は、どれも違った。私は継子にそう聞かれた時、迷わずこう答えたのだ。


「恨みです」


鬼殺隊には、身内を鬼に殺されて、それが理由でこの道を選んだという人が多い。その反面、何となく成り行きで入ってきた者も、少なくはない。その両者には、時間や努力では埋める事ができない、圧倒的な差がある。それが、鬼に対する恨み、殺意だ。

恨みが強ければ強いほど、人はそれを糧にして努力する。殺したい、敵討ちをしたい。悲しくも、そんな想いが人を突き動かすのだ。そしてそれは、時に鬼をも凌駕する大きな力となる。

冨岡も、しのぶも、不死川も時透くんも…。柱も例外なく、鬼に対して強い恨みを持つ人が殆どだ。一切の同情はいらない。私もそう教えられてきた。

けど私には、鬼に対する強い恨みが無かった。時には悲惨な鬼の過去を目の当たりにして、可哀想だと思ったことさえある。恨む材料や明確なきっかけが、私には足りなかったのだ。

「私は、自分の親が今死んでるのか生きてるのかすら知らないの」
「…そうなのですか」
「両親は、馬鹿が付くほどお人好しだった。よく騙されては借金背負わされて…なのにいつもヘラヘラ笑ってる」

いつの日か、どうしてその話になったのかは覚えていないが、しのぶに自分の両親の事を聞かせた事がある。もし私の両親が鬼の餌食になっていたなら、私も鬼をもっと強く恨んでいたのだろうか。私の親との過去は、そんな御涙頂戴の物語では無かった。

「いつの日か、両親は幼い私を家に置き去りにして出て行った。変な宗教にのめり込んでたみたい。きっとまた騙されたんだと思う。探す気にもなれなかった。呆れて物も言えない」
「名無し………」

だから私は、鬼に対して強い殺意を抱いた事がない。例え、世界のどこかの誰かが鬼に喰われても、結局人は皆、どこか他人事のように考えてしまう。それは現実逃避とも言える。私は大丈夫、きっと大丈夫って、根拠のない言葉を自分に言い聞かせて目を背ける。そして私もそうだったのかもしれない。ここに身を置き、柱という立場にありながらも、どこか、そんな風に……。







「……鬼を殺したい」
「…名無し、どうした」

夜中、任務帰りに偶然出会った私を、錆兎は嫌な顔せずに屋敷に招いてくれた。あんな真っ暗闇の中を一人で佇んでいた私を、多分錆兎は心配してくれていたのだと思う。それと同時に、私が醸し出す異様な雰囲気を、感じ取って保護してくれたのかもしれない。

「興奮して眠れないの」
「……継子の事か」
「…多分。私あの日からおかしいから」

殺意。恨み。それが次から次へと溢れ出てきて、どんなに鬼の頸を斬っても収まることを知らない。多分私のこの興奮は、『あの鬼』を殺すまで消えないだろう。大切な継子を殺した、あの鬼を。

「名無し、顔色が悪いぞ。何日寝てないんだ」
「寝てる間にも、鬼がのうのうと人を喰ってるのかと思うと、血が熱くなって眠れないの」
「名無し……」
「鬼って、どう殺せば一番苦しむんだろう。八田羽が味わった苦しみの何倍も痛め付けて、苦しめて苦しめてから殺したい」
「…落ち着け、名無し」

徐々に上がっていく心拍数と呼吸に気付いた錆兎は、私の肩を掴んだ。屈んで目線を合わせてくるその姿はまるで父親で、私は駄々をこねる子供のようだった。

「……錆兎」
「ん?」
「私の継子は、多分上弦に殺された」
「…………」
「あの時死んでいた隊士たちは、みな男ばかりだった。生き残った子に聞いたら、女はみな食べられたと言ってた。多分女を選り好んで食べたんでしょう」
「…そうか」
「八田羽の遺体は、ゴミのようにそこに捨てられてた。ただ意味もなく殺されて、食べもせず放置されてた。しかも森の中の、拓けた比較的目立つ場所に」

それが何を意味するのか。八田羽の最期の言葉と、生き残った隊士が言っていた鬼の発言を考えると、ある仮説が立つ。

「その上弦は、多分私をおびき寄せようとしてる」

八田羽は、私の存在を上弦に話していた。その上弦が、私に興味を持ったのか何なのか、その理由は不明だが、恐らく八田羽の遺体をわざと見つけやすい場所に放置したのだろう。私にそれを見せつけて、敵討ちに来させる為に。

「……名無し。相手の挑発に乗るな。恨みで戦うな。感情に飲まれたら負ける。相手の思う壺だ」
「…心配してくれてるの、錆兎」

大丈夫よ、と笑ってみせた。それでも錆兎の表情は晴れないままだった。多分彼は分かっている。私が何か気の迷いを起こすのではないか、と。私だってそんな馬鹿じゃない。伊達に柱をやっている訳でもない。…全部、全部分かってる。私が一人で上弦に挑んだって、勝てる訳がないことも。恨みだけで戦えば、己の身を滅ぼすことも。

「冨岡にすごい怒られた。八田羽が死んだ時、私取り乱しちゃって。自分が死ねばよかった、って言っちゃったの」
「馬鹿な事を言うな」
「うん…分かってる。私のその時の発言は間違ってたって。そんな事したら、それこそ八田羽が無駄死にになっちゃう」

私は、命を捨てに行く訳じゃない。仇を取る為に戦いに行く。そしてその先に待つのが例え死であったとしても、必ず私はその鬼に一矢報いてやる。『俺の師範が必ずお前を殺しに行く』。八田羽の最期の言葉の願いを、叶えてやるのが先輩の務めだろう。

「策が無い訳じゃない。どうやらその鬼は、女を喰うことにかなり執着してるみたいだから、私だったらおびき出せるかもしれない。それに、稀血の力もある」
「…お前では敵わない」
「八田羽が…私にそれを望んでる。だから私がその鬼と戦う。戦って頸を斬って、頭を踏みつぶしてやる」
「お前が喰われるだけだ」
「…そんなの、戦ってみなきゃ分からない。私だってこれでも鳴柱、そう簡単には、」
「行くな!!」

錆兎の怒声に驚いて、顔を上げたのとほぼ同時だった。力強い腕に引かれて、そのまますっぽりと彼の腕の中に納まる。ぎゅう、と背中に回る腕に私は身動きが取れなくなった。肩に埋まる錆兎の表情はよく分からなかったが、錆兎の悲痛の叫びと願いが、ひしひしと伝わってくる。必死に私を止めようとする、錆兎の心の声が聞こえる。

「お前の継子の願いなど、そんなの知ったものか!男なら自分で戦え!人に押し付けるな!」
「…錆兎……」
「なんでお前が、見知らぬ男の為に命を懸ける必要がある!他の男の為に死ぬなんて俺が許さない!」

その錆兎の叫びは、仲間として私の身を案じてくれているものの他に、彼自身の個人的な叫びも混じっていた。…嫉妬。他の男の為に戦いに行こうとする私に、真っ直ぐにぶつけられた怒りだった。錆兎はその胸の内を一頻り吐き出した後、ようやく冷静になったのか、甘えるように私に身を寄せながらぽつぽつと弱々しく語った。

「……すまない。名無しの気持ちも、お前の継子の気持ちをも理解しているつもりだ…。継子を救えなかった無念も、死んだ継子の悔しさも…。俺だって、今までに散々目の前で仲間を失ってきた」
「………」
「だが俺はお前を行かせたくない。お前の継子の最期の願いなど、放っておけ……、と………そう言えたら…」

そう言えたら、どんなに良かったか。震える声音で紡がれた錆兎の言葉に、私はただ小さく『ごめんね』と繰り返すしかなかった。何に対してのごめんねなのかは、自分でも分からない。でもきっと、私のこの決意が錆兎を苦しめているのだと思うと、そう言わずにはいられない。ただ弱々しく丸まった男の背中をそっと撫でて、肩に埋まる彼の髪に頬ずりをして。

すると錆兎はそっと体を離して、私に顔を近付けた。口吸いされる、そう気付いて「あ…」と小さく間抜けな声を漏らしたのは、最早数秒前のこと。重なる温もりは何度も何度もくっついて離れ、やがて触れ合っている時間も徐々に長くなっていく。お互いの吐息が混ざり合う中で、せめてもの抵抗で体を捻ると、より錆兎の腕の力が強くなった。決して逃がさないという意思を感じる程に、固く、強く、熱く。私は何度も錆兎に求められた。

「ん……っ、ふ……ぁ……」
「…は……、名無し………」
「あっ……、さび、…ん…ぅ……は……」
「行かせたくない……。行かせるものか……」
「は……っ、くるし……ん……ふ…、」
「お前が……、」

俺の為だけに生きてくれたらいいのに。

錆兎の甘い吐息に、私の脳はどんどん麻痺していくような、ぼーっと思考が霞んでいくような、そんな感覚に溺れていった。飽きずにずっと交差する舌は、熱でどろどろに溶けて、私の口元からも錆兎の口元からも蜜があふれ出す。やがて、腰が抜けた私の上に錆兎が倒れるようにして、2人して床にもつれ込んだ。この温もりに包まれている間、私は何だかとても幸せだった。

「……したい、名無し…」
「だ…、駄目だってば錆兎…。これ以上は……」
「抱きたい」

ごそごそと中に入ってくる手は、私の胸を探している。錆兎って、こんなに理性に従順な男だっただろうか。いや、彼を彼らしくなくしているのは、紛れも無く私か。行ってしまいそうな私を繋ぎとめるのに必死なのだろう。太腿に緩く擦り付けられているすっかり主張した男根に、私は頭が混乱寸前だ。

「さ、さびと……!」
「行かないって約束するなら止めてやる」
「い…、行かない……」
「嘘付け」

錆兎の指先が、もうすぐ私の胸に辿り着く。その瞬間を体が勝手に覚悟して、自然と力が入ってしまう。緊張しているせいか、お腹を撫でられるだけでも変な声が漏れた。

「行かないって言ってるのに!」
「信じられるか」
「そんな……、狡いよ錆兎。結局止める気ないじゃない!」
「狡くて結構」

信じて欲しいなら、一晩使って俺を安心させてくれ。そう笑う錆兎の顔には、少しだけいつもの彼が戻りつつあるような気がした。こうしてくっついてお互いの温もりに触れて、多少は冷静さを取り戻したのだろうか。

そして私も、錆兎の温もりに絆されていた。さっきまで、命を懸けても継子の無念を晴らし、継子の為に戦うと生き急いでいたが、こうも簡単にその決意が揺らぐなんて。でも錆兎の気持ちを聞いて、何となく分かったんだ。八田羽も、きっと私に死んでほしい訳じゃない。『師範が必ずお前を殺す』というのは、いつか必ず私が鬼に勝ってくれると、いつかその日が来る筈だと、そう心の底から信じているという意味なのだ。それに何よりも、私ももうこの温もりを手放したくなかった。錆兎だけじゃない。私の為に怒ってくれた冨岡も、大切な仲間であるしのぶや煉獄、宇髄たちも…。失う痛みや怖さを、私は知ったから。

…生きる。何があっても生きる。死んでたまるものか。八田羽を殺した鬼を殺すまで。その首を土産として八田羽の墓に持って帰るまで。


そうして私と錆兎は、一晩中飽きもせず、温もりを寄せ合い唇を重ねていた。錆兎との口付けは、甘くて幸せな味がする。必死に息を吸う私を見下ろす彼の瞳には、愛しさと優しさが滲んでいて、それを見ていると何だか擽ったい気持ちになった。私にそんなこそばゆい気持ちと味を教えてくれた錆兎との口吸いは、きっと記憶に深く刻まれて、忘れることのできない一晩になるだろう。





忘れることのできない、




そんな、接吻に、












「んっ…、ふ……!ぁ…、なん…っ、」
「は…、ん……かわい…。慣れてないのかな…?」






眼前で目を細めるこの男を、私は必死に睨んだ。口の中を蠢く舌。嫌なところばかりを執念に責めるその口吸いは、錆兎の時とは違っていやらしくねちっこい。

「ほら、もっと抵抗しないと。鬼殺隊が俺とこういう事してるのってまずいんじゃない?」
「はなし…っ、あ……!」

この男の手に捕えられた私は、蜘蛛の巣にかかった蝶の様に、もう逃げることなど叶わなかった。楽しそうに輝かせるその男の目玉には、紛れも無くはっきりと『弐』の文字が刻まれている。

なんで。どうして。私の作戦は上手く進んでいた筈。なのに、なのに…。



「残念。全部バレバレだったね」
「上弦の……弐……!」

やっとの思いで離れた唇を、袖で乱暴に拭う。ぜえはあと荒い呼吸を繰り返す私の一方で、この男は息1つ乱さず、飄々とした態度のまま私の前に君臨していた。この男が。私がずっと会いたかった男。殺したかった鬼。

「君が鬼殺隊だってことは、最初から分かってたよ。可愛い教え子が居たということもね。あの時は残念だったね。君がもう少し早く来ていれば、あの子は助かったかもしれない。でもこればかりはしょうがない。あれがあの子の運命だったんだよ」
「……黙れ……」
「あの子、最期まで君の事を自慢げに話していたよ。きっと君が俺のことを殺してくれるって。気になって詳しく聞いてみたらさ、可愛い女の子だって言うから。俺君に会えるの楽しみにしてたんだよ。ねえ、名前はなんて言うの?」
「…………黙れ………」
「君、何だか甘い匂いがするね。…その血、稀血かな?口吸いをしている時はもっと甘い匂いがしたんだけど、一体どんな体質なの?きっと食べたらすごく美味しいだろうね」
「黙れ!!!!」

私が懐から咄嗟に取りだした短刀を、男は避けもせずに頭から受け止めた。見事に刀が刺さっているその光景は、端から見れば異様だが、コイツは決してこれだけでは死なないことを知っている。そしてこの男も、死なないことが分かっているから敢えて避けずに刺されたのだ。「危ないなあ」なんて間延びした声で、自らその短刀を抜き取っている。

「俺に会いたかったんだろ?ならもっと嬉しそうな顔をしてよ。君は笑っている方が綺麗だよ」


何故私がこの男と邂逅しているのか。それは今からまた数日前に遡らなければならない。






「鳴柱、上弦ノ弐ト遭遇!現在交戦中!交戦中!!」
「なに……!?」
「あの馬鹿…!」

本部に舞い込んできた鎹鴉からの伝令に、悪鬼滅殺と刻まれた日輪刀を掴む男2人と。


扇子でヒラヒラと仰ぐ、薄笑いの男と対峙する私と。




「俺は上弦の弐、名前は童磨。さあ、2人きりの時間をいっぱい楽しもうね」




4人が邂逅し交差するのは、ちょうど天満月の夜のことだった。