雷鳴@

「師範や柱の方々は、死が怖くないのですか?」
「どうしたの、急に」

庭先で、先程まで継子の稽古を付けていた私は、縁側に腰掛けて木刀を立て掛けた。お茶を持ってきてくれた継子の、そんな唐突な質問に笑みを返したのは、まだ記憶に新しい。それは、のどかで平和な、ある日の昼下がりのやり取りだった。

「師範や柱の方々は、とても強くて立派で……、鬼と対峙する事を自ら望んでいらっしゃる。恐怖なんてものは、きっと一欠片も無いのでしょう。それだけの強さと実力を持っているのですから」
「まあ……、柱は化け物みたいな精神力を持った人たちばかりだし…。比べる相手ではありませんよ」
「……師範も、そうなのですか?」
「…私は、どうだろう」

私が苦く笑うのを、継子は純粋な目でじっと見つめていた。彼は、私が柱になって初めての任務で共闘した、雷の呼吸の使い手だ。まだ技は荒いし鍛えなきゃいけないことはいっぱいあるけども、育ったら私以上の人材になるのではないかと期待している。ただ彼は、常にどこか自信が無さそうだった。人と比べて、自分は劣っていると感じてしまう。その反骨精神で任務や鍛錬に励んでいるのは感心な事だが、たまにそれが彼を追い詰めてしまっている事を、私は知っている。

「師範の継子にして頂いてから、沢山の事を教えて貰って、稽古も付けて貰って、日々成長している事を実感しています。確実に前より強くなっていると、多少自信も持てるようになりました」
「うん。八田羽はいい子だから、きっともっと強くなれるよ」
「ありがとうございます。…でも、」

継子の視線は、足元に落とされた。良く言えば謙虚、しかしこの子には、もっと傲慢さが必要だったのかもしれない。

「でも、どんなに鍛錬を積んでも、やはり鬼と対峙すると怖くて体が震えるんです。死にたくない、と思ってしまう。目の前で仲間が喰われた時は、足がすくんで動けなくなる。…情けない自分が嫌になります」
「死にたくないって気持ちは、誰にでもあるよ。それでも鬼に背を向けずに戦ってる八田羽は、十分合格点でしょう」

恐怖心は、人を混乱・興奮させ、正常な判断を鈍らせる。八田羽の場合、それがかなり顕著に現れる事は、私も分かっていた。私の継子は、実戦において余りにも危うかった。

「私も、怖いよ」
「え?」
「私も貴方と同じ」

私と彼は、よく似ていた。私も、柱の中で一番未熟だと自覚しているせいか、いつも自信がない。だから、継子の気持ちはよく分かる。私だって、死にたくない。果たして私は、自分の命の危機に直面した時、己の命を捧げてまで、他人を守る事ができるのだろうか。



他人の為に鬼に喰われる覚悟が、私には……まだ無い。










「…冨岡は、私のこと抱いてくれないの」

その日の夜、灯りが揺らめくその部屋で、私は見知った男の背中に投げ掛けた。本人は、何か文を書いているのか、無言で机に向かったままでいる。今晩の同衾の相手は、冨岡その人であった。

「ねぇ、冨岡」
「前に任務で一緒になった時も、似たような言葉を言っていたな。あの時俺を拒んだ事を忘れたか」
「あれは…その…、あまりにも私が無知過ぎて。心の準備が出来てなかったというか…」
「度胸もない癖に、そういう事を簡単に言うな」

冨岡は、初めから私を抱く気など無かった。相変わらず言葉足らずな彼は、一見冷たそうに見えるが、私の事を想って言ってくれている事は十分理解できた。だからこそ、今夜の採血を、冨岡は拒んでいる。

「……今日ね、継子に言われたの。柱は、死ぬ事が怖くないんですかって」
「鬼を斬る為なら、その命すら捧げる覚悟で戦うのが、俺たちの仕事だ」
「うん。それが、私たちの努め。理解はしてる…。でも、私は継子の気持ちが痛い程分かる。だって私も、死にたくないから」

普段や任務の時は、ただ言わないだけで、本当はずっと心の奥底で眠っている、恐怖という感情。それを柱の前で素直に打ち明けたのは、冨岡が初めてだ。

「だから私は、みんなに甘いとか、未熟って言われるんだろうね」
「……………」
「でもこの血だけは、私にしか無い、私にしかできないこと…。だから血を採る時、凄く安心するの。この血のお陰で、私は役に立てるかもしれないって。私の価値を実感できるような…」
「……何と言われようと、俺は採血はしない」

さっきよりも明らかに不機嫌そうな冨岡が、背中を向けたままそう吐き捨てた。彼も頑固だから、その意思を変えさせるのは簡単ではないだろう。冨岡のそんな頑なな態度を見て、私も今晩の採血は諦めた。二つ並べられた布団の、片方に体を忍び込ませて、寝る準備をする。天井を見上げながらぼんやりと、継子と、自分の将来の話をした。

「…継子にね、この話をしたらね」
「………」
「あの子も臆病な癖に、私のために強くなって、鳴柱になるって言ったの」
「………そうか」
「そうすれば、私はもう戦わなくて済む。怖い思いしなくて済むからって…」

生意気な継子だ。柱という立場は、そう簡単になれるようなものではない。私も、他のみんなも、相応の努力や才能を持ってここまでのし上がってきた。

でも、それを楽しみにしている私もいた。きっとあの子なら、立派な鳴柱になれる。そしてその時は、私もあの子に柱の席を譲ろう。お館様が許してくれるかは分からないけど、引退した後は、後継の育成に力を注ぎながら、この血をもっと活用して、薬を沢山作りたい。

なんて話を冨岡に言って聞かせたら、彼はより不機嫌になって、それ以降は口を利かなくなってしまった。








◇◆◇◆






『死ぬのが怖い』。そんなやり取りを、継子と交わしたのはもう数日前の事だ。

ゴロン、と目の前に転がる見知った頭に、私は喉の奥がひゅっと鳴る。目を開いたまま、光りを失って虚空を見つめるその頭は、あるべき体が見当たらない。首の断面からは赤黒い血がこびりついて、吐き気を催した。まるで人形のようだ。人って、こんな簡単に死ぬのか。

「……は……、はた……、」

その頭の名前を呼ぼうとしても、震えて声が出ない。今まで、人の死体なんて何度も見てきた。ここに身を置いている以上、死体と遭遇することは日常茶飯事。だから、こんな生首なんて見慣れている筈なのに、その頭だけは、私にとっては普通の頭と違ったのだ。

「はたば……、八田羽!!!!!」

悲痛な声は裏返る程甲高く、そこに響き渡った。転がって来た八田羽の頭と体は、綺麗にさっくりと切り離されて、胴体が遠くの方で横たわっている。なんで、どうして、なんて次から次へと答えの返ってこない疑問が浮かんでくるけれど、そんなの簡単だ。鬼…、鬼にやられたんだ。






ここに来る前。お館様に呼ばれた私と冨岡は、ある任務に向かって欲しいと頼まれた。勿論私たちは、お館様の命とあればどこへでも向かう。聞けば、既にそこに数十名の下級の隊士を向かわせているが、次々と鬼に殺されていて被害が深刻化しているのだという。もしかしたら十二鬼月かもしれない、という判断の元、私と冨岡が呼ばれたようだ。私と冨岡は、二つ返事で『御意』と頭を垂れた。

「確かこの任務、先に八田羽が向かっていた筈…。私は継子と合流して、情報を共有する」
「分かった。俺はこのまま鬼を探す」

向かう道中で、そんな話をした後冨岡とは別れた。継子の死なんて、この時の私はほんの少しも考えていなかった。何だかんだ言っても、あの子だっていくつもの任務をこなし、死線を潜り抜けてきた。状況を判断し、考えて動く事が出来る。だからきっと、こんな不利な状況でも何とかやり過ごしているだろうと、そう信じて疑わなかったのだ。

そうして再会を果たした継子は、既に冷たい肉の塊になっていた。

「八田羽!八田羽…!!」

返事なんてする筈がないのに。頭と体が離れている時点で、生き返ることなんて絶対に無いのに。それでも私は返事を求めて、何度も何度も名前を呼ぶ。血が付くことも構わずに、その頭を抱きしめた。

臆病だけど、私よりもしっかり者で、私の為に戦うと言ってくれた継子。初めての、たった一人の継子。

失う時なんて、一瞬だ。あれだけの時間を費やして稽古をしたって、どんなに経験を積んだって、結局死ぬ時は簡単なんだ。たった一瞬の油断が、死を招く。それだけ私たちと鬼との間には、圧倒的な差がある。

きっと私も、死ぬ時はこんな風に死んでいくのだろう。








その後のことは、あまり覚えていない。結局八田羽を殺した鬼は見つからないまま、その任務は終息した。合流した冨岡が隠を呼んで、辺りに転がる隊士の死体を片付けていく。それがまるで業務的に見えて、私たち鬼殺隊がいかに狂った環境に身を置き、その感覚が麻痺していっている事を改めて実感した。

「嫌だ!!連れて行かないで!!お願い!!」

継子の頭を持ち、体を片付けようとする隠に、私は必死にしがみついていた。お願い連れていかないで、と取り乱す柱の私を、隠の人たちも何とも言えない表情で見つめている。「鳴柱様、お気持ちは分かります、ですが…」と色々と言葉を並べられたが、私にはそんなの関係なかった。

「…名無し」
「冨岡…!お願い止めて!私の継子が…、八田羽が連れていかれちゃう!」
「名無し」
「やめて!八田羽に触らないで!!私が連れて帰るから!その子は私の継子なの!」
「よせ、名無し」

冨岡が、抵抗して暴れる私の体を押さえつけた。行け、と冨岡に目で促された隠が、私に気まずそうに八田羽の遺体を片付けていく。その光景を目にした瞬間、ぶわりと頭に血が上った。継子を攫って行く隠と冨岡が、敵にすら見えた。

「離せ!!冨岡!!どういうつもりだ!!」
「……………」
「お前には継子がいないから、私の気持ちなんて分からないんだ!!この人でなし!!どけ!!」
「……名無し」
「離して!!嫌い!!冨岡なんて!!だいっきら、」

冨岡の唇が噛み付くように私の唇を塞いだ。ぐぐぐ、と押さえ込まれる私は、その力に抵抗することも出来ず、どんどん背中が後ろに反り返っていく。八田羽だったソレを片付けていた隠も、ぎょっと目を見開いて、慌てて逸らして去って行った。

「……っ、何すんのよ!やめ、」

やっとの思いで振り払っても、また降ってくる口付け。ただ唇を重ねただけの接吻なのに、私の勢いはどんどん消えていった。暴れていた手は次第に下ろされて、ゆっくりと冨岡の背中に回す。ここで初めて私は、冷静に継子の死を実感し、ぼろぼろと涙を流したのだった。

「……私のせいだ……」
「…違う」
「私がこの任務にあの子を行かせたの…。私が判断を誤ったから……」
「それは違う」
「きっと怖かっただろうな…。死ぬのが怖いって言ってたもん…。仲間がどんどん死んで…1人になって……。私がもっと早く来ていれば……」
「…………」
「苦しい顔してたの…、見た…?きっとすごく痛かった筈だよ……。まだ未来ある、私よりも才ある子だったのに……。代われるなら代わってあげたい…」
「……名無し」
「私が……、私が死ねば良かったのに」

その言葉を口にした時、冨岡の雰囲気が変わったのを肌で感じた。さっきまでは、哀れむような、同情するような、そんな目で私を見ていたのに、今は違う。怒りに染まった、私を射殺すような、鋭い目。

「………とみおか…?」
「………来い」

涙でぐちゃぐちゃの私に、優しさや気遣いなんて一切見せずに、冨岡は半ば引き摺るようにして私をそこから連れ去った。すぐ傍にあった明かりの灯る遊楽街を、擦れ違う人の肩を押し退けながら、冨岡が歩いて行く。やがて辿り着いたそこは、小さな待合。冨岡は、乱暴に店員に金を押し付けて、空いている部屋へと上がり込んだ。

無知な私でも分かる。ここがどういった場所で、冨岡が何をしようとしているのか。冨岡の企みに気付いて腕を振り払おうとした時には既に遅く、私の体は彼の手によって簡単に転がされた。

敷かれていた一組の布団の上に倒れ込むと、鈍い痛みが体に走る。振り返れば、乱雑に半々羽織を投げ捨てる冨岡が、己の隊服の釦を片手で開けながら、私に近付いた。

「ま、待って!」

当然、そんな制止など聞いてくれる筈がない。どっかりと私に跨った後、容赦なく体重を掛けて腰を下ろすこの男の重みに、思わずウッと呻き声が漏れる。冨岡の手が私の隊服にも伸びて、ぷちん、ぷちんと1つずつ釦を外されたところで、いよいよ私も焦りだす。

「やだ…っ、やめて!」
「無念にも死んだ継子の前で、私が死ねば良かったなど、よくも言えたものだな」
「わ、私があの子にしてやれる事なんて、それぐらいしか………」

また冨岡の眉が吊り上がった。火に油を注ぐ事しかできない今の私に、彼を止める事など到底できないだろう。引き裂くように私に隊服を乱した冨岡は、現れた私の首筋や肌に吸い付き、そして噛み付いた。小さな痛みと擽ったさは、私がどれだけ抵抗し暴れようと、物ともせずに何度も降り注いだ。

「嫌だ!冨岡!なんで…っ、抱かないって言ったのに…!」
「何を拒んでいる。これがお前の存在価値なのだろう。採血している時は安心すると言っていたではないか」

見下ろす冨岡に、やはり優しさは見えない。感じるのは大きな怒り。…と、僅かな悲しみ。何故だろう。何故、冨岡が傷付いているような顔をするのだろう。何を悲しんでいるのだろう。私の肌に触れるその唇から、直に伝わってくる。冨岡の気持ち。

「あっ……、とみ…!ん……っ」
「…お前の継子だけじゃない…」
「ひっ…、あ……擽った……、」
「今までに何人もの隊士たちが、志半ばで死んでいくところ見た」

生温い、切ない冨岡の吐息が首に掛かって、変な声が漏れる。その少しかさついた唇は、ゆっくりと胸元の方へと移動していく。ぬるりと何か唇とは違う感触を感じた時、私の体は大袈裟な程に震えあがった。

「みな苦しそうだった。みな悔しそうだった。俺とて、助けられなかったと何度後悔した事か。だがだからと言って、俺は自らの命を投げ出したりはしない」
「…とみおか………」
「死んだお前の継子の命も、お前自身の命も…みな同じ命。価値の差はない。お前が自分の命を軽んじるという事は、継子の命を軽んじる事と同等と思え」
「………あ……」
「現実から逃げるな、名無し」

ぽろ、ぽろ、と一粒二粒涙が溢れる。…最低だ、私は。何を迷い、見失っているのか。最愛の継子の意思を継げるのは、私しかいないじゃないか。こんなところで立ち止まっていたら、あの子はなんて言うだろう。しっかり者だったあの子なら、きっと私をこう叱咤激励していたに違いない。





『           』







◇◆◇◆






「僕は聞きました。アイツの…、八田羽の最期の言葉を。アイツ、いつもは怖がりの癖に、あの時だけはやけに張り切ってて…。どんどん死んでいく仲間の屍の中に立って、ぼろぼろになりながら鬼に向かって叫んだんです」

あの任務で唯一生き残った隊士が、しのぶの懸命な治療によって、数日後に目を覚ました。ぽつぽつと語られた、あの時の状況、八田羽の最期。それを耳にして、私は静かに目を閉じた。




”お前のことは…必ず殺しに行ってやるからな…”

私の継子は、そう言っていたようだ。八田羽は、自分ではこの鬼に勝てないことを悟っていた。そして、恐らく自分はここで死ぬのだろうということも。でも彼は最期まで、決して臆する事なく、弱音を吐く事もなく、そこに立ちはだかっていたのだ。それは、心の中にいるある人の存在が、八田羽を奮い立たせていたからだった。



「俺のこの体が朽ちても、俺の命を継いだあの人が……。俺に色々なことを教えてくれた、尊敬するあの人が、必ずお前を、」




そうして継子は、死んだ。





「へえ!その師範って人が俺に会いに来てくれるんだ。楽しみだなあ。女は好きだよ、栄養価が高いからね」





八田羽の最期の言葉は、鬼の陽気な声に掻き消されて、そこで途絶えたのだという。その鬼は、冷たい空気を纏う、常にへらへらと笑う不気味な男だったそうだ。