蛇の口裂け

第1印象は、変な奴。

今の柱の中で、一番最後に鳴柱の座に付いた女は、胡蝶とも甘露寺とも違う女だった。雷の呼吸を使う剣技は、なかなかのものだと思う。まだ荒い部分も目立つし、精神的に未熟な部分もあるが、それはこれから過酷な任務に身を置く中で、自然と身に付いていくだろう。

「蛇柱は、蜜璃が好きなのですか?」
「は?」

コイツを不思議な奴だと思ったきっかけは、ある日の唐突な質問だった。いきなり何だ、藪から棒に。

自分で言うのも何だが、俺はあまり人と関わるのが好きでは無い為、寄せ付けない様にしている。心を開くのは、文通相手の甘露寺だけ。だからこの女も例外なく、俺は遠ざけていたつもりだった。しかし、コイツは鈍感なのか何なのか。それに気付かずに、顔を合わせればへらっと笑いながら声を掛けてくる。鬱陶しくて仕方がない。

「協力しますよ!私、蜜璃と仲良いんです」
「余計なお世話だ。俺は甘露寺と文通をしている。お前の力など借りなくても、甘露寺とはやり取りできている」
「そうなのですか。良いですね、文通。私もしてみたいです。好きな人と」
「お前のような未熟者は、文通なんてしている暇があったら稽古をしろ。柱としての自覚を持った行動を心掛けろ」
「まあ。伊黒さん、ありがとうございます。では明日の昼、稽古場でお待ちしていますね」
「は?」
「稽古を付けて下さるのでしょう?」

態となのか、何なのか。この俺が、逆にこの女に振り回されるとは。調子が狂う、イライラする。翌日、予告通り俺の屋敷の稽古場に現れたコイツを見て、余計に苛ついた。俺も俺で、ちゃんと稽古場に来ている自分に苛ついた。なんなんだ。一体どういうつもりだ。その日、俺は名無しをコテンパンにシゴいた。






「ああ、あれね。懐かしいね。私が無理矢理伊黒の所に押し掛けて、稽古付けて貰った時の事でしょ?」
「無理矢理押し掛けた自覚があったのか」
「うん。だってあれ、半分ワザとだし」
「は?」
「伊黒と仲良くなりたかったから。だからワザととぼけたフリしたの」

俺の屋敷の、薄暗い寝室。真ん中に敷かれた1組の布団。俺たちは今、そこで向き合って座っている。昔、まだコイツが柱になったばかりの頃の昔話を聞かせてみると、どうやら名無しもその時の事を覚えていたらしい。あっけらかんとした様子で笑った。俺はまんまとコイツの策略にハマってしまったという訳だ。やっぱりこの女は俺を苛々させる。

「伊黒……、ごめんね」
「何がだ」
「蜜璃の事が好きなのに、私とこんな…」
「……今更謝る位なら、あの時俺たちに抱いて下さいなんて頭を下げるな」

困った様に俯く名無しの瞳は、心なしか潤んでいる様に見えた。今更何を謝っている。何を迷っている。こうなる事を選んだのは、他でもない、お前自身だ。そしてそれを受け入れたのも、俺だ。

「…脱げ」

俺の一声に、名無しは面白いほど肩を跳ね上げて。「ねぇ、いいの?ほんとに…蜜璃のこと…」なんて今だによく分からない心配をしているコイツの口を、俺が塞いで黙らせた。今から同衾するというのに、さっきからこの場にいない女の名ばかりを紡ぐ。全く雰囲気もクソも無い。一向に脱ごうとしない様子に痺れを切らして、するりと名無しの帯を解いて取り上げると、合わせ目が肌蹴て白い肌が見え隠れした。







「ねぇ、良かったね!蜜璃と任務一緒で!」

いつだったか。俺の気持ちとは裏腹に、名無しともそれなりに打ち解けて、砕けた口調で話す迄になった頃。翌日に任務を控えた俺に、名無しはヒソヒソと声を潜めて楽しそうに笑った。確か明日の任務は名無しと合同では無かったか。

「そこまで気が利かない女じゃないよ!私の任務と蜜璃の任務を交換したの!伊黒は明日、蜜璃と合同任務だよ!」

誰も頼んでなんか無い。なのにコイツは勝手に迷惑な気を回して、良かったね、なんて笑う。人の気も知らないで。残酷で、やはり苛つく女だ。俺は……、俺は、


明日のお前との任務が、楽しみだったというのに。







「他の柱とはどこまでやった?」
「皆…接吻止まりで……。私がいつも途中で気を失っちゃうから……」
「……、口吸い如きでか」
「ご、如きってなによ。もしかして伊黒、意外と遊んでるの?」
「阿保か。お前が免疫なさ過ぎるだけだ」
「は……ぁ…、だって…ぇ…、ん……」

既に息絶え絶えの名無しの唇を、再び塞ぐ。余計な言葉はもういらない。俺は他の奴らと違って優しくないから、嫌だと言っても止めてやらない。

名無しの咥内を、執念に、丁寧に堪能していると、息苦しいことを伝えてくるように、女は俺の背中をぎゅっと掴んだ。薄く目を開いて見下ろしてみると、眉を寄せて苦しそうに顔を上気させる名無しの姿がある。その姿を見ているとゾクゾクと背筋が震え、俺の陰茎がぐいぐいと寝間着を押し上げたのだった。







「ねぇ、伊黒。見て」
「何だ。任務は終わった、さっさと帰る」
「ほら、ここ!見てよ!」

ある時の任務後、俺は不意に名無しに引き止められた。それでも帰ろうとする俺の腕を掴んで、コイツは半ば強引にそれを指差す。少し先で、綺麗に咲く彼岸花畑があった。真っ赤に咲くその花を見ると、ああもう秋なのかと改めて実感する。

「綺麗だけど…お彼岸の花だから何だか切ないね」
「……………」
「彼岸花の花言葉ってね、悲しい思い出とか、転生って意味があるんだよ」

聞いてもいないのに彼岸花の説明をする名無しは、何故かとても切なそうな顔をして風に髪を揺らしていた。生憎だが、俺は花の知識など一切無いし、当然興味もない。だから先程呼び止められた時は、早く帰りたいとしか思っていなかったのに、この時だけは何故かその彼岸花と、その中に立つ名無しから目を離せずにいた。

「この赤……。ここで鬼に殺された人たちの血を象徴してるみたいで……」

俺たちがこの地に辿り着いた時、既に鬼による被害は甚大だった。鬼殺隊の隊士も何人もやられた。山の中ではあちこちに死体や衣服が転がっていたものだ。もしかしたら上弦の鬼かもしれないと、柱である俺と名無しが派遣されたものの、結果は大ハズレ。上弦どころか、十二鬼月ですら無かった。

山の麓の野原で、亡くなった人たちを簡単に埋葬した場所の、その少し離れた所にあった彼岸花畑は、確かに異様な空気があった。まるでここで死んだ人たちの無念が、花開いているかのように…。

だから、だろうか。俺はどうにもこの嫌な胸騒ぎに焦って、どんどん彼岸花の方へ進んでいく名無しの腕を、咄嗟に掴んで引き止めた。驚いた様に振り返る名無しが、まるでこの彼岸花に誘われて、黄泉へと引きずりこまれるような…そんな感じがしたのだ。

「伊黒……?」
「……くな……」
「え?」
「行くな……」

訳がわからないままの名無しを強引に引き寄せて、力強く抱き締める。何故あの時の俺は、あんな事をしたのだろう。黄泉の世界なんて、そんなもの、あんな所に在りはしないのに。何故かコイツを、失いたくないと強く思ったのだ。









「い、ぐろ……っ、こわい……!」

俺の下で啼く名無しが、縋るように俺の背中に腕を回してしがみ付いてきた。まるであの彼岸花畑で抱き締めた時のように、弱々しく、力強く。怖いと言いながらも、コイツの口から漏れる声は胸焼けしそうな程に甘く、とろんと蕩けた表情をしている。

「口吸いをしただけだろう。何を甘ったれた事を言っている」
「だ、だってぇ……!伊黒の手が、どんどん服の中に……!」

はだけた寝間着の合わせ目から、手を滑り込ませただけでこうだ。腹を撫でると、びくびくと体を震わせて怖がる。どうやら本当に他の柱たちは手を出していないらしい。まさか、ここまでやらせておいて、アイツら全員お預けを食らっているというのか?

「お前……、随分残酷な女だな」
「へ………」
「強靭な精神力が無ければ、お前はとっくに食われていたぞ。他の柱の優しさに感謝するんだな」
「い……伊黒は……やめてくれないの……?」

ふるふると必死に涙を堪えて問う名無しの姿に、罪悪感を感じない訳ではない。少し考え込んだ後、はー、と深い溜め息を吐きながら、俺は布団の傍らにあった注射器を取り、名無しの腕を取った。ぽかんとするコイツに間髪入れずに針を刺し、赤い液体を採る。

「……血は明日自分で胡蝶の所へ持って行け。俺は疲れた。もう寝る」
「伊黒………、ありがとう……」

体を起こし、俺から注射器を受け取る名無しに背を向けて、自分の寝間着を整えた。膨らむ下半身にもう一度深い溜息を吐きつつ、恐らく自分と同じように虚しく一人で慰める羽目になった他の柱の同士たちを、今ばかりは哀れむ。生き地獄とはまさにこの事ではなかろうか。

「名無し」
「…はい」
「己の言葉と選択に責任を持て。今のお前は、俺たちの優しさに甘えているだけだ。言ったこと何一つ成し遂げられていない」
「………はい………」
「他の奴らは甘いから何も言わなかったかもしれないが、俺にそんな優しさを求めるなよ。次は止めない。今回だけだ」
「分かった………」

怒られてしょんぼりと肩を落とす名無しを尻目に、敷いていた布団に体を忍び込ませる。こんな時間に名無しを1人追い返すのも流石に危険な為、後ろにいるであろうソイツに「適当に布団を敷いて寝ろ」と、そう伝えるつもりであった。伝えるつもりだったのに、それが叶わなかったのは、

「伊黒………」
「な………」

あろうことかコイツが、俺と同じ布団に体を忍び込ませて、背後から抱き着くように腕を回してきたからだ。その手はスルスルと俺の腰をなぞり、下腹部の方へと伸びていく。動揺する俺が、そうはさせまいと咄嗟に腕を掴み、勢いよく振り返った。

「馬鹿!何をしてる!」
「え………、何って、ご奉仕………」
「いらん!!」

何故俺が怒っているのか、この女は本気で分かっていないようだ。首を傾げて困ったように視線を彷徨わせている。なんでお前がそんな顔をしてるんだ、困っているのはこっちだ。

「わ、私なりにね、みんなと最後まで出来なかった事、反省したんだ。男の人に我慢させるのって、凄い残酷だって知ってるし……。だから勉強、したの……ご奉仕の仕方…。これならみんなに我慢させることも、」
「そんな勉強してる暇があったら、稽古して体を鍛えろ!このポンコツ娘!」
「ポン……!?な、なによその言い方!私だって悩んでるんだからね!?」
「悩んでるも何も、この選択をしたのはお前自身だろう!」
「そうだけど…!なんでそんな意地悪なのかなぁ、伊黒って!他のみんなはすっごく優しかったのに!」
「悪かったな意地が悪くて。生憎これが俺の性分だ、諦めろ」
「開き直らないでよ!」

ほら、勉強の成果試させてよ!なんて言いながら、未だに諦めずに俺の下半身を狙うこの女を、どうしたものかと頭を悩ませる。結局いつもこうだ。俺はコイツに振り回され、そして俺も、それが悪くないと感じ始めている。それが余計に腹立たしいのだ。

布団の中での攻防はいつまで経っても埒が開かず、結局俺は実力行使に出た。名無しの首裏に手刀を入れ、強制的に気を失わせる。力無く己の上に倒れ込んできた体を受け止めると、ふわりと香る優しい匂いに顔を埋めた。本人は気絶してるし、これくらい許されるだろう。

「…度胸も無い癖に……簡単に自分の体を安売りしようとするな…、この馬鹿…」


素直になれなかった言葉を、眠る彼女の耳元でそっと囁いて。










「伊黒ってば!私は伊黒と蜜璃のことを思って、同衾しないように配慮してたのに!」
「今朝も随分荒れてますね、名無し」

昨晩採った血を片手に、しのぶの元を訪ねた私は、弾丸のように愚痴を吐き出していた。ぷんすか腹を立てる私を、しのぶは楽しそうに見守っている。

「伊黒さん本人が名無しとの同衾を希望してきた訳ですから、その心配は無用の様ですね」
「きっと私を虐めて鬱憤を晴らす為でしょ!」
「そんな事はないと思いますよ?伊黒さん、今朝方任務の前に私のところに来て、こう言っていましたから」




『あら、伊黒さん。おはようございます。確かこれから任務では?』
『名無しの事だが』
『ああ、はい。昨晩の採血で何かありましたか』
『体調を診てやってくれ。なんだか体が軽くなっていた気がする。間隔を空けているとはいえ、連日何度も血を採っているんだ。アイツの場合、体調が悪くてもそれを隠して無茶をする』
『あら……………』
『……何だ、その顔は』
『いえ。分かりました、診ておきます』





心配されてるんですよ、貴女は。そう微笑むしのぶから告げられた今朝の真実に、私は赤い顔を俯かせるしかなかった。何よ、アイツ。そんなんで許して貰えると思ったら、大間違いなんだから……。





伊黒が帰って来たら、とろろ昆布が入った温かいお蕎麦でも作ってあげようかな。