意識が朦朧としていると、ペチペチと控え目に私の頬を叩く音に起こされた。私を抱きかかえて座り込むイタチの手が呼び覚ましたのだ。彼の手は私の外套の袖を捲り、腕を出す。そしてその腕を私の口元まで持ってきた。
「噛めるか」
「う…ん…」
手遅れになれば、この力ですら治療ができなくなってしまう。イタチに言われるがまま、私は己の腕に噛みついた。今出せるありったけの力で、ぐっと歯を立てる。すると、たちまち私の背中の傷は塞がっていき、ずっと感じていた痛みは綺麗に無くなってしまった。自分ながら、なんて化け物染みた力なんだろうと驚嘆する。もう大丈夫だ、と高を括って、イタチに預けていた体をゆっくり起こすと再びぐらりと傾く視界。
「無茶をするな。大量に血を流している。貧血になっている筈だ」
「イタチ…、…私…今すごく嬉しい…」
寄り添う肌から感じる、イタチの温もり。私、二人のこと守れたんだ。そう思うと、痛みよりも何よりも嬉しかった。微笑む私の顔に少し驚いた様子のイタチだったが、ぽんぽんと優しく頭を撫でてくれた後、私をその場に残してゆっくり立ち上がる。前に立ちふさがっているデイダラの隣に立ってヨツユと対峙する、その二つの背中を見上げていると、また少し嬉しくなって。ああ、いつもの頼もしい二人の背中だ。
「…デイダラ。お前とツーマンセルを組むのは初めてだな」
「フン、オイラの足引っ張るんじゃねぇぞ!うん!」
私が声を掛けるよりも早く、二人は地面を蹴る。ヨツユが手にある髪を引く、その前に。イタチが素早く印を結んで無数の手裏剣を周囲に投げつけた。イタチの呼び声と共に、手裏剣は炎を帯びる。
「火遁・鳳仙花爪紅!」
「あっ…、髪が……!」
周囲に張り巡らされていた髪のチャクラは燃え上がり、あっという間に火の手に包まれる。まるで、数年前に里が滅んだあの時と同じように。ヨツユは苦し紛れに手から髪の糸を引き、デイダラに向かってそれを伸ばした。その髪に捕らわれたら、また体を操られてしまう。「危ない!」と私が後ろから叫ぶものの、その心配は杞憂に終わる。隣にいたデイダラが素早く印を結んで、いとも簡単にそれを交わしたのだ。
「土遁・土竜隠れの術!」
デイダラの体は地面の中に潜りこんで行った。姿が見えなくなった彼に、ヨツユも流石に動揺している。そして息つく暇もない素早さで、彼女の足元に移動したデイダラが地面から姿を現すと、間髪入れずにその手から小さな鳥を放った。起爆粘土で作られたその鳥は、ヨツユの体に止まって光り輝く。
「喝!!!」
その一声で、鳥は小さく爆発を起こした。ボカン、と彼にしては随分と小規模な爆発に、ヨツユが悲鳴を上げて倒れ込む。多分、手加減してくれたんだ。私の大切な友を、殺さないように…。だがそれでも尚立ち上がろうとするヨツユに対し、今度はデイダラの背後から現れたイタチが赤い眼を光らせた。
「もう止せ、ヨツユ」
「まだ、私は……っ!」
「お前はもう既に幻術の中だ。勝ち目はない」
彼女がハッと気付いた時には、その場にはイタチとヨツユの二人だけが取り残されていた。勿論、イタチの幻術が作り出した幻の空間である。そこは、滅ぶ前の活気ある里の風景が広がっていて、ヨツユも思わず息を呑んで固まっていた。彼女が大好きだった里。それをイタチは幻術で再現し、彼女を説得しようとしたのだ。
「…ここは…。……里が…、みんなが…元通りに…」
「お前の里を滅ぼした組織に属する俺が言えた事ではないが…。お前にはもっと他にやるべき事があるのではないか」
「……………」
すれ違う人たちは、ヨツユが操っている死体ではない。ちゃんと生きて、自分の意思で歩いている。その光景を目の当たりにして、ヨツユは嫌でも思い知らされた。やはり、死体を操って偽りの里を作り上げても、それは偽物でしかない事を。どんなに嘆き恨んでも、かつての里は戻ってこない。とっくに無くなった昔の残像に捕らわれて、ヨツユは今を生きることが出来ずにいたのだ。
「……地獄で生きていたのは…私の方だったのね…。ななしに、自分の願望を押し付けて…、私は、私の為だけの地獄を作ろうとしていた…。地獄にあの子を縛り付けようとしていたのは、私だったんだ…」
「………いや」
「……?」
「お前の、ななしを思う気持ちは本物だった。それがどんな形であれ…、ななしにとっては救いになった筈だ」
一瞬面食らったように驚いていたヨツユだったが、次の瞬間にはぽろぽろと涙を流しながら微笑んだ。「優しいのね、イタチさんって」そう返したが、イタチは黙り込んだままだった。決して優しくなんかないのだ。何故ならイタチはまた、この里から…、ヨツユの前から、ななしを連れ去ろうとしているのだから。
「……信じていいのね…、イタチさん」
「……いいのか。俺はまた、ななしを地獄へ引き連れようとしているんだぞ」
「……いいの。だって貴方…、」
あの子に惚れているのでしょう?そう儚く笑ったヨツユに、イタチは再び口を閉ざした。修羅の道を生きるイタチにとって、その感情は邪魔でしかならない。そして、そんな感情を持ってしまえば、ななしを修羅に巻き込み兼ねないからである。だからこそ、ひたすらに押し込めていたその気持ちをはっきりと言い当てられて、何も言い返せずにいた。その無言を肯定と受け取ったヨツユは、再び笑って言った。
「惚れた女一人守れずして、何が成せるというの?」
「……!」
「私は、大人しく外から見守っているわ。貴方とななしの歩く道が、果たして地獄に繋がっているのか、それとも…」
そうしてヨツユは、チャクラをほぼ使い切り、その場に力無く倒れ込んでしまった。その顔は安らかで、どこかすっきりとしている様に見える。しばらくイタチとヨツユの背中を後ろで見守っていたが、ヨツユが突然倒れるものだから、死んでしまったのかと慌てて駆け寄って、不安げに名前を呼びかけた。だが、「気を失っているだけだ、安心しろ」とイタチに言われてほっと息を吐く。ぐったりとしたその体を抱きしめると、確かにヨツユは小さく息をしていて、疲れて眠っているだけのようである。きっとしばらく休めば目を覚ますだろう。休息をとればチャクラも回復する筈だ。
「イタチ、ヨツユと何を話していたの…?」
「………。ただの世間話だ」
ヨツユとの会話をはぐらかしたイタチに、私もそれ以上は言えない。イタチは無言のまま、ヨツユを抱きしめる私の傍に屈み、力無く横になる彼女の体を抱き上げた。どうやら運んでくれるようだ。その背中を追って、私も立ち上がる。イタチの腕の中で眠るヨツユのおかげで、再認識した私の決意と覚悟。そして、この里で起こった悲しき運命と、忌まわしい記憶。全てを知った上で、もう一度私は思ったのだ。二人を守りたい。私の為に命を懸けてくれた、二人のことを。
(…ありがとう…、イタチ、デイダラ…。……ヨツユ……)
次彼女が目覚める頃、既に私たちはいないだろう。そして、永遠に会うことはないだろう。彼女がこれからどんな人生を歩むのか、心配じゃないと言えば嘘になる。だけど、何となく分かってもいた。きっともう、ヨツユなら大丈夫。彼女もまた、忌まわしき過去に捕らわれ続けていたが、今日ようやく解放されたのだから。蜘蛛の巣から逃れた蝶は、きっと上手に飛んでいける。
さよなら、大好きなヨツユ。
心に抱えたその言葉は、音になることなく、月夜に消えたのだ。
ーーーー・・・・
「ん……、もう平気?デイダラ」
「すっかり傷が塞がったみたいだ、うん」
ジー、と私の羽織のファスナーを上げて、デイダラはそっと体を離した。イタチのクナイによって腹部に深手を負っていたデイダラを、私の力で治療したのだ。あの後、ヨツユを家に届けた私たちは、再び石段を登って神社に足を運び、私がかつて幽閉されていた忌まわしき小さな社殿へと足を運んでいた。私のことを心配した二人は、別の場所で…、と言ってくれたけど、あえてここを選んだのには理由がある。過去を乗り越えたヨツユを見て、私もいつまでも過去に怯えていては駄目だと思ったからだ。
傷の手当てを終えたデイダラは、イタチと二人で何か話をしている。後はもう、ここからアジトへ帰るだけ。だがその前に、私にはどうしても、二人にして貰いたい事があった。それは、私が過去を断ち切るために必要な事で、この二人で無ければできないことだった。言うのを少し躊躇う内容ではあったが、自分を変える為…、今この時しかチャンスはない。
「デイダラ、イタチ!」
思った以上に大きな声が出て、前にいたデイダラとイタチは少し驚きつつ振り返った。「どうした、うん」「まだ何かあるのか」と不思議そうにする二人を前に、私はぐっと押し黙る。呼び止めたきりなかなかその先を口にしない私を、二人はいよいよ心配してくれた。どこか具合でも悪いのか、なんて言いながら近寄ってきた二人を、真っ直ぐ見つめて、そして、私は…。
「二人に、お願いがあるの」
「何だよ一体、うん」
「……上書き、してほしいの」
「え…、」
先程、デイダラが整えてくれた私の外套。そのファスナーに震える手をかけて、ゆっくりと引き下ろした。音を立てて、再び肌蹴る羽織をそのまま足元に脱ぎ捨てる。ぱさりと呆気なく落ちたその下から、露出の多い忍び服を纏う体が露わになって、デイダラとイタチはぎょっとしていた。慌てて私の腕を掴んで止めるデイダラ。
「おい、何して……!」
「二人にしか、できないことなの!」
恥ずかしい訳じゃない。怖くない訳じゃない。体は情けなく震えてるし、心臓は吐き出しそうなくらいバクバクと高鳴っている。こうして止めてくれる二人の言葉を聞き入れれば、今ならまだ引き返せる。だけどここで引き返したら、私はいつまでも弱いまま。
「デイダラは、知ってるでしょ…?私がここで、何をされていたか」
「ななし……」
「今でも鮮明に覚えてる…。あの苦しかった日々…。思い出しては泣いて、震えて…。私は、そんな弱い自分が大っ嫌い」
ぽつぽつと語りだすと、私の腕を掴んでいたデイダラの手は徐々に緩まっていく。
「乗り越えて、強くなりたい。過去を断ち切ったヨツユのように…、私の幸せを願ってくれたヨツユの為に…!私も前に進みたいの」
今度は薄手の忍び服に手を掛ける。ぷつぷつとボタンを一個ずつ外していくと、デイダラとイタチの目は、私に釘付けになっていた。もう彼らも、私を止めなかった。
「デイダラとイタチにしか、頼めないことだから…。ここで、上書きしてほしい…。思い出した時、あの忌まわしい男の顔じゃなくて、デイダラやイタチの顔が思い浮かぶように…。大好きな二人に…」
私を抱いて、デイダラ、イタチ。
そして、私が身に着けていた最後の一枚がハラリと床に落ちて。私は、二人の前で一糸纏わぬ、産まれたままの姿になった。月に照らされた肌は真っ白く、妖艶に体を映し出している。やがて、ずっと黙っていた二人の手が、私に向かって伸ばされた。デイダラの手は、頬へ。イタチの手は、肩へ。2つの影が、1つの影に覆いかぶさるように…。3つが1つになって、私たちはその夜、肌を重ねたのだ。過去を上書きして、新しい記憶を刻み付けて。切なく鳴く私に、二人はなんて優しい目を落とすのだろう。かつて私の上に群がっていたあの無数の男共とは違う。優しくて愛おしい二人の手付きは、私の心の傷を慰めてくれていた。
(デイダラ…、イタチ…、貴方たちの為なら…私は…)
地獄でも、修羅でも。何でも喜んで付いて行こう。
私を救う場所はない、そうデイダラは言ったけれど。
私を救う場所は、ここにある。貴方たちの、隣…。そこが私の帰る場所。