熱傷A

ハッと突然目が覚めて、私は飛び起きた。一晩中イタチの看病をしながら、起きて見張っていなければと気を張り詰めていたのだが、結局睡魔に負けてしまったようだ。眠るイタチの体に突っ伏すようにして気を失っていた。慌ててイタチの様子を窺うと、安らかに寝息を立てながら眠っている。しかし、未だに高熱は下がっていないようだった。

外を確認すると、相変わらずザーザーと雨が降り注いでいる。もう朝だと言うのに、曇り空で周囲は暗い。デイダラたちもまだ来そうにないし、今日一日またここで過ごす事になりそうだと、不安げに目を伏せた。もっとちゃんとしたところでイタチを寝かせて、しっかり看病をしてあげたい。こんな所では彼も余計に辛いだろう。早く、早くデイダラとサソリが来ないかな。今頃リーダーから話を聞いて、慌ててこちらに向かっている頃だろうか。その到着が待ち遠しい。

外から小屋の中へと戻ると、イタチの額に乗る手拭いを、また冷やし直してやった。時折眉を寄せて、苦しげな表情を浮かべている。イタチの容態が思ったより深刻である事に焦り始めていた私だったが、この時、何故か嫌な予感もしていた。なんだろう、この胸騒ぎ。はっきりと何とは言えないが、何かが起こる。そんな気がしていた。どうかこの心配が杞憂に終わりますように。そう願ったのも虚しく。…予感というものは、悪いものほど良く当たるものだ。

「やっと見つけたぜ、暁」

突然響いた第三者の声に、体が強張る。振り向かなくても分かる。この声は、デイダラのものでも、サソリのものでもない。聞いたことがない男の声。そして、その声音には明らかな殺意が込められている。恐る恐る振り向くと、小刀を手にこちらを睨む、見知らぬ男が入り口に立っていた。その男ははっきりと口にした。暁、と。私たち暁を知っているのか。暁を探してここまでやってきたのか。興奮で鼻息が荒いその男は、光る刃をこちらに向けたまま、ゆっくりと小屋の中に足を踏み入れた。

「お前らに組織を潰されて…俺は流浪の身になった…。俺の人生はお前らにめちゃくちゃにされたんだ!」
「だ、誰なの、貴方…。私は貴方の事なんて……」
「お前に言ってんじゃねえよ!その後ろにいる、黒髪の男だ!忘れはしねぇ…、黒くて長い髪に、赤い目を持った男だった!」

言われて振り向くと、眠ったままのイタチの姿がそこにある。黒髪で赤い目を持つ者は、暁ではイタチだけ。本当のことを言えば、トビも当て嵌まるかもしれないが、彼は仮面を付けて素性を隠しているので、この男は知らない筈だ。だとすると、イタチの他考えられない。過去にイタチが片付けた任務の餌食になった人だろうか。本人に聞きたくても、完全に寝込んでしまっている今の状態では話を聞くことなど出来ない。そしてつまりそれは、この男と今戦える状態にあるのが、私しかいないということだった。戦えると言ったって、ろくに戦闘経験など無い私なんてたかが知れている。見たところ、この見知らぬ男もそこまで強者のようには見えない、どちらかというと下っ端的な雰囲気を匂わせているが、私からしたらそんな男でも強敵だ。竦む体を奮い立たせて、男の前に立ちはだかる。イタチを守れるのは、私しかいないんだ。

「……女。俺は女子供だろうと容赦はしねぇぞ。同じ暁のお前も殺す。そしてその後に…そこで寝ているその男を殺す」
「そんな事させない!」

一応常に携帯している護身用のクナイを取り出して、切っ先を男に向けた。男の刃と、私の切っ先が互いに向き合う。一触即発の雰囲気に体が震え、呼吸が上がっていった。どうしよう、どうしよう、と半ばパニック状態の私は、その男にも素人感が伝わったのだろう。馬鹿にするような笑顔を浮かべてこちらを見下してきた。

「嬢ちゃん。怖いなら大人しくその危ないモンしまいな。言う事聞いたら、痛くないようにしてやるよ」
「ふざけないで…!誰がお前なんかの言う事を聞くもんか!」
「強気な事言っちゃってるけど、本当は怖くて仕方ないんだろ?…人を殺したことがないって顔してるぜ」

指摘されて何も言い返せず、ぐっと押し黙る。この男の言う通りだ。私はいつも治療役としてみんなに着いて行くだけなので、戦闘は全て任せ切り。忍術など当然使える筈が無いし、戦闘経験も皆無。基本的な動きや武器の扱い方すら分かっていない。男側にしてみれば、赤子を相手しているも同然だ。

それでも、逃げる訳にはいかなかった。ここで引いてしまったら、誰がイタチを守るというのか。いつも守ってくれるイタチを見捨てて生き延びるなんて、私には出来ない。

やがて男は、一歩、また一歩とこちらに近付いてきた。恐怖で足が竦む私の前までやって来ると、力強く腕を掴まれ、引き上げられる。持っていたクナイは床を転がり、足は床から浮いて、宙ぶらりんの状態になった私の頬を、小刀の切っ先が撫でた。皮膚が破けて血が出るのを感じていた。

「さあ、どう殺してやろうかなぁ」

駄目だ、殺される。来るであろう痛みにぎゅっと固く目を閉じると、突然けたたましい烏の鳴き声が響き渡った。カァカァと鳴く無数の烏は、私の胸元から続々と出てきて男に襲い掛かっている。怯んだ男の手から逃れた私は、一体何事だと自分の胸を見下ろした。そこには、すっかり存在を忘れていた巻物がしまわれていて、イタチの口寄せの術式と血液が刻まれていた。そういえば任務に出発する前、万が一の時の為にとイタチに渡されたのだった。

気を失いながらも守ってくれたイタチを見やる。結局私は、こんな時ですら役に立てないのか。こんな大した事のない男一人、片付ける事が出来ない。

前に視線を戻すと、男はまだ烏に襲われていて、必死に追い払おうと手を振り回していた。完全に私から気が逸れて、烏に夢中になっている。…今なら、やれる。今しかない。ここで決めなければ、また襲われて、イタチ共々殺される。

私はゆっくりと、落ちたクナイを拾い上げて立ち上がった。私の気配に気が付かない男は、今も間抜けに烏に怒鳴っている。上がっていく心拍数と呼吸、ぶわりと浮かんだ汗、震える手足。全てを無視して、私はゆっくり進み続けた。

殺さなきゃ、殺さなきゃ…。私が殺さなきゃ、コイツに殺される。殺す、殺す、殺す、絶対に殺す…。

不吉なワードを何度も自分に言い聞かせるように、ブツブツと呟く。やがて、とうとう辿り着いた男の背中に、汗ばむ手を振り上げた。




ーーーー…………



夢の中を彷徨いながらも、微かに匂いを感じていた。側に寄り添ってくれる心地よい温もりと、安心する匂い。そっと見下ろすと、ななしが手を握ってくれている。ああ、やはりこの気配はななしだったのか、と優しげな笑みを浮かべて、イタチはそれを見ていた。

しかし突然、ななしの姿が消える。慌てて辺りを見回しても、彼女の姿がどこにも無い。さっきまで感じていた優しいななしの匂いが消え失せ、代わりに何か鉄のような匂いが立ち込めた。なんだ、この匂いは。イタチは、その匂いの正体を知っていた。なのに思い出せない。この匂い、俺の身近にあったものの筈なのに、一体何だっただろうか。やがて、遠くの方でななしの後ろ姿を見つけた。良かった、そこにいたのか、と手を伸ばす。しかし振り向いた彼女は恐ろしい顔でイタチを睨み付け、ただ一言こう言うのだった。

「殺さなきゃ」

ばっと勢いよく体を起こして、イタチは荒い呼吸を繰り返した。妙に不気味な、恐ろしい夢を見てしまった。視線を落とすと、額に乗っていただろう手拭いが落ちている。ぐしゃりと髪をかきあげて、深い息を吐いた。汗をかいて体がベトベトだ。

具合は昨日よりは幾分良くなったとはいえ、まだまだ熱は高く、とても任務など出来るような状態ではなかった。我ながら情けない。こんな所でぶっ倒れて、一緒に来ていた筈のななしに迷惑をかけてしまうなんて。そこまで考えて、イタチは我に返った。そうだ、ななしは。側で看病をしてくれていた彼女の姿が、傍らにいない。夢の時と同じように、慌てて辺りを見回してななしを探すと、その姿は少し離れた同じ小屋の中で、すぐに見つかった。

「…ななし、すまない。大分寝てしまっていた様だな」

座り込んでいるその背中に声を掛けるが、反応がない。どこか様子のおかしい彼女に、イタチも眉を顰める。心なしか、その背中は丸まっていて、何となく普通ではない雰囲気を感じ取っていた。何かあったのか、と心配になったイタチは、掛けられていた外套の中から抜け出して立ち上がる。視界が高くなって、そこでイタチはようやく気付いた。

血。彼女を取り囲む、夥しい量の血。床に広がるだけじゃ止まらず、壁にも散乱している。あれだけ熱くてぼーっとしていたイタチの体から、一気に血の気が引いていく感触を、自分で感じていた。何かあったんだ、眠っている間に敵が来たのか。焦ったイタチが、慌ててななしに駆け寄った。最初その血を見たとき、ななしが襲われて大量に出血したのだと思ったのだ。名前を呼びながら、ぐいと肩を掴む。

「ななし!」

しかし、そうでは無かった。この血は、ななしのものでは無い。振り向いたななしは、目にうっすらと涙を浮かべながら荒い呼吸を繰り返している。そして、そのすぐ側に、最早人間だったとは言い難い程に酷く壊された、男の死体。イタチの思考回路が止まる。これは一体どういう事だ。まさか…、

ゆっくりとななしに目を戻せば、握られている真っ赤なクナイ。返り血で真っ赤に染まった体。そこで確信した。間違いない、この男を殺したのは、ななしであると。

「ななし、お前……、」
「……すごいね、イタチ…。イタチやみんなは……、いつもこうやって…、任務をこなしてるんだよね……」

カタカタと震えているその細い体に、イタチはぐっと悔しげに唇を噛み締めて項垂れた。今まで何度も任務に引き連れ、共に行動してきたななしだったが、その手を汚させたことは一度も無い。汚い仕事をするのは、俺たちだけでいい。彼女には、どうかその赤に染まらず、無垢なままでいて欲しい。それは俺たちの勝手な願望であったが、幸いにもななしは戦う術を持っていない。戦わせなければ、彼女が手を汚すこともないだろう。そうやって、暁はななしを守り続けていた。暁の唯一の希望、その光を。

しかし、彼女は遂に、人を殺した。完全にこちら側へと足を踏み入れてしまったのだ。大切に大切に守ってきた光は、眠っている間に黒く汚れてしまった。俺が眠ってなければ、そもそも体調を崩してなければ、そんな後悔ばかりが頭に浮かぶ。

「……ひとって、案外簡単に殺せるものなんだね」
「ななし………」
「わたしにもちゃんと殺せたよ…。どう?凄いでしょ…。だって私も暁のメンバーなんだもん。人の一人や二人、殺せて当たり前だよ……」

褒めてくれる?イタチ。そう問いかける彼女は、酷く震えている。言葉では強がっていても、その本音を隠し切れてはいなかった。きっと怖くて怖くて堪らないのだ。そう感じるのは当然だ、同じ人を殺したのだから。側で転がる死体には、無数の刺し傷が残っている。恐らく、無我夢中だったのだろう。何度刺しても、もしかしたら起き上がってくるかもしれない。そんな恐怖に怯えて、何度も刺しては死んだことを確認していたのだ。

「私は、暁の為なら、何度だって、」
「ななし……!」

その先は言わせたくなかった。イタチは堪らずななしの体を掴んで引き寄せ、力強く抱きしめた。苦しいよ、とか、血が付いちゃうよ、なんて腕の中でモゾモゾと言っているのが聞こえるが、全て無視してただただ抱き締める。すると今度は、ひっくひっくと小さくしゃくり上げる声が聞こえてきて、彼女が泣いている事が分かった。

「すまない………」
「い…たち………」
「…すまない」

何に対しての謝罪なのか。イタチは敢えては口にしなかった。しかしななしにはしっかり伝わったのだろう。背中に回った手に力が込められていく。悔しさに噛み締めていた唇からはぷつりと血が出てきて、自分に対しての怒りをイタチは必死に押し殺していた。

「……怖かった、イタチ」
「……………」
「何度刺しても、ソイツが起き上がってくるような気がしたの…。イタチが殺されちゃうって、私すごく焦って……」
「ななし………」
「でも良かった…。ちゃんと殺せたし、イタチのことも守れた。私、いつも守って貰ってるから……」

耳元で聞こえてくる愛しい女の声は、涙と恐怖で震えている。きっと彼女はこれから、生きていく中でずっと抱え続けてしまうのだろう。人を殺したという罪意識を。人を刺した時の感触を。死に際の男の顔を、声を。これから何度も思い出して、夢に見て、悩み苦しむことになるのだろう。そう思うと、イタチの頭が一層熱くなった。許せない。襲ってきたこの男も、眠っていた自分自身のことも。腕の中にいる彼女は言った。

「イタチ…、私、汚れちゃったけど……これからもそばに居てくれる…?」

そんな事を、言わせたい訳じゃなかった。そんな事を悩ませるつもりじゃなかった。お前はただ、俺の隣で…笑ってくれていればよかった。暁を照らしてくれれば良かった。戦えなくたって、そこに居るだけで、心が救われる。それは、血に染まった今でも変わらない。ななしはななしのまま。

イタチは、それを言葉で伝えるよりも行動に移していた。どさりとななしと共にもつれ込んで、その体を押し倒す。虚ろな瞳を向ける彼女を見下ろして、滑らかな頬に指を滑らせた。顔にも男の血が付着している。まるでその見知らぬ男がななしを穢したかの様に見えて気分が悪い。乱暴にその血を拭いながら、イタチは一つ一つななしの服を脱がせていった。汚い男の血がついた服なんて、ななしに相応しくない。触れるな、穢すな、そう言うかのように、男の血が見えるような物は全て剥ぎ取っていく。

「イタチ………」
「綺麗だ、ななし……」

ななしも特に抵抗せぬまま、されるがままに裸になった。真っ白な肌を見て、綺麗だとうわ言のように呟くと、彼女の綺麗な瞳が丸く見開かれる。そして嬉しそうに、切なそうに笑いながらまた涙を零して、「ありがとう」と言うのだ。お礼を言われるような事など、何もしていないのに。いや、出来なかったのに。

何にも染まらない、その肌にイタチは口を寄せた。ちゅ、ちゅ、と接吻を落とし、赤い華を咲かせていく。ななしを人殺しにしてしまった、ななしが血に染まってしまった、そんな後悔と責任で埋め尽くされていた頭は、次第に黒い感情が覆い尽くし、支配しようとしている。見知らぬ男に穢された。大事に囲っておいた女を、気付かぬ内に。そんな汚くて黒い、嫉妬と欲望。どうせ汚れてしまったのなら、俺が穢したい。その無垢で綺麗なななしを、俺と同じ色に。

男の死体の側で、女を抱くという異様な光景に熱を落としながら、イタチは頭の片隅で考えていた。


…汚いのは、俺の方だ。