明日待たたる宝船D

「知り合いか?」

列車の中に響くその声は、苛立ちを含んでいるような気がした。そう問いかけた声の主は、私の前で動揺している男を睨み付けている。思わぬ邪魔が入ったことに対して、相当な苛立ちと焦りを見せていた。

「アンタ………師匠の…………」

どうやら雲見も、私のことが分かったようだった。目をまん丸に見開いて、震える指先をこちらに向けている。雲見から奪い取った拳銃を懐にしまいながら、私は再度雲見の目を真っ直ぐ見つめた。

「………雲見」

そう名前を呼ぶだけで、男の肩が跳ね上がる。多くを語らずとも、もう彼自身、間違いを犯している事を自覚しているようだ。そんな光景を目の当たりにして、私の背後にいた黒尾様たちは、怪しむ様に眉を顰めていた。

「車掌さん。アンタ一体誰なんだ」

その問いに、私は背を向けたまま無言を貫く。……ごめんなさい、黒尾様。私は今ここで、名乗り出る訳にはいかないんです。

代わりに私は振り向いて、奪った拳銃をそっと黒尾様の手に渡した。これさえ相手から取り上げれば、もう原首相の命を狙う危ない凶器は無くなる。そうすれば黒尾様たちも、任務に失敗することなく、そして軍人という肩書きも失わずに済む。だって彼らはただ言われた通りに警護をして、無事その任務を遂行しただけなのだから。

そう考えた私が甘かった。黒尾様に拳銃を渡す私の背後で、赤沢は雲見の背中にそっとナイフを突きつけた。一気に顔を真っ青にする雲見の耳元で、悪魔のような囁きが降りかかる。

「……払った金額分は、何があっても働いて貰うぞ」

ひっ、という雲見の小さな悲鳴は、列車のけたたましい音によって掻き消され、私の耳には入ってこなかった。赤沢は、背中にあてがっていたナイフを雲見に無理矢理持たせて、背中を押す。

“この車掌を刺せ”

と、その一言を添えて。

雲見は酷く混乱していた。刺さなければ自分が殺される。そう考えると怖くて足が竦む。自業自得だ。目の前に差し出された大金に飛び付いた、自分が悪い。ごくりと飲み込んだ生唾と、震える手で握り締めたナイフ。相手は、あのお世話になっている道場の娘。師匠が愛する一人娘。

(刺すのか……俺は………)

ふー、ふー、と荒い呼吸を繰り返しながら、少しずつその車掌の小さな背中に近付いて…、そうする中で必死に最良の答えを探す雲見を、私は振り返った。

「…大丈夫、雲見さん。私が貴方を助けます」

優しく微笑みかけた私に、雲見は全てを悟ったようだった。意を決したような顔で、ナイフの刃先をこちらに向ける。向かってくる雲見に対し、私はあくまでも冷静に、彼の隙を探していた。大丈夫、結局は彼も素人だ。隙だらけ、これなら父に叩き込まれた私の技も入れられる。

こちらに突き出してきた雲見の腕を掴み、小脇に抱える。そのままクイ、と関節を逆に曲げてやると、雲見から呻き声が漏れて、カランカランと無機質な音と共にナイフが床に落ちた。何も武器を持たない丸腰の彼を、空いている座席に投げこんで終わりだ。その後、雲見はぐったりと動かなくなった。

赤沢は、より顔を真っ赤にさせて激怒した。この役立たずが!と本性を表して、伸びている雲見に罵声を浴びせている。軍人であり、原首相の警護に就いていた筈の男からそんな言葉が出てくるものだから、原首相やその役人たちも、驚いたように目を丸くして、赤沢に訝し気な視線を注いでいた。もう赤沢も崖っぷちまで追い詰められていた。

その中で、ぱちぱちと聞こえてくる手を叩く音に、私は振り返った。拍子抜けするようなその音は、間違いなく黒尾様の手から鳴らされていて、いつもの彼らしいにんまりとした笑みに思考が固まる。

「お見事」

ただそう一言そう放った黒尾様と同時に、すりすりとお尻を撫でられているような感覚。止まっていた脳みそが弾かれるように反応して、私は慌てて悲鳴を上げた。

「きゃあああ!?」
「あー、いいお尻。懐かしいこの感じ、変わってないね。最高」
「太一テメェ!どさくさに紛れて何してやがる!」

ぽかんとしている間に、川西様が白布様に説教されていて、目の前で繰り広げられているのはあまりにも懐かしい光景だった。少し前まで当たり前だった日常が、今久しぶりにそこにある。

「…久しぶり」
「元気そうで何より」

私に笑いかける研磨様と赤葦様も、もう謎の車掌の正体に確信を持っていた。私だってばれてる。みんな私のこと分かってるんだ。

そう実感した瞬間、本当はバレてはいけなかった筈なのに、どこか嬉しいと感じている私がいて堪らなかった。ずっと会いたかった人たちが、ずっと話したかった人たちが今目の前にいることに、鼻の奥がツンと痛む。泣くな、まだ全部終わってないんだから。感動の再会は、全てを終わらせた後でゆっくりとすればいい。どうして私を頼ってくれないんですかっていう説教も、全部終わってから。伝えたいことは山ほどあるんだ。

「ま。色々聞きたいことはお互い沢山あるだろうが、それは後々ってことで」
「はい」
「まずは、目の前のことを片付けなきゃな」

黒尾様の鋭い視線は、私の背後に向けられる。苦しい状況に追い込まれた赤沢は、もう取り繕うことも無く、忌々しそうに舌打ちを吐き残している。自分の手を汚さずに、原首相を殺そうとしたこの男こそ、今回の件の黒幕。全ての元凶なのだ。

「…黒尾様。ここは全て私にお任せください」
「それはこっちの台詞だっての。女に守られたままで終われるか」
「駄目です。それでは私がここに来た意味がありません」
「…男は好きな女の前ではカッコつけたいの」

え、と目を瞬かせる私に、黒尾様は悪戯げに笑っている。…狡い。黒尾様はいつもこうだ。そう言えば私が引き下がると思って、確信犯でからかっている。そう分かっていながら、真に受けて顔を赤くさせている私も私だが。しかし、今回ばかりは黒尾様の言う通りにする事はできなかった。

「黒尾様。相手が黒尾様たちよりも階級が上の赤沢大尉となると、下手に手を出したら立場が危うくなります」

私がそっと耳打ちした通りだった。相手は赤沢大尉。黒尾様たちよりも階級が上で、上層部とも繋がりを持っている。赤沢の一声で、黒尾様たちの軍人としての立場は、一瞬にして綺麗さっぱり消えてしまうだろう。赤沢は、それだけの権力を軍の内部で持っている人物なのだ。…と、これは侑様から聞いた話。

『せやから、絶対に黒尾たちに手を出させたらあかん』
『はい』
『今回は俺も手助けしてやれへんで。俺も同じ軍人…、赤沢に手出ししたら、俺まで危うくなる』


”軍人じゃない名無しだからこそ、黒尾たちを助けられる。”




侑様はそう言っていた。だから私は、侑様が人脈を使って借りてくれたこの車掌服を来て、車掌として列車に忍び込んだのだ。ここで黒尾様たちの手を借りてしまっては、全てが無駄になってしまう。それだけは絶対に阻止しなければならない。

「お前…いつの間にそんな軍のことに詳しくなったの」
「侑様が教えてくれました」
「は?」
「なんで宮侑の名前が出てくんだ」

思わぬ形で出てきた侑様の名前に対して、ぷちっと青筋を立てる赤葦様と白布様を後目に、私は赤沢の前に立ちふさがった。もう彼が用意していた雲見という策は、そこの座席で伸びている。成す術など無くなった筈だ。後は私が、東京駅まで赤沢を拘束して、警察に引き渡すのみ。東京駅に着けば、侑様が警察を手配してくれる手立てになっている。

「お前、一体何者だ?黒尾たちの知り合いか」
「…私はただの車掌です。名乗る程の者ではありません」
「…俺は上の連中に頼まれて、この仕事を引き受けただけだ。それを邪魔するのであれば、お前もただでは済まなくなるぞ」
「ご心配なく、赤沢大尉」

赤沢の脅し文句に反応したのは、後ろにいた黒尾様だった。私の肩に腕を乗せた黒尾様は、赤沢を挑発するように、その大きな背中を丸めて目線を合わせる。にんまりと笑うその笑顔の隣では、上司に似たのか何なのか、他の4人の部下も同じような笑顔を浮かべていて。



「護衛役の番犬が5匹も付いてるんで、その点はご心配なく」
「…貴様ら………」


どうにもこうにもままならない。状況が悪くなった赤沢も、既に後には引けないところまで来ていた。まんまと黒尾様たちの挑発に乗った赤沢は、その手を己の懐へと忍ばせた。何かをしようとしていることは一目瞭然。ナイフか、それとも拳銃か。何が出されても、冷静に状況を判断し、相手の動きを見て行動する。それは、父から何度も叩き込まれた事だ。

私は、全ての神経をそこに集中させた。父よりも断然動きは遅い。私の目には、全ての景色、光景がゆっくりと流れているように見える。一瞬たりとも見逃さない。目で見える情報は全て頭に入れるんだ。

そうして、赤沢の手が、探っていた懐からゆっくりと出てきた。実際にはほんの一瞬の出来事だが、私には時が止まっている様に見える。その中で、赤沢の手に握られている黒い持ち手の部分が見えて、彼が拳銃を取り出したことを判断した。恐らくその銃口をすぐさま私に向けて、瞬く間に発砲するだろう。

(弾速は、弾の火薬の量で決まる…。拳銃程度なら、引き金を引いたのとほぼ同時に姿勢を低くすれば避けられる!)

意識を集中させると、あれだけ煩かった列車の音も、ばくばくと騒ぐ心臓の音も、全て無音になった。引き金を引く僅かな音すら聞き逃さない為にも。体が、意識が、神経が、全て私の思うままに動いている。これも父の稽古のお陰だ。今日は動きにくいいつもの着物でもない。きっと避けられる。


かち、と、ほんの小さな、ごく僅かな音だった。普通なら、列車の音に掻き消されて聞こえないだろう。現に私以外には、その音を拾った人はここにいないかもしれない。でも私には確かに聞こえて、それが私の体を突き動かした。一気に膝を曲げてその場に屈み込むと、既に赤沢の手に握られていた拳銃からは弾が発砲されていて、白い煙を上げながら黒尾様たちの横を通り、そして誰もいない空間を突っ切って、列車の窓を貫通した。

一体誰が、拳銃の弾を避ける人間がいると思っただろうか。呆気にとられる赤沢に一気に詰め寄り、突っ立っている彼の足に己の足を入れる。腕を掴んでぐいと背中を曲げれば、最早黒尾様たちにとっては見慣れた光景が、目の前に広がっていた。

「…ほんと、いつ見ても綺麗な背負い投げだな……」

見事に私に背負い投げされた赤沢の体は、派手に宙を舞って壁に激突し、そのままずるずると崩れ落ちていった。気を失った赤沢を拘束し、東京駅まで運ぶのは簡単な事であった。







◇◆◇◆







「ええか黒尾、これは貸しやからな。貰った恩は必ず返すんやで」
「いい加減しつこいっつーの。分かったって言ってんだろ。何回目だ」

恩着せがましく何度も同じ言葉を口にするのは、東京駅で待ち伏せていた宮侑少尉、その人であった。赤沢大尉が気絶したあの後、列車は何事も無く東京駅まで人を運び、計画通り手配されていた警察にその身柄を引き渡した。雲見に関しては、黒尾様と原首相のご厚意により、『ただ偶然そこに居合わせただけの一般客』として扱われ、罪に問われることはなかった。しかし、雲見がしたことも立派な罪だ。人の命を奪おうとしたのだから。

「雲見」
「……はい」
「明日。必ず道場に来てください。私の父が待っています」
「………あの……、俺は……」
「貴方がした事は、本来なら決して許される事ではありません。ですが、首相と軍人様がお許しを下さいました。それはどういう意味か分かりますか」
「え……」
「…貴方は、自分がしたことを自分で理解し、受け止めて更生できると判断されたからです」

俯いていた雲見がゆっくりと顔を上げて、私を見た。その瞳は、涙で揺らいでいるようにも見える。

ずっと孤独で、お金も無く、ぎりぎりのところを生き続けてきた雲見は、常に自分の居場所を探していた。自分を見てくれる人、自分を気に掛けてくれる人、自分を案じてくれる人…。彼の周りにはそういう人がいなかったから、彼が間違った方向へ歩んでしまった時、止めてやれる人物がいなかった。

でも今回で、雲見は実感した筈だ。汚い事に手を染めているのではないかと分かっていても、決して雲見を見捨てようとせず、私に雲見の事を託してくれた父。そして、雲見ならちゃんと反省して立ち直れると信じてくれた、黒尾様たちや原首相。色んな人の優しさと叱咤に触れて、雲見もようやく、自分はこのままではいけない、変わらなくちゃならないと理解したのだった。

「…私の父が、心配していましたよ」
「……名無しさん……」
「明日、待っています」
「………はい……」

涙で蹲る彼にそっと寄り添って、私はその背中を撫でた。家で私の帰りを待っているであろう父親に、「ちゃんと連れ戻しましたよ」と想いを馳せて。




「名無し。こっちの男連中にも、説教が必要やろ」

名を呼ばれて振り返った先には、侑様と、黒尾様たちが立っている。そうだ。私は、彼らにも言いたいことが沢山ある。一方的に別れを告げられて、私の前から姿を消してしまった黒尾様。侑様にその事を相談した時、私は心に決めていたのだ。もう一度黒尾様たちとお話が出来るのなら、失礼を承知で、彼らに伝えたい。あの時の私の気持ち、想いを。

「黒尾様」
「…名無し」
「皆さん」



………一発ずつ殴らせて下さいませ。




恐らく黒尾様たちは、感動の再会を想像していたのだろう。私が泣きながら彼らに抱き付いて、「寂しかった」「会いたかった」と、そう言うことを望んでいたのかもしれない。だからだろうか。帰って来た黒尾様たち5人の返事は、間の抜けた声だった。



「………え?」