最期の、冬。私は、箪笥の奥に用意されていた白無垢を手に取った。いよいよこの時がやってきてしまった。社の外には、村の人たちが置いていった沢山のお供え物が置かれている。今日は、生贄の儀式が行われる日。村の人たちはみな前日にお供え物を置いて、家に篭るのが決まりになっている。外に出ていると、腹を空かせた神様に攫われて、食われてしまうという言い伝えがあるからだった。

大きな扉に、無数に貼られたお札。その前に立つ白無垢姿の私の後ろでは、出会った時と同じように黒い装束を纏った彼らが立っている。そういえば北さんが教えてくれたっけ。彼らのその儀式の衣装が、何故真っ黒なのか。それは、生贄として死に行く巫女の魂を見送る為、喪服の意味も兼ねての黒なのだそうだ。そんな理由が隠されていたなんて、聞いた時にはつい感心してしまった事を思い出す。逆に私が纏うこの白無垢は、白装束の意味も兼ねられている。改めて考えると、どれもくだらない。こんなものを着たところで、私の想いや、後ろに立つみんなの想いは報われない。こんなもの、着たくて着ている訳じゃない。

少しの間、私は扉をじっと見つめて立っていた。この扉の向こうには、どんな景色が広がっているのだろう。不思議と、恐怖心は無い。ただ純粋に、興味があった。私が死ぬ場所は、一体どんな場所なのだろう、と。

ゆっくりと手を伸ばして、貼られている御札を剥がしていく。すると、後ろからも4人分の手が伸びてきて。

「俺たちもやる」

侑がそう言って、みんな一緒にお札を剥がし始めた。一枚、また一枚と剥がされて、やがて全ての封印が解かれる。重く軋む扉を5人で開けると、小さな部屋の真ん中に置かれた狐の像と、周りに散乱する骨のようなものが眼に入る。独特な雰囲気を持ったその空間に、私は目を奪われて言葉を失っていた。恐ろしい場所な筈なのに、空気が清らかで神聖な空気すら纏っている。呆気にとられながらも、私がその部屋へ一歩踏み出した瞬間。

咄嗟に私を掴む、力強い腕。

「…き、北さん…?」
「お前を生贄にするために、俺たちはこの扉を開けた訳やない」
「…ごめんなさいって言いに来たんや」
「え?」

北さんと治の言葉の意味が分からずにいると、侑も治も角名も、その部屋に向かって手を合わせ、目を閉じた。一歩前に出た北さんが、祀られている狐の像に向かって言う。

「神様、どうかお許しください。俺らは、村を捨てて、愛しい女と共に生きる道を選びます」
「き、北さん…!?」
「祟りなら幾らでも受けます。だからどうか、お許しください」

それは、彼らが昨日の晩、私が寝静まった後に話し合って決めたことだった。村を捨て、名無しと共に生きる。その決断は、決して簡単に下せたものではない。たくさんの命を犠牲にすることを分かった上で、その道を選んだのだ。きっとこれから、彼らは予想できない程の苦労を強いられることになるだろう。それでも、愛しい女と共に生きられるのならば。この悲しき因果を、断ち切ることが出来るのなら。

「もう、巫女を喰らうのは、終わりにしてください」
「巫女だって必死に生きとる。守られるべき命の筈やろ」
「だから俺たちは、この命を守ります」
「今まで死んでいった、巫女様たちの命も背負って」

開け放たれたままの封印の間を後目に、私は侑と治の手に引かれて走りだした。前を行く彼らがまぶしい。外に向かって走っていく私たちに差す日の光に目を細めていると、誰かにポンと背中を押されて。

「…………?」

振り向いても、誰もいない。だけど、何となく分かった。お母様が、背中を押してくれたんだ。


5人揃って外にでる。家に篭ったまま静かな村を駆け抜けていく。力強く握った手を、私はもう、決して離さない。






ーーーー・・・・





『縁結びで有名なこの稲荷崎神社には、今日も沢山の人が訪れています。もうすぐ初詣のシーズンです、年明けには更に混雑し、人で賑う事でしょう』

テレビの画面に映るキャスターのお姉さんが、にこにこと笑顔を浮かべながら、混雑する小さな神社の鳥居の前でリポートをしている。その映像を見ながら、小さな娘は指をさして母に問いかけた。

「狐さんの像!なんで4つもあるの?」

母は、そんな娘に寄り添いながら、嬉しそうに語るのである。

「昔ね、生贄としてその神社に捕らわれていた巫女様の命を救った、4人の男性がいたの。狐の像は、その男性を表しているんだよ」
「ふーん……?」
「きっとその巫女様は、素敵な男性に愛されて幸せだったんだろうね」
「ママとどっちがしあわせ?」
「…そうねえ…、」

どっちだろうね。そう言いながら振り向いた先には、その娘の父が、微笑みながら二人を見守っている。その面影は、どこか懐かしくて、温かい。

「パパ、この狐さんに似てるね!」

外では、先程まで振っていた天気雨が止んで、空に虹がかかっていた。









おわり。