10数える間に

デイダラが私の元を訪れたあの夜の翌日。私は、短い間だったがずっとお世話になっていたこの村に別れを告げた。村の人たちは、私がここを去ることを寂しそうにしてくれて、またいつでもおいでと見送ってくれた。本当にいい人たちだ。出来ることならば、ここで本格的に腰を据えて、改めて人生をやり直したいところだったが、そうは行かない。私の居場所が暁にバレている事が分かった以上、1箇所に留まり続けるのは危険だ。

昨晩デイダラと交わした言葉から察するに、暁は私の脱退を決して認めた訳でも諦めた訳でもなく、敢えて生かして泳がせていることが分かった。そして、そんな私を組織に呼び戻そうとしている事も、昨日の彼の言葉で分かっている。しかし当然ながら、もう私には暁に戻るつもりなど一切ない。一度決めて逃げ出してきたのだ、逆戻りなんてしてたまるか。

だが『裏切りは許さない暁』のことだ。きっとどこまで逃げても、地の果てまで追いかけてくるだろう。昨日のデイダラは「殺すなと言われている」と言っていたが、いつその気が変わって、呆気なく殺されてしまうかも分からない。とにかく今は彼らの目を欺いて、遠い地へ逃げなければ。私の気持ちは、逃げ出した時と同じように焦っていた。

まだ日も昇り切らないうちに村を出発し、少ない荷物を持って地を歩く。特に目的地も行く宛も無く、ただただ歩き続けて。大丈夫、特に周りに怪しいチャクラの気配も、不気味な彼らの視線も無さそうだ。何度も辺りを警戒しては、少しずつ休憩を挟んで足を動かし続け、そうしてどれくらいの時間が経っただろうか。ようやく私の目の前に現れたのは、これまた小さな田舎の村であった。

既に疲労困憊の体は休息を求めていて、これ以上は歩けそうにない。今日はこの村に泊まって、また明日から流浪の旅を再開させよう。これからずっと、暁から逃げ続けなければならないとすると、こうしてずっと各地を転々としながら、困りごとの相談に乗ったり傭兵稼業を請け負ったりして、地道にお金を稼いで生活する他ない。私だって、今まで暁のメンバーとして散々罪を犯してきたのだ。贖罪の旅、と称して世界を回るのも、必要な事なのかもしれない。

そうして宿屋を探す私の視界に映ったのは、黒衣の男二人。本能的に光の速さで物陰に隠れた私を褒めて欲しい。あの後ろ姿、立ち姿、コートにあしらわれた赤い雲。一目見ただけでも分かった。彼らだ、暁だ。そっと建物の影から顔を覗かせて、再度その姿を確認する。やはり間違いない。暁がそこにいる。私の不運はどこまで力を発揮するのか、本当に呪われているんじゃないかとすら思う程である。

じっとその姿を観察していた私だったが、そこにいた二人はイタチと鬼鮫のペアであることが判明した。笠を被っていて顔は見えないが、私だってずっと暁にいたのだからすぐに分かる。黒い髪を下げた男と、大柄な特徴的な肌の色をした男。イタチと鬼鮫のツ―マンセル以外に当てはまる奴などいない。

幸いにも、彼らはこちらに気付いていない様子で、何やら聞き込みをしているようだった。私のことを探っているのか、それとも別件の任務にあたっているのか。ここからはその会話の内容は聞こえないが、私の存在に気付いていないのなら好都合だ。早く逃げてしまおう。疲れ切った体に鞭を打って、私はそのまま路地裏の闇へと溶け込んでいった。本当はこの村で一休みしたいところだったが、どうやらそう上手くは行かないようで。とりあえずどこかお店に入って、近隣に村があるかどうかだけ聞いて来よう。もう闇雲に歩く体力は残されていない。

「……鬼鮫」
「何ですかイタチさん」
「先に戻っていろ」
「……気付いていましたか」
「…ああ。まさか任務の最中に出くわすとはな。好都合だ」
「ならば私はお言葉に甘えて先に戻っていますよ。無理だけはなさらないように。向こうも元々は暁の一人。貴方には及ばずとも、それなりの戦闘能力を持っていますから」
「心配は無用だ。すぐに戻る」

ちりん、と不気味に響く笠の鈴の音。彼ら二人分の鋭い双眸が、私が消えた路地裏の闇へと注がれる。まさかそんな会話が二人の間に繰り広げられていただなんて知る由もない私は、路地裏を通って反対側に出ると、適当に傍にあった店に入って周辺の地理の聞き込みをしていた。鈴の音は、徐々に徐々に、ゆっくりと近付いてくる。ちりんちりんと鳴り響くその音を認識した頃には、既に彼は真後ろに立っていた。

「…気付いていないとでも思ったか?」
「……っ!?」
「久しぶりだな、名無し」
「い……たち……!?」

ツー、と額を伝う冷や汗。聞こえてきたその声にゆっくり振り返ると、イタチが笠の奥で目を光らせながらこちらを見下ろしている。その表情は威圧的で恐ろしく、昨晩見たデイダラの表情が蘇った。完全に油断していた。気付いていないだろう、と高を括ってこんなところでのんびり聞き込みなんて、間抜けにも程がある。しばらく睨み合うように対峙していた私たちだったが、その沈黙を破るかのように、イタチの手が私の顔へと伸びてきた。そのまま顔面を鷲掴みにしたイタチは、握った手のひらを見て目を丸くする。彼が掴んだのは、私の顔ではない。私が咄嗟に出した分身。私の偽物だ。

この時を待っていた、と言わんばかりに、私は彼の横をすり抜けて店を飛び出した。イタチの実力は十分知っている。向こうは車輪眼を持っているあのうちは一族の男。まともに戦って勝てるような相手ではない。ここは逃げるのが得策だ。

私だって、一応は暁で戦闘経験を積んできた。それなりの知識や戦闘能力、忍術も持っている。それらを駆使すれば、何とか逃げ出すくらいならできるかもしれない。いや、逃げ出さなければ捕まる。何が何でも逃げのびなければ、私に未来はない。

「……いいだろう。10数えるまで待ってやる」

走り去る私の背中を見つめながら、イタチは不気味に笑って、笠を被り直した。その言葉には、例え私がどこへ逃げようとも絶対に捕まえる自信がある事が窺える。随分と舐められたものだと、私は小さく舌打ちをして、行き交う人の間を走り抜けて行った。たまに肩がぶつかって悲鳴をあげられても、それに対して謝る暇すらない。一体何事だと私を見る視線を無視して走り続け、後少しでこの村を抜けられる、と確信した瞬間。

村の出口を塞ぐようにして群がった黒い烏が、みるみる人の形へと姿を変え、そこからイタチが現れた。彼がよく使う分身だ。その分身が、素早く印を結び始めたものだから、慌てて方向転換する。あの印は、きっと彼らうちは一族が得意とする火遁の術。それをヒラリと交わすように、再び薄暗い路地裏に入ると、ちょうど空いていたオンボロな空き家に飛び込んで、息を潜めた。

走り続けたせいで上がった呼吸すら、ぐっと我慢する。バクバクと心臓が高鳴って、この音すら聞こえてしまうのではないかと内心ヒヤヒヤしていた。どうか、どうか見逃してくれ、と祈るように手を合わせて、ぐっと目を固く閉じた。いいじゃないか、こんなか弱い小娘一人くらい、見逃したところで彼らの活動には何の影響もない筈だ。私如きに時間を割いても勿体無い。そう心の中で一人ぶつぶつと呟きながら、ひたすら時が過ぎるのを待つ。私の緊張とは裏腹に、いつまで経っても来る気配のないイタチに、私は次第に落ち着きを取り戻し始めていた。

(もしかして、諦めてくれた……?)

淡い期待を抱いて、ゆっくりと目を開く。視界に入ってくるのは、薄汚れた小屋の壁と、

「鬼ごっこはもう終わりか?」

残酷に笑う、イタチの姿だった。

「……いたち……、」
「随分と震えているな。何か怖いものでも見たか」

私が目を閉じている間、最初から彼はそこにいて、怯える私を見て楽しんでいたのだ。デイダラに負けず劣らず趣味の悪い男だ。血の気が引いて行く私の真っ青な顔を見て、イタチは楽しそうに笑う。一体どうしたと心配する言葉を掛けながら、その理由が自分自身にあることは分かっているようだ。彼は今度こそ私を壁に追い詰めると、その手で私の首を掴んだ。ぐっと力を込められると、息苦しさに嗚咽が漏れて、口が酸素を求めて開く。イタチの手首を掴んでも、その力が緩まることは無く、酸欠によってどんどん抵抗が弱まっていった。

「あっ……、う…く……、」
「昨晩デイダラが迎えに行った筈だったが、こんなところで一体何をしている?名無し」
「は…、ぁ……っ」
「逃げ出した事なら誰も気にしていない。だから安心して戻って来ればいい」

優しい声音で説いてくる彼が恐ろしくてたまらない。片手で笠を取り払い、そこで初めて見た彼の顔は、この場に不釣り合いなほど端正で美しい。息苦しくて堪らない私を光悦な表情で見下ろして、彼は私の開いた唇に食らいついた。イタチの黒髪がサラリと顔に掛かって擽ったい。くぐもった声を漏らして、その肩に必死にしがみついていると、首を絞めていた手は徐々に緩まって、代わりに私の体をきつく抱きしめていた。

角度を変えながら、深まっていく口付け。酸素が足りないせいで、脳が考える事を放棄している。ぴちゃぴちゃと唾液の交わる音が、その廃墟に響き渡って鼓膜を震わせた。熱い、熱くて堪らない。絡まる舌、抱きしめられる体、見下ろされる視線、全てが熱くて、私をどろどろに溶かしていく。すっかり出来上がった私は、蕩けた表情で力無くイタチを見上げていて、ゆっくり離れた唇を目で追っていた。呆然とする私を抱き締めたままのイタチは、背中に回した手をスルリと服の中へ忍ばせてくる。冷えた手が肌を這う感覚に「ひっ」と悲鳴が漏れ、ぞわぞわと鳥肌が立った。このままではまずい、と危機感を察知して暴れても、きつく抱きしめるその力が解けることはない。やがて下着に到達した指が、器用にブラのホックをぷちんと外す。デイダラといい、イタチといい、彼らはブラジャーが好きなのか。

「…無駄な抵抗はよせ」
「あっ……、待っ…いたち……!」
「お前はもう、どこにも逃げられない」

下着の更に下へと忍び込んだ彼の手は、フニフニと感触を楽しむように私の胸を包んだ。ごそごそと服の中を蠢くイタチの手を見下ろしながら、必死にその感覚に耐える。口を噤んで声を抑えながら、彼が紡ぐ言葉にボンヤリと耳を傾けていた。

蜘蛛の巣に掛かった蝶は、もう逃げることなど叶わない。一生自由を縛られて、喰われるその瞬間まで縛り付けられたまま時を過ごす。まさに私の今の状態がそれだ。どこまで逃げたところで、どんな小賢しい細工を使ったところで、私は結局彼らの手の平に転がされたまま。じわりと目に浮かぶ涙を、イタチは愛おしそうに見つめていた。ようやく服の中から居なくなったイタチの手に力が抜け、慌てて隠すように胸元を押さえる。

「…安心しろ。今日のところは見逃してやる。俺は別の任務でここに立ち寄っただけだ」
「………どこへ逃げたって、どうせ追いかけてくるくせに」
「飼い犬の世話をするのは、飼い主の責務だろう?」

今度は私を犬扱いか。恨めしそうに彼を睨み付けると、イタチは相変わらずその綺麗な顔をこちらに向けたまま、そっと首筋に顔を埋めてきた。かかる吐息に体を強張らせ、慌ててイタチの肩を掴む。

「言う事を利かないお転婆な小娘には、首輪が必要か」

ちゅう、と吸い付いたそこには、赤い痕がくっきりと残されていて。その痕を優しく撫でた後、イタチは言った。

「その痕が消えかける頃に、また迎えに来よう。その時はお前を無理矢理にでも連れ戻す」
「…捕まるもんですか…、私だって絶対に逃げ延びてやる」
「…楽しみにしている」

フ、と笑みを溢したのを最後に、イタチは無数の烏へと変化して、そこから姿を消してしまった。シンと静まり返ったその空間に取り残された私は、緊張の糸が切れたようにずるずるとそこに座り込む。デイダラに続いて、またもや見逃されてしまった。きっとイタチもまた、私のような小娘一匹、本気になればいつでも捕まえられると思っているのだろう。

「……ムカツク!あーもうムカツクほんとにムカツク!絶対逃げきってやる!あの悪趣味変態集団め!」

ワーワーと一人暁に対して罵声を浴びせる私を他所に、アジトに帰還したイタチは一人小さく口元を歪めていた。


逃げたいのなら、どこまでも逃げるがいい。
俺たちはどこまでも彼女を追いかけ、追い詰め、捕えるだろう。
逃げ惑い、恐怖の目を向けてくる彼女の姿を思い出すだけで、こんなにも体が昂っている。
この昂りを鎮められるのは、お前だけだ。……名無し。