エスケープ

「こ…、来ないで…!」
「戻れ、名無し。お前に拒否権はねぇ、うん」

私の制止にも聞く耳を持たず、デイダラは部屋の中に足を踏み入れ、一歩一歩近づいてきた。すっかり寝る準備をしていたものだから、私の恰好は寝間着だし、愛刀は少し離れた部屋の隅に立てかけてある。こんな丸腰の私には、抵抗する術など1つも無かった。だけど、ここで捕まれば殺される。殺されなかったとしても、逃げた事に対する処罰として、きっと死よりも恐ろしい仕打ちが待っているだろう。逃げなきゃ、そう本能が警鐘を鳴らしていても、腰が抜けて立つことすらできない。ずるずると床を這って逃げようとする私についに追いついたデイダラは、ぐいと髪の毛を引っ張ってきた。

「ひっ………!」
「オイラの言うことが聞こえなかったか?うん」

戻って来い、そう再度告げる彼の声音には、有無を言わさぬ迫力がある。恐怖に震えるままその顔を見上げると、まるで任務で人を殺す時のような鋭さと光を帯びた双眸が、こちらを射抜いていた。ああ、ここまでか。やっぱり逃げられなかった。『暁は裏切りを許さない』その言葉通り、私はここで死ぬのだろう。

死を覚悟し全てを諦めた私ではあるが、それは決して、死への恐怖が薄れた訳ではない。相変わらず体は情けない程に震えているし、先程から冷や汗が止まらない。何もしていないのに荒くなっていく呼吸。べっとりと張り付く寝間着。何もかもが気持ち悪い。目にうっすらと涙を浮かべる私を、デイダラは膝をついて覗き込み、ぐっと勢いよく首を掴んできた。苦し気に漏れる私の嗚咽。それを、デイダラは光悦な表情で見下ろしている。何とも趣味の悪い男だ。

「う…っ、く……!」
「怖いか、オイラが…、暁が」

歪められた彼の口端を見つめながら、遠のきかける意識を手繰り寄せるのに必死だ。仲間として共に戦っていた時は、何だか喧しい男だと、そんな風に思っていたのに。こんなにも不気味で恐ろしいオーラを纏う彼と、私は初めて対峙していた。締まる首の手に力が込められて、ぐいと引き寄せられる。吐息がかかる程の至近距離にデイダラの顔があって、私はそのまま彼に噛みつくようなキスをされた。てっきりこのまま殴られるか殺されるかすると思っていた私の思考回路は一気にショートして、頭が真っ白になる。一体何が起こっているのかさっぱり分からない。固まる私を他所に、デイダラは私の上に伸し掛かって後ろに押し倒しながら、ぐっと舌を捩じ込んできた。

「んんっ…!?ふ、う…っ、ぁ……!」

どんだけ肩を押し返しても、背中を叩いてもびくともしない。それどころか、その口付けは更に深くなっていく一方で、私の抵抗する力はことごとく奪われていった。やがて、デイダラの手が私の手を絡み取り、指と指の隙間を埋めるように握りしめられる。そして、床にそのまま押さえつけられた。先程までの乱暴な手付きとは違う。優しくて、丁寧な握り方。まるで指先まで犯されているような感覚に、体が痺れていく。

「ふぅ…、は……、んっ……」
「……は…、すげぇ顔。そそられるな、うん」

私の寝間着を引っ掴んで、乱暴に開かれる。そのせいでボタンは弾け飛び呆気なく曝け出された胸と下着。その白い首筋に、デイダラの赤い舌が這って、ぬるぬると生暖かい感触を感じていた。ちゅ、ちゅ、と繰り返される啄みは、そこに赤い華を咲かせていて。その唇は、首から鎖骨へと下った後、ついに胸元に到達した。

「あっ…、待ってデイダラ……!」
「止めて欲しけりゃ、暁に戻ってくるんだな」
「………っ!」

なるほどそういう作戦か、と私は一人納得する。脅そうとしているのだ。『暁に入らなければここでお前を始末する』と脅された、あの初めての邂逅の時と同じように。私が女であることを最大限に利用したこの方法に、先程まで怯えていた私の中にも、負けて堪るかという意地が芽生えてきた。ぐっと唇を噛み締めてデイダラを睨みあげると、彼はその視線に一瞬面食らったような表情を浮かべた。

「…ほぉ、あくまでも抵抗する気か、うん」
「…当たり前よ…。私は暁には戻らない…。殺すなら殺せばいい」

強がった台詞も、震える声で台無し。本当は怖くて堪らないのが、デイダラにもバレバレだ。威勢を張る私の上に跨ったままの彼は、するすると指を腹に滑らせてきた。擽ったくて身を捩ると、逃げようとする私を執念に追ってくる。そういえばコイツは、一度殴られたらその相手を殺すまで追い続ける、執念深い男だったことを思い出した。撫でる指はゆっくりと上に上がっていき、ブラジャーを引っ掛ける。くいくいと指を動かすたびに、見えそうで見えない程度に下着がずれたり戻ったりを繰り返して、私は羞恥心で顔から火が出そうだ。

「や、やめてよ変態…!何してんのよ!」
「お前が嫌がる事をしねえと、拷問になんねぇだろ?うん」
「ほんと趣味悪いわね暁って!」
「褒め言葉として受け取っておく」
「褒めてない!っていうか、取るなら取りなさいよ!」
「…なら遠慮なく」

控え目に指に引っ掛けただけだったデイダラの手は、遂に私のブラジャーを鷲掴みにした。ホックを外すという手順を思い切り無視して、力任せに引っ張っていく彼の手を慌てて掴んで止める。しかしもうその手を止めることはできない。ちょっと待って、と焦る私を無視して、ブチブチと音を立てた下着は見事ホックが吹き飛び、簡単にデイダラの手に奪われてしまった。お気に入りの、まだ真新しい下着がまさか1日でダメになるなんて。はらりと目の前を靡いて行く壊れた下着を目で追いながら、私は腕で体を抱いて胸を隠した。

「…殺す必要はないってリーダーから言われてるからな。今日はこのくらいで勘弁しといてやる、うん」
「え……?」
「殺さずとも、お前はもう暁からは逃れられない運命だからな、うん」

ヒラヒラとデイダラの手の中で弄ばれる下着を呆然と見つめた。私、殺されずに済むの?なんで?暁の内情を知った人物が、彼らを裏切って逃げ出したというのに、それを野放しにするなんて。しかも今目の前にいるデイダラも、今日はもう帰ると言っているのだ。益々訳が分からない。

だがそれは、彼ら暁の余裕の表れでもあった。小娘一人逃げ出したところで、暁は何も変わらない。そして、私如きがどんなに足掻こうとも、決して暁からは逃れられない。ただ檻の中でもがいているだけ。だからこそ、私が逃げ出した後、すぐには後を追わず様子を窺うように泳がせていたのだ。殺そうと思えばいつでも殺せるし、捕まえようとすればいつでも捕まえられる。暁には、そんな余裕があった。

「今日はお前を脅す為に来ただけだ、うん」
「……随分と舐められているのね」
「殺してほしけりゃ殺してやるさ、いずれな、うん」

顔に投げつけられるようにして渡された下着に一瞬目を閉じて、それがぽとりと床に落ちた頃には、デイダラは既に私の上から退き、窓枠に足を掛けていた。外にはいつの間にやら彼のお得意の粘土で作られた鳥が待機している。それに乗ってアジトへ帰るつもりだろう。その背中を慌てて追いかけてきた私に、デイダラは今一度振り返ってその妖しく光る目を向けた。

「忠告しておくが」
「……なに」
「お前の行動は常に監視されている。お前の行動、言動、企み、全て暁に筒抜けだ、うん」
「……………」
「長生きしたけりゃ、その足りない脳みそに叩き込んでおくことだな」

こうなったら、私だってどこまでも逃げてやる。暁の手も届かない場所へ、逃げ続けて、そして生き延びてやる。これは私と暁の戦いだ。幼少期の頃に、近所の友達とやった鬼ごっこ。それを、こうして大人になった今、命を懸けてやることになろうとは。

「…あと、早く隠したほうがいいんじゃないのか」
「え?」
「丸見えだぞ、うん」

そっぽを向いたまま突き出された彼の指は、私の胸を差している。寝間着も下着もデイダラの手によって全て駄目にされたことを思い出して、私の甲高い悲鳴が響き渡った。身も心も休まらない、暁の連中に追われ狙われる生活が、始まりを告げたのだった。