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家から駅まで徒歩で約10分。走れば半分以下の時間に減らせるはずだ、と俺はひたすら足を動かし続ける。腕時計をちらりと見れば、電車の時間まであと2分。ぎりぎり間に合うか、間に合わないか。
ああ、もう。この電車に乗り遅れたって学校には遅れないのに、なんでこんなに走らなきゃいけないんだ。なんて思っても意味がないとわかっているけれど、このしんどさを紛らわせるにはそう思うくらいしかできない。
改札を通ると同時に、電車が到着するとのアナウンス。ぎりぎり間に合ったようだ。ふう、と一息つく。2両目の2つ目の扉の近く。幸村から指定された場所は、確かそこだったはず。いつもよりも1時間ほど早い電車に乗る。

「おはよう、蓮斗」

すぐに、幸村が挨拶をしてきた。おはよ、と返して幸村の隣に立つ。座席は満員で、残念ながら立っているしかないようだ。

「で、なんでこんな早い時間の電車に乗らせたんだ?」
「次の駅」
「え?」
「次の駅についたら、教えてあげる」

どういうことだ、と不思議に思っていると、電車ががたんと揺れて走り出した。そもそも俺がこんな時間の電車に乗ることになったのは、幸村からの有無を言わせないメッセージのせいであった。
『明日、この電車に乗って!』というメッセージとともに、幸村がいつも乗っているのであろう電車の時刻などが書かれたページのスクリーンショットが送られてきた。なんで、と訊いたのだが、明日教えるから、お願い!と返信が来ただけで、質問の答えは返ってこなかった。

「幸村、いつもこんな早い時間の電車に乗ってるんだな。テニス部は朝練も多いし、すごいよなあ」
「まあ、今日は朝練じゃないけどね」
「え、じゃあなんでこんな時間の電車に?」
「もうすぐわかるよ」

今日の幸村はやたらと焦らすな、などと思っていると、間もなく○○駅*というアナウンスとともに、電車が減速し始めた。いつもは携帯を触っていたり、音楽を聴いていたりしてあまり意識していなかったが、この駅はこんな感じだっただろうか。なんて今さら思う。
がたん、と完全に電車が停止して、俺たちがいる方とは反対側の扉が開く。学生、サラリーマンたちが乗り込んでくる。

「あの子」

幸村が肘で俺をつついて、そう言う。俺が首を傾げると、「髪が肩くらいで、ちょっとウェーブがかかってる子」と、詳しい外見の特徴を教えてくれて、それでようやく俺は幸村がどの子のことを言っているのかわかった。

「可愛い子だけど……あ、もしかして」
「あの子が、昨日話してた子」
「わざわざ見せるためにこの電車に乗らせたのか」
「そういうこと」

"あの子"は柔らかい雰囲気を持っていて、笑ったときにえくぼができる可愛い子だった。なるほど、あの子が親切に落とした定期を拾ってくれて笑いかけでもしてくれれば、確かに好きになってしまう気持ちもわかる気がする。

「あれ、あの制服……」
「どこの学校かわかるの?」
「妹が通ってるところ……かも。もし本当にそうなら、蒼高校だ」
「蒼高校……」

幸村が噛みしめるように呟くから、なんだかおせっかいを焼いてしまいそうになる。なにしろ、こんな自信なさげな幸村は珍しいから。

「蒼高校なら場所もわかるけど、行ってみるか」
「……うーん、行ってもあの子を見つけられるとは思わないから、やめておくよ」
「そっか。俺も妹に訊いて情報収集してみるかな。もしかしたら、偶然妹の知り合いだったりするかもしれないし」
「そうだったらラッキーだね。でも、そこまでしてくれなくても大丈夫だよ」
「俺がやりたくてやってるんだ。幸村の恋を応援したいな、って」

立海の王子さまだ、と言われている幸村が、普通の男子高校生と同じように恋をしている。今までだって、幸村を神の子だと特別扱いしていたつもりはない。が、やっぱりこんな風に年相応なところを見ると、幸村もこんな顔をするんだ、と意外に思ってしまう。

「あの子を見てるだけでも、幸せなんだ」

ぽつり、と幸村は呟いて、あの子を見つめる。好きな子を見ているだけで幸せ、だなんて不器用なことを言う幸村に、どうかこの恋が実らないだろうか、と柄にもなく神さまに祈りたいような気持ちになった。
勇者の背中は予想以上に小さくて




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