episode 4
星を掴むような
お話です

幸村くんが好き、なんて女の子はこの立海にたくさんいる。変わったことではない。私もその1人だった。優しそうで綺麗な顔立ち、透き通るような声。すべてが整っている、まるで王子さまのような人。もう白馬の王子さまに憧れるような歳ではないのに、本当にこんな人がいるんだって感動さえした。そう、幸村くんは立海の王子さまで、私のような凡人が近づけるような存在ではない。近づきたくないか、と聞かれれば答えはNOではないけれど、恐れ多くて近づけない。そんな存在だった。

3年生になって、幸村くんと同じクラスだとわかったとき、私は特になんの感動もなかった。同じクラスになったって、何か変わるわけではなくて、クラスメイトで話したことがない人だっている。幸村くんはきっとそういう存在になる。だから同じクラスっていっても、今まで遠くで見つめてきたのと何も変わりないと思っていた。
ただ、教室という狭い箱の中にいるせいで幸村くんとの距離は今までより近い。今まではフェンスに集まる女の子たちの、もっと後ろから彼を見ていた。それでも綺麗だと感じるほどに彼は美しかったから、私はたとえ幸村くんの細かな表情が見えなくてもなぜかどきどきしていた。
同じ教室に幸村くんがいる。幸村くんの表情が見える。笑ったり、困ったり、少し不機嫌だったり、知らなかった幸村くんの表情が見える。幸村くんでも不機嫌になることがあるんだ、と思ったとき私は彼をまるで神か仏のように見ていたことに気づいた。そんな彼でも私と同じように授業を受けて、宿題をしている。幸村くんが少し身近に感じて、私の信仰のようだった感情は1つの小さな想いに変わった。




そんな私が幸村くんと初めて話したのは、朱色に染まった教室でのこと。部活が終わったあとに忘れ物に気づいて教室に戻るとすでに幸村くんがいた。

「あれ、山崎さん」
「幸村、くん」

まさか誰かいるとは、それも幸村くんがいるとは思ってなくて、私は少なからず動揺した。小さな恋でも、恋は恋だ。何かロマンチックなムードが流れているわけでもないけれど、私はどうしようもなくどきどきしてしまった。幸村くんと2人きりの空間。こんなこと、もう一生ないだろうから。

「どうしたの」
「忘れ物して、幸村くんも?」

そう言ったあとに、幸村くんが花瓶を持っていることに気づいた。どう見ても忘れ物ではなさそうで、見ればわかるのに何を訊いてるんだって思われないかとはらはらした。それでも幸村くんは微笑みを絶やさずに、「実はそうなんだ」なんて言う。

「今日英語で宿題出てるのに、教科書置いてて。慌てて取りに来たんだ」
「あ、そうなんだ。幸村くんでも忘れ物とか、するんだね」
「そりゃあね。俺だってたまには忘れ物くらいするよ」

コトン、と棚の上に花瓶を置いて、これはついでなんだ、と誰に説明するでもなく言った。幸村くんに水を変えられて、花もどこか喜んでいるような気がした。なんていうのは恋をしている女の子特有の視点で、ましてや花瓶の中の花になりたいなんていうのは、少しも幸村くんとの関わりがない私の小さな願望だ。ささいなことでいいから、幸村くんと話をしてみたかった。

「英語って宿題とか小テスト多いよね。嫌いじゃないからまだいいけど、大変」
「嫌いじゃないんだ。幸村くん小テストの前でも余裕そうだったから、意外だね」
「余裕じゃないよ。俺ってそんな超人に見える?」
「見える、かも」

ふふっ、と幸村くんは笑って、机の中から目的のものを見つけ出す。幸村くんがその行動をするだけでまるで映画のワンシーンのようになってしまうのだから、不思議だ。私も思い出したように忘れ物を探して、それを見つけてしまったとき、この時間が終わってしまうのだと残念に思った。

「じゃあね、山崎さん」
「うん、また」

明日、と言おうとして、やめた。明日からはまた、幸村くんを見つめるだけの日々に戻る。こうやって話すことも、きっともうない。幸村くんは途中で言葉を止めた私を不思議そうに見つめて、「また明日」と言ってくれた。また明日、幸村くんは優しいからそう言ってくれた。それだけで、私はさらに幸村くんを好きになってしまう。幸村くんも小テストで苦労するんだ、とまた身近に感じて、また明日と言ってくれる幸村くんの優しさで、私はまた信仰のような感情を抱いて、どうしようもないほど好きだと思った。


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