episode 5
手をつないで
渡りませんか

失恋した。それはもう、派手に失恋した。好きだった人が他の女の子とつき合い出した。これは立派な失恋だ。アイドルを応援するような気持ちだった、と自分では思っていたのだけれど、いざ失恋してこんなに泣きそうになるのだから、私は私が思っていたよりも彼のことを好きだったのかもしれない。なんて、だからどうした、という話だ。私が彼のことをどれほど思っていても、幸せ絶頂の彼には届かない。
はあ、と大きなため息をついた私に近づく人影が、1つ。元気ないね、なんてわざとらしく話しかけてきたのは、立海の王子さまこと、幸村精市だった。幸村は私が彼を好きなことを知っていた。そして彼と同じ部活である幸村は、彼が部活のマネージャーとつき合い始めたことを知っているし、私が失恋したことだってもちろん知っているだろう。
元気なんてあるわけないでしょ、とまたため息をつく。

「そんなにため息ばかりついていたら、幸せが逃げるよ」
「放っといて。失恋したての乙女にはもう少し優しくしてくれると嬉しいんだけど」
「優しく、ねえ」

幸村は少し考える仕草をして、そうだ、と小さく呟いた。何か楽しいことを思いついたような顔をする幸村に嫌な予感がしつつも、何せ失恋したてでダメージを負っているから、あまりに気にする余裕がなかった。
幸村は私の隣の席に座り、私の耳元に顔を近づけてきた。驚いて離れようとするけれど、幸村はそれを許してくれない。元気出して、と囁かれて耳が熱くなる。

「何、するの」
「え、きみが優しくしろっていうから優しくしてみたんだけど、駄目だった?」
「優しくって、そういうのじゃ……!」

赤くなった耳を隠すように、髪を弄る。にこにこと楽しそうな幸村を見て、こいつは失恋したての私をからかって楽しんでいるのだと思った。性格の悪いやつ。きっと彼ならこんなことはしないのに。

「きみを選ばないなんて、あいつは見る目がないね」

慌てる私を見るのが楽しいのだろう。幸村はこの遊びを続ける。幸村の方はほんのお遊びのつもりかもしれないけれど、こっちからしてみたらそんなものじゃない。自分の顔が綺麗なことをわかっているなら、もう少し遠慮してほしい。そんな綺麗な顔が近づいてきたら、嫌でもどきどきしてしまう。失恋したー、なんて言って落ち込んでいるのに幸村にときめくなんて、まるで誰でもいいみたいじゃないか。

「俺なら、きみを悲しませたりはしないのに」

美しい人の口から紡がれる、甘い言葉。「やめてよ」と私が言っても、幸村は聞こえないふり。この距離で聞こえないはずなんてないのに。
「あいつよりも、俺の方がきみを幸せにできるよ」「きみは誰よりも魅力的な人なのにね」、幸村の口からたくさんの言葉が溢れ出てくる。それは、遊びというにはあまりにも刺激的すぎる言葉たちで、私の頭はとっくにフリーズ寸前だった。

「ねえ、幸村。いい加減にしてよ」
「俺を選びなよ、山崎」

また、聞こえないふり。

「もういいってば!優しくしてくれなくていいから、そういうこと言わないで」

幸村の言葉で心が動いてしまいそうになる自分が嫌だった。だから、思わず声を荒らげてしまった。幸村は、落ち込む私を元気づけようとしてくれていた、それはわかっているけれど。
幸村は少し驚いた顔をして、すぐに申し訳なさそうな顔をした。ごめんね、と素直に謝られてしまうと、私の昂っていた気持ちもどこかへ行ってしまう。

「私こそ、ごめん。八つ当たりみたいなことして……」

落ち込んでいたからといって、人に八つ当たりまがいのことをしていいはずがない。謝ると、幸村は優しく首を振った。

「きみが落ち込んでるところにつけこもうとするなんて、やり方が悪かったよね」
「うん……、え、つけこむ?」
「失恋したての弱った心につけこめば、きみが俺の方を見てくれるかと思ったけど……そういうやり方は通用しないか」
「えっと、いまいち言ってることがわからないんだけど……」

まだあの遊びは続いていたのか。いや、幸村はさっき謝ったばかりだ。だとしたら、幸村の言っていることは一体どういうことなのか。

「え、だって弱っていた心につけこまれたから怒ったんだろう?」
「いや、そういうことじゃなくて……幸村が、ふざけたことばっかり言うから」
「ふざけたこと?」

幸村は顔をしかめた。何のことだろう、と考えているようだけれど、幸村のその行動が、私にはよくわからない。しばらくして、幸村は「ああ」と思い出したように声を出した。

「そういえば、言ってなかったね」

忘れてた、とそんな風に笑ってから幸村は、「きみが好きだよ」と当たり前のように言った。

「だからさっきまで言ってたことは、ふざけたことじゃないんだよ。全部、本心だから」

言いたいことはたくさんあった。いやいや、そんなの聞いたこともないし、そんな態度とったこともなかったでしょ。そんなことを言いたい気持ちはあったが、幸村があまりにも優しげな、綺麗な顔で笑うので、私はもう何も言えなくなるのだった。

「それじゃあこれで、俺は堂々ときみを口説いてもいいわけだね?怒ってた理由も勘違いってわかったわけだし」

どこかすっきりした様子の幸村を見て、ああこれは何を言っても駄目だ、と察した。どうせすぐに飽きられる、と私は勝手に思い込んで深くは考えないようにした。




それから毎日のように口説いてくる彼を見て、私の考えが間違いだったことがわかる。すぐに飽きるどころか、学年が変わってクラスが離れてもわざわざ教室に来るのだから、幸村の一途さには驚くことになる。
やがて私が幸村に口説き落とされるのも、幸村の計画通り、というところだろうか。


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