丁寧に言葉を選んで
人生でいちばんおめでたい日。何年経っても嬉しい日。彼の周りに噎せ返るほどの人だかりができている。臆病者の私は、どさくさに紛れて渡そうと考えて書くだけ書いた手紙は手の中にある。そもそも、渡したところで彼は目をかけてくれるだろうか。たくさんある中のたった一つの手紙なんて、興味も惹かれないだろう。そんなことわかっているはずなのに、もしかしてなんてありもしないことを想像してしまう。
「ごめん!机ずれた…」
ぼーっとしていたら机が揺れる衝撃が来る。田中くんはわたしを見るなり不自然に言葉を途切れさせた。なんて声をかけていいか分からず、それとなく視線を向けると「あ、あぁ、なんでもない、とにかくごめん」とそれだけ言い残して、後ろに人がいんだよと集団の男子たちを叱責しはじめた。
これだけでも、大収穫だ。今日はこれだけで幸せである。
予鈴がなり、それぞれ散らばっていく人たち。田中くんの周りにはまだ人だかり。「樹〜ケンタ奢ってよ〜」「今日は俺が奢られる側なんだよ」とふざけ合いながら教室を出ていく。
そこから渡せるわけもなく、気づけば放課後になっていた。今時手紙っていうのもなんか古いよな。結局これは渡すことなく不完全燃焼となりそうだし、いっそのことこの場で捨ててしまおうか。そう思い、手紙から手を離そうとしたとき、
「ねえ、それまだ読んでないよ」
聞けるはずもなかった声に肩が跳ねる。なぜ、ここに。帰ったはずなのでは、と狼狽える。あまりのことに声が出せず、立ち尽くす。
「それ、捨てちゃうの?」
『え、あ、いや、だって』
「俺楽しみにしてたんだけどな〜、いつくれんだろって」
『み、えてたの?』
「チラッとね。それより、読ませてよ」
緊張で手が震える。田中くんは、急かすことなくただ眉尻を下げて微笑んでいる。ゆっくりと差し出すと、優しくわたしの手から手紙を抜き取った。
「今日でいちばん嬉しい、ありがとね」
『え、や、そんな』
「ほんとだって!ねぇ、ここで、読んでいい?」
『ど、どうぞ…』
まさか目の前で読まれるとは思ってなかった。もっと凝った内容を書いておけばよかった、と後悔する。恥ずかしくて田中くんから距離を取ろうとすると、「ここ座ってて」と隣の席を指差す。こんな幸福感を味わってしまったら、期待せざるを得なくなる。さすが、爆モテじゅったんと言われてるだけある。
がさり、と髪が擦れる音。ついに、読まれた。これをみて、どう思うんだろう。半目で田中くんをみてみると、手紙を持ったまま動かない。
『ご、ごめん、迷惑だったよね…』
「あー、いや、違う。そうじゃなくって、」
嬉しすぎてどう反応したらいいかわかんね、と手で顔を覆う。
便箋にはたった二行。お祝いの言葉と、彼の好きなところ。この二つを書いただけ手紙。何を書くか悩めば悩むほど書けなくなって、伝えたいことだけを書き留めた。
「あー、放課後まで粘ってよかった。俺、このまま帰ってたら後悔してたわ」
『なんで、そんな喜んでくれるの』
「そんなん、えりかちゃんのことが好きだからだよ」
『っ、』
「てかさ、やっぱ、直接祝ってほしいな〜」
そう言いながら、わたしをみる田中くん。
『お、お誕生日、おめでとうございます』
「ありがとう」
人生でいちばんおめでたい日。何年経っても嬉しい日。
***
「それで、俺の彼女になってくれますか?」『っ!?』「んは。返事はゆっくりでいいから、前向きに考えてもらえると嬉しいです」『……はい』
@ni_ko_9 icca. - 折句「あいしてる」