葬式の日から幾日が経った。遺品整理も終えて、随分と殺風景になった部屋を部屋の隅から眺める。
窓から入り込んだ夕日の明かりに照らされた部屋に、祖母の面影を感じて少しだけ心が痛んだ。

今日はもう寝てしまおうか。
そう思ったがふと気になってあの箱をまた手に取った。
鍵を開けてまた日記を取り出す。
その場に座ってパラパラと捲った。



――――
 六月一日
 もうあの人には会えない。
 そう分かっていてもあの寺に行ってしまうのだ。
 もう一目だけでもいい。あの人に会わせて。

――――
 六月七日
 あれは夢だったのか。
 あそこで過ごした全てを無かったことにしたくはない。

――――
 十一月十日
 もうだいぶ冷えてきた。
 彼は風邪などひいてなかろうか。
 きっともう私のことなど忘れているのだろうな。



祖母が神隠しから帰ったであろう日付までずっと、ずーっとその人のことが書いてあった。
これが夢物語だと言うのなら、あまりにも残酷な夢だと心が痛くなった。
その一年後、祖父と出会い愛されて結婚をしたと書いてあった。
私の母を身篭って、そこからは普通の日記だった。
だが、十一月十日になると決まってその彼のことが書いてあった。

 
――――
 四月二十日
 もう貴方には会えないみたい。
 最後に一目会いたかった。貴方に伝えたかった。
 私は幸せですと。
 貴方を愛し、夫に愛され、子にも孫にも恵まれた。
 私のことはどうか気にしないでと。
 ――――様。貴方もどうかお幸せに。


ポタ、と畳にシミができた。
自分の涙だと気づいたのは祖母の日記にその雫が落ちてからだった。私が零すよりも先に落ちていた雫のせいで名前のところは読み取れなかった。
この長い間、ずっとこの人を愛していたんだ。
大恋愛なんてもんじゃない、もう二度と会えないその人を慕うなんて私には到底出来ないだろう。
筆を持てなくなるその日まで彼を思い続けていたなんて。

大作の恋愛小説でも読んだかのような心への重み。ふぅ、とため息をついて日記を元に戻した。

明日は五月十日だ。
祖母が神隠しにあったその日。
祖母の日記に挟まれた写真には見覚えがあった。幼い頃よく連れていかれた寺だ。何も無い、人も大して来ないようなその場所に祖母は何度も通っていた。
ここがその場所なら、私が祖母の代わりにその人に想いを伝えられることが出来るだろうか。

そんなことを考えながら、私は仏間に布団を敷いて眠りについた。


翌日、いつも通り何となくで起きて朝ごはんをすませる。
祖母が神隠しにあったその日以降の日記と大事にしていたハンカチをカバンに詰め込んで家を出る支度をした。

『行ってきます』

仏壇に手を合わせ、祖母が買ってくれたワンピースの裾を翻して家を出た。


その選択を後悔したのは一時間ほど歩いた頃だった。
長い、とても長い道のり。
幼い頃の記憶を頼りに歩いたために何度も迷子になった。

『……あった』

ようやくたどり着いた頃には既に陽が傾き始めていた。
鳥居をくぐり境内を進む。
だが祖母の言っていた巫女は見当たらない。
やはりもうその場所へ行くことは出来ないのか。まぁ仕方がない。もう五十年程前の話になるだろうから。

帰り道は覚えているしそんなに急ぐ必要も無いだろう。
そう思って賽銭箱へと近づきお賽銭を投げる。どうか祖母の思いが彼に伝わっていますように、と鈴緒に手をかけようとしたところで背後から強く風が吹いた。

『え、あ……』

思わず振り返った先には巫女さんが一人立っていた。
視線が合うと彼女は優しく微笑んだ。

『あの、私』
「願い事を」

祖母の話をしようと口を開くと彼女は優しく微笑んだままそう口にした。
願い事、そうだ。私はそのためにここに来た。

"祖母の思いをどうか彼に伝えてください"

そう願って鈴緒を握り静かに揺らす。
その途端、地面が割れるように揺れ始める。

『え、地震っ』

その揺れに思わずしゃがみこむ。
巫女の方を見るが彼女は微笑んだまま立っているだけで何の反応もしていない。
やはり彼女はこの世のものでは無いのか。

「――――――」
『えっ?…わっ、』

彼女が何かを口にした瞬間、揺れが一層大きくなり思わず目を瞑って頭を抱えた。



しばらくすると揺れはおさまったので薄らと目を開ける。
そこに巫女の姿はなく、ただ先程まで見ていた景色が広がるだけだった。

『神隠し、ではないか…』

良かった、と胸を撫で下ろしたのも束の間、鳥居の先に広がる風景を見て愕然とした。
私が来た道ではない。
山のように鬱蒼とした木々。私が来た道はただ農道を横に入っただけのようなそんな道だった。
まさか、そんなはずは。
ただ祖母の思いが伝わりますように、と願ったのであって私が直接伝えなくても伝わるならそれで良かったのに。
それじゃダメなのか。

自分が祖母と同じく神隠しにあったことを理解するまでは早かった。
そして絶望するのも。

祖母は二日間彷徨い彼に出会ってどうにか生き延びた。
しかし私がそんな運のいい人間だとは思えない。
最悪伝える前に死ぬ可能性もある。

ここに留まっても最悪餓死。
ここから出て山を歩き回っても人に出会えない、もしくは山を下りられなければその時も死が確定。

運に任せることしか出来ない私は一歩鳥居の外へと足を踏み出した。