境界融和世界の幻門《ゲート》

第06話「前を見据えて」01
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「ふ、あああ……」
 大きく欠伸をして、肌がつっぱる感覚がないことに、鏡は首を傾げた。やがて昨日の出来事を思い出して苦笑いする。
 そういえば、自分で治癒の魔術をかけたんだっけ。御影にかなり心配されたから、彼女の目の前で。
 その御影はというと、そういえばどこで寝ることになっていたのだろう。疲れ果てて自分が先に寝てしまった気がして、辺りを見回してほっとした。
 悠里たちが使っているこの部屋の、介が使っていたベッドで小さく丸くなって寝ている。そのまま大きなぬいぐるみを持たせれば、小さい頃を再現できそうだ。なんだかおかしくて、鏡は笑いを堪《こら》えきれなかった。
「もう……ちゃんと体伸ばして寝ないと固まっちゃうのに」
 悠里は――椅子にもたれて寝ている。ソファは介が。自分たちに寝床を譲《ゆず》ってくれた二人に感謝しつつ、鏡は御影の背中にかかりそびれた毛布を掛け直した。
 安堵しきった顔にほっとする一方で、申し訳なさが込み上げる。
「三日間も怖い思いさせて……ごめんね」
 そっと頭を撫《な》でると、彼女は少しだけ身動《みじろ》ぎしている。起こしてはまずいかと手を放すと、鏡はぽかんとして、くすぐったくなって笑った。
 あまりにも無防備に、先ほどよりもさらに安堵した顔で寝ている彼女の手が、自分の手を握ってくれていた。
 
 
「グリーンアンバー――彼女は地属性ですね」
「アンバーってことは、琥珀《こはく》ですか?」
 きょとんとする御影の代わりに尋ねると、悠里から意外そうに目を向けられた。御影が持っていた輝石を鑑定したリトシトが柔らかく微笑んでいる。
「ええ。琥珀は濃い茶色を想像される方が多いのですが、このような黄緑色のものも、青いものやさくらんぼのような色合いのものも存在しているのですよ」
 介がへえと、不思議そうに琥珀を見下ろしているではないか。
「では、このグリーンアンバーは希少種なのでしょうか?」
「琥珀色のもの以外は、全体の産出量が少ないので希少種といえるでしょうね。特にグリーンアンバーは内包する物質がないほうが高価と言われています。彼女はもしや、とても純粋な心を持っていらっしゃるのではありませんか?」
 それには、介と悠里が深々と頷いていた。戸惑いながらも二人に声をかけきれない御影に、鏡は苦笑いを溢《こぼ》す。
「そうですね……御影はその、純粋すぎるかな」
「え、えっ……」
「お前が言うか?」
「それどういう意味かなあ悠里」
 冷めた目を兄貴分に向けると、今度は介から目を瞬《またた》かれた。
 ……何かしただろうか、自分は。
 リトシトが微笑《ほほえ》ましそうに笑んでいる。
「このグリーンアンバーは、アンバーの中でも特にヒーリング効果が高い種類です。どのような時でも、どのような人をも癒す石。肉体と精神を癒し、安定感をもたらします。その力においては、この石の右に出るパワーストーンはないと言われているほど、魂までリラックスした状態に導《みちび》く力を持っているのですよ」
「なんかわかるかも……」
「はいはいゴチソウサマ」
「悠里……っ」
 そういう意味じゃないと何度言えば……!
 リトシトがくすくすと笑っている。釈然《しゃくぜん》とせず、鏡はむっとした。
「よかったですね。悪い予感は、無事に外《はず》れたようで何よりです」
「……ううん、当たりましたよ」
 彼女がこの世界に来ていたと気づくまでが遅かった。その上あんな恐怖を味わう羽目になったのに。
 申し訳なく笑むと、リトシトは首を振っている。ローブがさらさらと、優しい音を奏でた。
「私が想像していた事態を回避できていたからこそ、今彼女はあなたの隣にいる――そう思います。この石は地属性のみならず、生命の属性と非常に相性がいいようですね。術の詠唱にも、『顕現』を用いるほうがいいかもしれません」
「いつもありがとうございます。それと――お願いしていた彼、その後の様子はご存知でしょうか?」
 介のやや強張った声音を、鏡は初めて聞いた。
 リトシトがおかしそうに微笑んでいる。
「本当に、あなたは人を思いやっているのですね」
「……買いかぶりすぎです」
「そうでしょうか。ご安心なさい、彼は今、現状に混乱してはいますが、元の世界に戻るために自ら動こうと勉学に励んでいるそうですよ。――自分を助けてくれた人たちを、いつか元の世界に帰すんだ、と張り切っていると伺いました」
 介が目を丸くしている。そんな彼を軽く小突いた悠里は、にやりと笑んでいた。
「へえー、よかったな」
「……君に憧れたんじゃないのか?」
「さあて、どうなんだろうな」
 鏡は御影と顔を見合わせて、ぷっと噴き出して笑った。
 リトシトにもう一度礼を言って部屋を出て、鏡は御影がさっと自分の後ろに隠れたことに生暖かい顔になった。
 そうだ。彼女にとっての最大の難関は――
「あああああああああ戻ってきたんですねっ、かわいらしいお姉様っ、石のお名前も是非是非教えて下さあああああああいっ!!」
「え、えっと、御影怯《おび》えてるから、その……ま、また今度にしてあげてください」
 ガレナに違いなかった。
 
 
 悠里が珍《めずら》しく、真剣に頭を悩ませていたのは街中でだ。御影は洋服店に目を留めては不思議そうに首を捻っている。介はというと、御影の極度の人見知りに扱いあぐねているのか、悠里をからかうことに終始しているではないか。それも途中で彼の話を聞く相談役になっているから、このコンビは不思議なものだ。
「だな。そろそろ考えねえとな……」
「――何か考え事?」
 振り返って尋ねると、介と悠里は顔を見合わせている。
 なんなのだろうか。
「そうだねえ……宿に着いたら、そろそろ身の振り方考えなきゃかなあ」
「――え?」
 もしかして、自分や御影をどこかに預けるということだろうか。
 このままではお荷物になる自覚はあるけれど……
「……もしかして僕らの……ですか?」
「うん? ああ、うん。それもなんだけど……ほら、おれたち見ての通り軽装だから」
 鏡と御影は顔を見合わせ、首を捻った。
 宿に着くまでに、御影用の服を全員で金を出し合って買うことになった。彼女が申し訳なさそうにするものだから、介が冗談で言った一言が強烈過ぎた。
 いや、言った言葉に対して御影の反応が強烈過ぎた、の間違いか。
「君が治癒術に特化してくれれば、本当このパーティ安泰《あんたい》だからね。癒しの術担当ってことで」
「は、はい、頑張って癒します……! 術以外でも頑張って癒します!」
 これだけずれた返事をされると、鏡でなくとも先行きが不安になった。
 宿屋についてすぐ、四人に増えたこともあって、すぐに部屋割りについて話し合った。凄く揉めた。介と悠里曰く、勝手に一人で騒いでいたのはお前だろと釘を刺されもした。
 確かに女性一人で寝させるのは、防犯上危険だと進言したのは自分だ。それで男三人の中に御影一人女子を放り込むのも酷だろうと介に指摘されたし、その通りだとは思う。
 挙句悠里からは
「じゃあ俺と介で一部屋、鏡と御影で一部屋。でいいんじゃね?」
「ふぁっ!?」
「ああ、それで行こう。そのほうが御影さんも安心しそうだしねえ」
「え、いやちょっと、僕!?」
「だって家泊めたんだろ。いけるいける」
「泊めたって言っても家族いたから、寝る部屋違ったから!!」
「鏡くん」
 介の目が冷めていた。顔色を窺《うかが》うまでもなく冷めていた。
「おれたちから見ても極度の人見知りの彼女が、君以外と一緒の部屋で心休まるわけないだろう?」
 それには反論の余地がない。うっと言葉を詰まらせた鏡は、必死に二の句を継《つ》ごうと口を開いた。
「で、でも」
「はい決定」
「なんでそんなに息ぴったりなの二人とも!!」
「お互いの平穏のため」
「ねえ」
「ねえじゃないでしょ!!」
「あ、あの……」
 不安そうな御影の声に、鏡ははっと振り返った。
 申し訳なさそうに縮こまっている彼女は明らかに怯えている。
「あ、あの……わ、私一人で、大丈夫、だから……」
「……」
 男三人で顔を見合わせ、悠里が生暖かい顔で御影を見下ろした。
「あー……さすがにこの世界に不慣れな女が一人部屋ってのはな……」
「だね。先日だってあんなに怖い目に遭《あ》っただろう? なのに、独りにさせるのはねえ」
 ……正論だった。ただ、それでも反論したいことが多々あるわけで……
 その反論も、不安げに見上げてくる御影を見るともう、心の内で萎《しぼ》んでしまった。
 悠里と介の言う通りだ。あんなに怖い目に遭った中で、独りぼっちがどれだけつらいか、想像に難《かた》くない。
「……わ、わかった……」
「大丈夫、君なら何も起こらないって知ってるから」
「だから御影と僕は付き合ってません!!」
 御影の頭が横に揺れた事実に、鏡の心がそうして折れたのも一時間前のことだ。
 現在の問題はと言えば。
 ……どうしよう。しばらく寝れそうにない。
 丁度隣の部屋が開いていたと、宿屋の主人に交渉した介の朗《ほが》らかな笑みをジト目で見やって礼を言った。先に荷物を移動させにいった御影を見送って、介はおかしそうに笑っている。
「変な意味じゃないよ。どう転んでも、彼女が心を開いているのは今、君だけだからね」
「けど……」
「あー……おれ直球に言うのあんまり好きじゃないんだけど。彼女相当無理してると思うよ。君といる時にしかリラックスできないんじゃないかと思って、君に頼んでるんだ」
 えっと目を見開くと、介は肩を竦めて鏡の肩を叩いてきた。
「君も、五日ぐらい前に体験したろう? 加えて彼女は、相当怖い思いを独りでしているわけだからね。まだ見ず知らずのおれたち相手に、そんな感情を出せないのは当然じゃないかな。部屋の中だけでも知っている人だけの空間がないと、彼女も、いつ心が潰れてもおかしくないと思うよ」
 口をゆっくりと閉ざす。
 そうだ。
 彼女は現状を飲み込めないままに攫《さら》われて、あんな目に遭った。人を信じられなくなってもおかしくないのに……。
 介が鏡の頭をそっと撫でてくる。強張った手に目を見開いた。
「だから頼んだよ。おれは昼食持ってくるから、後はよろしくね」
「――はい」
 ぎこちない手が離れて、のんびりと伸びをしながら歩いていく。
 悠里が肩を竦めた様子に、色々と納得した。
 介も人付き合いが得意ではないのだろう。そんな中でも他人を気遣おうと、慣れないことをしているのは彼も同じだったのだ。
「――悠里」
「ん?」
「僕、ちょっと荷物移動させてくる」
「はいはい」
 寝不足気味な欠伸をする兄貴分に笑って、鏡はこの五日間で増えた自分の荷物を部屋に移動させた。
「ありがとう」
「何もしてねえって」


ルビ対応・加筆修正 2020/11/22


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