境界融和世界の幻門ゲート

第06話 02
*前しおり次#

 ひらひらと手を振られ、鏡は素直に部屋の外に出た。与えられた隣の部屋にノックして入ると、外の景色を眺めている御影にぽかんとする。
 小さな窓からの景色は――昭和を思い起こさせる、平屋や二階建ての家ばかりの街並み。
「御影?」
「……異世界、なんだね……ここ……なんだか、不思議……」
 声が震えている。声をかけられず、鏡は押し黙った。
 介も悠里も、見抜いていたのに。
「御影――」
 パンッ
 通りのいい音に目を丸くする。御影の両頬を勢いよく叩いた彼女の手の平が、そのまま拳を固めているではないか。
 振り返った彼女は、潤んだ目にやる気をみなぎらせている。
「もう大丈夫っ。みんなで絶対、帰ろうね」
「……無理してない?」
 途端に困ったように笑う彼女は、小さく首を振った。
「泣いてたり戸惑ってたりしてたら、その間にこの世界に来て、同じ思いをする人がもっと増えちゃうもの。泣くのは、寝る前にすればいいこと、だから。現実世界で見かけた、ゲートって言ってた人たちも……ここで苦しい思いをして、やっと現実世界に帰ったのに、爪弾つまはじきにされて、怖がられて……こんなの、早く断ち切りたいの」
 
 君のなさすぎる覚悟で、これから先戦うのは向いていない。それでも戦うのはなんのためだい?
 
 介から突きつけられた言葉がよみがえる。
 御影はとっくに、自分とは違う形でその答えを決めて、前を向こうとしている。あれだけ怖い思いをしても、人に怯えても、やるべきことを決めている。
 ――勝ち負けじゃなくても、負けていられなかった。
「そうだね――僕も、もう決めたよ」
「え? 何を……?」
「秘密」
 荷物を空いているベッドに置いて、テキパキと収納先を選んでいく。きょとんとする御影を見上げて、鏡はぷっと笑った。
「介さんからの宿題が解けただけだよ?」
「宿題……?」
「うん。御影のおかげでね」
「え、ええ?」
 戸惑う御影に笑って、悠里たちのところへと戻ろうと提案した。素直に頷く彼女は、現実世界で再会した時のように、柔らかな笑顔を取り戻している。
 ――御影には言えそうにもなかった。
 こんな理由を言うなんて、恥ずかしいから。
 
 
「え、武具を買うって……あ、そういえば二人とも、あんな獣相手によく鎧もなく戦えてましたね……」
 途端に介と悠里の目が逸れていく。介に至っては乾いた笑いを溢していて、御影が目をぱちぱちとさせて首を傾げていた。
「おれは必要なかったからねえ……元々後ろだったし」
「嘘つけ、後ろでもいるだろ。二年もこっちにいてなんで考えなかったんだ?」
「魔術書買うほうが理にかなってたからだよ……一応、昔組んでたパーティのおかげでおれは被害なかったからね」
 少し引っかかるもの言いだったが、なんとなく彼から触れてほしくなさそうな雰囲気を感じ取って、鏡ははあと生返事を溢した。
 御影が昼食のパスタに嬉しそうに笑っていて、その顔をやがて不思議そうに傾げている。
「魔術書……私がこれから使う魔術も、載ってるんですか?」
「ああ、うん。君の分も後々買わないとね。まあ、当面の間は資金稼ぎだなあ。しばらくはおれのお古を使って。随分ボロボロだから申し訳ないけど」
「あ、いえっ。そんなことないです、ありがとうございます」
 慌てて頭を下げる御影に、介が驚いている。悠里が「それで」と、食べ終わった皿を物足りなさそうに眺めていた目を鏡に向けた。
「鏡、お前前に出る覚悟あるか?」
「――うん」
 頷くと、介がやや難色を示した。
 彼の言いたいことはわかる。それだけ、今までの自分が危なく見えたのだろうとも気づいていた。
 けれど先日の事件を見てきて、もう覚悟は決めている。
「悠里、久しぶりだし――後で稽古に付き合ってくれる?」
「へえ、いいぜ。お前から言い出すなんてな」
 にっと笑む従兄は相変わらず、悪役が似合いそうに見える笑い方だ。介が若干苦い顔をしたまま、パスタのつけ合せのサラダを見つめている。
「――やっぱりおれも、多少は戦う術を身につけたほうがいいかなあ」
「適材適所ってお前が言い出したことだろ。鏡の実力はさっきも教えたはずだぜ」
「……聞いてはいるけどね。本当にやれるのかい? 鏡くん。相手をするのは獣だけじゃないんだよ」
「介さん……」
 思わず笑みがこぼれる。きつい言葉を選ぼうとして、けれど彼のやっていることは心配だ。
 一度わかってしまうと後は簡単だった。鏡はくすぐったい思いを脇に置いて笑む。介の既視感を覚えたような引きつった顔を見ると、なるほど。やはり自分も悠里と血が繋がっているらしい。
「僕、二回も同じこと言うの好きじゃありませんよ?」
「――た、頼もしい限りだけど……ね……」
「心配してくれてありがとうございます」
「いやしてないから。残念だけどしてないから」
「そうですか? 僕や御影の心配してくれてるから、わざと現実見せるようなことばかり言ってるんでしょう。リトシトさんにだって見抜かれてるじゃないですか」
「あの人は……あ、あのねえ、年上をからかうものじゃないだろ普通」
「それ、介さんには言われたくないですよ」
「……そうだね。おれが一番言えたことじゃあないね」
 悠里が椅子の背もたれに寄りかかってまで、後ろを向いて肩を震わせている。
 御影が不思議そうに、おずおずと悠里に目を向けていた。
「悠里さん……笑ってる、んですか?」
 手を振って返された。鏡も介も冷めた目を向ける。
 介に向けて指を向けた悠里は、介の薄ら笑んだ目を見ていなかった。
 悠里が心の中で呟いた言葉を代弁しよう。
 ぷぎゃー、か。
「そういうところ、一番人のこと言えないよねえ君……」
「……ぶっ……ぷぎゃー」
「その指折ろうか。ねえ」
「もう悠里は放っておいていいですよ……」
「あ、あのっ」
 御影が目を閉じてまで出した張りのいい声に、鏡も介も目を丸くする。
 悠里がやっと笑いを鎮めて振り返ったも、途端に彼女に怯えられて生暖かい表情を浮かべている。
 恐る恐る一同を見渡した御影が伏し目がちに口を開いた。
「わ、たしも……戦う方法あるなら、習いたい、です」
 パスタの皿に、フォークが落ちる音がいくつか響いた。
「え、御影何言ってるの、危ないよ!?」
「ま、守ってもらえるの、嬉しいけど……任せっぱなし、は嫌だから……」
 フォークを持ち直した介が、そっとパスタをフォークに巻きつけている。明らかにパスタは滑り続けていて、フォークに巻きついていなかった。
「た、確かに、前の二人をくぐって敵が来ないとも限らないから、気持ちはありがたいけど……君じゃあ前に立つのはねえ……」
「そ、そうだよ僕守るから!」
「はいはいごちそーさん。けどまあ介の言う通りだな。不相応なもん無理に身に着ける必要はないと思うぞ」
「わ、私運動部です、前に出て戦えないなら、せめていなすぐらいは……できるようにならないとっ」
 思わず耳を疑ったのは悠里と介だった。鏡は聞いてたけどと苦い顔。
「ただバレー部……だよね」
「ば、バレーは甘く見ちゃダメだよ、ボール拾うの反射神経いるし、判断力も使うし……!」
「甘く見てないよ。けど戦いに活かせるかっていうと……僕も悠里も格闘肌だし、御影の能力を活かしたやり方はわからないんだ」
 だなと短く頷いた悠里は、ふと何かに気づいたように鏡へと目を向けていた。
「ただまあ、いなしを覚えたいってんなら、多少はいけるんじゃねえか。鏡ならある程度教えられるだろ。俺、五感と第六感に頼ってるところあるし」
「え、僕……? 悠里とバカ兄が追いかけてきたのけてただけでしょ……」
稽古けいこから逃げるお前も悪い。今黒帯取ってるし基礎はできてるだろ。ある程度でいいから教えてやっとけ」
 ――まあ、ある程度なら教えて損はない、か。
 確かに、万が一御影たちのところに敵が行って、彼女が動けない状態は非常にまずい。渋々頷くと、悠里はいい笑顔。御影は晴れやかな顔。
 ……なんだろう、この天と地の感情。
 介がやれやれと首を振り、野菜にフォークを刺して口に運んだ。
「――うん、野菜が美味しいと思ううちに皆食べよう。それで各々行動開始。――って、市場調査出るのおれだけか」
「あ、じゃあ僕も後で合流します。魔術書もだけど、どこに何があるか知りたいので」
「ああ、うんいいよ――」
「おいバカやめとけっ」
 血色を変えてまで制する悠里に、介が何事かと固まる。鏡が苦い顔を向けた。
「……大丈夫だよ」
「いや必死こいてる時以外のお前は道に迷うだろ」
「そんなことないよ、ちゃんとGPSだって使えてるでしょ!? 駅まで御影を迎えに行った時だって迷わなかったし」
「そりゃ歩き慣れてる道まで迷ったらお前の記憶力うたがう。お前介と合流するまでに何時間かける気だ?」
 あまりの言いように目を据わらせたのは鏡だった。御影が不思議そうに首を捻っている。
「鏡くん、昨日助けてくれた時……あの道、知ってたんですか?」
「二回は通ってる。GPS睨んでて、周りの景色ろくに見てなかったから辿り着けたんだろうが」
「じゃあ悠里。腕相撲して僕が勝ったら行くってことで」
 悠里の顔が引きつった。介が苦い顔になっている。
「やめておきなよ、鏡くん。悔しいのはわかるけど……おれが後で地図買ってくるから、おとなしく従っておいたらどうだい?」
「いえ、腕相撲なら悠里に負けたことないので大丈夫ですよ」
「ああそ――は?」
 目をまたたかれる。鏡は目を据わらせたまま兄貴分へと笑んだ。
 顔を引きつらせたままの悠里に鏡は笑みを消す。
「売られた喧嘩けんかは買うんでしょ? ――文句ないよね?」
「言うようになったなマジ……やってやろうじゃねえか」
 手をほぐす二人。けれど御影が頬をふくらませて一言言い放った。
「食事終わってないのに遊んじゃダメです!」
「……ア、ハイ」
 一気にやる気がそがれた二人だった。


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