「足元に気をつけてくれ」
川から少し離れたところを、流れに沿って上流へと進んでいく介。後ろをついていきながら、鏡は首を捻った。
歩きやすいのは川原のはずなのに、どうしてわざわざ少し離れたここを歩くのだろう。
かれこれ十分ほどだろうか。特に難所となるような場所も少なく、川原へと出てきた介は辺りを見回した後鏡たちへと振り返った。
やっぱり、川辺伝いに進んだほうが早かったのではないだろうか。難所となりそうな障害もほぼない地形だったのだし。
介らしくない動き方に、鏡はこめかみに指を当てて考え始めた。
もしかして……楽しみにしておいてほしいのは、事前に川辺を見ていたらわかってしまうものだろうか。
「着いたよ。みんな、この河原で
「あ?」
疑問符を打ったような悠里の声。そのまま川原の石畳で佇む彼とは反対に、御影は鏡の隣でちょこんと座っている。奏も辺りを見回していて、不思議そうに首を傾げた。
「明かり消すから、足元に気をつけるんだよ」
奏に発光の魔術を使わせなかったのは、介が自分で消すためだったのだろう。彼に返事を返した悠里は不思議そうで、奏も介へと振り返った。
「明かり消すって――わ……わあああ……っ!」
光が消える。暗くなった辺りを見回すよりも先に、滝の上で瞬く星空に目を惹かれた。
「すごい……!」
街中で星明りなんてほとんど見ることがなかった。あったとしても強い輝きを持つ星と月ぐらいだったのだ。
輝く砂をちりばめたような、こんなにたくさんの星なんて初めて見た。奏だけでなく、御影も、悠里も目を丸くして見入っている。
「へえ、綺麗なもんだな。まさかお前にロマンなんてもんが欠片でもあったとは」
「一応、これだけじゃないんだよ。今日流星群見れるらしいんだ」
「流星群、ですか!?」
「さっき求めたらダメとか言ってすみませんありがとうございますっ!」
「……いや、気にしてすらないんだけど……本当現金だな」
「そこまで下調べしてたのかよ……お前、ほんとロマンっての一応持ち合わせて……いや、こいつらのためか」
「聞こえてるからな。まだ流れる時間じゃないから、先にあっち見ようか」
「川? そっちにも何かあるんですか?」
介へと振り返ると、彼は輝石を確認し終えて滝の方面を指差した。
「川の奥のほう見ててくれ。滝壺に近いところだね。耳よく澄ませてないと聞きづらいかもしれないな――」
「音……? あ、なら音聞きやすくする魔術使いましょうか?」
そこまでしなくていいと介は笑って言う。促されるまま、滝へと耳を傾けた。
滝の上のほうは――月明かりを受けてだろうか。きらきらと青い光と、時折植物を透かしたのだろう緑の光を放って輝いている。幻想的で、神秘的な色が――
滝壺へと下る中でも、はっきりと滝のシルエットがわかる?
この暗さでそれを見るなんて、本当ならできるわけがないと気づいたのは、この辺りに全く光源がないからだった。滝壺まで水しぶきをはっきりと見られるほどに輝いていて、鏡は目を見開いた。
ポーン
ポーン
音叉を叩くような、不思議な音。
水の流れ落ちる音に紛れて、微かに聞こえる音は、滝壺の辺りから聞こえてくる。
川が、滝壺の辺りが光っている。青く、碧く。優しい緑を混ぜて、ほんのりと。
御影がうっとりと見入っている。鏡も滝壺から目を離せない。
「わあああ……!」
「わぁ……! 蛍ですか?!」
「お前にロマンだけじゃなくて風情まで……あ、いや、こいつらのためか」
「だから聞こえてるぞ。蛍ではないよ、よく見てごらん」
そりゃ聞こえるように言ってるしなと、悠里が茶々を入れている。肩を竦めた介が岸辺へと足を運び、水の中に手を入れるとすぐに戻ってきた。彼の手に握られたものが、微かに光を放っている。
苔と――透明な石?
どちらも程なくして、光を失ってしまった。それを川辺へと返す介は、鏡たちへと滝壺を示している。
「夜になると、この辺りの苔は水の中の毒素を吸収して変換させて発光してるそうなんだ。それに、透明で属性もない小さな魔石が共鳴して光ったり、音を出してるそうなんだよ」
「凄い……! あれ、でも魔石って、僕たちの体に異変が起きるんじゃ……」
「魔石で魔術を使ったり、魔力濃度の濃いものを取り込んだ場合はね。このぐらいなら問題ないよ。――キャンプの話をした時に、イドラ・オルムの民の人が穴場だって教えてくれたんだ。ここは地元の人しか知らない、良質な水場らしくてね」
「ほんと、楽しませるために下調べと計画はバッチリだったわけだな」
肩を竦める悠里に、介は珍しくくすぐったそうな笑みを浮かべていた。
「――柄にもなく、走り回りすぎたかもなあ」
嬉しかった。すぐに目が向く先が変わるぐらい、夜のこの景色は目を引いて堪らない。
幻想の世界で、何度も幻想的な風景を目の当たりにしてきたけれど。
「水の中に星が落ちてるみたい……」
「すごく綺麗……! どうして写真残せないんだろう……!」
「写真屋さん、あればいいのに……」
あればきっと、この景色を小さな紙の中に一部だけ保管して、何度も思い出せるだろう。それができないことも、スマホのカメラで夜の風景はほぼ映らないことも、十分わかっているからこそ、目に焼きつけていたい。
次にいつ来られるかわからないのだ。――いや、もう二度と来られないかもしれない。
帰るための戦いなのだから。
何より、戦いの中に身を置くということは、そういうことだから。
「さんきゅな、色々考えて準備してくれて」
「――どういたしまして」
むず痒そうな介の返事に、御影も奏も振り返っていた。居心地悪そうな介は、二人の嬉しそうな顔を真正面から見て固まっている。
「介さん、ありがとうございます」
「私も、ありがとうございますっ」
「……一人言ってくれるだけで十分だよ……」
「照れてる照れてる」
「うるさい。……慣れてないって前から言ってるだろ……」
「いい加減慣れろよ。一年この調子だったじゃねえか」
「あははっ、介さんらしいですよねー。あ、声大きくしてたら聞こえないか。……綺麗な音……」
ポーン
ポーン
延々と反響し続ける音は、水の音と共に、不思議なメロディとなって流れていく。
星空の下に広がる、水の中の星の川。輪唱がどこまでも続いて、水の中の天の川が青と碧と、緑を輝かせている。
滝壺の辺りは宝石を煌めかせるようにはっきりと輝いていて、水と空気、両方に恵まれた場所で苔の浄化が盛んなのだと分かった。
綺麗になった澄んだ水の中を、優しい光が溢れていく。
「そうですね……来てよかったです」
「ですね。――で、御影ちゃんとキスとかできたんです?」
「え、ええっ!?」
奏に小声で尋ねられ、鏡は一瞬顔が火照った。しかし必死に心臓を押さえて、奏へと声を抑えて言い返す。
「そ、そういう奏さんも進展あったんですか!?」
「わ、私の話じゃないですし! ……ない、ですけど……」
御影が不思議そうに鏡のほうへと振り向いて、首を傾げたようだ。会話の中身がばれたのかと背筋が冷えたが、彼女がすぐに川のほうへと目を向けて安堵する。
すぐに奏へとむっとしたけれど。
「やっぱり……! 人つつきたいなら自分が進展してからにしてください!!」
「き、気になっただけですし……! それに悠里さんはその……かなり気を遣ってくれてるみたいで」
この人はもう……っ!
思わず目を据わらせる鏡。溜息を溢しそうになる自分を必死に堪える。
エロ本を笑い飛ばせたり、男兄弟に揉まれて育ってきたという割には、奏は疎すぎる。御影は知らなさすぎて困るが、奏は知識があるはずなのに自覚がないからたちが悪いのだ。
「僕だって同じですからね……」
「そ、そういうものなんだ……んー、けどキスできてないんだ、風見さん。……頑張って!」
「奏さん!?」
思わず声が大になりそうだ。悠里が介と話しているからまだ、全員に聞こえずに済んだようなものだけれど、少なくとも悠里は絶対に今の会話が筒抜けのはずなのになんて地雷を踏み抜いていくのだろう。微笑ましそうに笑われても恥じらいの一つも出せない。
「あははっ、大丈夫でしょ……あっ! 流れ星!」
「え、どこですか!?」
御影がすぐに反応して顔を上げた。奏が無理やり変えた話題に、鏡は内心溜息をつきつつ空を見上げる。
「流星群、かな?」
「そう、かも……あっ、見えた! 初めて見ました、流れ星……!」
「私も!」
「もう見れる時間になってたのか。あっという間だなあ」
介が気づいたらしく、空を見上げてのんびりとした歓声を上げていた。やはり二年もいれば流星群を見る機会があったのだろうか。彼は懐かしそうに目を細めている。
悠里もまた、流れ星をいくつも見つけて見入っているようだ。
「時間が経つのは早いもんだな」
「都会じゃなかなか見れないもんね。流星って。でも星が見えるってことは、この世界も宇宙と繋がってるんだね……」
「本当だねえ。お、また流れた」
銀色の軌跡が、一つ、二つ。
やがて雨のように数を増して、切り取られたキャンバスの中を流れては消えていく。
「異世界だけど、同じ宇宙、なのかな……もしそうだったら、現実世界と、繋がってないわけじゃ、ないのかも」
「そうだね。似通っているところがいくつもあるし。繋がってればいいのに……」
繋がっていれば……いつか帰れると、確信できる。
帰れるだろうか。いつか……みんなで。
全員で。
御影がまだ興奮の冷めない顔で、頬を赤く染めて笑いかけてきた。
「繋がってると、いいね」
「うん。帰っても、いつかまたこの世界に来れるように……ね。この世界でお世話になった人に、これっきりっていうのもね」
「だね。帰っても、会えるといいなあ」
うんと、鏡は頷く。星空も、滝を輝かせる光も、しっかりと見つめる。
「でもその前に、元の世界に帰らなきゃね……」
「大丈夫」
ふにゃりと笑う御影の口癖に、鏡も笑んだ。
「きっとみんなで、帰れるよ」
「ううん、きっとじゃなくて絶対。絶対みんなで帰ろう?」
「うんっ」
御影が嬉しそうに笑っていて、目を細める。
「今日、すっごく楽しかったね」
「うん。また見ようね」
今度は、エルデさんたちも誘って。
この星空を、水の中の輝きを、みんなで――。
番外編「草葉の間の想い出」了