奏の言いたいことを綺麗に遮って、悠里が肩を竦めて返している。耳を疑って固まる介は、かすかに介が身を引いていて、鏡は微笑んだ。
「ありがとうございます。念入りに下調べして準備して下さってたんですよね?」
「……礼言われるようなことしてないよ。休日で来てるのにトラブルあったら逆に疲れるだろうって思っただけだしね」
「それでも、介さんがしてくれたこと嬉しいですから」
介がついに言葉に詰まった。悠里がにやりといたずらを思いついたような笑みだ。
「……ど、どうも……」
「おーおー、押されてる押されてる」
「うるさい……」
「肉焼けたぞー」
奏が食べると元気に挙手して肉をもらって、代わりに鏡が火の番をすることにした。入れ替わりながら、彼女は皿を手に座ると、咀嚼していた食べ物を飲み込んで首を傾げている。御影も少量肉をもらったらしいも、満腹で眠気が来ているのか目がとろけそうだ。
「胃相変わらずちいせーのな……それでも今日はかなり食べてるほうか」
「はい。不思議ですけど、いつも以上に入っちゃいました」
「それがキャンプの凄いとこだよな。介も肉全部平らげてるし」
「脂落ちてるから食べやすいんだよ。元々出されたらちゃんと食べてるだろう」
悠里の据わった目が介に向けられていた。
「あ、みんなお腹いっぱいになる前に言ってくださいね、オレンジゼリー持ってきてるから」
「い、いつの間に入れてたんですかそれ……」
少なくとも重たくなりがちな食材を持っていた鏡が点検した時は全くそんなもの見かけなかった。けろりとした奏は、手に網籠を持っているではないか。
「自分の荷物の中。網籠に入れて川で冷やせるから、冷たくできるしいいなあって思って」
「それもいつの間に……」
一方の奏の手には、手元には網籠と、その中に手作りだろうオレンジゼリーが五つ。
「え、今から冷やしてくるんですけど」
「えっ、今から!? 危なくないですか!?」
「明かりはしっかりとりますし、大丈夫ですよ。道も覚えましたし、今度はちゃんと靴履くから安全です」
「だからって危険なことに違いありませんから!! 悠里連れて行ってください!!」
「だ、大丈夫ですよ、本当に。それに悠里さんまだ食べてるのに……」
「危ないですから!! 悠里に絶対怒られますよ!?」
「そ、そんな危ない場所には入りませんよ!?」
「お前ら二人が行くのも十分危ねえっての」
釘を刺されて、奏がしょんぼりと気落ちしている。介が苦笑しているではないか。
「まったく。それならおれがやるよ。バケツ空いてるな――顕現せよ水。雫を集めよ。ここに生命の潤いをもたらせ」
水が川の方向から一筋やってくる。そのままバケツの中に流れ込んだ水は冷たそうで、LEDライトの明かりを撥ね返していた。手で水温を測る介はひとり頷いている。
「結構に冷たいし、これだけでも十分じゃないか?」
奏が気恥ずかしそうに笑って礼を言い、籠ごとゼリーを水の中に入れていた。鏡はじっと介を見上げる。
「エルデさんじゃないですけど、介さんってたまにほんとお父さんですよね……」
「……気のせいだっ」
「こいつら素直だから嘘つかねえと思うけど?」
ああ、また悠里がいじるネタを見つけたとばかりににやりと笑っている。不毛な言い争いが始まり、鏡は苦笑いを浮かべて――御影がゼリーを見て目を輝かせている姿に苦笑した。
「もう少し冷やしてからね?」
「うん、楽しみなの」
もう満腹のはずの御影は、デザートは別腹ということだろうか。ふと辺りを見回した彼女は目を瞬かせている。
もう辺りは木々の間が見えないほどに暗くなってきた。ここからでは東響方面は見えないけれど、きっと街の明かりも随分と消えて静かな夜となっているだろうか。
「随分暗く、なってきてる……あっ、星、もう見えてる……!」
「え? あ、ほんとだ。わあーはやーい!」
鏡も目を上げ、あっと丸くした。
木々の間から、ライトの照明にも負けずに輝く星々の明かりがそこにある。手が届きそうなぐらい、現実世界で見る星たちよりもその距離は近く感じられる。
けれど現実世界のそれよりも、位置は随分と違って見える。数だってこの世界の星のほうが多い気がする。
仮設コンロで燃える木のパキリと爆ぜる音が、肉や野菜の香ばしい香りが、頭上を覆う星空と共に不思議と心を満たしていく。
「やっぱり、日本で見るのとは違うなぁ……」
「たまに街道で寝る時、見てたけど……天の川の形も、なんとなく違うね」
「天の川なんて日本にいる時見たことないよ……雨とか曇りとかで」
「そうなの? じゃあ、帰ったら見なきゃ、だね」
そう簡単に見れるとは限らないけれど。鏡が苦笑していると、奏も懐かしそうに目を細めている。
「あー、そういえば東京からじゃ、天の川あんまり見れないなあ……」
「俺も都会育ちだから見たことねえな。後鏡が言うように曇りとか雨ばっか」
「じゃあ現実世界に戻れたら、このメンバーで天体観測ですかねえ」
「なら夏休み利用して北海道に来てくれれば案内するよ。キャンプ場豊富だし、コテージ借りてもいいだろうしね」
「さすが道産子。そん時は任せたぜ」
また見れるだろうか。このメンバーで一緒に。
北海道に行ったら、なんとなく食べ歩きツアーのようになりそうだなと感じて、鏡はぷっと笑った。幸せそうに食べる奏に悠里も介も、おかしそうに笑うか苦笑している。
「ほんと、よく食うよな」
「美味しいんですもんっ。今日は沢山動いたんだから、ちょっと食べ過ぎてもいいでしょ?」
「ま、今まで頑張ったご褒美ってことで奮発したしな。食ってくれなきゃ俺も困る」
「やったあ!」
「残りは明日か……火の始末今のうちにしようか。万が一があると危ないし、少し休憩したら移動しようか」
火が消えていく。途端に顔を覗かせる星明かりに、御影も奏も喜んでいる。鏡はぽかんとして、冷風を魔術で起こして消火する介を見やった。
「移動ってどこ行くんですか?」
「最初に言ったろう、楽しみにしててくれって」
「これ以上楽しみにすることがまだあるんですか!?」
「まあね。時間も丁度よくなってきたし、一時間ばかり待ってれば見れると思うよ」
おかしそうに笑う介へと表情が晴れていく。奏が首を捻り、怪訝そうにしている。
「一時間ですか……? でももう少しで移動するんですよね?」
「見るのは二つだからね」
「二つ……?」
楽しみにしておいてほしいものが、二つもある? なんだか介にしては珍しいような気がする。彼からそういった提案があるなんて、滅多にないのだ。
悠里の目が若干疑っている。介からの提案で全員が喜んだものと言えば、遺跡に行くという話と、休暇と……そのぐらいだった気がするのは鏡も同じだった。
サプライズというものから一番縁が遠そうにも見える彼が、楽しみにしておいてほしいこととは、なんだろうか。
「介にロマンは求めちゃいないが何があるんだか……」
「大当たりだけどねそれは。動けそうになったら教えてくれ。移動するのに安全なルートは確認済みだから」
相変わらず抜かりがない。奏がふと思い出したように、冷えたゼリーを御影たちに配りながら口元に指を当てている。
「でも二つ目の遺跡、最奥の部屋凄く綺麗でしたよねー」
「昔の仲間には好評だったけど、おれ星見慣れてるし人工物だろって思ってたよ」
「……求めちゃ、だめでした……」
「介にロマンはねーだろうな、全く。センスも壊滅してるしそっち方面じゃなさそうだけど。服のセンスもひでえままだしな」
「どうせ頻繁に破れるんだから最低限でいいだろう」
「ローブ脱却してくれただけマシってだけじゃないですかー……」
「それな」
「マシになったならいいだろ。年がら年中長袖着てないんだからもう文句は言わせないぞ」
「着てたんですか? 暑苦しいー……」
「一言一句変わらないな、さすが兄妹だよ」
これだけ暗くなっても、明かりからさほど遠くに離れていない介の白けた目ははっきりと見えた。
「薄手とかシャツとかならいいんだろうけどどうせトレーナーにジーンズとかだろ……」
「さすがに夏場でそこまでは着てないよ。シャツで留めてたさ……」
「長袖、夏でも着てる人はいますけど……」
「子供の頃からずっとそれだったんだ、違和感持たなかっただけだよ」
そうは言うが、介は日焼けを気にするような人ではない。肌は白いが草負けをするほど柔な人でもないだろう。
そもここの草刈りをしてくれたのは他でもない彼だ。今でこそ半袖を着ているということは、それまで長袖を着なければならない理由があるはずなのに。
何か、隠していたのだろうか。介の手首に大量に残された点滴痕もその理由の一つなのかもしれないけれど……。
「……もう、夏場でも着る必要……なくなったんですよね?」
「ああ、もう必要ないよ。心配しなくても大丈夫だ」
「なら、よかったです。介さんそれでなくても暑さに弱いのに……」
一瞬介が固まった。乾いた笑いを浮かべる彼を、心配を隠せないまま見上げる鏡は、ゼリーを食べ上げた器を彼に持って行かれる。
「しれっと毒吐くな君は……」
「へ、毒?」
「熱中症になるまで耐えてたわけじゃないし、北海道は元々涼しいほうなんだ。学生時代に長袖しか着てなかったってだけだよ」
「つまり長袖着なければいけない理由があったわけでしょう? 女子が日焼けしたくないって理由でそうするのはわかりますけど、介さんそういうの気にしないだろうし……」
「……まあ気にしないけど、今は着る必要なくなったから大丈夫だよ」
「そう、ですか……また、話せそうなら話してくださいね?」
「そんな深刻なことじゃないから大丈夫だよ……悠里は何笑ってるんだ」
えっと目をやると、悠里が腹を抱えて声を出さないようにしながら笑っている姿がしっかりと見えた。手をひらひらと振る悠里は喋ることができないぐらい笑い転げている。
しかし、そうやって話を逸らそうとする介の魂胆は見えていた。
「介さんの深刻じゃないは、悠里と一緒で深刻ですから」
ぴしゃりと言い返すと、彼は目を細くした。
「本当に、そこのバカ笑いしてる誰かさんと違って、ひどい訳でもなければもう区切りもついてるよ」
そうとは思えないのに、彼は言う気はないようだ。自分が気にしていないものをこれ以上つつかれてもと言いたげな困り顔に、鏡は不服を顔に書いた。ついでに向こうで食べている悠里の笑い声がうるさい。
「悠里さん大丈夫……? 今ならラマーズ法でボケられても笑いそう……」
「へーき……! いやぁ、無自覚の毒と鏡には弱い介見てたらついな……!」
「悠里……独り淋しく飲むならどうぞ」
「あ、その時は私混ざりたいです」
「まだ未成年だろ!!」
「お前は未成年!!」
「え、ちょ、もうすぐ二十歳!! あ、笑い治まった」
「君が爆弾発言多すぎるんだ!」
「悠里さんの笑い止めてほしかったんですか、止めてほしくなかったんですか、どっちなの」
「おれが悪いのか今の!!」
収拾がつかないいつもの光景に、鏡は苦笑いを浮かべた。御影はくすくすと笑う。介が呼び寄せた川の水で簡単に調理道具を洗う奏は、悠里に一方的に火花を散らす介に笑った。
「移動するなら早めに動きますー?」
「そうですね。行きましょうか」
「行けるなら行くよ……なんでこうなったんだ本当に……」
「介さん、ちょこっと自分のこと、棚に上げてます……」
「一部そうだとしてもおれが全部悪いわけじゃないだろ!」
ついに御影に対しても吠えた介だが、珍しく御影は怯えていなかった。どうやら介の心境を見抜けているらしく、そんなに怒ることじゃないと思うけれどと言いたそうな目で見上げているのだ。悠里が笑いを押し殺しきれず、名残を遺した顔で「はいはい」と声をかけている。
「久々に介いじりもしたことだし行こうぜ」
ああ、介の苛立ちがたまっていく。
「えっと……移動するんですよね? どっちにいけばいいんですか?」
「あっちだよ!!」
先頭を突き進む介の足がいつもより早い。普段のんびり歩く彼は、ストレスがかかっている時とそうでない時がよく分かるようになってきた。
「介さん、いつも以上に、元気……だね」
御影が苦笑するほどに。悠里はけろりとした顔で肩を竦めているけれど。
「自然は心を開放的にさせるからな、それでだろ」
悠里……。
元凶は、口閉じてたほうがいいと思う。