晴れてる。
別になんてことはない。青空だ。小学生の頃、運動会で歌わされたような白い雲がぽつぽつと転がっていて、
もう八日目だ。雨はまだない。
もう一度あの土砂
雨はまだ、来ない。
テレビで予報を見ても、スマホのニュースを確かめても、明日も雨はないって言う。
灰色しかない
雨が来れば、また会えるのに。
夕方に抜け出せるチャンスはきっとあと一回だ。夕立ちだっていい。あの時間に雨が降ってくれればそれでいい。
サラリーマンたちがくたびれたスーツとしつこく浮かぶ汗でぐったりした姿も、もう何度も見た。今日はちょっと髪が薄くなって、同じバス停にくる女子高生たちをうるさそうに見ている人だ。ご
――よかったね。僕が探してる人じゃないけど。でもよかった。
入道雲は見えなかった。それでも、あの人が来るかもしれなくて。待ちきれない。
「また今日も空を見ているねえ」
隣のベッドのおじいさんだ。声をかけられて、僕は声を出せないままに頭を下げた。
別に悪さも粗相もしてないからか、とても気に入られているみたいだ。ちょっと
「今日も雨は降らんとさ。
「そう、ですね」
「
「
「父ちゃんか」
「ううん」
「母ちゃんか。それともじいちゃん、ばあちゃんか」
「
「うん?」
「……僕も名前、知りません」
力弱く、からからと笑われた。
「どこに住んでるのかも知らんのか」
「知らないです。でも、雨降ったら、また来てくれるから」
「そうかそうか。じゃあ普段は自転車なのかもなあ」
あっと、僕は目を丸くした。後ろからおじいさんが重たい
「そこのバス停だろう。どんな人だ?」
「多分、社会人。雨の日だといつも、バス待ちながら絵描いてる人」
「男か、女か?」
「うーん、遠目だけど、スラックス
「スラ……なんだ、ズボンか?」
「スーツの、ズボンです……」
たまに感じる、世代のずれ。きっとこの人だって履いてきた経験はあるはずなのに、言葉が通じないのはちょっと困る。
おじいさんは薄茶髪になった薄い髪を
「この辺じゃあ会社は少ないな。病院関係者なら、坊主が出てくるところを見とろう」
「見たことないです」
「うん。なら、スーツを着るような会社の人間ってことだ。そこのビルの中かもしれんな」
「あそこにいる……?」
「入口で待っていれば、もしかしたら会えるかもしれんな。退院できたら会ってみなさい」
「……ありがとうございます」
おじいさんがベッドに戻っていった。重たい足取りで、体を動かすのもまだ
おじいさんがいつもの日課で、またテレビをつけて見始めた。パジャマの
雨は、まだ降りそうになかった。
きっと、雨の日じゃないとわからない。
だってあの人は、スケッチブックに絵を描いていた。いつもこちらを見上げて、手を振ってくれて、振り返すとまた、絵を描いている。
絵が完成したら、こっちにかざしてくれるけれど、どんな絵かわからない。
あの絵が知りたい。白い紙に走った黒の線が何を形作っているのか、見たい。
雨が降ってくれれば。
今日も晴れ。
翌日も晴れ。
翌々日も。次の週になっても。
天気予報はおじいさんの机から流れてくるニュースでわかる。
てるてる坊主なんて子供っぽいだろうか。屋上に行って雨が降るかどうか、確かめてみようか。まだ検査の時間じゃないし、トイレに行く振りをしたらきっと、
「ああ、坊主」
またおじいさんだ。ここのところ、ちょこっと咳き込んでいて、大丈夫かなって、僕は顔を上げておじいさんを見やった。
「もうすぐな――雨、降るぞ」
「えっ」
空は青い。入道雲なんてない。
梅雨だって言うのに降ってくれない雫を探して、僕はもう一度おじいさんを見やった。
「なんでわかるの」
「長年の
塀の向こうを見やる。塀のそばの、ちょっとくすんだ緑たちには目もくれないで、もっとその先を。
――大抵の人は傘なんて手にしてない。空を気にする人はいても、
「ううん。いないよ」
「そうか、みんな
「天気予報じゃ今日も降らないって言ってたって、おじいさん言ってましたよね」
「ところがな、降りそうだ」
なんだか変だ。おじいさんがおかしそうに笑っていて、僕はそっとスマホの天気予報のアプリを見た。
晴れのマークがつらつらと
「天気予報はな、昔は三割しか当たらんと言われてたんだ。ところが今じゃ、七割だとか八割だとか、とかく上がってるなあ」
じゃあ、当たらないんじゃないか。そう言おうとしたら、おじいさんはいたずらっぽく笑って、お腹を撫でている。
「ところが、天気予報士と同じぐらい、いい命中率もあるもんだ。ようっと、外を見てごらん」
外をじっと見下ろした。スマホの上の晴れマークは暗く消しておいた。
窓の雨汚れが気になるぐらい、ずっと見つめ続けた。
バス停に人が増えた。バスに乗って去っていく。降りる人は――一人二人、いるかどうかだ。
バス停にはまだ人がいる。人が次々、向かい始めてくる。いつもあの人がくる時間は、もうすぐのはずだ。
雨の音も、降りそうな雰囲気だってない。またバスが人を乗せに来て、去っていく。
また人が来た。
バスが来た。人を乗せて、去っていった。
バスが来た――
「あ」
バス、濡れてる。