傷つけちゃったんだ。
僕の勝手な行動のせいで、嫌な思いをさせてしまっているんだ。
もう、頭を上げられなかった。
「……ご、ごめんなさ」
「ごめんね、
え。
何を言われたかわからなくて、僕は体が
「
僕にじゃ、なかったんだ。
スケッチブックを取り出される。恥ずかしそうに。
「それと、絵を描いてたわけじゃないんだよ」
ちょっと
『うじうじするな!』
恐る恐るお姉さんを見上げた。お姉さんは
――ページを、
『この間はごめんね』
『またお
はらりと。
『絶対なんとかなるよ』
もう、一度。
『リハビリお疲れ様』
次を――
『今日は元気?』
『もう一社受けるよ』
『夕飯食べた?』
『一緒に頑張ろう』
『次こそ受かる!』
『今日も頑張ったね』
『もう怒ってない?』
『今度は色紙持って行くね』
『ごめんねでもまだ
一緒に頑張ろう』
字がぼやけた。
どうしてこれを書いたのか、なんて、聞かなくてもわかった。
黒が心を書かなくても、白が後ろから語っている。
お姉さんが僕を見た時の、あのぎゅっとしわになった
見てほしかった人に、願いを込めてたんだ。
そっと差し出されたハンカチを、
「こんなの見せるの、やっぱり恥ずかしいな……」
「ううん。お姉さん、かっこいいです」
お姉さんは何も言ってこなかった。今日も
パジャマの裾で水を吸おうとしても、パジャマのほうがぐしょぐしょだ。申し訳ないまま、
「ありがとう、ございます……」
「こっちこそ。でも、かっこいいなんて言われるようなことじゃないよ」
お姉さんは凄く、苦しそうな笑顔だ。僕はううんと首を振った。
「きっとその人、もう怒ってないと、思います」
僕だって、遠くだったからこの字は見えなかった。
だけどこの人が見せようとした人も、見えなかったわけじゃないと思う。
「お姉さん、雨の日ずっとここで、スケッチブックを掲げてたんですよね。きっと、その人も見てると思います」
僕だったら。
なんて書いてあるか、気になった。その人だってきっと。
「持って行って、見せてあげてほしいです」
「けど……」
「僕は嬉しかったです」
お姉さんがぎょっと驚いた顔をした。
「僕、今日スケッチブックを見せてもらって、凄く嬉しかったんです。だからきっと、その人も嬉しいと思います。見ないより、見るほうがよかったって言うと思います」
「怒らせちゃったんだよ? 私がひどいこと言ったせいで」
「ずっと怒るほうが、
まっすぐ見上げて、お姉さんの眉がきゅっと寄ったのを見て、あって僕は肩が竦んだ。慌てて言葉を探して、目が道路のあちこちを見てしまう。
「あの、その、他人な僕が、言うなんて、その……」
「ありがとう」
お姉さんは僕の肩を優しく叩いてきた。お姉さんの黄色と白の傘がパンと開く。
「うん、行ってみる。うじうじするなって自分で言ったんだもんね。君も病院に戻ろうか。
雨音が嘘みたいに耳に入らなくなって、お姉さんのくすぐったそうな笑顔に僕も笑った。
「はい!」
病院までの道は、行く時よりもドキドキとはしなかった。
ただ嬉しかった。
その夕方。スケッチブックを掲げ続けたお姉さんと、たった一歩の勇気をくれたおじいさんと、ただ待って見ていただけの僕の世界が、変わった。
僕らを見ていただけの人は、患者が外に飛び出して、とか、パジャマ姿で外に出て、とか、きっと怒っただろうな。でも、ちょっとだけ、みんなとは違う時間があって、僕らが少し変われたなら、それはただのバカなお遊びじゃない。
そう、胸を張って言える。
このバカなお遊びに、違う言葉をいつかつけられるなら。僕は多分、もっと大きな声と自信で、こう言うんだ。
たった一度だけの、かけがえのない経験です。
だって、きっともうできないと思っていたことに、もう一度挑戦しようって気持ちが戻ってきたんだから。
諦めるな! って言葉が。
一緒に頑張ろうって応援が。
僕に向けてじゃなくても、胸にズドンと来たから。
それでも、病院の入口で待ち構えていた先生たちに怒られる時、お姉さんが一緒に
先生からの検査が終わったら、お姉さんが病室の近くで立って待ってくれていた。親指を上に立てて、今日一番の飛びきりの笑顔で
僕の同室のおじいさんが、お姉さんの
紺色の折り畳み傘を返した。おじいさんの手にあったスケッチブックを見て、僕はちょっと、胸を張った。
一緒に退院しようなと言ってくれたおじいさんの目の皺はいつもより数が減って、顔を出した
あと、お姉さんから言われたことは。
次は医者にも言わず、パジャマで飛び出さないように。
エブリスタ投稿作品
平成30年6月 完結