Under Darker

 第3章夢幻の交響曲

第18話「紺碧の鏡」01
*前しおり次#

 はっきりと、クリアに耳に届く不良口調。
 愕然とする隻たちの目の前、鳥居の出口≠ゥら現れた黒髪の少年は茫然と千理を見つめていた。
 着物は荒波紋様を用いた紺碧の衣装。黒い袴がぐっと印象深く映えるのに、戸惑う顔はその紋様や格式高そうな衣装とはかけ離れた幼さまで見える。
 それほど、見覚えのある姿で。
 千理が愕然とその少年を見やる中、少年のほうが自分の目を疑いながら口を開いた。
「千理……? なんで……本当に千理か……?」
『主、ご足労様です』
 武討がすぐさまひざまずいた。悟子も自分の目を疑ったまま、武討が主人と呼んだその少年を凝視している。
 更紗だけは、複雑そうに笑って手を振った。
「久し振りですね」
「……あ、おお。なんでてめーまでここにいるんだよ」
 意表を突かれたのか、ぎこちない言葉の少年に、千理は信じられないと自分と手を繋ぐ少女を見やるばかり。
「ちょっと、千理くんと間接的に知り合いなのと……翅と友達だから。――やっと、皆真実に辿り着いたよ」
「……話飛んでんぞ。何が言いてーのかはっきりしやがれ。あとなんなんだよこの幻実げんじつり今までこんな場所話にも聞いた覚えがねーぞ」
 更紗は、力が抜けた千理の手から自分の手を離して、少年の傍へと近づいていく。武討の近くで隻たちへと振り返り、絶句する一同を見渡した。
「本当の彼はこっち――あっちは偽者なんだよ」
 悟子が拳を固めて、俯いた。
 千理はただ、ひたすら信じられない様子で少年を見つめるばかりで。
 少年はしばし黙ったまま、一度だけ目を伏せた後毅然と千理に目を合わせた。
「本当に千理なんだな……そっち、何年経った?」
「――え……」
「オレが死んでからだよ。何年経ったんだ」
 千理の顔が歪んでいく。拳だけが、固まっていく。俯く目はきつく閉じられ、食いしばった歯から漏れた真実ほど、残酷な響きはなかった。
「……十一年……っ」
「――そか。経ったそれっぽっちかよ、まだチビのまんまじゃねーかてめー」
 苦笑する少年。千理の肩が震えても、それ以上は何も言わない。
 隻たちへと目を向ける彼は、気まずそうに頬を掻いている。
「あー……てめーらはオレのこと知ってんのか」
「――ああ」
「なら話は早えな。自己紹介とか固っ苦しいのしなくていいなら楽いぜ」
「いや、してほしいんだけど……自己紹介」
 空元気な翅の突っ込みに、少年はげんなり顔で「面倒くせえ」。
「海理・N・レーデン。これでいいだろ」
「完結的だなー……」
「なんだよ、ゲームのステータス画面よろしくだらだらプロフィール言えってか。面倒くせえんだよ一々名乗るの。幻境じゃあ会う奴に一々名乗ってるだけだるいんだよ」
「そんなものじゃからのう」
 頷く標はしかし、むぅと苦い顔になっている。
「ぬかってしもうた……本当に坊が本物ならば、今頃わしらの体は危険じゃ。もうちょっと獣らしく考えるべきじゃったか……」
「ど、どういう意味だよ」
 隻が尋ねると同時、悟子が悔しげに「少し考えればわかりますよ」と斬り捨てる。
「ぼくらの体を乗っ取れば……何ができますか」
 目を見開くのは隻だけではない。結李羽は不安げに海理を見やる。
「あ、あの……なんであっちの海理さん……偽者が、十一年間も現実のほうにいられたんですか?」
「――確認しながら、それを本人の前で言うのは……ちょっと残酷過ぎるよ」
「構わねー」
 海理と名乗る少年が、すっぱりと言い切った。更紗は驚き、海理は十一年前と変わらない容姿のまま、千理へと静かに目を向けていた。
「今が言うべき時だ。じゃなきゃ、こいつらが来てくれた意味がねー」
 いまだ信じられないと告げる、その顔の主へと。
 海理は近づいて優しく笑いかけ、普通なら痛いと言ってもおかしくない力加減で強引に頭を撫でた。
「こんのチービ。なんでオレの身長抜いてねーんだよ、覚悟して損したじゃねーかターコ」
 目を見開いた千理はただ、訳もわからず頬に涙を落とし続けた。
「……本当に、兄……?」
 一度だけ、手が止まって。
 顔に影を落とした少年はしかし、千理が見上げる前には呆れた顔を貼り付けていた。
「あいつが偽もんならこれは知らねーんじゃねーか。――海浪月かいろうげつ!」
 武討が腰に差していた刀から水が溢れ、刀の姿が消えた。
 青龍を思わせる水の龍が、海理と千理を取り巻いて静かに見下ろしている。愕然とする千理は龍を見上げ、海理を見やった後龍を指差している。
「え!?」
「てめーも知らねーだろ。海浪月の新設定だよ。ずっとどういう幻生なのか深く決めてやってなかったからよ、本設定版だ」
「いやまっ、はああ!? 兄あれだけ『海の刀』って連呼してたくせに!? 決めてなかったんかい!!」
「ガタガタうるせーな吊るすぞ」
 首を。
 親指を首元で一閃させる少年に、千理がぴしりと固まっている。直立不動の体勢に、悟子も隻も頬が引き攣る。
 容赦ない。偽者だろうが本物だろうが、どう転んでも容赦がなさ過ぎる。
 砂利を踏みしめる相次郎はしばらく考え込み、千理へと目を向けた。
「おい、一度向こうへ戻ったほうがいいんじゃねぇのかい」
「へ!?」
手前てめぇの弟だろう。あいつが急いで戻ったのはこのことじゃねぇのか」
 海理が目を丸くして千理を見下ろした。千理も口をつぐみ、しばらく微動だにしなくなる。
「――いや、俺たちはこっちで敵討ちだ」
 一気に、水を打ったように静まり返った。断言する隻を見ている中で笑うのは標だけだ。
「戻ったほうがいいだろ」
「戻るよりやることがある。あっちには誰がいると思ってるんだ」
「……信用してないわけじゃないけど、俺たち全員分の体が今動けない状態だろ。それでもし、誰か一人に敵が集中したらいつきたちの連携崩れるんじゃないのか?」
「任せるって言ってきてるんだぞ」
 きっぱりと言い切る隻に、翅はわずかに口を開いて、黙る。
 声はぶれているくせに、瞳はぶれないように、真っ直ぐ見据えてくる色ははっきりとんでいる。
「――わかった。本当にいいんだな」
「ああ。それに万理が行ってるなら、誰も悪いことにならない」
 どういう意味かと顔に出していた翅が、やがて苦笑していた。
「それ、似た者同士だから言えるセリフ?」
「っていうか……あいつもレーデンの血だろ」
「へ?」
「ああ、納得」
 千理の不思議そうな声にかぶせて、翅はふかぶかと頷いていた。海理が静かに地面を見下ろして、青い顔で深い溜息をついている。
「――万理ももう十七なんだよな、今年で……こっち、知っちまったのか」
「あ……うん。ちょっとごたごたして、それで……」
 今までの三下口調が嘘のように、兄へと答える千理。海理は複雑そうに顔を歪めた後、それでも笑っていた。
 千理が心配そうに見上げる顔で、誰を思い出したのかは知らないけれど。
「海理さん」
 悟子だ。一度頭を下げ、「かがみすみれの弟です」と前置いて、海理の頬を引き攣らせた。途端に悟子は一瞬だけ苦い顔になるばかりである。
「……うっそ」
「なんでそういうところは兄弟なんだよ」
「話を戻させてください! 万理さん、おっしゃってました。武討さんが海理さんのご事情をお話してくださっていた時に、詳しく知りたいと、ご本人から」
 途端に目を丸くするのは、千理と海理で。
 翅も隻も、やっぱりと静かに笑った。
 だから、レーデンの血≠セよ。
「十一年前の事件が続いている可能性があることも、それでこちらに来たことも。ご友人が行方不明になってて、それも不安なはずなのに、『真実が少しでも知りたい』って」
「――あいつはオレのことは知らねえだろ……」
「はい。知ったのもごく最近で……戸惑っている時はよく見ました。でも、それでも万理さんの中で、海理さんは兄なんだと思います」
 ほんの少しだけ、呆けた長男の霊。
 しばらくそうしている間に、千理がぼんやりと口を開いた。
「……オレたちのこと嫌ってたんじゃ……」
「バカかお前」
「えっ、まっ、なんでバカになるんすか!?」
「……てめーなんだよその三下口調」
「海兄!?」
 一瞬口を閉じかけた隻は、畳み掛けた長男に冷たい目しか向けられない。
 確かに三下口調には同意しよう。
「本当にお前ら兄貴たちを嫌ってたんなら、万理はこっちには来なかったと思うぞ。千理、お前去年万理になんて言った?」
「な、何って?」
菖蒲あやめさんの件だよ」
 目を見開く少年。翅も翅で、海理へと笑っている。
「海理の偽者、本物の海理と見分けがつかないぐらいにきっちり真似てた。それがわかるから、あいつが言った言葉は海理も絶対に言う言葉だと思うよ」
「なんの話だ、要点得てねえぞ」
「そうか? 『万理は万理の行きたい場所を、自分のものさしで測ってちゃんと進め』」
 海理も、千理も。どちらも目を丸くして、翅を凝視しているばかりで。
 その翅本人も、懐かしそうに笑っている。
「『周りの意見に流されるな』。――千理が受け継いで俺にも言ってくれた言葉だけどさ。これがなかったら俺は、ここまで踏ん張りも、更紗にもう一度会いたいなんて言いもできなかったよ」
 更紗まで、はっとして海理を見上げた。
 その海理は戸惑ったままで。千理が言葉に表せないほどの心持で見上げる中、ただ長男は立ち尽くしているばかりだ。
「――んだよ、それ……」
 ぱたり
 ぱたた、ぱた
 ただ、海のようにただ無茶苦茶で、なんでも大きな器に収めてきた横暴な少年は、悔しそうに顔を歪めていた。
「……ムカつく……オレのセリフ十一年分先取りしやがって、礼参りじゃなくて礼に行かなきゃいけねーのかよ……」
「それでいいだろ。こっから先礼を言うのも言われるのもお前なんだからさ」
「――はっ、態度でけーぞてめー」
「お前に言われたかねえよ」
 頬を引くつかせる翅へと、海理が自信の刀を龍の姿から武器に戻し、不機嫌顔で睨みつけている。途端に顔を青くしてアヤカリを盾にし、その従者からは『やめてええええええええっ!!』。
 千理がしばらく黙って俯いている中、標が海理へと近づいて「坊久々じゃな!!」。ぎょっとしすぎてった海理がいたのは言うまでもない。
 当然だ。九尾狐が目を輝かせて飛びついてくれば、逃げたくもなるだろう。相次郎が尻尾を一房掴んで引き剥がしたおかげで、海理は事なきを得た代わりに。
「何をする!!」
「ふざけてんじゃねぇ、おれの二の舞にさせる気か手前は!!」
「大人げないだろあんたら……」
 九十九歳と、八十前後。
 いい歳を超えた二人の子供過ぎる喧嘩に口を挟まざるを得なかった隻は、呆れ果てた心をすぐに落ち着けて、鳥居の向こう側を見やった。
 大丈夫だ
 いつきなら、響基なら。八占兄妹なら、そして天理と万理なら。
 煉なら、志乃なら――あ、いや志乃は正直怖いけれど。

 てめーがこいつらをガキ≠ニだけ見てんじゃねー

 ――ああ、そうだよ。
 偽者の海理の言葉であったとしても、その偽者が演じた本物の海理の言葉であるなら、信じられる。どこまでが偽者の思惑で出た言葉かわからなくとも。
 本物の海理が、肩を叩いてきた。振り返ると、拳を突き出される。
 一瞬驚いてすぐ、笑って拳を出して突き合わせた。
「よろしく頼むぜ。幻境で探しもんすんだろ、任せろ」
「ああ、こっちこそな。頼んだ」
 信じられる。一年と少ししか知らなくても。
 その時生きていた海理を知っている皆が教えてくれた、海理・N・レーデンは今、ここにいる。



「……ば、万理……まさか、こいつ海理じゃないっていうのか?」
 震えたまま頷く少年へと、海理が『へえ?』と不機嫌な声だ。
『――やっぱりな。もういい加減潮時と思って正解だったか。あっちで会ったのか? オレ≠ノさ』
「――いいえ。あったのは武討さんと、覇将はしょうさんです……」
 天理が耳を疑い、弟へと目を向けている。その刹那、海理が乗っ取っている隻の体に衣を纏わせ、幻術を始めた。響基が即座に楽器を出そうとして――逡巡する。
 置き場がない――! 仕方ない。
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 嗤う霊魂。聞いていないと悟った刹那、隻の衣から大きな波の音が聞こえ始め、全員が顔を青くする。
「やめろ――隻先輩の許容量じゃそんなの出したらまずい!!」
『どうだろうな。やってみなきゃわかんねーだろ?』
『やめろかい――っ』
 海理じゃない
 わかっているのに――!
 歯を食いしばった青慈へと、一気に大波が押し寄せた。目を見開いて避けに転じようとした彼はしかし、水に体が触れたかと思った次の瞬間には海水の中に捉えられてしまった。
 その光景に目を見開いたのは響基だけではない。天理もだ。
「その術の使い方――!?」
『っ、はは! こいつはいいな、予想してた以上に便利がいい混血だ!』
 万理の拳が固まる。天理が手の平に爪を立て、即座に開いて刀を呼び出した。
「来い、天核あまさね
 微かに皆の目に映った空色の日本刀が、空に溶け込むように姿を掻き消した。いつきが自らに対魔の札を貼り、青白く染まった顔を多少健康色へと戻している。
 萌が青銅の盾を浮遊させ、煉の守りを固めさせている。その煉は士と共に、未だ幻境に向かったまま無防備となっている翅たちの体へと結界を張り直した。
「士さん、ご助力……お願い致します」
「あーうん。かったるいけど一応やるよあー面倒」
 青慈を閉じ込めていた海水が破れた。闇の糸となって消えていく水しぶきの中で、青慈が咽ながらも立ち上がる。
「青慈はサポートに回れ!」
『いつきがサポートに回ってよ!! ――くそっ!』
 言いきれない悔しさを、触れられない畳にぶつける青慈。それでもすぐに海理の偽者を止めるべく、全力で駆ける少年の霊は、天理と目が合うと頷きあっている。
 天理は万理の肩をしっかりと掴み、大丈夫だと一度だけ叩いた。彼の頭に手を置いた後、いつきの脇を過ぎ去る。
「万理を頼んだ」
「――はっ、任されてやる。万理」
 肩に力が篭った。少年の拳が固められているのを見、いつきは黙って見下ろす。
 簡単に割り切れる話ではない。それこそ、当主という立場に立っていなければ、次期当主として鍛え抜かれていなければ、恐らくは自分も。
 沈黙したままの奥歯が必死に固められていた。
 それでも顔を上げ、堪え続けているだろう涙を見せないよう毅然としたその表情は、目を腫らしてあまりにも痛々しげだ。
「兄さん! 海理兄さんに……化けているのは、おそらくドッペルゲンガーです! 理屈は細かく説明する暇がありません、皆に化けられる可能性もあります、注意してください!」
 耳を疑っていた響基も煉も、次の瞬間には頷いた。
「万理さんに、確信があるなら……志乃ちゃん、行くよ」
「任せてや、万理くんのお兄さんに成りすますなんて許せへん。ぶっ飛ばしたるわ」
いざない時よ来たれ 汝がはさらに飛び立つ」
 煉の合図と共に、煉の背中には白い羽衣が。その羽衣から志乃へと、柔らかく優しい白の光が一筋伸びて――
 志乃が駆けた。畳が、柱が激しく揺さぶられる。
 青慈が五芒星を空に掲げようとし、天理が止めさせた。海理の偽者は海浪月を手に波を起こし、天理がグリフィンを呼び出して上空へと逃れる。騒ぎを目撃したのだろう、あちこちから「バ海里何やってる!!」と、同僚たちの声まで聞こえてきたではないか。人が減って空いたスペースで響基が琴を呼び出し、咄嗟とっさに音を奏でた。
 演奏に混じり、あちこちで床へと倒れる音。
 申し訳なさそうにする響基はしかし、次の瞬間には演奏を切り替えて海理へと目を向け、目を見開く。
 いない。
 それどころか、砂利の上で倒れていく隻の隣にいるのは、どうして――!?
「お、俺……!? あっ!!」


掲載日 2022/08/10


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