Under Darker

 第3章夢幻の交響曲

第19話「優しい真実うそ
*前しおり次#

 ドッペルゲンガーは相手の姿を真似る幻生だ。隻の体から抜け出して姿を変えたのか。
 ぼぉん
 即席で作り出された竪琴から、目がかすむような鈍い音が漏れ出た。
 音に敏感な本物の響基は思わず演奏がやんでしまう。吐き気に襲われて琴の上に倒れ込む奏明院家の当主に、いつきが舌打ちした。
「休んでろ! 天理!」
「一々言わなくてもわかってる。イーヴェ、頼んだよ」
 グリフィンが気高く鳴いた。響基の姿から即座に海理の姿へと戻り、隻へと再び乗り移ったドッペルゲンガーはわらいながらグリフィンを見上げる。
 空の獣から飛び降りながら、グリフィンが突撃していくのを確かめながら。術を紡ぐ天理は奥歯を食いしばる。
 ふざけんな――
 いつきの声が響いた。術なら張り合っても互いに引けを取らない親友の声に冷静さを必死で戻した天理は、風の音の中確かに呼んだ。
「如月の風よ、師走の白き涙よ、天の姫より放たれよ」
 いつきはすぐさま札をドッペルゲンガーへと投げる。空中で制止した札から発せられる、見えない力に、ドッペルに乗っ取られている隻の体が吐きそうになっているではないか。
 その刹那、上空からは凄まじい吹雪。
 素早く飛び退いたドッペルゲンガーは次の瞬間、グリフィンに掴み上げられそうになり海浪月で斬り払った。
 鷲の絶叫が響き渡る。
 舌打ちが四つ。
「八卦の導き、卯月の友よ」
 士の口から紡がれる呪術、時暦ときよみに、海理の姿のドッペルゲンガーが素早く反応して手を突き出した。
「八方位、かさね、八方位、かさ――きゃっ!!」
「士!!」
 兄の萌以外、男全員が肝を抜かれた。手にしていた羅針盤ごと吹っ飛ばされ、柱に叩きつけられて力なく崩れる女性に、冷や汗をかくのはやはり兄だけである。
 あの士が……あの士が、「きゃ」?
「え、あ、ま……」
「ああああああああああっ!!」
 雄叫び。
 志乃の口から飛び出す凄まじい覇気に、偽者が今さら気づいた顔で刀を使って拳を防いだ。
 ……あちらはあちらで、女じゃない。
 萌は呼吸を確認した後妹を放置して戦線に戻ってきた。あまりにも冷淡な対応にいつきの苛立ちが溜まる。
「煉の結界の中に入れてやれ」
「そちらに言われる筋はありません。その暇を作るぐらいなら、あいつは前線をしっかり守れと言ってきます。俺たちがしっかりしなくて誰が後ろを守れるってんだ」
 一々、何かとつけて人を苛立たせる奴だ。
 天理が隻の体からドッペルを追い出した。畳み掛けるように志乃が拳を振るうも、霊体の身体強化を解いたドッペルゲンガーには当たらない。苛立った顔が獅子の如くで、青慈がぞっとした顔をした後海理へと距離を詰めた。
 殴りかかろうとした青慈の手が、すり抜ける。天理が全力で舌打ちした。
 やっと起きた響基が悲鳴を上げ、青い顔で口を押さえた。
『あ!?』
「おれの姿取る許可なんてやってねえんだよ真似屑が!!」
 本物の天理の口から、自身の兄顔負けの凄まじい言葉が吐き捨てられた。
 今度は天理二人が互いに刀を取り出してのつばり合いだ。立ち上がる万理が士を抱え、結界の中へと運び込んだ。
 士を畳の上に寝かせた次の瞬間、大型の猫科のような雄叫びと共に、獣人が偽者の天理へと飛び込んでいったではないか。
 響基が、いつきが目を丸くする。
「え……」
「あ……小父上おじうえ
「おじさんすっこんでろうざい!!」
「て、天理!?」
 助太刀で来てくれた現当主に、あまりにも酷い口の利き方である。
 体術で応戦しようとしたドッペルを軽々いなして地面に叩きつけ、多生が獰猛どうもうな獣の威嚇いかくの声を響かせる。
「十一年もいた場所をなぜ壊せる!」
 響基ははっとした。いつきが「小父上何を」と呻いた。
「そいつは――海理の居場所を奪って成り代わっていたんだぞ!!」
「真実を知らず後悔するのは我々だ」
 偽者の天理は多生から押さえられた。体術では多生に敵わないのか、ドッペルは天理の顔に苛立ちを見せた。
「お前は十一年もの間海理として居続けた。その心は帰る場所を壊せるのかと聞いている」
『おじさん、だから甘いって自覚持ったら? ――オレを殺したのはオレだ』
 海理の幽霊の姿へと戻った。苦渋を浮かべ、泣きそうな顔で多生を見上げた幽霊に、虎の顔の獣人の動きが一瞬止まった。
 海水の砲弾が多生に叩きつけられた。ぶっ飛ばされた男性に響基はぞっとする。
「多生さん!!」
『ったく、響基の術でも寝ないときたか。どんだけの精神力してやがる』
 いつきはライネに多生の手当てを言いつけて向かわせた。縁側の廊下から、ビジュアル女性が目を据わらせて微笑んでいるのがやっと見えたいつきは思わず壁に張り付くように逃げる。
「なっ、いつからいた!!」
「ついさっきからよ。やあねぇ、気づいてくれてもよかったじゃないの。まあこんなに派手な喧嘩してちゃ無理でしょうけど」
華淋かりんさんこれ喧嘩じゃなくて戦闘!! あれ海理じゃない、ドッペルゲンガーだったんだ!!」
 多少驚いた顔で、青慈の実母、華淋が「あらまあ」と一言。次の瞬間目を据わらせたその顔は、あまりにも息子とそっくりに笑んでいる。
 ビジュアル風の格好で。あまりにも若々しい美貌で。
「そう、十一年海理くんのこと……じゃあちゃっちゃとぶっ飛ばしましょうか」
「隻先輩の回収完了しました!!」
 萌の言葉に、怒り心頭のいつきの拳が震えている。
「おい嫡子ちゃくし、今から礼儀学んでこい」
「ああ言い忘れていましたね。俺、先月付けで八占本家の次期当主となりました。どうぞよろしくお願い致します」
 つまりは、阿苑と同等以上の格。
 冷めた声合戦の中、いつきはしれっと「そうか」の一言。
「さっさと滅ぶな」
「はっ、それはそちらの家の話では?」
 火花が散り、二人の真後ろに大きな卵に手足が生えた、ハンプティ・ダンプティが現れて――
 ぐしゃっ
 嫌な音とともに二人を卵まみれにした。
「喧嘩するぐらいなら埋もれてなさいな。聞いててうざいわ」
「――っ!」
 青年二人の拳が震える。必死に外に出ながら震えている。
 デュラハンを呼び出す華淋。そして海理の偽者は自身を中心に海を作り出し、デュラハンから身を守るべく海水の円柱を創り上げた。
 その円柱から、海水の弾丸。
 咄嗟とっさにデュラハンを還した華淋目がけてさらに弾丸が追撃する。やっと顔を外に出せた萌が青銅の盾で華淋を守り、彼女から「あら」と驚かれている。
「あなた私を舐めてるのかしら」
「女性に怪我を負わせては恥となりますから。――そこの少女は別として」
 志乃、海水の柱でも構わずに突っ込んで、水流に逆らえず上空に放り上げられていた。
 天理も海水の弾丸を受けていたのだろう。身をていして守ってくれたグリフィンを還し、怒りに目を染め上げている。
「大概にしろ……兄貴の面それ以上出すなら幻境のお前も滅してやる」
「我 闇に沈み 闇に生き 闇を忘れし者なり」
 いつきの真後ろで、静かに始まった術の詠唱。やっと外に出て真っ青な顔のいつきは、肩で息をしながら唖然とする。
 青い顔の万理が、顔を歪めてまで紡ぐ音に耳を疑った。
 ぱた
 ぽた、ぱたたっ
 ただ少年が堪え続けていたものが、頬を撫でて勝手に落ちていく。
 それでも、声は決してぶらさない。
「闇消えぬ 闇忘れぬ 光滅せず 光も追わぬ 忘れ空の雪の 紡がれぬ絵図とここにうたう」
 海水の弾丸が、万理へと放たれた。咄嗟に青銅の盾で守ろうとした萌はしかし、いつきが代わりに張った結界で守られたのを見て、青銅の中央の宝玉から瑠璃の弓矢を取り出す。
「糸よほどけ 紡ぎの雪はそこにはない」
 天理が素早くドッペルゲンガーへと光の矢を飛ばした。空中から落ちてきた志乃を捕まえた海理の偽者が、光の矢へと投げ飛ばし、天理が悔しげに矢を消した。
 万理の目がきつく閉じられ、雫が落ちた。
「忘れ空の雪の香よ 我らの光を影とせん!」
 動きが止まった。
 目を見開き、投げ飛ばした姿勢のまま歯を食いしばる霊の姿に、天理たちは唖然としてしまう。
 効くはずがないのだ。万理の幻術使いとしての力量は、明らかに海理にも天理にも、ましてや千理にも届いていないのに。
 きつく握り締められた拳を、震わせながら開いた万理は、そのまま砂利の道を進む。声をかけようとした響基もいつきも、万理の手を見て言葉を失った。
 血が出ている。爪の型をくっきりと象って、赤い色が。
 他の誰かの姿になることもできず、海理の偽者は怒りむき出しの目で万理を睨みつけていた。
『なんでてめー……の術で……!?』
 言ったドッペルゲンガーはしかし、目を見開いた。口が戦慄わななき、途中で抜け落ちた言葉に愕然とする。
 ただ俯いたままの万理はしかし、静かに口を開いた。
「一つ、聞いていいですか」
 しんと静まり返った、砂利の上で。
「あなたが真似ていた、海理・N・レーデンの感情は……あなたの思惑で出た意外全て、本人が必ず言う言葉だったんですか」
 耳を疑うドッペルゲンガーは、やがて嘲笑するように『はっ』と溢した。
『当たり前だ。半端はオレたちの主義じゃねえ。ドッペルゲンガーは本人を騙す本物を演じることこそが存在意義いるいみだ』
「――そうですか」
 口が、勝手に綻ぶ。
 万理の様子に、ドッペルゲンガーは目を疑った。
 悔しげに、必死で目を拭く少年は毅然と海理の偽者を見据え、しかし途中で力なく笑っていた。
「それで十分です……ありがとう……」
 ドッペルが言葉をなくし、目を見開いていた。響基も驚愕したまま、琴の上から体を起こせないまま少年を見上げ、ただ目で問いかけるだけ。
 それでも、万理は一切後ろを振り返らなかった。
『何言って……』
「あなたが本当に兄さんになっていなかったら、僕は兄さんたちを一切知らなかった」
 天理がはっとして、口を噤んでいる。
「あなたが千理兄さんに呼び出されていなかったら、あなたはレーデン家に顔を出しませんでしたよね。そうなっていたら、天理兄さんの心も、きっとこんなに早く回復していませんでした」
 天理が、静かに口を噤んだ。
「隻さんの学校の……怪談の時だって。本物に成り代わっていたとしても、僕らを救ってくれたのは――海理兄さんと、あなたでした。千理兄さんが、必死に天理兄さんを探せたのも、あなたが海理兄さんとして霊園にいてくれたからじゃないんですか?」
 そんなの、千理が幻境にいる今は、わからないけれど。
 万理は笑みを、俯きと共に消した。雫を落として、震える口をゆっくり開く。
「あなたのしたことは、許したくないです。海理兄さんを幻境に閉じ込めるようにしてしまったのも……」
 生きていてほしいだなんて……言えない。
 正体を明かして、みんなを傷つけて、海理の姿もみんなの姿も悪用した。
 敵であり、暴れ、裏切った彼に……それでも生きていてほしいだなんて、言えない。
「ほん、とうは……」
 自分にとってはあなたも兄だと、言えたなかった。
 自分を肯定してくれたのはあなただと、伝えたかった。
 それを言えたなら……どれほどよかっただろう。
 ゆるゆると首を振った万理は、泣きそうな顔で笑んだ。
「でも」
 ドッペルゲンガーはただ、正気を疑う顔で、自分が演じていた少年の弟を見下ろしている。
 万理は笑みを引き締めて、頭を下げた。
「ありがとうございました――あちらで、あなたの他の生き方が見つかるよう願います」
『何言って――!?』
 ザンッ
 霊体を、ボロボロの刀が貫いた。
 目を見開くドッペルゲンガーの胸元から、貫かれたその場所から、闇色の糸だけがふわりと空に解き放たれていく。
『なっ……あ……!』
 恐怖に染まっていく、顔が。
 後ろを振り返ったドッペルゲンガーは、愕然としていた。
 古びた十二ひとえに身を纏った、女性のむくろ
 宙に浮き、両手で引導を渡したその骸は、目を見開いた万理へと静かに見下ろした。
「あ、あなたは……!」
 咄嗟にいつきが、萌が戦闘体勢を作る。しかし華淋が「待って」と声をかけた。
「あの女性、おかしいわ」
 響基は沈痛な表情で額を押さえ、青慈は華淋が手に持つ青白い光の球に怪訝な顔になる。
『母さん、それ……』
「ああ、これはもしもの保険よ。本当に保険でしかないけれど」
 意味が通じない。
 糸が、解ける。
 海理の姿を真似たままのドッペルゲンガーが、つらそうに顔を歪めて万理を見下ろした。
 万理は手を伸ばしかけて――拳を固め、少年の霊を見上げた。
「兄さんを教えてくれて……ありがとう」
 目を見開いた、偽者は。
 どうしようもないほど悲しそうに、優しげに微笑んで、最後には歯を食いしばって、糸となり消えてしまった。
 青慈が油断なく見据える先、女性の骸は静かに刀を下ろす。
季忌命トキイミノミコト、あなたは東京から出られなかったはずじゃなかったかな』
 骸は、答えない。ただ万理を見下ろし、刀を砂利の上に置いた。
 ようやく起き上がれるまでに回復したのだろう。相当な痛手を受けた多生は、怪訝な顔だ。

 ――私のカタチを正してくださった、あなた方への最後の礼です

「――え?」
 目を瞬かせる万理だが、骸は静かに刀を見下ろすばかり。

 私の物語を導いてくださったあなた方に、裏切りは必要ない
 私は裏切りを許せぬままでした。その裏切りに清らかなものがあるとするなら、それはきっと、優しく残酷なものでしょう
 あの者の裏切りもまた、清らかなもの。あなた方がその手を汚すなど無意味です
 やっと私も眠りにつけます。どうかお気をつけて。
 私ではあの者の純粋な思いを裏切りとして裁くことは果たせません。どうか、どうかお気をつけて
 我が母の子より紡がれし、遠き子供たちに、祝福あらんことを

 さらさらと、さらさらと
 刀が、十二単が、骸が。
 白でも闇色でもない、美しい色となって空に溶けていく。
 優しい色が、最後に万理たちを優しくでて――
 先に解けた闇色の糸に沿うように、彼方へと消えていったのだった。


掲載日 2022/08/10


*前しおり次#

しおりを挟む
しおりを見る

Copyright (c) 2026 *Nanoka Haduki* all right reserved.