Under Darker

 第1章白夜の夜想曲

第04話「血と兄弟と赤の他人」01
*前しおり次#

 さすがに日が暮れた後、京都に向かうのははばかられた。行けばあちらに着くのは午前様といった時間だっただろう。
 かといって自宅に帰る気にもなれなかった隻は、千理の家に泊まったのだった。
 地獄だった。
 窓を塞ぎ要塞のように積み上げられたゴミ袋の山。『ゴミ峠ゴミ渓谷ゴミ山道』とは浄香が怒り心頭につけたゴミ山脈の地名だ。ただ、チラシや紙くずが主で、恐ろしいほどに不快な臭いがない清潔なゴミの山だった。
 誰だ、千理の怪我の具合を心配して、家に戻る際の手間をなんとか減らしたいと言い出したのは。罪悪感を覚えたのは。自分か。
 ついでになんだ、あのジャージの数は。量は。バリエーションは。ジャージ以外の服を着ろ。
 自分も綺麗好きとは程遠いが、猫まで手伝ってくれるほどのひどさだったのだ。千理が全快していれば怒鳴っても文句は言われなかったろう。
 駅について早々、日陰が欲しくてたまらない。疲れと寝不足で太陽がまぶしすぎる。
「んの野郎……新幹線の中は寝かせろよ」
「はいはーい。オレも寝ます。さすがに四日連続徹夜は応えるっすよ……」
「昨日は自業自得だろ!」
『まったくだ、なぜ手伝わなければならないのだわたしが……』
「猫の手も借りたいほどに酷かったんだろーなあ。当たり前だろ」
 見事な棒読み。千理が驚いた表情で、駅入り口を見やっているではないか。隻も釣られて見やり、目を丸くする。
つばさ!? どうしたんすか、あんさんまだ本家っしょ?」
「え、この人が!?」
「あ、いや、隻さんより年下っすよ」
 言われ、ぎょっとして翅を見やる隻。
 確かに少年らしい雰囲気がないわけではない。けれどそれを忘れそうになるほど落ち着いた――というより真顔すぎる少年は、隻より背が高い。……悔しい。
 黒髪に黒目。色は千理と確かに似通っているが、言われなければ親戚に見えないだろう。大体この二人がここまで親しく呼び合えるほどの間柄に見えない。主に性格が。
 翅という少年は、あまり動かない表情でこちらをややぼけっと見てきた。今さらながらに気づき、隻は苦笑い。
「ごめんな。俺は」
「沙谷見隻さんだろ。えらく遠い親戚がご迷惑おかけしてます」
「えっ、ちょオレ!? 相変わらずすぎるっすよもー!」
 憤慨ふんがいする千理への対応に納得してしまう。翅のほうが確かに正しく映るのだから、きちんと頭を下げる隻。
「いや、慣れたから。ってか、慣れないといけない気がするからさ。俺のほうこそお世話になります」
「おお、礼儀正しい。これなら安心してバカ……間違えた。こいつのこと任せられるよ。安心安心」
「何兄弟子売ってんすかあんさん!! ひっでーちょーひでえー!」
「どこの女子高生だよお前。って、任せるって……俺正直言うとこいつもらいたくないんだけど」
「ひど!?」
「ああ、よくわかる」
「もう酷いっすよこの人たち! なんつう暴君なんすか横暴反対!」
「病院の窓から『こんにちは』しやがった奴がよく言うな本当!」
「あ、そうだった。ふごおうっ!?」
 猫の頭突きが腹に命中。見た翅は特に驚きもせず納得の表情だ。
「五神ってこの人か」
『おい小僧。その顔はなんだその顔は。わたしが五神だとわかるならもう少し面構えぐらい真面目にしろ!』
「真顔テイストじゃダメですかね」
「ってか、猫に真面目にしたらどこの変質者って話だろ」
「……ね、ねぇ。誰かオレの心配プリーズ……はい……っ、入った……えふっ……!」
 呻く千理は、翅の明らかに下に見たなぐさめ方に不平たらたらだった。
 心配よりも眠かった隻はほとんど流していた。
 京都までの道中は、付き添いで来てくれた翅に申し訳ないほど寝ていた。
 ただ、翅が涙も演技で出せる真顔型ちゃっかり人間だとはわかった。千理が言う『本家』までの道中での収穫がこれだなんて、聞いて得をする人間がいるだろうか。
 次いで、入り口の門構えに驚いたり、日本家屋どころか古いお屋敷と言われて納得できる玄関に硬直していたのだ。
 玄関でさえ、広い。
 上がりかまちに立派な木を使ってある上、下駄箱の上の大皿を見れば明らかに名家だ。それこそサラリーマンの息子という肩書きが精一杯の大学生からすれば、どれだけ場違いな場所にいるかと背中に冷や汗ばかり流れる。
 厳格然としたがたいのいい男性がやってきた。静かに隻へと頭を下げ、上げてくる様に言葉を失う。
「京都レーデン家、次期当主を務める多生という。遠い所からご足労いただき感謝する、沙谷見殿」
 次期当主。次期当主? 当主って何。時代劇?
 千理や翅の雰囲気と打って変わった、格式然とした威厳ある雰囲気に隻は戸惑った。
 母に叩き込まれた挨拶の口上など見事に吹き飛んだ。
「あ……はぁ……えっと、お世話になります」
「そう緊張されずとも。道中は暑かったご様子で」
「いんや? そうでもなかったっすよ」
 飄々ひょうひょうと答えて靴を雑に脱ぐ千理を、場所が場所でなければ思いきり睨みつけたい。翅に「ご苦労だったな」と声をかける男性多生は、上がってついてくるよう言ってきた。
 実家でもないだろうに「たでまーっすご無沙汰ー」と暢気な千理には、緊張していなかったら言いたいことがある。
 運動シューズを脱いで、足先で揃える千理に思わず苦い顔をしていれば、翅はやっと表情を大きく崩してにやりと笑ってくる。
「やっぱり似合ってないって思うよな。わかる」
「……ありがとう」
 翅のほうが近縁に見えるのは、幻でも現実逃避でもなかったようだ。
 多生についていくうち、仲居らしい女性たちに荷物を持っていかれ、手持ち無沙汰になった隻ははっと思い出した。
 うっかりしていた。あのキャリーケースの中には土産みやげもあるのに……!
「俺バカが写りすぎだろ……!」
「ちょい隻さん。そのバカって誰っすかちょっと」
「お前以外いないだろうな、千理」
 先を歩く次期当主からの言葉に、隻は一瞬身を固くした。それも、男性が千理を呆れた目で見降ろす様に、少しほぐれていく。
「その性格が一人暮らしで少しは直るかと思えば。また雷駆ライクに無茶をさせたな」
 ぎょっとする千理。翅の呆れたような視線が彼へと向けられる。
 あの馬のことは、この家の全員が知っているのか。――千理がただ馬をかたどった影を作った、というわけでもないらしい。
「い、いやちょーっと鴉天狗と、ね?」
「知っている。後でお前は全館掃除行きだ」
「はいい、うっそい!? 嘘っしょねえおやっさん!! うっげぇ……隻さん一緒やりましょーよー案内しますからー」
「……翅くんに頼むからいい」
「ひっでー!」
 ブーイングを激しく飛ばす少年。その横で、翅は肩を震わせながら歩みを進めていた。
 一番障子の数が多いのではなかろうか。そんな大きい部屋の前、膝を沈めた多生と翅に倣おうとして、千理に膝をかっくり落とされて思わず殴った。
 しまったと思っても後の祭りだ。
「いって!? 出来心!」
「ねえ反省してる? お前ちょっとでも反省しててその態度なの?」
 男性の咳払いが通りよく響く。翅も千理も叱られた子犬のように静かになった。
 ……自分が叱られなかったことに驚いた隻である。
「只今連れて参りました」
「うむ。ご苦労。翅もお使い頼んですまんの。あの『なんとかバナナ』は買ってきてくれたかの」
「はい、買う前に隻さんに出されました」
 そういう意味だったのか翅があれ見てたの!
 隻が口に出そうになる脱力を堪える中、千理が楽しそうに笑って立ち上がっている。
「じーちゃん久し振りっすね。まーだピンピンしてるんすか。そろそろ死障子しにしょうじの向こうに招かれてるかと冷や冷やしてたんすよー」
「おっまえさんものーう。いい加減その中学生臭さどうにかせんかの。相変わらず翅のほうが利口だわい」
「そりゃあこっちのほうが上っしょ年齢だけ。兄弟子オレっすもんね!」
「年月の数だけはの。三年で実力抜かされおってからに」
「それ言わないで!?」
「千理、言っとくけどな。年齢だけじゃなくて俺はお前よりも……常識人だ。多分」
「それに関しては五十歩百歩だな」
「多生さん? え、待って? 今俺まで売りませんでした?」
「おじさんひっでー!」
 親戚や家族、といったやり取りは、見たことのないものだった。
 隻は戸惑いながらも当主へと頭を下げる。
「ご迷惑をおかけします。一般人がやっていい範囲を超えてしまったこと、すみません」
「いんやいんや」と、当主らしき老人は笑う。
「それほどまでにお前さんも、あいつらに強い何かを感じておったんじゃろう。レーデン家当主の正造じゃ。よろしゅうの。おお、そうじゃ。なんとかバナナありがとうの」
「あ、いやそれはいいんですけど……」
 怒らない老人に、不思議さばかりが先に立つ。多生も強く言ってこない。
 どうして。
「覚悟は既に固まっておると千理から聞いておる。数年の修行、酷になるとは思うが、お前さんが掴んだ手がかりに手が届くよう、わしらも助力するからの。あ、彼女さんにはよろしく言うといてくれ。婿むこさん預かるぞーいって」
「むっ!? はっ、いや、なっ、なんでそこまで!?」
「あれ、オレそこまで書いてましたっけ? ……あー書いてた? さーせん怒らないで出来心!!」
 生温かい目を向けられた。千理のおじらしい男性に「そいつは空気で構わないぞ」と言われたも、彼の背中が震える様子がよく見えて真っ赤になる。
「まあぼちぼち覚えていくとええ。そいつが兄弟子権限使ってもスルーしてもらって構わんからの」
「ありがとうございます。多分お言葉に甘えます」
「え、うそん!?」
「おうおう、礼儀正しいのう。まあ新しい家と思って、気楽に構わんよ。遠慮すると損するぞい。荷解にほどきも焦らず、自分のペースでやりなさい」
 戸惑いが勝ってぎこちなく頷き、頭を下げる。退室していいと言われ、素直に甘えた。男性が障子の向こうに姿を消す。
 困惑していると、翅がスマホを取り出してああと声を上げた。千理に手招きをされるまま、当主の部屋の前から縁側を歩いて移動する。
「隻さんの部屋一階だってさ。行こっか。いいなー千理のいたずらがついてない初日」
「わか――は? いたずら?」
「あの頃はオレも若かったんすよ」
 千理をまじまじと見下ろした。旋毛までよく見える頭が何を老いた言葉を言っているのか、さっぱりわからなかった。
 砂利と植栽が彩る景色は広い。縁側の角を曲がった途端に隻はやっと息を大きくついた。前を歩いていた千理と翅は慣れた様子で笑っている。
「ははっ、翅もこのぐらい緊張あってよかったんじゃないすか? あの時」
「中二病舐めるな。緊張あっても俺の場合は損だ」
「お前ら凄すぎるよ……うちの家貧乏びんぼうだし親戚付き合いないし、ここまで格式高そうな家始めてだってのに」
 それこそ手団扇てうちわで顔を扇ぎたいほどだ。会社で疲れたと言っていた父の気持ちが今さらわかる。……成人したら煙草たばこを一箱おごろう。
 やいやいと久々の会話に花を咲かせている二人はともかくとして、後ろから足音が聞こえる。なんだろうと振り返れば、大人しそうな真っ黒な髪の少年と目が合った。
 隻より向こうを睨むような目つきが、一瞬でぎょっとしている。少年はおどおどと姿勢を正して、隻へと慌てたように頭を下げてきた。
「あ、よ、ようこそレーデン本家へ」
「ど、どうも。お世話になります……」
「あっれ、万理ばんり? 万理じゃないすか?」


ルビ対応・加筆修正 2020/11/07


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