序章


特に何も意味なんてなかった。
ただ目に付いた団子屋で団子を買っただけなのだ。
ついでにその団子屋で暴れていた輩を咎めただけであって。
正義感や同情があった訳ではない、言ってしまえばただの気まぐれだ。
勿論見返りなんて考えたこともないしなんの問題もない。
このまま城に戻れば今日の忍務も計算通りに終了するはずだった。

問題なのと計算違いだったのは、
その場に居合わせた団子屋の娘にえらく気に入られてしまったことである。
娘の父がしつこくてすまないと謝ってくるほどその攻め入り方は凄まじく、
それでいてどこか憎めない。憎めないのだが・・・こちとら忍びの身。
女に・・・しかもこんな小娘に構っている暇はないのだ。


小娘のくせに。



「雑渡さん雑渡さんっ♪今日もお疲れ様でした!
疲れてませんかっ、なんでもお手伝いしますよっ!」

疎ましいほど纏わりついてくる小娘に、雑渡は今日も頭を悩ませている。

「君の顔を見て疲れが増したところだよ・・・」

どんよりとした表情で雑渡が返すと小娘は、
そうおっしゃらずに〜、と懲りずにまたちょこまか付いてくるのだった。

(耳と尻尾が見えそうだ)

疲れから来る幻覚なのか、彼女の立ち振る舞いのせいなのか。
どんなに邪険に扱っても犬のように懐いて来る小娘に心折れかけていた。
タソガレドキ軍の組頭でもあろう者が、こんな小娘に疲労困憊させられるとは。

「・・・で、どこまで付いて来るつもりなの?」
「どこまでも!なーんて・・・へへっ、何かお手伝いさせて下さいっ。」

ほう、こんな小娘に何ができるというのか。

「悪いけどお前に頼めるようなことはないね。」
「うー、忍器を磨いたり・・・」
「忍器は危険だ、普通の町娘が触るもんじゃない。」

「ううっ、お、お掃除しますっ!」
「掃除は尊奈門で間に合ってるよ。
いい加減しつこいね君、早くお家に帰って団子でも作るんだな。」

いよいよ声にイライラが滲み出てきたのが伝わったのか、小娘の表情が強張る。

(よしよしいいぞ、大人しく帰るといい・・・)

ふう、とやれやれ踵を返し安堵の表情を浮かべた瞬間


「お願いします何でもします!!雑渡さんの側に置かせてくださぃい・・・っ!!」


よろめきながら致し方なく、本当に致し方なく振り返るとそこには、
ギョッとした自分の目と涙ながらに訴えて来る目がかち合った。



(こんなに色気のない告げ方をされたのは初めてだ・・・)



普段はわかりにくい雑渡の表情がみるみる険しいものに変わっていくと、
クスクスと堪えるような笑い声があちらこちらから聞こえてくる。

なんだ。

周りを見ると尊奈門を始め軍の者達が可笑しそうに笑っている。

こいつら・・・面白がっているな?

この小娘が纏わり付いてくるようになってから、
足を揃えて座る以上に組頭としての士気が下がってきたのではなかろうか。

なんでもあの団子屋は不幸なことにタソガレドキ城が贔屓にしており、
転がり込んできたあの小娘に対して殿は何も言いはせず、
「男を追いかけてくるとは、若くて宜しい!」
なんて笑いだす始末である。

はあ、と再度ため息を付きながら1日でも早く
この小娘を追い払えないかと雑渡は考えを巡らせていた。

──とある日の昼下がり。
雑渡は毎日のように顔を見せにくる子犬・・・ではなかった小娘から逃げるように
木の上で雑炊を啜り部下に愚痴る。

「何を悩む必要があるんです、羨ましい限りですよ。
夜伽の相手にでもしてしまえばいいんです。」

「夜伽ってお前・・・あの小娘いくつだと思ってるんだ。
尊奈門とあまり変わらない年頃だぞ?」



「だ・か・らですよ!若い女子のどこに不満があるんです?!」

興奮気味にはなす押都にやれやれと思いながら、雑渡は遠くへ目をやり1人ごちる。


「あとぐされのない関係以外は面倒なだけなんでね・・・」



夜伽、まあ最初はそれも頭をよぎったが。
いかんせん自分を見るあの純粋な瞳は、手でも出せば状況がさらに悪化するだろう。それこそ嫁面されたりしたら堪らない。・・・考えただけで疲れてきた。


嫌な予感は的中するもので、自室に戻る途中に小娘と鉢合わせてしまった。

「あー!雑誌さん雑渡さんっ、お帰りなさいっ♪
何かお手伝いさせてください!お洗濯しますよ?」

またそれか、と雑渡はジロリと小娘を見下ろす。
しかしにこりとした顔で両手を差し出され、洗濯物をと促されるのだった。


(───ああそうだ、なら・・・。)



「じゃあついでに、包帯でも替えてもらうとするかな。」

「えっ、いいんですか?!」

少し照れたように頬を染めながら口元を両手で覆って喜ばれると、
罪悪感を感じるが。

小娘には悪いが、嫌な思いをしてでも早く村へ帰ってもらおう。
雑渡は作戦を再考し、心の中でニヤリと笑った。



嫌な思いをさせてでも村に帰す、はずだったのだが───。




数刻後、雑渡は面白くなさそうに膝に頬杖をついて呟いた。


「火傷の傷痕を見て顔色ひとつ変えないなんて、なかなか肝の座った子だね・・・」



何を言っているのかというように肝の座ったと評された主は鼻息荒く答える。


「え、どうしてですか?男の勲章ですよ!!かっこいいじゃないですかー!」


目をキラキラさせて興奮気味に話す彼女に、
読みが外れた雑渡は面倒くさそうに視線を逸らす。
いきいき話すこの小娘は、お淑やかさには欠けるが恋する乙女の表情だ。

不思議な奴もいるものだ。恐怖心や不快感そして嫌悪感、
今まで自分の裸体を見た女の目は、そのように黒く染まってゆくばかりだったのに。
それはお金で割り切る遊女は勿論のこと、
もう忘れかけてはいたがかつては好いた女でさえも、
誰もが同じような態度を取っては離れていったのだ。

中には付かず離れず関係が続いた女もいた気はするが、所詮ソレだけの関係だ。
目の前の純朴そうな平和脳の小娘とはあまりにもかけ離れている。
今までに実例のなさすぎる事態に、雑渡はどう対処するべきか頭を抱えた。

昔の記憶を思い出しつつ、何故この小娘は同じ目をしないのかと再び視線を戻す。


「・・・お前は本当、変わっているね。」


頬杖を付いたまま、答えにならない言葉をぶつけてみる。


「それって・・・私雑渡さんに認められたってことですか?!」

「いや違う。」

ぴしゃりと否定された小娘は、あら手厳しいーとカラカラ笑いながら薬を塗り続ける。


発言や仕草こそまだまだ小娘だが、触れられる感触は繊細で優しく丁寧だ。
尊奈門とはまた違った女性の手は背中に心地良い。


「じゃ、包帯巻きますよー♪」


「・・・ああ、ありがとう。」


村に帰す作戦は失敗に終わってしまったようだがほんの少しだけ、
久しぶりに温かい感情が胸を掠めたのは事実。


─やめておけ、そんなものは邪魔なだけだ。─


闇に堕ちた忍びの身。
一瞬でも感じたその温かさは、すぐに忍び心に咎められるのだった。

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