二章後編


小娘のくせに-第2章-後編-


部屋まで案内された後、尊奈門が着替えを持ってやってきた。


「これ、城の女中のものだけど。泥だらけで布団に入るよりはマシだろう?」


そう言って女物の寝間着を手渡され、小娘は慌てて頭を下げた。


「あ、あのっ、今日は私の軽率な行動のせいで・・・本当にごめんなさい!
雑渡さんの仕事の手も止めてしまったと思います。」


尊奈門は私に言われてもなあと内心苦笑しつつ、
ひとまず今日は休むように言いつける。
と、同時にこれは組頭命令だと伝えようと思ったがやめておいた。
組頭はどうお考えなのかわからない。
これ以上この小娘に変な期待を持たせないほうがいいと考えたからだ。


「その泥だらけの着物、後で外に出しておいて。洗濯するから。」


あ、洗濯は女中に頼むからその辺りは気にしないでくれと言い残し、
尊奈門が部屋の扉を開けた時


「私、雑渡さんのこと何も知らない・・・。」


切なげな声が漏れたのがわかり思わず振り返ると、
汚れが残った手で泥の着いた着物の裾をキュッと掴む小娘の姿があった。
なんだか一人にするのは可哀想な空気だ。
だがしかし男の私が居座っていいものだろうか。


「私で良ければ話し相手でも・・・まあ落ち着くまでここにいよう。
あ、でも風邪をひくといけない、先に着替えた方がいいか。
後で何か食べるものを持ってくるから、喉が通りそうだったら食べてくれ。」


などと思いついた台詞をぐだぐだと一通り投げかけ、
一旦出て行く口実を作るのに精一杯なのだった。


星が瞬き始めた頃、雑渡は自室で豪快に伸びをした。

やれやれ今日は邪魔が入ったせいでどっと疲れが増した気がする。
任務には全く手をつけていないのにこの疲労感は何なのだろうか。
ふと自分の手を見つめると、あの首を捉えた感触と小娘の表情を思い出す。

色白で細く、少し力を入れただけでも折れてしまいそうだった。
平和脳のヘラヘラしたあの小娘の顔が、あんなにも苦痛に歪むとは。
ぞくりとする高揚感と、少しの罪悪感がざわめく。


「いい薬にはなっただろうね・・・。」


そういえばいつもなら小娘が包帯を換えにくる時間だ。
明らかにそんなには使わないであろう包帯を両手に抱えて。
流石に今日はやってきそうもない。そもそも、あんなに怖い思いをさせたのだ。
もうここへは来なくなってもおかしくはない・・・。
いや、もともと追い出すのが目的だったのだ。それはそれで好都合なのだが。


「好都合・・・か。」


自分について物思いに耽りすぎただろうかと
柄にもなくもやもやとした感情が影を落とした時、
組頭と呼ぶ未熟者の声が聞こえてきた。


入れと許可しさっきまでの思いを払いのけるように、
ちょうど良かったと尊奈門に命じる。


「なかなかタイミングがいいね、そろそろ包帯を換えて貰おうかと思っていたよ。」


「・・・私でいいんですか?」


いらり。


せっかく払いのけた感情を部下に蒸し返され、
雑渡は気持ちよくなさそうに尊奈門の顔を見た。
そもそも払いのけた感情ってなんだと自分に問いかけながら。
尊奈門は余計なことは言わない方がいいかととても複雑そうな顔をしたが、
前回小娘が余らせて置いていった包帯を手に取るのだった。


「お説教とはいえ、女性をあそこまで泥だらけにすることなかったのでは?」


余計なことは言わないと思った尊奈門だったが、
この距離ではどうしても疑問点を口に出さずにはいられなかったのだ。


「小娘には丁度いい灸だったと思うけど。」


「小娘小娘って言いますけど、あの人私よりいくつか年上ですよ。」



何?


雑渡はそれは初耳だと一瞬だけ驚きの目を向けたが、
すぐに目を細め呆れた口調で言う。


「だったら・・・もっと落ち着いた方がいいね。」


それは私も思いましたけど、と気まずい空気が流れるだけになってしまった。


雑渡のことは組頭としても父の命の恩人としても尊敬しているし
生涯ずっとついていきたい。
別にあの小娘の味方になったり
どうにか取り持って恋仲にさせたいというわけではないのだ。
ただあんなにまっすぐな想いをかわし続けるような雑渡の態度と、
肝心なところで伝え方が不器用な小娘にはどうもむずむずしてしまうのだった。


「山菜採りだって、ほとんど組頭のためを思って出かけられたんだと思いますよ。」


聞いているのかいないのかわからないその背中に向かって、
尊奈門は包帯を巻きつけながら小さく呟く。
やがていいですか聞いてくださいと言い聞かせるように続けた。


「特に蓬。ぜーんぶ組頭の傷のことや体調を思ってですよ?
今度こそ食べて貰うって、何かあれば雑渡さん雑渡さんって。」


煩いもんですよ、と尊奈門は愚痴りながら、その愛の重さにまた苦笑する。
何も言わずに背中だけを見せている雑渡が、
どのような表情をしているのか何か言おうとしているのかはわからない。
包帯を無事換え終わり手持ち無沙汰になった尊奈門は、
気が向いたら声かけてあげたらどうですかと一言残し部屋を後にした。



「ふむ、経験値がモノを言うのか・・・
やはり包帯の巻き方は尊奈門の方が上だな。」



雑渡はくるくると腕を回し換えられた包帯を見つめ一人口を開くのだった。


翌朝 ──。


小娘はぱちりと目を覚ますと、身体を起こした。
借り物の寝間着を身に付けているのに気付き、
すぐさま昨日は寝床を与えてもらったり着替えを用意してもらったりその他諸々
甘えてしまった事を思い出す。
身支度をしなければと急いで自分の着物を手に取ると、違和感を感じた。

自分の着物と色も素材も似ているが、今まで着ていたものではない。
真新しくなっている。まだ洗濯していないからこれを用意してくれたんだろうか、
勝手に着てもいいのだろうか。

小娘は寝間着姿で誰かに会うわけにもいかないしと迷いながら、
あとで聞いてみようとその着物に着替えて部屋の外に出てみると。


「・・・こ、れ・・・っ!」


驚きの声をあげたその先にあったのは、
昨日山ほど取った蓬や山菜が入ったままの籠だった。
上の方は土が付いたり潰れてしまっているものの、
一緒に地面にぶちまけてしまったものが再度籠の中に収められていた。


「おや、目が覚めたのか?」


尊奈門が朝食を持ってやってきた。
昨日もあのあと夜食を持って行ったのだが、
よく眠っていたから下げたのだと言いかけると


「尊奈門さん、あのっ、この着物、とあとこの籠はっ・・・」


聞きたい事が一つ二つと出てきて混乱する小娘に、尊奈門はああと答え始める。


「着物は擦り切れていたし、泥汚れも酷かったから新しいのを君に贈るよ。
全く同じ価値の品物だから気は遣わないように。」

小娘は目を丸くした後、何度も尊奈門にお礼を述べていると

「新しい着物を用意するよう命じたのは組頭だ。
私はそれに従うしかないからな。後でお礼を言っておくといい。」

これくらいなら伝えてもいいだろう。
ついでに買い付けに行ったのは私だぞと付け加えておいた。
小娘は、雑渡さんが・・・とうわ言のように呟いている。
そしてすぐさま視線は山菜の入った籠に向けられ、それに気付いた尊奈門は
ああそれは、と迷ったように口を開いた。


「それも・・・まあ、組頭かな。」


何を思ったのか、夜明け前に例の現場まで取りに戻ったらしい。
籠には一度外へ飛び出た山菜達が無造作に入れ直されていた。
まったく組頭は器用なのか不器用なのか。

全てを察した小娘は嬉しいやらありがたいやら申し訳ないやらで顔を歪める。


「わっ、私・・・蓬団子作ってきます!」


「は?今それか?!っておい!」


厨房お借りしますと一目散に籠を抱えて走っていく小娘の背中に、
食べてくれるかは知らんぞと投げかけた言葉は届いていないようだ。
一人取り残された尊奈門が笑ったような困ったような顔をして呟いた。


「全く本当におてんばな人だな。
ありゃいつまで経っても小娘としか呼んでもらえないぞ。」


土のついた蓬を丁寧に洗ってからすり潰して行く。
この作業はいつもなら無心になって集中できるのだが、今日は雑念が邪魔をした。


雑渡さんは、やっぱり優しい人だと思う。
あの山での一件は雑渡さんが雑渡さんじゃないみたいで、本当に怖かったけれど。
でも任務の邪魔をして怒らせてしまった、団子を食べて貰ったことは一度もないのに
これではさらに望み薄なのではないか。
ああ駄目だ、こんなに暗い気持ちを注いでは、団子が不味くなってしまう。

どんどん目が冴えていくと同時に、
昨日尊奈門が夜な夜な話に付き合ってくれたことを鮮明に思い出してゆく。
そうだあの時・・・小娘ははっと目を見開き、ここでとうとう手を止めてしまうのだった。


その夜


雑渡は昨日滞らせてしまった任務について整理をしていた。
昨日も今日も同じ流れであり、
きっとこの後尊奈門が包帯を換えに来るのもまた同じ流れになるのであろう。

そう思ったと同時にパタパタと足音が聞こえてきたのだが、雑渡はすぐに気が付いた。
尊奈門の足音ではない。これは───



「雑渡さーん、包帯換えにきましたよっ♪」



正気かこいつは。


あれだけの目に遭ったのに気は確かかと雑渡は少々固まってしまった。
しかし職業病により見抜いた部分もある。
いつもと声の調子も違えば軽やかな足音ではない、空元気な様子に。


小娘は改めて雑渡と対面すると、一瞬肩を強張らせたがすぐに笑顔を繕った。
が、日頃の行いがモノを言うのだろう。雑渡は嫌でも気付いてしまう。
面倒だなとは思う。思うが。
素人相手に手荒な真似をした自分にも分が悪い箇所がある。
と、仕方なしに口を開いた。


「あの件はもう終わったことだ。・・・これに懲りたもう」
「さあさあ包帯取り替えますから背中向けてくださいね♪」


話の途中で半ば無理やり向こうを向かされてしまえば、もう何も言う気になれない。


暫し沈黙が続く中、
包帯の布が擦れる音が部屋に響くだけでいつものような会話はない。
雑渡は1番最初に包帯を巻いて貰った夜と同じように、
頬杖をつきながら前だけを見ていた。


数刻そうしていると別の音が聞こえてきて、雑渡は盛大にため息をついた。
それが鼻をすする音だったからだ。


(なんて面倒な奴なんだ・・・!)


素直にそう思ってしまったのだ。
面倒ごとは嫌いだ、しかも任務に無関係ならば尚更だ。
無視を決め込むのだ。小娘が鼻をすするなんてことは今までになかったが、
雑渡には予想がついた。

どうせいつもの口癖、「何でですか!」が飛び出すのだ。
おそらく今なら「何で無視するんですか!」との煩い声が飛んでくるのだろう。


・・・。


しかし雑渡の読みは外れたようだ。待てど暮らせど煩い声は飛んで来ず、
代わりに感じたのは背中に落ちてきた生暖かい水滴の感触だった。


ぽたりぽたりと落ち続けるこの感触は雨漏りではない、人の涙だ。


「おい・・・!」


勘弁してくれ涙は傷に滲みると言わんばかりに振り返ろうとすると、
ガシッと頭を掴まれそれを阻止される。
こんな貧弱な力なんぞ造作もなく抑え込めるがこの小娘はそうはされたくないようだ。


「・・・・っ・・・」


肩を抑えられていた手の力が弱まったが、
今度は巻きかけている包帯をぎゅっと掴まれる。


「ちょっと、痛いんだけど。」


一瞬、何だ山での仕返しのつもりかと思った雑渡だったが、
その思考はすぐに打ち消された。
未だぽたりぽたり落ちてくる生暖かい感触を思えば、
小娘も何か思うことがあるのだろう。
意を決したように涙の主が語り始めた。


「ごめん、なさい・・・」


「・・・・?だから山でのことならもう」
「そうではなくて」


何がそうではないのだ。いや、そうではないと言われるとまた腹が立つのだが。
雑渡は訳がわからんぞと言いたげに、いらいらしながら次の言葉を待った。
不本意だが。


「尊奈門さんから聞きました。雑渡さんの、火傷のこと・・・」

「・・・?」


それがどうしたと雑渡の頭の中でさらにはてなマークが飛びかっていく。


「私っ、男の勲章だなんてはしゃいで笑い流して・・・ごめんなさい!」


ん?


「・・・なんだそんなことで?」


予想と反した答えに豆鉄砲くらうと共に
しかし尊奈門は少し喋りすぎだと心の中で睨みをきかせる。


そんなこと、と言われても小娘の涙は様々な感情が渦巻いてのものだった。


火傷のこと、酷い有様で壮絶な療養生活を送っていたこと、
かつては婚約者がいたこと、それも破談になったこと───。

どんな思いで炎の中に飛び込んでいったのか
どれだけ苦しくて痛かったか、辛かったか、怖かったか。


いや、思うこと、涙の理由はそれだけではなかった。


自分のことを隠さず部外者に語ってくれた
尊奈門の気持ちを思えば申し訳なく、また嬉しくてありがたかった。

雑渡の婚約が破談になった話を聞いた時
少しでもホッとしてしまった自分が許せなかった。
怪我を負っていなければ雑渡は他の女性と、と思ってしまったのは事実だった。
情けなさと苛立ちが飛び交う。勝手だとは思いながらも、
やはり自分は目の前のこの男が好きなのだ。


「雑渡・・・さん・・・。」


「・・・何だ」


包帯を掴む手に力が入ってしまう。


でも、今伝えなければ。
とっくの昔から誰もが知っているこの気持ちを、"言葉にして"伝えておかなければ。
隠すつもりもないこの気持ちを、
本人に気付かれていると分かっていても、伝えなければ。



伝えておかねば人生や運命なんて、
いつどこでどう変わるかわからないのだから。



「私は・・・雑渡さんが・・・好きです。」


口にするのは初めての、背中越しの告白。沈黙が怖い。嗚呼まただ。

ここでも、貴方がどんな顔をしているのかわからない。
貴方のことをきっとまだ何も知らないはずなのに、どうしようもなく好きなのだ。


「そりゃあ、どーも。」


その言葉ではっと我にかえる小娘に、雑渡はくるりと振り返った。
そして、頬に涙の跡が残るその顔じっと見つめる。
そこには昨日怯えた鷹の目をした雑渡はいなかった。
が、また身体が強張って動けない。

雑渡の手がこちらへするりと伸びてきたかと思えば。


「痛っ!」


高くくくった髪をむんずと掴まれたのだ。
この男には昨日から驚かせられっぱなしの小娘だが、雑渡とてそれは同じだった。


「笑え。」


はい?

答えになっていない回答に涙目できょとんとする小娘をよそに言葉は続けられる。


「その辛気臭い顔と情けない声を何とかしてくれないか。
こっちも気分が下がってしまうよ。」


はぐらかされた?それとも遠回しに振られた?
小娘はどうしていいか分からずまじまじと雑渡の顔色を伺う。


「これならいつものヘラヘラしてる顔の方がずっとマシだ。あとあの煩い声もね。」

雑渡はやっと小娘の髪から手を離すと、
半分以上巻かれていた包帯を後は自分で巻きつけていく。


「もう行っていいよ。」


「あ、の、でも・・・」


何だろう、愛の告白をすればその場で返事を貰えるものではないのだろうか。
その場でなくても、少し考えさせてくれとかそれに合わせた回答が
返ってくるものではないのだろうか。
自分が初心なだけなのか、と小娘は柄にもなくぐるぐると考え込んでしまう。
すると、頭の上から続けて声が落ちてきた。


「蓬団子。」


「え・・・」


「作ってくれるんじゃないの。」


・・・!


少しづつ少しづつ。
何かが変わった気がしたと同時に、不思議なように心のモヤモヤが晴れていく。


ダメだ、自然と口角が上がってしまう。
ニヤける顔を必死で抑え込もうとしながらも、隠しきれない笑顔で雑渡を見上げた。


「はいっ、喜んで♪」


その腹が立つほどのヘラヘラした顔を、闇に引きずり込むわけにはいかないが。
保護者役くらいなら、買ってでてやろうじゃないか。


「だからその締まりのない顔をどうにかしなよ・・・」


「さっき笑えっていったじゃないですか!」


月の輝くその夜、
「お夜食お夜食」と嬉々廊下を小走りする小娘の背中を目で追う自分の口許が緩んだのに気付く。
すぐさま口布の位置を調整するのだった。



「お!」


翌朝、雑渡の部屋の前を通りかけた尊奈門は目を丸くした後、柔らかく微笑んだ。


「組頭のお皿、ちゃんと空になってるじゃないか。」



雨上がりの空は快晴で、それまでのざわめきを一掃してくれているようだ。
数刻後同じように雑渡の部屋へ近づいてくる小娘の姿が一人。
どきどきしながら戸の下に目をやり、やがてその顔はぱあっと輝いた。
残念ながら部屋の中から雑渡の気配はしなかったが。



「次は美味しいって言って貰おうっ!」



そう言いながら小娘は、空になったお皿を痛いほど抱きしめ意気込むのだった。



小娘のくせに-第2章後編-完

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