二章中編


小娘のくせに-第2章-中編


晴れた日の昼下がり。
タソガレドキ城から東へ進んだ山道をザクザクと進み、
木漏れ日を受けながら歩く小娘の姿があった。
気持ちの良い風が桃色の頬を掠めてゆく。

蓬や山菜も順調に採取し、籠も随分と重くなってきた。
昨夜雑渡に言われた言葉がふと思い出され、少しの罪悪感を感じる。


「危険な噂があるからこっちにくるのはやめておけって言われたけど・・・。
こんなにいい天気だし、鳥の鳴き声しか聞こえないほど静かだし・・・大丈夫だよね。」


言い聞かせるように出た言葉は、恐怖心なんてないという意味なのか、
雑渡への言い訳なのか。

ふと籠に溜まった薬草や山菜、蓬らに目をやり、小娘はふっと微笑んだ。


美味しく料理するから、雑渡さんを元気にしてよ ─。


山の恵みに向けて呟かれた優しい声が静かな森に響く。まだお昼を少し過ぎた頃だし、
ここいらで少し休もうかと考えた小娘が背負っていた籠を下ろした。
一房蓬を手に取り、さて何を作るか考えを巡らせる。

まず帰ったら美味しい蓬団子を作って、今度こそ雑渡さんに食べて貰おう。
蓬はもう少し多めにとって、薬草にするのも良いかもしれない。
血行改善や皮膚の炎症にも効果的なのだ。



ざわり。



ほのぼのと考え事をしていると、生ぬるい風に全身を包まれた。
周りはまだ明るいはずなのに、先ほどまでとは空気が違う。
小娘は思わず立ち上がり辺りを見渡した。何だか不気味だ。


(おかしい・・・さっきまでこんなに・・・)


今まで心地よかったはずの風は唸るほどに木の葉を揺らしており、
それはまるで自分に向けられている様だ。"帰れ"とでも言われているみたいに・・・。


何だろうか、ざわりざわりと不気味な空気がどんどん近づいてきているような。
いやこれは最早空気なのか音なのか、幻聴なのかそれとも。


ここで初めて心臓が嫌な音を立てる。どくんどくん騒ぎ立てるその音と、
煽るような不気味なざわめきが交差した時。




ザアァァッ ─── !




それは一瞬の出来事で、




「き・・・っ!!」



素早い足音とともに木々の奥から黒い人影が飛び出してきた。
それは迷うことなくこちらを狙い、悲鳴も上げさせないほどの素早さで
小娘の喉元を掴む。


「ぐっ・・・」


苦しそうに喉の奥を鳴らすと同時に、小娘は地面へと叩きつけられた。


何事か。


置かれた現状に思考回路が追いつかない。
何が起こったのかと苦しい中薄眼を開けるのも精一杯だ。

顔が見えない、お面なのか表情が見えないせいで余計に恐怖心を煽られる。
自分との体格差にこの力、間違いなく男だ。

凡人が必死に相手の情報を断片的に手に入れようとするものの、
ギリギリギリと喉を捉えた手はどんどん強まり意識を飛ばしそうになった。


「は・・・なして・・・ぐぅっあ!」


喉元を押さえつけられていた片手は顎へと滑り、
鷲掴みにされ乱暴に上へと向けられる。
こうまでされると声も出せないし息もできない。
さらにもう片方の手は鋭利な鉄製の棒を取り出され、
それはゆっくりと首へ近づいてくる。恐らく忍器だろう。


・・・!


駄目だ、この男は本気で殺しにかかってきている。
ようやく逃げられぬことを悟り目が潤む。
殺される。改めて昨夜雑渡に言われた言葉と、今の状況を思い知らされた。
雑渡が正しかった。当然だ、彼はプロの忍なのだから。
いつの間にか自分の目は見開かれ、そのまま堰を切ったように涙が溢れてきた。


(怖い・・・死にたくない、死ぬのは・・・怖い!!)


「ざ・・・とさん・・・助けて!雑渡さんっ・・・!」

ぼろりぼろりと両目から涙を溢れさせながらも
どうせ死ぬならと最後の力を振り絞って出た情けない声。
しかしすぐさま、言いつけを守らなかったのは自分なのだ、
そんな都合のいい話はないと諦める。


その瞬間、物凄い力で締め上げられていた首元が、一瞬にして楽になった。



え?




「・・・懲りたか小娘め。」




は?



聞き慣れた声。




抑えられていた手の袖口をよく見ると、包帯を巻かれた腕がちらりと見えた。


「ふ・・・ぇ・・・」


最初考えた恐怖とは違う、
今度は安堵の"何が起こっているのか。"


雑渡は身に付けていたお面を外し、必要なかったかなと一目それを見たあと
忍器と一緒に懐にしまう。
そしてまるで一仕事終わったかのように、
ふうと一息つき小娘の上から身体を上げるのだった。
手を差し出されることもなく、
小娘は軽くなった身体を自ら持ち上げおずおず立ち上がる。


「雑渡さ」
「死にたいのかお前は・・・!」


びくり。


普段雑務で怒られる時や、煩いと邪険にされる時などとは全く違う
鷹のような目に厳しい声色。
初めて見る雑渡のあまりの剣幕に、小娘は肩をすくめて固まった。
いつもあんなに見たくて仕方がない雑渡の顔が、それ以上は怖くて見れずに
逸らしてしまう。


「ごめん・・・なさ、い」


こういうのが精一杯だった。
安堵はしたものの助けを請うた相手、しかも想い人に殺されかけた事実に
小娘はショックを隠せない。
そんな青い顔に向かって雑渡は口を開いた。


「これが、我々忍の仕事だ。」


「・・・え?」


短い雑渡の言葉に思わず反応してしまう。


「私が見ず知らずの忍だったら、お前は今殺されていたんだぞ。」


いや、それだけじゃなく男どもの性奴隷として回されていたかもな、と言い放った後、
そして・・・と言葉は続けられる。



「もし全く知らぬ輩で任務の邪魔になるのなら、私も相手を殺していた。」



ぞくり、と小娘の身の毛が逆立ち、
背中に伝う冷や汗を感じもう一度身震いしてしまった。


「私はそういう男だよ。・・・忍だ。」


語尾には強い意志を感じ、
逸らしていた目線は再び引き寄せられるように雑渡に移されたが、
すでに雑渡は背中を向けていた。


「あ、の」
「帰るぞ。」


ついてこいというようにそのまま歩き始め、小娘も慌てて小走りで追いつこうとする。
しかし雑渡は数歩歩くと何かに気づき空を見上げた。
その姿は何か・・・風か雲かを読んでいるようで、やがて小さな舌打ちが聞こえた。



「やはり一雨来るか・・・急ぐぞ。」



雑渡の言葉とほぼ同時にふわりと小娘の身体が浮く。


「えっ、うわっ」


それは理想的なお姫様抱っこのようなものとは程遠く、
動きやすさをだけを重視した横抱きの担ぎ方だった。
次の瞬間、小娘は身をもって忍の技術を目の当たりにした。
雑渡は少しの助走であっという間に木の上へと移動し、
さらに次の木へ次の木へと渡り歩いてしまうのだ。


(は・・・はやい!凄い!・・・でも)



「落ちるっ、怖いっ・・・!」



心の中で言っていたつもりが、思わず口に出してしまっていたらしい。
すぐさま雑渡の声が飛んできた。


「お前が余計な動きをしなければ絶対に落ちん。あと喋ると舌を噛むよ。」


さっきより声色が落ち着いていたことに小娘はどこかホッとしたが、
やはりいつもと違う怒気漂う様子に落ち込んでしまう。
雑渡は今どんな顔をしているのだろうと考えるも、
やはり見ることもできないのだった。

そんな自分の心に追い打ちをかけるかのように、
ポツポツと顔に冷たいものがあたり始める。
ここでも雑渡の読み通りだ。
そうか、途中から急に不気味に感じたあの空気は天候の悪化を意味していたのか。
そして先程の雑渡の舌打ちを思えば合点がいく。


横抱きにも慣れ始めてきた頃、
ようやくタソガレドキ城が見え、門の近くで小娘は降ろされた。
気配に気づき、尊奈門が重い門を開ける。

「おー、お帰りなさいくみがし・・・ら・・・?!」


入り口を開けた尊奈門は驚いた。
そこには泥だらけになった着物姿の小娘と、
隣には無傷の雑渡がいたからだ。


(どういう組み合わせなんだ
何があったんだ
なんで片方だけ泥だらけなんだ!!!)


一通り心の中で突っ込んだ後だが、驚きのあまり声に出してもう一度叫ぶ。


「な、なんで君はそんなに泥だらけなんだ!
何故組頭も一緒で?!
それより・・・何があったんです?!」


「尊奈門」


質問には答えない雑渡に名前だけを呼ばれ、不服そうにはいと返事をすると、
耳打ちをされた。


「この雨だ。今日はこちらで休ませる、部屋を作ってやって。」


部屋を?この小娘のことで間違いないのだろう。
尊奈門は状況を理解できないまま、ひとまず言われた通りに動くしかなかった。


まともに会話をしないまま小娘がとぼとぼと尊奈門について行くその背中を
雑渡が見届けていると押津の声が飛んできた。



「で、本当に何があったんです?彼女、あんな泥だらけになっちゃって。」



雑渡は静かに何もないと答え、独りごちた。



「少し灸を据えてやっただけだ。」



その物言いに押津は敏感に反応する。



「灸って・・・!まさか組頭、森の中でそんな!」



わざとらしく恥ずかしそうに反応する押津に、これ返すねとお面を渡し、

「おそらくお前が想像しているような灸ではないよ。」


と、ついでに返しておくのだった。





小娘のくせに-第2章中編-完

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