愛は手段を正当化しない
ついに、やってしまったーーー。ホテルを出て駅までの道のりを早足で歩きながら、なまえは自己嫌悪に陥っていた。あんな風に、なし崩しに体だけ繋げようなんて、卑怯だ。女好きの上鳴なら断らないと思っての行動だったが、今となっては自分の心の傷を抉っただけだった。自分から仕掛けたくせに、勝手に期待して、勝手に傷付いている。あんな卑怯な手を使って、上鳴が誘いに乗って来ても来なくても、傷付いたのは同じ事なのに。そこまで考えて、溢れそうになった涙をぐっと堪えて、コンビニ前の喫煙スペースへ進行方向を変えた。いい年した大人が、こんなひどい顔で電車には乗れない。一旦煙草を吸って落ち着こうと思った。
上鳴となまえが出会ったのは、なまえが今の事務所にサイドキックとして就職した1年目の時だった。彼は高校3年生で、なまえの事務所にヒーローインターンの為に来ていた。なまえは雄英のようなエリート校出身ではなかったし、毎日必死に先輩ヒーローに追いつこうとがむしゃらだった。そんな時に天下の雄英出身というだけで周りからチヤホヤされ、顔も緩みきった(ようになまえには見えた)上鳴がインターンに来て、正直幻滅したし、初めは正直嫌いだった。なまえも上鳴も新人という事もあり、一緒の現場に行く事は当初なかったので、話す機会もほとんどなかった。
そうしてお互い同じ事務所で働いているのに挨拶くらいしか交わす機会が無いまま、何ヶ月かが過ぎたある日。事務所の近くのショッピングセンターで、敵グループによる立て篭もりが起き、事務所のヒーローやサイドキックが総出で出動したのだ。先輩ヒーローが敵の退治や確保へと向かう中、新人の上鳴となまえは警察が来るまで避難者の誘導を任された。なまえとしてはその扱いは不服だったのだが、上鳴がいる手前、先輩として任された仕事を完遂しない訳にはいかないと、担当地区を分担して客の避難や要救護者の対応に当たっていた。
警察が到着するのとほぼ同時に、無線から主犯の敵たちを拘束したとの連絡が入った。それを聞いて、自分の担当地区を警察に任せてきたのか上鳴がなまえの方へ合流しに来た。
「みょうじさん!お疲れっす。敵、確保出来たみたいで、大事にならなくて良かったっすね。」
「・・・おかしい。こんな大規模な立て篭もりをやってのけといて、こんな短時間で拘束が完了するなんて・・・」
ホッとしたような笑顔で駆け寄ってきた上鳴の事を見向きもせず、なまえは何かがおかしいと思案をする。無線では主犯と思われる敵2名という情報が回ってきていたが、たった2名でこんな大掛かりなテロを起こすだろうか?それこそただの阿呆ならやりかねないが。なまえが腑に落ちないと考えを巡らせていると、「考えすぎじゃあ・・・?」と上鳴が口を開いた瞬間ーーーなまえ達の後方、避難所の辺りから耳をつんざくような叫び声が響き渡った。
避難所の中央の地面からいきなり敵が現れたのだ。そして避難所にいた客の女性を引き寄せ、ナイフを突きつける。その女性は足を負傷しており、ほとんど敵に寄りかかるような形で拘束されていた。
「ヒーロー共!この女がどうなっても良いのか!?」
この場にいるヒーローはなまえと上鳴だけ。新人2人に突破出来るような状況では無かった。だがそんな事敵には関係ない事だ。下手な動きをすれば人質の女性が負傷してしまう。それだけは何としても避けなければならなかった。なまえはすぐに人質にされている女性に意識を集中させる。敵が何か喚いているが、耳に入れない。全神経を女性に向ける。女性が助けを求める表情でなまえと上鳴の方を見る。その瞬間、なまえは個性を発動させた。
一瞬のうちになまえと人質の女性の位置が入れ替わり、なまえは敵の懐へと入り込んだ。すぐに足払いをかけて敵を転倒させ、武器を落とさせる。そしてノーガードの所に手刀で意識を失わせた。先程地面から出て来たのがこの敵の個性だとすれば、最も有効なのは拘束ではなく意識を失わせる事だ。この敵の体格が自分とあまり変わらなくて良かった、と思わず一息ついた。敵の脅威が去ったと周囲が理解した瞬間、わあっと歓声が上がった。周りからはなまえの迅速な敵退治を褒めそやす声が聞こえる。なまえはそんな周囲の反応に、嬉しいと思うよりも困惑の方が大きかった。
「みょうじさん!!大丈夫ですか!?」
敵を地面に引き倒したままのなまえに、上鳴が駆け寄って来た。人質にされていた女性も、遠くから心配そうになまえの方を見つめていた。
「俺、何にも動けなくって、すいませんでした。」
上鳴は咄嗟に行動出来なかった事を謝った。上鳴が素直に謝罪したのを、なまえは意外だと思った。それは、勝手に雄英出身者はみんなプライドが高いと思っていたからだ。
「・・・いや、あの状況なら上鳴くんの個性だとちょっとやり辛いでしょ。しょうがないよ。」
なまえのフォローを聞いて、上鳴は更に落ち込んだように見えた。ほぼ初絡みのなまえ相手にもこれだけ感情を隠さずに表してくるのも、なまえは意外だった。雄英出身というだけで距離を置いてしまったのは、なまえが勝手に抱いていた学歴コンプレックスのせいだったのだ。良く言えば素直な上鳴のその態度に、なまえは今まで抱いていた印象が馬鹿馬鹿しくなった。
「あ、みょうじさん!血が・・・!」
顔を上げた時に見えたのだろう、上鳴が慌てたように首筋を指差した。人質と入れ替わった時にナイフが食い込んだのだろうか、なまえの首筋に赤い血の筋が付いていた。
「これくらい擦り傷だよ、大丈夫。」
「でも、女の人なんだし、すぐ治して貰いましょう!」
なまえは上鳴の言葉に呆気にとられた。女扱いなんて、ヒーローになってからされた事が無かったからだ。それも、自分より年下の男の子に。何も反応を返せずにいると、遠くから先輩ヒーローの声が聞こえた。騒ぎがあったから、駆け付けてくれたらしい。その後もすぐに警察が来て、敵は全員拘束されて輸送されていった。怪我をした首筋は、そこからしばらくひりつくような痛みが消えなかった。
そんな些細な事から、上鳴を意識するようになった。第一印象がマイナススタートだった事もあり、印象は良くなるばかりだった。先輩の指導を意外と真面目に聞くところや、誰とでもすぐに打ち解ける性格など、自然と目で追ってしまっている自分に気がついて、それが恋だと自覚した。その時はまさか自分が、と茫然自失になってしまったのだが。
上鳴を意識するようになった時の事を思い出しながら、なまえは尚も喫煙スペースにいた。コンビニに入って買えばいいものを、何故だか足は動こうとしなかった。片手に煙草を持ってどこを見るという事もなくぼうっとしていた。早朝の道路は人通りも少なく、気温も低くて風が吹くと心地よかった。なんでこんな事しているんだろう、と煙草を仕舞おうと思った時、横からスッとライターの火が差し出された。
「ライター、無いんすよね?火、どうぞ。」
横に人が居た事になまえはそこで初めて気が付いた。女の割に背の高い自分より更に高い身長の男は、片手で煙草を持ち、反対の手でなまえに向かってライターを差し出していた。その顔に見覚えはなかったが、善意からの行動だろうと思い、ありがたく火を貰おうとその手に顔を近づけた。
「ありがとうございます。」
一言お礼を言い、やっとありつけた一服を味わうように大きく息を吸った。一呼吸置き、お互いに微妙な距離のまま煙草の煙だけがふわふわと漂った。その沈黙を破ったのは、男の方だった。
「・・・あの、違ってたら申し訳ないんすけど、上鳴電気って奴知ってます?」
先程まで考えていた人物の名前が出て来て、なまえは心底驚いた。怪訝そうな顔をしたなまえに見て、男は慌てて弁解した。
「いや、俺あいつと高校の同期なんすよ。前にあいつに見せてもらった写真に、お姉さん映ってたんで、知り合いかなと思って・・・」
知り合いどころか、昨日そいつとセックスしましたよ、とは言える訳がなかった。同期ということは、この男もヒーロー科なわけであって、順当に行けばプロデビューしている筈である。なまえは記憶を辿りながら男の質問に答えた。
「上鳴くんと一緒の事務所でヒーローしてます、みょうじです。」
「もしかして、身代わりヒーロー スケープゴートっすか?」
まさか知られていたとは思わなかった。なまえのヒーロースーツは顔を隠すタイプのものだし、まだヒーロービルボードに名を連ねるほどの活躍もしていないからだ。驚きながらもこくり頷いて質問に答えると、男は歯並びの良い口をにかっと開いて笑った。
「はじめまして、俺テーピンヒーロー セロファンこと、瀬呂範太っす。」