まぶたに透ける青と永遠 05

最初の種目は50m走だった。逹紀が最も"個性"を発揮できる種目だ。だからこそ、はっきりさせておきたい事があった。測定に入る前に、"名前"は相澤に向かって手を挙げた。

「先生、質問いいですか。」

相澤が覇気のない目で逹紀を見る。その顔が先を促すように頷いたので、続けて発言した。

「助走をつけて走っても良いですか?」

逹紀の"個性"はチーターで、一番の特徴はその足の速さだ。瞬間最大速度は時速120kmにもなる。だが、トップスピードに乗るにはある程度の助走が必要なのだ。測定に使うであろうトラックには、スターティングブロックが用意されていた。暗にクラウチングスタートをしろという事かもしれない。チーターの手足は猫のように爪を仕舞う事ができないので、器具を傷つけてしまうかもしれないのも懸念だった。

「"個性"を使うなら、好きにしろ」

だが相澤は意外にも、しれっと許可してくれた。晴れて許可が出たので、本来のスタート地点より後ろからスタートする事になった。しかも、逹紀の計測の時だけスタート地点にも計測器を設置してくれるようだ。なんという配慮だ、と拍子抜けしてしまった。

1-Aは21名で奇数なので、逹紀だけ最後に一名で測る事になった。全員が測り終えてからの測定なので、ストレッチしながら自分の順番を待っていると、後ろから肩をトントンと叩かれた。振り返ると、赤い髪の毛を逆立てた男子生徒が居た。面識がなかったので、何だろうかと思っていると、男子生徒が口を開いた。

「俺、切島鋭児郎!あのさ、入試ん時会ってるんだけど、覚えてるか?」

そう言われて記憶を辿るが、思いつくのは耳郎と「硬化」の彼と、心操だけだった。「硬化」の彼は黒髪だったし、それ以外に自分が話した人物は思いつかなかったので、素直に首を振った。

「まあ、この頭じゃそうだよな・・・。俺の"個性"、「硬化」なんだけど、あん時助けてくれただろ?」

そう言って切島は、右腕を硬化させて見せてくれた。その"個性"には見覚えがあった。入試の時の黒髪で、ハッキリ言ってしまえばあまり目立たない風貌だった彼が、ここまで変わっているとは思わなかった。髪型で人の印象はだいぶ変わるのだな、と思った。

「覚えてる!ごめん、あの時の彼だとは思わなくて・・・」
「気にすんな!無理ないしな!あん時、負傷してたヤツの近くで敵やっつけてたら、いつのまにか逸れてて、お礼言えなかっただろ?ちょっと引っかかってて。改めて、あの時はありがとな。」

逹紀自身、心操を運ぶ時に切島が支えてくれなかったらスムーズに避難させられなかっただろうし、お礼を言いたいのはむしろこっちだった。わざわざ言いにきてくれるなんて、なんていい人だ、と切島に対して二度目の印象を受けた。照れ臭そうに頬をかきながらはにかむ切島は、太陽光と髪の毛の赤色も相まって、キラキラ輝いて見えた。そこで逹紀は、自分が自己紹介していない事に気付いた。

「こちらこそ、君の"個性"で随分助けられたよ。ありがとう。私、地井逹紀。よろしくね。」

切島がおう!と言って手を差し出した。一瞬反応が遅れたが、握手を求めているのだとわかり、逹紀も手を差し出して握手をした。その時に握った手は、切島の人懐っこい笑顔からは想像出来ない固くてゴツゴツした、男らしい掌だった。逹紀も"個性"を使用して走る時は素手と裸足なので、手足の皮は厚くなっている方だが、全く違う固さだった。切島のそれは明らかに男女の差によるものだった。

切島との握手をした直後、相澤に名前を呼ばれたので、スタート地点に向かう。後ろから切島が、「頑張れよ!」とエールを送ってくれた。ありがとう、という意味を込めて片手を挙げた。

皆がスタートした位置よりも、100m程後ろに立つ逹紀に、生徒はざわついていた。50m走るのに、何故その倍の距離の助走が必要なのか、と感じていた。相澤が後方でスタンバイする逹紀に、いつでもいいぞと声を掛ける。それを聞いた逹紀は、靴を脱いで近くに置き、四つん這いになりチーターに変化する。
一度自身の爪でトラックを引っ掻き、感触を確かめてから、姿勢を低くしてスタートした。スタート地点までの助走で、トップスピードの時速120kmまでスピードを上げる。スタート地点の計測機がピッと鳴るのと、ゴール地点で音が鳴ったのは、ほんの一瞬の差とさえ思った。ゴールしてすぐに逹紀は急停止した。時速120kmもの速さから瞬時に止まる事が出来るのも、逹紀の"個性"の凄いところなのだが、生徒は皆それよりも叩き出されたタイムの方に気を取られていた。タイムは、逹紀以前の最高記録である飯田の3秒04を遥かに超える、1秒48だった。

「いや、速すぎだろ!あんなんアリかよ・・・」
「速すぎて目で追えなかった・・・」

全力疾走した後は全身の熱を逃がし、呼吸を整えるためなるべくすぐには人型に戻らないようにしている。チーターの姿だと、鼻腔が広くなっているので呼吸量が増加するからだ。チーター姿のまま生徒が待機している場に戻ろうとすると、耳郎がそそくさと寄って来た。まだ息が整わないので、そのままの姿で顔を見上げた。耳郎は少し頬を赤らめて、歯切れ悪く「あの、さ」と前置きし、「・・・撫でても良い?」と尋ねた。別段断る理由もないので、コクリと頷いた。耳郎はおずおずと首元に触れた。

「うわぁ・・・。フワフワ・・・」

いたく感動した声が頭上から聞こえた。チーターの毛は空気抵抗を減らす為に流線型に生えており、全体的に固めだが首元やお腹の毛は比較的柔らかい。しかも喉元はネコ科の動物にとっては触られると気持ち良い箇所なので、思わず喉がゴロゴロ鳴ってしまいそうだった。すんでのところで我慢して、第2種目の握力測定の為に体育館に移動する他の生徒の後ろに、耳郎と二人で慌ててついて行った。

握力は中学時代より少し良くなったくらいだった。続く立ち幅跳び、反復横跳びはチーターになって測定したので、どちらも上位に入る記録が出せた。ボール投げは、人型で平均の記録にしかならなかった。やっぱりパワー不足が課題だなと自分の手を握ったり開いたりしていた。その時、近くでオールマイトの"匂い"がした。チーターの五感は、人型に戻っても残るのだ。キョロキョロと見渡すが、それらしい姿は見つけられなかった。

測定も残り数人となった所で、癖毛の男子生徒が、相澤に個性を消されていた。相澤は呆然としている男子生徒に近付き、何か指導をしているようだ。男子生徒の表情が暗いままなので、悪い内容である事は間違いない。生徒の待機場所と測定場所からは距離がある為、他の生徒には二人が何を話しているか聞き取れないようだが、逹紀は違った。全て聞こえていた。

担任からあれだけ言われて、普通なら心が折れてしまう者もいるだろう。逹紀がいる場所からは男子生徒がどんな表情をしているのか分からないが、何かをブツブツ呟いているのが逹紀の耳には全て届いていた。その呟きの中にオールマイトという言葉が出て来たのが少し引っかかった。ボールを振りかぶっている間も彼のブツブツは続き、ボールが指から離れる瞬間に指を犠牲にして"個性"を発動させたようだった。変色した人差し指を無理やり握り込んで、涙を浮かべながら相澤に向き合う彼は、全く面影は無いのに、オールマイトと何か似通うものがあり、違和感として逹紀の心に引っかかっていた。