オルトからのコールを受信して、イデアはすぐに嘆きの島を後にして学園に戻った。各所のハブになっている鏡の間にはイグニハイド寮生がいた。鏡を抜けて、イグニハイド寮の敷地に足を踏み入れた瞬間、その異常事態を肌で感じた。

 底冷えするような暗い洞窟に、よどみが溜まっている。重苦しいくらいの大気。

「なに、これ……」

 珍百景? という皮肉も出ないほどイデアは困惑した。
 オーバーブロット。聞いたことはあるし、知識として知っている。ネット上でも、何件かそういった事件が起きていることを知っている。イデアは理解した、それはただの知識でしかなかったのだと。

 すれ違う生徒たちは、皆一様に恐怖と畏怖を顔に貼り付けていた。


「りょうちょ、う」
「オルトは、どこ」
「あああっあ、あっちのひろばで、避難誘導を」
「わかった。君も、はやく避難して」
「っはい、……」


 歩き慣れたはずの道を、初めて見つけた道のようにして進む。寮生を避難誘導している、オルトの姿を見つけて、イデアは駆け寄る。

「オルト!」
「兄さん、ぼくーーーーちょっと前まで、大丈夫だったんだ! 兄さんが残した魔力体で、幻覚もうまくいってたよ? あ、さ、あさごはんも一緒に食堂で、食べてっ。でもある瞬間を界に、ぷつりと表情が抜け落ちて、何も話さなくなって、まるで、まるで人形みたいに、えれちゃんがっ」
「大丈夫、オルト。大丈夫、落ち着こう」

 イデアの姿を目にして、緊張の糸が緩んだオルト。兄さんが作った完璧なボディに、欠陥なんてない。それなのに、息ができないほど苦しくて、しかたがなかった。懐かしくさえ思うイデアの匂いに、包まれる。オルトはぎゅっと大きな兄の背中に腕を回す。そうして、イデアの呼吸にリズムを合わせて、調整をする。少し落ち着きを取り戻したオルトは、現状をぽつぽつ説明した。

 エレがオーバーブロットしたこと。普段は隠遁している、イグニハイド寮生たちも、ぞろぞろとこの騒ぎに出てきたこと。そのうちの何名かが、教師たちを呼びに行ったかもしれない、ということ。そして、エレはーーーー

「い、や……やだ、やだやだやだやだやだやあああああああ、やめてやめてやめてよおおおおおおお」
「ッ!!?」


 身体を震え上がらせる音。オルトに視線を合わせれば、こくりと頷く。遠目でもわかる異様さ。発生源であるエレの周りには、どろどろとした黒い液体が浮遊している。寄生虫のように、宿り主であるエレを守るように蠢いていた。

 イデアを探すために寮の母屋から這い出たらしい。誕生日会のときにはダンスステージとして使った広場の中心。まわりには、止めに入ったのか、数人の寮生たちが地に伏していた。



「もう、いやなの」


「くらいところ、に、もう……おいて、いかないで」


「ひとりに、しないで。おねがい」


「あなたも、おいていくの?? ねえ、どうして???」


「やめてよ、そんな、ひどいこと、しないで」



 エレの後ろには、大きく濃い影。真っ白なワンピースを着せられた、つぎはぎ状の人形がそこにはいた。2つの長く垂れたおさげは、千本の針が連なったように重く、鈍く揺れている。裂けた口からはどろどろとした黒い言葉が、吐き出されていく。


「呪ってやるっ!!!!! のろいころしてやる!!!!!」


 暗く激しい憎悪が、周囲を薙ぎ倒そうとする。びりびりと咆哮のような悲鳴であたりに牽制をかける。その下でエレは、何も聞きたくない、見たくないとすべてを遮断するようにして、小さな背を丸めてうずくまっている。

 イデアは残っていた寮生と、ソレに対峙する。魂が抜け落ちたような寮生と、エレを助け出さなければならない。吼える人形の注意を魔法で、なんとか気を逸らしつつ、まずは寮生の回収をオルトに託した。そうして、本体の人形への攻撃にイデアも加勢に入る。得意な召喚術で骸骨の大群を出現させるが、エレに纏わりついて離れない影はびくともしない。長期戦に持ち込みたくても、エレの体への負担を考えればその選択は絶対にできない。

「寮長ッ、もう持たないです!!! あいつだんだん大きくなってますよ!」
「兄さん!!! ぼくがっ!」
「だめだ! ビームで一掃したら、エレ、が……ッ、」

 でも、どうしたら。どうしたらいいんだよ!!
 呪詛のような言葉を叫び散らす、人形の影。その声の中にエレがいる。いうことを聞かない古びたラジオみたいな、砂嵐の中にまじって。たすけて、って。いつかのあの日、小さな手が助けを求めた。「おいていかないで」とねがう声が聞こえる。ぎりぎりっとイデアは目の前の光景をみて、唇をかむ。


「オルト、物理攻撃からの守りは任せるよ」
「そんな。それって兄さん、だめだよ、……。いや、……うんっ、わかった!! 」

 誰かが教師陣を呼びに行ったかもしれない。だが、エレはNRCに所属する学生ではない。それらが導き出す結論は、……最悪のルートだ。時間がない。自分で『これは奥の手に取っておきたかった』なんて THE 決め台詞は、絶対に口にしないですぞ。自分への解釈不一致ゆえ。
 青い唇の上を朱が垂れていく。イデアは、袖で唇をあらっぽく拭うと、すぅーっと呼吸を整えた。

 使い慣れた 髑髏しゃれこうべ モチーフの武器アバターを掴み、ありったけの魔力を送る。薄暗い広場を、火が ほとばし る。地面を這うそれは、円を かたど った。身体を引きしぼられるような、激痛。痛みと共に風が魔法陣を中心に、沸き起こる。ぬるい風が頬や髪を攫っていく。あらわになったイデアの額には汗が浮かんでいた。青く浮かぶ魔法陣の前に、イデアは陣取った。

 その間も、影のような人形からの攻撃はやまない。オルトが物理攻撃をしのぐその先。イデアは視線を外さなかった。濃いきいろの瞳で射抜いたまま、血がにじむ口を開く。





――――応えよ。


祖より受け継がれる、我が魂に。

我は冥界を統べる者、
我は冥界の悪を敷く者。

天界より見放されし彼の地を守りし我ら。
飢えを知らず、渇きを知らず、終りを知らぬ。
永久に続く時に従い、この意、この理に従うならば応えよ。


汝の身は我がもとにあり、我が運命は汝の牙にあり。
深き眠りから呼び覚まそう、共に統べし 猟犬ケルベロス――――!





 敷かれた魔法陣のその下。ぼごり、と土が盛り上がる。地中を裂いて、とどろきと共に姿をあらわすのは、鋼のように黒い四肢を持つ獣。頭を三つ頂いたその姿。凶悪さを閉じ込めたような瞳が6つ。ギロリと遥か頭上で、輝いた。召喚に応えるは、冥界の使徒。

 喉が乾く。きっとブロットもたまっている。次は僕かもしれない。
 うずまく不安をイデアは嘲笑でかき消した。オタク魂ってやつを、見せてやんよ。みるものを煽るように、口の端を吊り上げる。鼓舞するように、得意分野を話す、独特の口調とテンポに乗せて紡ぐ。


「ケルベロスってやつはさァ……死者が逃げ出さないように、冥界を見張っている。それゆえ、冥界の番犬とよく言われましてな。入ってきたものを逃がさない抑止機構なんですわ。その逆も役目に含まれるって知ってました? 生者を通さないように、だったり。冥界にいるべきモノを、連れて帰るっていう……。――――ああ、これは余談になるけど。うちの子は、燃費がわるくてさ。いつもおなかをすかせてるんだよねえ、フヒヒ」


グルルルッ

「どうどう、ケルちゃん」



さあ――――ご飯のお時間ですぞ









 ケルベロスのしなやかな脚が、地を蹴る。つんざくような金切り声が襲い掛かる。しかし、ワンテンポ反応が遅れた人形。あっという間に、間合いを詰められ、攻撃を許した。

「ないすケルちゃんッ!!」

 イデアが出した打開策は、後ろの人形だけを冥界に連れて帰るという案だ。

 横腹、両腕。ケルベロスが喰らいつく。人形の動きを封じて、その強靭なあごでブチブチと現世から引きはがさんと、首をよじる。イデアは人形がひるんだその隙を見て、エレに近づいた。

 青白くなったその顔。前に手をかざせば、かすかな息をとらえた。そのことに、イデアはほっと息をつく。このままケルちゃんが、冥界に連れもどしてくれれば。

 ブンッ、と風を裂く音が聞こえる。それは針を束ねた、髪の一房――――





「兄さんッッ!!!!」


 エレを突き飛ばして、防衛魔法で直撃を回避したはずなのに、イデアの身体は水平にとんだ。背中になにかがぶつかる。それが敷地内のオブジェだと気付く間もなく、さらに飛ばされる。地面に肩をぶつけては、跳ね上がり、転がる。召喚した骸骨にぶつかり、ごろごろと転がる。打ちつけられる頭。ちかちかと星が四方に飛んだ。
 息を吸うが、同時に血が混ざった空咳が出た。痛みが全身を突き刺す。血が流れる。喉の奥から熱いものがこみあげてきて、思わず吐き出した。どろっと濃い血液がまじっている。ぶつけた左肩の布が切り裂かれて、血がにじんでいる。


 ゲーム画面のように赤い視界の中、舞う土埃の向こう。白い人形が武器を掲げていた。











△▼
▼△▼



 ふわふわと寄る辺を失った意識の中。


「わあ、すてきなお人形さん。ありがとう、お父様、お母様」


 声がきこえる。


「あなたは今日から、―――よ!」


 ぼ、ぼくは……。え、もしかして死んだ? イデアは不思議な空間に身を置いていた。奥行きを感じないその空間。インクをこぼしたような黒い窓がぽっかりと浮いている。窓の縁は、ぼおっと水彩のようにじんわりと色が滲んでいた。その内側で、虫食いにあったような映像がゆっくり流れ始める。あ、死んでなさそう、とイデアは記憶にある死者の国と現状を比較して、そう結論づけた。

 この不思議な空間は誰かのユニーク魔法? 出口を探そうとイデアは視線を動かす。視界の端で、何かがきらめいている。さっと隣を見れば、月の光を集めた髪と、白いワンピースに身を包んだその人形に、つよい既視感をイデアは覚えた。お行儀よく両手を揃えて、椅子に座っている。深い赤を宿したその人形は、美しいがらんどうの瞳でぼんやりと流れる映画を食い入るようにみつめている。



「ホントウは知っていた」

「彼女が悪いわけじゃないことも」

「私を置いて行ったわけじゃないことを」

「探したくても、探せなかったということも」


 声が響く。人ならざる不気味な音を鳴らして、人形がこちらを向く。


「呪われしシュラウド家の人間。同胞を何体もやられた、お前たちを許さない」


 感情が宿らない、その瞳。


「生者のことは理解できないわ。彼女もなんでお前なんかを……。彼女を悲しませたら、ゆるさないわ。ゆるさないの。だから、あなたと、彼女に 呪い祝福 を」


 それは彼女の、精一杯の 呪詛感謝 だ。もう見たくもないわ、とイデアから視線を外して、浮かぶ映像に戻す。そこには、いつくしむ色が乗せられていた。映し出されているのは、立派な出窓。外の眺めがよく見える位置に置かれた白いベッド。抱かれた人形と、少女。はためくカーテンのそばには、車いすがあった。

やれやれと、イデアは肩をすくめて、ニヒルに笑った。

「対戦の申し込みは事務所を通すのが常識ですぞ? ささ、はやくケルちゃんに連れて行かれて、どうぞ召されてくだされ」

「ふん。あの犬、思い切り噛み付きやがって…………。ああ、それから――」


イデアにつられて、吹っ切れたように笑う人形。ぴらりと、魔法カードをイデアに投げてよこした。


「こんなのもらっても、女の子は喜ばないわ」

「ゑ?????? これ今ならプレミア価格になっているトレーディングカードでは!!? え、いやその前に、ちょまって、何、軽く拙者の黒歴史えぐるのやm――――


その瞬間。水面を叩かれたように波紋が広がっていく。淡い色彩で埋め尽くされて、空間はゆがんで消えていく。その狭間で、不純物のトレーディングカードが最後の瞬間まで加工されたラメを躍らせる。カードの表には、ユニコーンの角が描かれていた。




▼△▼
△▼






目を開けたら、やわらかくまあるいお月様のような瞳がのぞき込んでいた。ぽろぽろと、瞳が満ちていた。彼女がおどろいたように目を見開けば、きらめいて落ちていくしずく。よかった、無事で。

「もう、だれにも、居なくなってほしくなかったのに…っ」
「え、れ……」
「ごめんなさいごめんなさい、やさしい、死神さん」
「きお、くが?」
「迷惑を、かけて、ごめんなさい。わた、わたし、また」

呻きながらベッドから上体を起こすイデア。静止をねがう声を遮って。

「だめ、傷が――
「君を。たす、けたい、って。選択したのは僕だ」
「えっ、でも……それは、わたしがわる、い」
「なめてもらっちゃ、困りますなァ」

うつむいてなくエレの頭にぽんと手を置く。

「拙者、すきるれべる、カンストしてるんですぞ? お気づきでない? だから、そう簡単に倒れたりしませんぞ。居なくなったり、もしない」
「……っ」
「迷惑もかけていい、僕は、君の "お兄ちゃん" でしょう?」

イデアはやわらかい声で、エレに確認をとる。応えられず、顔をくしゃりとゆがめたエレの代わりに、肯定するような声が飛び込んできた。

「兄さん!!!!」

とっても心配したんだからね、無茶しないでよ。ぽかぽかと、イデアを叩くオルト。いたた。声が声の形を取れずに、空中分解するようだ。エレにも向き直って、言葉を交わさずに2人してわんわんと泣き出す。イデアはおろおろと手を所在なさげに、さまよわせてから、2人の頭に手を置いた。











――――



拙者、イデア・シュラウド。イグニハイド寮所属のNRC3年生也。
趣味、PCゲー。ジャンルは問わない。そんなPCゲーで大丈夫か? 大丈夫だ問題ない。最近の沼は、マスターがサーバントと契約してニコイチで戦うゲーム。召喚術の得意な拙者とは何かと親和性が高い。ちょっぴり感動する、いい話なんですわ。


「イデアお兄ちゃん!」


そういえば、僕には、妹がいます。




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