地下牢教室に日は差し込まない。暗い地下にあるということもあり、教室内は酷く冷えていた。

黒い服で全身を覆ったその教師は教室に入り、その寒さに気が付き、杖を振るって暖炉に火を灯した。
これで数分、数十分すれば教室内も暖かくなるだろう。

男はそこまで思ってから疑問を抱く。
はて。確かにこれからこの教室で作業を行うが、火を灯す必要などあっただろうか、と。

この教室が寒いのはいつものことであり、十数年前からここで働いている彼にはもう寒さには慣れているはずだった。
実際に、授業で生徒がつけたわけでもなく、自らの意思で暖炉をつけるのは久しいことだった。

男はそう疑問を抱いたが、それ以上深く考えることなく大鍋を取り出し、中に水を満たした。

と、その時、教室の扉を控えめに開ける音がして、扉の淵から赤とオレンジのマフラーを巻いた生徒が顔をのぞかせた。

「スネイプ先生…? いらっしゃいますか?」
「…また来たのかね。朝から元気なようで、Ms.」

スネイプの皮肉に、やってきたリクは寒さで赤い頬を膨らませ、怒ったように机と机の間を進んで両手に抱えていた大鍋類を最前列の席へと置いた。

「今日は午前中一杯、授業がないんですもん。
 それに、この前読んでいた本の続きが気になってしまいまして」

机に物を置いたリクは、はにかみながら奥に備えている本棚に駆け寄り、目当ての一冊を手にとった。
本を持った彼女は、物を置いた最前列に行くのではなく、作業をしているスネイプのすぐ傍まで行き、本を開いた。
スネイプの視線が一瞬だけリクに向けられるが、彼は特に何を言うでもなく作業を進めた。

「あったかいですね」

ふと、リクが暖炉の火を見ながら、にっこりと笑った。その頬はまだ赤いままだったが、表情は柔らかだった。
スネイプの視線が再び一瞬リクに向けられ、そして今度は言葉が返ってきた。

「風邪をひかれても、面倒ですからな」

これでは毎回寒い地下牢教室にやってくる物好きな生徒のために暖炉を灯したかのようだ。
そう言ってしまってからスネイプは内心面白くない気持ちを抱えつつも大鍋を金属の棒でかき混ぜる。カチンと鍋と棒の打ち合わさる音がした。

スネイプの決して優しくはない言葉を聞きつつも、リクは本から目線を上げないまま苦笑を零した。彼の皮肉はもう慣れっこだった。

「はーい。わかってますよー。この本を読み終わったら、ちゃんとやることやりますから」
「馬鹿は風邪をひかないと聞くが…、そうか。Ms.のことか」
「酷いです。
 確かに私の意思で来ているんですけれども、私だって頑張ってお手伝いしているんですよー?」

頬を膨らますリクを横目で見て、スネイプは彼女を鼻で笑う。スネイプの手先では再び大鍋と金属の棒が当たる音が鳴り、数種の薬草が大鍋へと落とされていく。

「では、本を読み終わったら『真実薬』の下準備をしていただけますかな」
「え。『真実薬』を、ですか?」

魔法薬の中でも強力な効果を持ち、作り方も高度な魔法薬の名前を出され、リクの視線が本から上がってスネイプを見た。
スネイプは視線を返さないままに杖先を黒板へと向けた。いつものように黒板に浮かび上がる文字を遠目で睨みながらぷくーと頬を膨らませる。

「時計回り2回に、反時計回り4回…。ここって掻き混ぜたあとに煎じた物をすぐに入れるんですよね…」
「そう書いてあるだろう」
「ですが、これは煎じたあとすぐに使わないと変色してしまいますよ? 火にかけておくんですか?」
「片手でやればいい。混ぜながら煎じろ」

淡々と答えたスネイプにリクは困惑顔を見せる。リクの力では片手で薬草を煎じるには力が足りないかもしれないのだ。

一抹の不安を抱きつつも、悩んでいても仕方がないと思い直し、結局読んでいた筈の本を閉じて、スネイプの後ろで大鍋を火にかけ始めたリク。

地下牢教室の机は作業台としても使われるため、机と机の間は広めに取られている。
リクとスネイプは互いに背中を向けながら、それぞれに別の調合を始めた。

ナイフで必要な薬草を細かく刻みながらリクは後ろのスネイプに声をかける。

「先生は何を作っているんです?」
「Ms.の作業が終わるまでには『万年万能薬』を」

答えられた魔法薬の名前にリクは目をぱちくりとさせながら後ろに振り返る。
6年生の授業でも作ることのある『万年万能薬』だが、リクが作業を終えるまでの数十分で出来る魔法薬ではない筈だ。

「確かに『真実薬』の下準備は初めてやりますけれど、そこまで時間をおかけしませんよ?」
「……教師を何だと思っているのかね」
「それもそうでした」

生徒が調合するスピードと本職の教授が調合するスピードでは早さが全く異なる。リクは苦笑を零して、また前を向いてナイフを握り直す。
と、その時にスネイプがリクの横に腕を伸ばして鍋に杖を向けた。途端に小さくなる火にリクは「あ」と一言言葉を零した。

「温度が高すぎますぞ」
「す、すみません…」
「温度が高いと気化するのも早い。火傷をしたくないのなら気をつけたまえ」

注意を大人しく聞いてその言葉を頭の中に入れつつも、リクは不意に気が抜けるような緩い笑みを浮かべた。
ふふと零された笑い声にスネイプはちらりと後ろを見る。リクは教師顔負けの調合を進めながら楽しげに言葉を零した。

「いや、その…、もし私が魔法薬学の先生になってスネイプ先生の助手になったら、こんな感じなのかなぁと思いまして」

肩を並べるでもなく、離れる訳でもなく、ただ一定の距離を保ったまま、お互いそれぞれしたいように調合するのだろう。

そう言葉をかけながらリクはもう1つ小さめの鍋を取り出して薬草を煎じる用意を始めた。
いつもどおりの無言で会話を続ける気のないスネイプにも気を落とすことなく、そのまま作業を続けるリクだったが、その時不意に横に並んだスネイプに少なからず驚き、びくりと肩を震わせた。

「び、びっくりしましたよ。一声かけてくださってもいいんですよ?」
「時計回りに2回、反時計回りに4回。それを2回繰り返したまえ」

リクの言葉に返答するわけでもなく指示を飛ばすスネイプ。彼は指示を与えながら、リクが片手で行おうとしていた小さな鍋の前に立って数種の薬草を煎じ始めた。
どうやら必要なものを作ってくれるらしい。リクは彼のらしくない行動に驚きつつも、また再びふにゃりと気の抜けるような笑みを浮かべた。

肩を並べて作業することはないと思っていたが、そうでもないようだ。

「1…2…、それから1…、2…、3…、4…、」

スネイプは隣のリクが回数を数えるのを聞きながら、ちらりと暖炉の火を見る。
魔法で火をつけているとはいっても、使用回数が決して多いわけではないその暖炉は所々サビが多くなっているようにも思えた。

今までは1人で作業をしてきた。必要のないものでもあった。
だがこれから助手が増えるというのならば、活用する機会も増えるだろう。

「……Ms.下準備が終わったら洗うものがある」
「はい。任せてください」

にっこりと笑うリクはいつものように大鍋や試験管を洗うつもりでいるのだろう。スネイプは意地の悪そうな笑みを口元に浮かべて、薄汚れた暖炉を示した。
示された先にあるものに視線を向けたリクは、困惑を向けたあと示すものに気がついたようでぷくーと頬を膨らませた。

「今日はまた随分と大きなものですねっ」
「得意な呪文があるだろう?」

その言葉にリクは思わず溜め息を零す。少しの不満があるが、結局はリクはスネイプの言ったとおりに動いてしまうのだろう。
リクは言われた通りに大鍋をかき混ぜながら、隣のスネイプを見る。彼の動きは無駄がなく、薬草を煎じながらも、後ろの台で『万年万能薬』を変わらず作っている。
それを視線に捉えながら、終わったら相手をすることになるだろう暖炉に視線を向けた。

火の灯っている暖炉は部屋を暖めながら時折ぱちぱちと音を奏でている。

「手元を見たまえ」
「は、はい」

時折される注意を聞きながら、ゆっくりと暖められていく地下牢の中、教授と生徒は並んで調合を続けた。

リクは自然と浮かぶ笑みを隠さずに柔らかい表情をする。

今はまだわからない未来でも、2人並んで作業することを願って。


(ある冬の寒い朝に)

こんな日がずっと続きますように。

2015/01/09スネイプ先生Happy Birthday!


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