【狼さんは兎さんで兎さんも狼さんで。】(遥)

「ウサギさんだね」

彼女は何の屈託もなく彼にそう言った。

「髪白いし、目も紅いし。
 うん。凄い可愛い」

彼にだけ聞こえる心の奥底の声も純粋に彼を称賛していた。

彼はそれが心地よかった。聞いているだけで不思議と笑顔になり、彼を見て笑顔になる彼女がとても輝いて見えた。

奏でる心の声は極上の響き。彼はその中にゆっくりと溺れていった。

だけどその日、突然。彼女の中で奏でる心の声が変化した。

今まで彼と話していた時の何か温かい感じではなく、もっと熱っぽい……恋愛感情を溢れさせた声が彼の中に響き渡った。

「遥くん。またね。
 あの人、何処にいくんだろう? …ちょっと行ってくるね」

そして彼女は彼から離れた。『あの人』を追いかけ、見えなくなった。

むすっとした顔のまま彼はそこに立っていた。


†††


生まれつき持った白い髪。

ぴょこんと伸びた2本の髪が生えていて、それがウサギの耳のように見える。そして真っ赤で綺麗な瞳。

そんなウサギのような彼は、因幡遥(イナバハルカ)。れっきとした秘密警察犬(シークレットドーベルマン)――『狼男』である。

「………マリアさん。いい加減、止めたら?」
「今、大事な試合なの! これに買ったらアイス奢ってもらうんだから!」

溜め息をつく遥が呟く先には、黒髪の女が真剣な顔で何かに取り組んでいた。

白く透き通った肌。日本人の黒く綺麗な瞳。
少しあどけないように見える顔だが、成人している事は間違いないその女。

足をたたみ、お尻を付いた状態の乙女座りをしていて、彼女の黒髪がさらさらと腰のまわりで揺れていた。
遥の兄の毛フェチな因幡であれば飛びつく様な、手入れされた髪だ。

そんな美しい女性。という容姿をしているマリアは今、真剣な表情で『オセロ』を楽しんでいた。

相手は極端なほどに無口な眼鏡をかけた青年――弥太郎で、マリアが言葉を発しない限りは静かに盤面が動いていく。

首領ヴァレンティーノ(ヤギ)の家である日本家屋の畳の上で、マリアと弥太郎はしばらく前からオセロを続けていた。
試合はどうやらうまく引き分けで進んでいるらしく、白と黒の割合は殆ど同じくらいである。

2人とも見た目以上に白熱しているのか、真剣にオセロをしていた。

そんな試合を近くで見ながら、遥は溜め息を零す。

「2人が楽しんでいるならいいけど。
 マリアさんは仕事じゃないの?
 僕達としてはマリアさんの情報も結構大事なんだけど?」

遥、弥太郎、夏輝は秘密警察犬によるテロリスト集団――野羅だ。
彼らの目標は秘密警察犬を中心とした新警察を作り、冤罪や疑惑のない理想国家を作ること…。

そしてマリアは、その野羅に潰そうとしている警察の巡査であった。

マリアは警察内部の腐敗を心から嫌っていた。
だが、巡査である彼女には何の権限もなく、告発すれば摘まれるという立ち位置にいた。
だからこそ、警察内部の情報を野羅である遥達に流し、野羅の協力を惜しみなく行っていた。

そのマリアがむすとした顔で遥へと向く。

「だって。私の権限じゃ、上層部の情報が全然入ってこないんだもん。
 今、仲のいい上司に話を聞いているけど……すっごい堅い性格の人なの」

遥は少しだけ困ったような顔をして、マリアを見つめた。

「だから、マリアさんは警察を辞めて、野羅の新メンバーになったほうが良いって言ってるじゃん」

前から度々出すその提案に遥の部下にあたる弥太郎と夏輝が遥とマリアを交互に見る。
だが、マリアはむすとした表情を崩さないまま、またオセロの盤面へと視線を移した。

「…野羅には入らないよ。
 だって、1人くらいは警察内部にいて、情報を流した方が良いでしょ?
 聡明さんだって、そう言ってたし……今はいないみたいだけれど」

マリアが出した『聡明』という言葉に遥は微かに不服そうな顔をする。

聡明とは野羅の創始者だ。

以前は秘密警察犬の中でも優秀な彼だったが、今は霊体の姿となり、主に羊のぬいぐるみに憑依している。
優秀な彼も、性格はただのセクハラ親父にしか過ぎず、弥太郎以外には激しく嫌われている。

遥は聡明が好きではない。

少し前まではそうでもなかった気もする。
少し前…マリアに会う前まではそうでもなかったような。

「とにかく。情報が無いならそれでもいいから…。
 マリアさんがサボってばっかりで警察内で印象悪くなったら情報が集まりにくくなるでしょ」
「む。遥くん、いつにも増して厳しい……」

仕方ないなぁと言いながらも笑みを浮かべたまま立ちあがるマリア。

「弥太くん、また今度、続きしようね。
 夏ちゃんもまた遊びに来るからねぇ」

コクンと頷く弥太郎。夏輝も楽しそうにマリアへ手を振り、最後に遥の頭を撫でて出ていった。

「マリアさん、帰っちゃいましたッス」
「本当に、あの人、僕達より2倍ぐらい歳離れているのに……」

20代に見える彼女も今は30代半ば。
どう考えても行動の幼いマリアに呆れを見せながら、遥はまた重い溜め息をついた。


†††


夜。

マリアは「んー」と背伸びをしながら、近くにある珈琲に口を付けた。

昼に警察署へ通勤していったマリアはその後、雑務の詰まったパソコンを日本家屋のマリアの部屋にまで持ち込んでいた。

電気を付けるのすら忘れているのか、部屋は薄暗く、パソコンの光だけが浮かんでいる。

ちゃぶ台の上に置かれたパソコン。手慣れたようにキーボードに数々の明細を打ち込んでいく。

賄賂などのお金への腐敗だけでも止めたくてマリアは自分からこの仕事を受けた。
だが、今のマリアはあまりにも末端。
本来ならば、数年前からいる凄腕であるマリアは巡査で止まる訳が無く、実際は警視ほどの実力はある。
それでも巡査で止まっているのは、やはり、腐敗への断絶が騒がしすぎるからだろう。

辛すぎる現実にマリアは憂鬱な気持ちを抱える。

「んー。でも、これぐらいはしなきゃねぇ」

野羅のために。今は雑務でも何でもしなくてはいけない。
こんな状況の中でも働けるのは、マリア自身が野羅の協力をしたいのだ。

それはマリアが理解している。マリアはまだ『あの人』が――。

(うーっ。駄目駄目。あの人の事は忘れないと!)

首を振り、珈琲の杯を机の上に置き、正座で疲れた足をゆっくりと伸ばした。

その後ろで、襖が開き、明かりがついた。それに気が付きマリアが振り返ると、そこには遥が黙って立っていた。

「あれ? どうしたの遥くん」
「……まだ仕事していたの? 電気もつけないで」

小さく呟く遥。マリアはニコニコとしながら遥を手招きをして、自分の横に座らせた。

「もうちょっとで終わるもの。明細書ばかりだと目が疲れそうだけど。
 電気は完全に忘れていたわ」

マリアが話す間も、不機嫌そうな顔のままな遥。彼女は不思議そうに遥の頭を撫でた。

「どうした少年。元気がないぞ」

撫でられるがままになっている遥。遥は黙って、マリアを見た。

「………マリアさん」
「どうしたの? 本当に元気がないよ?
 また疲れちゃった? 何か運動したの?」

本気で心配するマリア。遥は首を振って、ゆっくりと話し出す。

「マリアさん、男の人と付き合ったりしないの?」
「え?」

いきなり話し出した遥にマリアはかなりの勢いで驚く。
遥は真っ直ぐにマリアを見つめていた。

「マリアさんも30歳過ぎたよね。結婚とか考えたりしないの?」
「け、けっこっ!?
 あの、ほら、私はそんなに恋愛とか今は全く興味ないし好きな人とかもいないからさ…」

マリアはもじもじしながら顔を真っ赤にさせて、全身で照れている。

だが、遥はマリアを見つめたまま静かに聞く。

「本当に好きな人いないの?」
「本当だよ!」

真っ赤な顔のマリア。遥はマリアの腕を取った。ぐいと近付き、マリアを覗きこむ。

マリアは思わず、息を止めて遥を見つめ返した。

「嘘付き。僕に嘘は通じないんだから」

遥にだけ見える声は、彼女の中は『あの人』の事ばかり。

『あの人』を想い続けている事ばかりが、遥には手に取るようにわかってしまう。

マリアは数年前に彼に一目惚れをし、それから警察内の腐敗に目を向け、だがその後、彼は『死んで霊体』になった。
そして今、彼は――遥の肩などによく乗っている羊のぬいぐるみとなった。

「僕は知ってる。
 マリアさんがまだ『聡明さん』事が大好きで……聡明さんの事を忘れられないのを僕は知ってる」

遥の言葉にマリアは少しだけ眉を下げて悲しげな顔をする。
その悲しそうな顔を見て、遥の表情も寂しげなものになる。

「でも、聡明さんは死んじゃったんだよ」
「死んでない!!」

思わず言い返した事にマリア自身が口を覆って驚く。

言い返されて不満そうな表情を浮かべる遥がマリアの腕を掴んだまま、話を続けた。

「マリアさん。僕は――――」
「遥ー、マリアちゃーん。何処にいるんだー?」

そこで。遥の声を遮るように弥太郎の声が響いた。遥は襖の方へと目を向け、マリアは軽く俯いた。

「お。いたいた。飯だぞ」
「わ、わかりました。すぐに向かいます」

いつもの鉄仮面を捨て、にかっと笑う弥太郎。
その中身は何時も無口な弥太郎自身ではなく、霊体として憑依している聡明だ。

マリアは丁寧に遥の腕を振り払い、恥ずかしそうに、弥太郎の姿をした聡明の隣を。俯いたまま通り過ぎていく。

部屋に残され、動かない遥が聡明を睨みつけた。

「聡明さん、マリアちゃんの事、気付いてるの?」

ただ微笑みを浮かべた聡明に、遥は苛々とした気持ちを抱きながらも、聡明から聞こえてきた内心の言葉に舌打ちすらする。

「だったら聡明さんからそう言わないとマリアさんは諦められないんだよ」

そのまま聡明の隣を通り過ぎる遥。聡明が自分の息子を振り返りながらも、何も声を掛けられずに終わった。

残った聡明が、先程思った内心をもう1度呟く。

「マリアちゃんの想いには気付いてるけど……俺はもう死んでんだよね。
 でもな。周りからは霊体でも、マリアちゃんには生身の「聡明」なんだろうよ。諦められるもんじゃない。
 俺も一途に好かれたもんだねぇ」

苦笑を零しながら、聡明は出ていった遥の背を見つめる。

「新しい恋を体験させてやれよ。遥。
 俺じゃあ何もしてやれない」

遥は聡明が嫌いだった。

全てわかっているとでも言いたげな、その父親が。


†††


「はーるかくんっ」
「マリアさん。またサボリに来たの?」
「さぼってるんじゃないよー。危険なテロリストさんの監視に来たの」

あの夜の後も、マリアさんの僕への対応は変わっていない。

何時も通り、子供っぽく笑いながら何度も僕達の所に来る。

(今日は聡明さんいるかなぁ? 羊さんでいるのかな?)

彼女の心の声も相変わらず変わっていない。相変わらず聡明さんのことをよく思い浮かべている。

でも。僕と会った時に、1瞬だけ。

(今日も遥くんに会えた)

そう思ってくれるようになった彼女に何かを期待しながら。何かを求めながら。

「マリアさん。いいから早く帰ってお仕事しなよ」

嘘をついているウサギさん。帰らないでね。もっと、ここにいてね。

「わー。野羅ウサギ、つーかまーえたっ」
「わかったってば」

彼女に強く握られた右手が変に汗ばんでいたけど。僕はその手を素知らぬ顔で握り返していた。

これだから僕はウサギの皮を被ったオオカミさん。

本音の言えない小さな小さなウサギさん。


(狼さんは兎さんで兎さんも狼さんで。)


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