夜も大分ふけてきた頃だった。

小狼は部屋のベッドに腰掛け、羽根に関する情報を得られないかと、桜都国のガイドブックを真剣に読んでいた。
部屋は月明かりが差し込み薄暗いが、小狼には電気をつける間すら惜しいのか、沢山の資料を広げていた。

とそこで控えめなノックが2回。小狼は顔を上げ「はい」と1言返事を返した。
そこでサクラが慣れない手つきでお盆を持って入ってきた。

「サクラ姫」
「澪ちゃんに教えて貰って入れたの。
 チョコレートっていうのを暖めた飲み物なんですって」
「有り難うございます」

小狼が笑顔で飲み物を受け取ると、サクラは淋しそうに俯いて目を閉じた。そして呟く。

「……ごめんなさい」
「…姫?」

訳が分からず、きょとんとする小狼。サクラも小狼のすぐ隣に座りゆっくり話し出す。

「目が覚めた時、私、何も分からなくて…小狼君が私が失った記憶を集める為に、一緒に旅してるって教えてくれた時…。
 「知らない人なのに?」って聞いてしまった…。
 知らない人じゃないよね。だって私の羽根を探す為に危ない目にあって、怪我をして……こんなに遅くまで色々頑張ってくれていて……」

サクラは淋しそうに小狼を見つめた。

「それなのに……ごめんなさい」
「サクラ姫……」

小狼も同じく辛そうにサクラを呼ぶ。サクラはバッと顔を上げて小狼へと問いかける。

「私と小狼君って、いつ会ったの?
 もしかして、小さい頃から知ってて、凄く大切な人なんじゃ………!」

その時、何かがサクラの中で弾けた。
急に力が抜けたように倒れ込むサクラを、小狼はしっかり抱き止め、不安そうに叫ぶ。

「姫!!」

小狼のその声で一瞬だけサクラの意識が覚醒された。囁くように小狼の腕を掴みながら疲れたように息を吐く。

「……今……何のお話してたのかな……
 そう…ごめんなさいって言いたくて……」

そのままゆっくりと眠ってしまうサクラ。 小狼は黙ってサクラを支えていた。

「何だ、今のは」

それを扉の外で黒鋼、ファイ、澪が見つめていた。
澪は悲しげに顔を歪ませ、今にも泣きそうだ。真剣な顔付きで澪の肩を引き寄せるファイがゆっくり呟く。

「対価っていうのは、そんなに甘くないって事だよ」

旅を始める時、小狼が渡したのはサクラとの関係性。

「誰かが、サクラちゃんと小狼君の間にあった事を彼女に教えても、サクラちゃんの中で、その情報はすぐに消去される。
 サクラちゃんが自分で思い出そうとしても同じだね」

絶対的な対価。
簡単には戻らない対価。

「小狼君は分かってたのかもね。こうなるって。
 羽根を探してサクラちゃんが記憶を取り戻して、小狼君との関係に疑問を持っても、差し出した対価は戻らないって」
「だから、ガキは姫に言わなかったのか。以前、自分と姫がどういう関係だったのか」
「………でも、そんなの…」

澪は堪えられなかったのかファイに顔を埋め、小さく嗚咽を上げていた。ファイは澪を慰めながら、ふいと壁に背を預けどことなく上を見つめる。

「それでも「やる」って決めた事は「やる」んでしょう。
 彼は」

決してこれまでと同じには戻らなくとも。自分にはつらいことだとしても。小狼はサクラのために羽根を集め続けるのだろう。
小狼に抱き抱えられて眠るサクラは、小狼に安心しきっているようで。半分以上眠りの中にいるところで小狼に語りかけていた。

「いつか……羽根が全部戻ったら……
 小狼君の事も思い出せるよね。きっと……」

サクラの髪を優しく撫でながら、小狼はゆっくりと後ろを振り返る。

「その思い出におれがいなくても、必ず羽根は取り戻します」

後ろには窓いっぱいにいる鬼児達が、怪しく小狼とサクラを見つめていた。


†††


朝。
澪はゆっくりと身体を起こした。寝台の回りには脱ぎ捨てた衣服が散らばっていた。

「……あぁ、昨日…あのまま寝ちゃったんだ」

昨晩。鬼児が大量に出て、戦う術を持たない澪は眠ったサクラと共に、黒鋼達に守られていたのだ。

さほど異形のものたちに慣れていない澪は、大丈夫だとは思いつつも、気を張りすぎて疲れきってそのまま寝てしまったのだ。

バサバサと散らかった服を片付け、澪は着替える。もちろん昨日のチャイナドレスだ。
時間をかけたのだが、どうしても綺麗には髪を結えなくて髪を降ろしたまま1階へとおりていくと、そこにはすでにファイがカウンターに座っていた。

澪はファイの早起きに驚く。と、同時に単純に自分が遅かっただけだと思い直し、肩を落とす。

「おはようございます、ファイさん。遅れてごめんなさい」
「ううん。十分早いよー。髪、出来なかった?」
「はい…。
 ファイさん、お暇になったら髪結ってください。1人じゃ上手に出来なくて…」
「うん、今やるよー。櫛ある?」
「はいっ」

澪はニコニコと髪を結って貰っていた。髪に触れられながら店内を軽く見つめるが、黒鋼と小狼の姿は見えなかった。

「2人は市役所だよー」

澪の視線に気付いたのか、ファイが答える。昨日の鬼児退治の分の換金をしにいったのだという。
綺麗に髪を結ってもらったあと、ファイは澪の前に朝食としてパンケーキを差し出した。
良い香りをしているパンケーキに澪はキラキラと目を輝かせた。

「ありがとうございます。本当にお店で出てくるパンケーキみたいです」
「よかったー。これもお店で出せるかな」
「出せます、出せます。とっても美味しいです」

ファイ特製のホットケーキにナイフを入れる澪は頬を緩ませながら、本当に美味しそうに食べている。
と、その時。パタパタと階段を急いで降りてくる音がする。ファイと澪が顔を見合わせる中、ゴツンと何かにぶつかるような音がした。

「サクラちゃん、起きたみたいだねー」
「ゴツンって音、しましたけど…」
「おはようございます!」

慌てて階段を駆け下りてきたサクラは、寝ぐせをまだ頭に残していて、ぴょんと髪が跳ねていた。
そして額が少し腫れている。やはり先程の大きな音はどこかにぶつけてきてしまった音だったのだろう。

「おはよー、サクラちゃん」
「ごめんなさい。寝坊しちゃって!」
「いいんだよー。お店開ける時間、まだ決めてないし、サクラちゃんはまだ万全の体調じゃないしねー」
「ちなみに私もさっき起きたの。万全の体調だったのに」

気まずそうに視線をさまよわせる澪に、ファイはあははと短く笑う。サクラは拳を握って気合を入れている。

「明日はちゃんと起きられるように、頑張ります!」
「応援してるよー」

サクラは気合いを入れ、澪はサクラの寝ぐせに触れる。そこで、サクラは辺りをきょろきょろと見渡した。

「モコナと小狼君と黒鋼さんは?」
「市役所行ったよー。昨夜倒した鬼児の報奨金を貰いに行ったんだー」
「昨夜?」
「うん。サクラちゃん、よく寝てたからねぇ」
「怪我は!?」

澪は問いつめるサクラを落ち着かせながら答える。

「小狼君がちょっと。あとは大丈夫だったよ。黒鋼さんもファイさんも私も怪我してないから…。
 小狼くんが心配?」
「……はい」

サクラは俯いて、悲しそうに頷いた。

「小狼君、私の記憶を探す為に頑張ってくれてるのに…私、何も出来ないから…。
 それに小狼君、時々、凄く…独りに見えて……」

ファイはサクラを見て、優しく笑った。

「……さすがだなぁ」
「え?」
「サクラちゃんは今のままで大丈夫いいんだよ。
 笑ってあげてよ。サクラちゃんの笑顔が、小狼君のごちそうだから」

小狼はサクラを思っている。だからサクラが笑っていてくれれば小狼の元気は出る。ファイは澪が食べているのと同じ朝食をサクラへ出した。

「で、サクラちゃんのごちそうはこっちー。
 お腹すいたでしょー。召し上がれ」
「凄く美味しいの」
「有り難うございます。いただきます。
 ……美味しい!」

一口、口の中に入れ、サクラがキラキラと笑顔を見せる。

「良かったー」
「ファイさん、凄いです!
 絵も上手だし、お料理も上手なんですね!」
「絵は魔法陣の要領だしー、料理は薬とか魔術具の調合と同じだしねー」
「それでも凄いことですよ」
「ありがとー。でも小狼君もモコナも喜んでくれたんだけどー」

朝の事を思い出し、うーと眉を寄せるファイ。こんなにも美味しかったパンケーキだが、黒鋼には甘すぎて不評だったのだという。


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