黒い馬車が僕達の前に現れていた。
僕達の家に近付いてきた黒い馬車は、僕達のうちひとりだけを迎えに来ていた。僕達はそれぞれ違う学園に行くことになっていたから。
僕は兄サマと手を繋いだまま馬車は止まるのを待つ。本当は、離れたくなんてなかったから。
黒い馬車は僕の前に止まった。僕の手には学園から届いた黒い手紙が握られていたから。
僕は兄サマへと顔を向ける。兄サマは僕の顔を見て、一瞬ぽかんとしたあと、すぐににやりと笑顔を浮かべた。きっと僕も同じ笑顔を浮かべたに違いない。
僕はリベラ。兄サマに短い別れを告げて、馬車の入り口に足を乗せようとしたところで、あ。と声をかけた僕は兄サマへと振り返る。
口を尖らせていた兄サマは僕と視線を合わせるとにっこりと笑って両腕を広げた。僕も上がりかけていた馬車から離れて兄サマの腕の中へと飛び込む。
あぶないあぶない。僕は最後のお別れのハグを忘れてしまうところだった。
†††
黒い参列者が並ぶ。空間に話し声はなく、厳粛に式が進んでいく。
リベラもまた黒を基調とした式典服に身を包み、フードを目深に被ったまま静かに入学式が進んでいくのを見つめていた。
周りにはリベラと同じく黒い式典服姿の新入生達が数多くいる。その中でリベラは他の生徒よりも比較的小柄で生徒達に埋もれてしまっていた。
生徒達は在校生や新入生も含め、その誰もが部屋の最前列に置かれている鏡に視線を向けていた。
新入生達は順番にその鏡の前に立ち、名前を告げ、そして鏡からは寮名が告げられる。寮の振り分けの儀式の最中だった。
この学園には7つの寮がある。
ハートの女王の厳格な精神に基づくハーツラビュル寮。
百獣の王の不屈の精神に基づくサバナクロー寮。
海の魔女の慈悲の精神に基づくオクタヴィネル寮。
砂漠の魔術師の熟慮の精神に基づくスカラビア寮。
美しき女王の奮励の精神に基づくポムフィオーレ寮。
死者の国の王の勤勉な精神に基づくイグニハイド寮。
茨の魔女の高尚な精神に基づくディアソムニア寮。
リベラは期待する。鏡に名前を呼ばれ選ばれることを。リベラは心待ちにしている。この学園で学んでいくことを。
つまらない儀式だと思っている者は特定数いただろう。空間の中は静寂で満ちていたが、どこかしら飽き飽きとした空気も感じられる。だが、ひとまずは厳粛な儀式の体をこの場では完璧に保っていた。
そんな中でリベラは他の新入生の名前が呼ばれ、そして寮が決まっていくのを興味津々といった風に眺めていた。
視線だけを動かし、少し大きめの式典服のフードが後ろに流れそうになる度に再び深く被りなおすというのを繰り返していた。
少しするとリベラの番となった。リベラは自分の曖昧な記憶が正しければ学園長だと言っていた気もする、嘴のような形をしているペストマスクを着けた男に呼ばれる。
リベラはゆっくりと鏡の前へと足を進める。耳に聞こえてくるような気がする自分の鼓動はいつもよりも早くて、リベラは自分自身が緊張していることがよくわかった。
リベラが鏡の前に立つと、これまでと同じように、鏡の中に緑色の炎と緑色の仮面が浮かび上がった。
「汝の名を告げよ」
鏡に問いかけられてリベラはじっと鏡を見つめた後に、静かに名前を告げた。
声が震えてしまわぬよう、はっきりと。それでも少しの戸惑いを見せながら。
「リベラ・フィンチ」
「……」
リベラの名前を聞いた瞬間、鏡は一瞬黙り込んだような気がした。緊張にリベラの鼓動がまたひとつ跳ねる。
だが、鏡の中の仮面はじっとリベラを見つめるようにして、ゆっくりと言葉を続けた。
「汝の魂のかたちは…」
告げられた寮に、リベラは思わず「嘘!」と声を上げてしまった。厳粛な空間に響いてしまった声に一斉に集まる視線。
集まった視線にすぐに気がついたリベラはフードの下で口元を抑えて、短く照れ笑いをしてから、いそいそと鏡の前から離れて、新入生の列へと戻っていった。
ぎゅうとフードを両手で握り顔を隠すリベラは恥ずかしさに染まった顔を隠しているようでもあり、悩まし気に頭を抱えているようでもあった。
†††
「ど! う! し! て!!!!」
入学式が終わり、学生達のざわめきが始まりだした瞬間にリベラは叫ぶ。突然のことに、隣にいたリベラと同じ新入生がびくりと肩を震わせるのも構わずに、リベラはその場で頭を抱え込む勢いだった。
リベラの腕に巻かれているのは藤紫色のリボン。オクタヴィネル寮のリボンだった。
リベラは腕に巻かれた藤紫を見ながら、口を尖らせる。
「僕は絶対サバナクロー寮に入ると思ってたのに…」
「そ、そうなのかい? どうして?」
あまりの落ち込みように、隣の新入生が思わず声をかけた。その彼の腕にはハーツラビュル寮の証である赤色のリボンが巻かれていた。
ぱっと顔を上げたリベラは腕を組みながらぶうぶうと不満を零していた。
「僕は鳥の獣人なんだ。
そりゃあ身体は大きくないし、力は弱いかもしれないけれども、サバナクロー寮には獣人族が多いと聞いていたし、動くことは得意だし、僕も行くならそこだと思っていたんだ」
各寮には特性があり、振り分けられる学生にも特徴が現れることが多い。
リベラは自分自身がサバナクロー寮に配属されると信じて疑っていなかった様子で、途端に不安げに視線をさまよわせた。
「オクタヴィネル寮は海の中にあるのだろう? どうしよう。僕は泳いだことなんてないんだよ…」
フードの下で不安げな表情を崩さないリベラに、話を聞いていた新入生も苦笑を零していた。
そこでリベラ達、新入生に声がかかった。新入生達は各々の寮長の指示に従って、沢山の鏡が並ぶ広間へと案内されていく。
ひとつひとつの鏡はそれぞれ別の寮へと繋がっているようだった。
不安げな顔をしているリベラも、話を聞いてくれた隣人に別れを告げてひらひらと手を振ってから、オクタヴィネル寮へと続く鏡の前に立つ。
意を決して鏡の中に足を踏み入れたリベラは、広がる景色に、途端に目を輝かせた。
オクタヴィネル寮は確かに海の中にあった。だが、すぐさま水で満たされているというわけではなく、鏡の入り口から寮まではガラスのアーチで繋がれていた。
ガラスの先では海が見える限りに続いており、泡が揺れ、色鮮やかな珊瑚が景色を色付けていた。
「凄い! 海だ! 海の中はこんな風になっているのかい!? とってもとっても綺麗だね!」
先程とは打って変わって忙しなく周りを見てまわるリベラに、周りのオクタヴィネル寮生は呆れた表情を見せている。
きらきらと目を輝かすリベラにはここが海の中であろうと最早関係ないようだ。ぴょんぴょんと跳ねるようにアーチ内を進むリベラは大層ご機嫌だった。
寮長や先輩方の案内で、ご機嫌な状態のままのリベラはひとつの部屋の前に居た。リベラに与えられた自室であった。これからリベラはここで過ごすこととなるのだろう。
転寮や退学の少ない寮では4人部屋、3人部屋もあるようだが、リベラが割り振られた部屋はどうやら2人部屋のようだ。
これから先、特別何かない限りは4年間を共に過ごすであろうまだ見ぬルームメイトに、リベラは期待を募らせる。
もしかしたらもう部屋の中にいるのかもしれない。リベラは期待で頬を緩ませながらも、扉をノックし、声をかけながら部屋へと入っていった。
そして、そこにはリベラの期待通り、既に1人の生徒が中にいた。
部屋の装丁を眺めていたルームメイトは、入ってきたリベラの姿を見て、一瞬だけ嫌そうな顔をしたのをすぐに隠した。
「あなたでしたか」
見知ったように声をかけられて、リベラは小首を傾げてしまう。
リベラとしては初めて見る顔の筈なのだが、もしかしたら以前に知り合っていただろうか。リベラは片言で問いかける。
「ハジメマシテ?」
「えぇ。初めまして、です。
鏡の前で姿をお見かけしていましたので」
「あはは。ごめんねぇ。あの時はちょっと予想外過ぎて。
良かった、僕はまた見知った人を忘れてしまったのかと思ったよ」
あっけらかんと笑うリベラは、目の前の同級生に向かって手を伸ばした。相手方もちらりとその手を見てから握り返した。
「じゃあ、改めて。僕はリベラ・フィンチ。キミは?」
「僕はアズール・アーシェングロット。これからよろしくお願いします」
「こちらこそ。4年間、仲良くしようね〜」
藤色の髪。透き通る青い瞳。知的な雰囲気を漂わせているアズールに、リベラは全くの警戒心を持っていないかのようににこにこと呑気に笑顔を浮かべていた。
アズールはリベラと握手をしながら、じっと怪しむようにリベラの姿を眺めている。が、呑気な表情のリベラにやがて毒気を抜かれたようだった。