淹れたての珈琲の香り。木の上で嗅ぐ風の匂い。
招待されたなんでもない日のパーティで食べる絶品のフルーツタルトと、購買で買える安くて大容量のべたべたに甘いチョコレート。

夕暮れに見える箒の上からの一番星。雨が降り終わった後の澄んだ青空。
寮から見える涼し気で自由なクラゲの姿。閉店後の静かなモストロラウンジで歌う歌。

僕のことを大切にしてくれる兄サマからのお手紙に、クルーウェル先生がたまにくれるGOOD BOY。
ジェイドくんの大きな手で作られる小さくて繊細なテラリウム。空を泳いでいるみたいに見えるフロイドくんのパルクール。

ひらひらの尾羽みたいな寮服のストールに、キラキラ輝く黄金の契約書。

それとなにより、アズールくん。

全部、全部、僕の大好きなもの。


†††


ナイトレイブンカレッジ。世界中から選ばれた類稀なる才能を持つ魔法士の卵が集まる、ツイステッドワンダーランドきっての名門魔法士養成学校。
入学できるのは『闇の鏡』に優秀な魔法士の資質を認められた者のみであり、そして選ばれし者は扉を載せた黒い馬車が迎えに訪れる。

今日はそんなナイトレイブンカレッジの入学式だった。
ひとつ学年が上がり2年生となったリベラ達も、新入生を歓迎するために大広間へと向かっていた。

「ほら、歩けるかい? フロイドくん」

黒い式典服に身を包んだリベラは口元を隠しながらクスクスと笑う。苦い顔をしながらだらだらと歩くフロイドの手首を軽く取って、リベラはフロイドとそして横にジェイドを引き連れて歩いていた。
リベラ達の周りには同じく黒い式典服に身を包んだ生徒達が鏡の間へと向かっている。いつも一緒に行動をしているアズールは寮長として既に大広間に入っている手筈だった。

リベラに手を引かれるままに歩いているフロイドは、身体が痛い、尾びれが痛いと不満ばかりを零していた。
彼は数日前に『ひと働き』したところであり、リベラはそんなフロイドを励ましながら、誤魔化しながら歩いていた。

「もー、やだ〜。ねぇ〜入学式なんてもうサボってもいい?」
「いけませんよ、フロイド」
「そうだよ。僕達にとっての初めての後輩クン達がいっぱいいっぱい来るんだから、きちんとお出迎えしないと」

にこにこと人当りが良さそうな笑みを浮かべるリベラ。目の前にいるフロイドは中々気分が乗らない様子で頬を膨らましていた。

「えー。稚魚が少し増えるだけじゃん」
「その稚魚クン達が可愛いんじゃあないか」

リベラは新しく後輩達が入ってくることが楽しみで仕方がないようで、動くたびに後ろに流れそうになるフードを時折押さえつけながら、跳ねるように進んでいる。
フロイドは小さくにぃと笑って小さな子供をあやすようにリベラの頭を撫でた。

「トビウオちゃんより大きい稚魚ちゃんでもかわいいの?」
「もちろん。これは大きさの問題ではないのさ。
 ほら、大きな大きなフロイドくん。少し頭を下げて。式典中はきちんとボタンを留めないと」

リベラはそう言いながら足を止める。後ろに続いていたフロイドもつられて足を止め、隣を歩いていたジェイドも同じく足を止めた。
くるりと振り返ったリベラが伸びをしながらフロイドの首元へと腕を伸ばす。
嫌そうな顔をしながらも大人しくリベラの方へと軽く頭を下げたフロイドに、リベラはまたにこにこと笑みを浮かべながら彼の襟元を整えてボタンを留めた。

満足げに服装を整えたリベラが再び歩き出そうとしたところで、にこりと笑みを浮かべたジェイドがリベラの式典服の袖を掴んだ。
きょとんと首をかしげるリベラに、ジェイドは自身の襟元を示した。彼の襟元のボタンは彼らしくもなく2つ程開けられていた。

「リベラさん。僕も」
「キミはさっきまで留まってた気がするんだけれどなぁ!」
「気のせいですよ」

もう。とリベラは頬を膨らませながらも、頭を少しだけ低くしたジェイドへと背伸びをし、手を伸ばして彼の首元のボタンを留め合わせる。
ボタンを留め終わったリベラが覗き込むようにしてジェイドを見上げると、彼は幾分満足そうな笑みを返した。

そうこうしているうちに大広間へと到着すると同時にフロイドが力尽きたようにリベラの身体を後ろから軽く絞め上げた。
短く潰れたような悲鳴を上げるリベラだが、慣れてもいるのかぽんぽんと彼の腕を叩いて少し力を緩めてもらう。

そして少ししてからすぐに、教師陣から声がかかり、大広間内に集められた上級生達が徐々に静まり返っていった。
やがて少しして学園長が今年の新入生を引き連れて大広間へと入ってきた。緊張した面持ちの新入生達を眺めて、リベラはきらきらと目を輝かせていた。

名前を呼ばれ、順番に鏡の前に立つ新入生達を興味津々に見つめるリベラ。
左隣のフロイドは立ったままではあったが完全に眠っていたし、右隣のジェイドはそんなフロイドに気が付きつつも咎めようとはしない。

式は順調に進んでいるように思えた。興味津々に寮分けを見ていたリベラが、不意に鏡の間から抜け出していく学園長を見つけて、すすすとこっそりとジェイドへと身体を寄せる。

「ねぇねぇ。学園長サン、どこ行くんだろう?」
「何か問題事でしょうか」
「楽しそうだねぇ、ジェイドくん」

ふたりのひそひそ声に気が付いたのだろう。目を閉じて立ったまま眠っていたフロイドが、薄く目を空けてふらふらとリベラの方へと身体を傾けた。

「なぁに? 終わったのぉ?」
「ううん、もう少しだよ、フロイドくん。次の子で最後みたいだ」

リベラがこそりとフロイドにそう伝えた時に大広間内にいる新入生の寮分けが丁度終わったようで、各寮長達が自分たちの寮生達へと声をかけていた。
リベラは生徒達の前に出た寮長達へと視線を向ける。寮長達の中にはオクタヴィネル寮長のアズールの姿もあった。さぁ、とハーツラビュル寮長のリドルが声をかける。

「これで入学式と寮分けは終わりかな?
 いいかい、新入生達。ハーツラビュル寮ではボクが法律だ。逆らう者は首をはねてやるからそのつもりで」
「……やっとかったるい式が終わった。
 さっさと寮に戻るぞ。サバナクロー寮。付いてこい」
「新入生のみなさん。この度は入学おめでとうございます!
 みなさんが充実した学園生活を送れるようオクタヴィネル寮寮長として、精一杯サポートさせていただきますよ」

リドルに続けてサバナクロー寮長のレオナが声をかけて、アズールも新入生達へと声をかける。
式の終わりを感じ、寮長達がそれぞれに分けられた寮生を集め始めた時、学園長の姿が見えないことでポムフィオーレ寮長のヴィルの美しい顔に怪訝さが浮かんだ。

「それにしても学園長はどこに行っちゃったのかしら?
 式の途中で飛び出して行っちゃったけど…」
「職務放棄……」
「腹でも痛めたんじゃないか?」

浮遊するタブレットもといイグニハイド寮長イデアがぽつりと呟き、スカラビア寮長のカリムが何の気なしに言葉を零す。
その瞬間に、大広間の扉が勢いよく開かれ、件の学園長が飛び込んできた。学園長の後ろには同じく式典服を纏った新入生がもうひとりおずおずと付いてきていた。

「違いますよ!」
「あ。来た」

大した感動もなく呟きを零すリドル。学園長は大げさに肩を落として不在の理由を告げた。

「まったくもう。新入生が1人足りないので探しに行っていたんです。
 さあ、寮分けがまだなのは君だけですよ。狸くんは私が預かっていますから、早く闇の鏡の前へ」

学園長がそう言葉をかけると、彼の後ろに控えていた新入生が戸惑いを見せながらも鏡の前へと立った。

「汝の名を告げよ」

これまでと同じように鏡の中が燃え上がり、名前を問いかけられる最後の新入生。
リベラはその新入生が鏡の前に立つのを楽し気に見つめる。空だと思ったお菓子箱の中にもうひとつお菓子が残っていたかのような気分だ。
そんな嬉し気なリベラに対して、ぼんやりと目を覚ましたフロイドは飽き飽きとした表情を浮かべていた。

「トビウオちゃん、よくそんなに興味津々で見れるねぇ。もういっぱい同じことしたじゃん」
「後輩クン達がどこに振り分けられるのか予想しながら見るのは案外面白いものだよ」
「ふぅん。ちなみに当たんの? それ」

リベラはにっこりと笑顔を浮かべてフロイドへと振りかえった。自信満々に人差し指を立てたリベラは自信満々に答える。

「僕はみんなオクタヴィネル寮に来ないかなって思ってしまうから正答率は7分の1くらいだね」
「駄目じゃん」
「あはは」

上げた指先を下ろし短く笑うリベラとフロイドが遊んでいると、鏡はゆっくりと、これまでにない答えを出した。

「汝の魂のかたちは……わからぬ」
「なんですって?」

鏡からの言葉を聞いた学園長が仮面の下で表情を驚愕へと変える。鏡は追い打ちをかけるように言葉を続けた。

「この者からは魔力の波長が一切感じられない。色も、形も、一切の無である。
 よって、どの寮にもふさわしくない!」


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