『通り雨の雨宿り』(3年目)

砂漠の国にも雨が降るようで。

アラバスタまで視察に来ていたスモーカーは、突然の雨に降られ、舌打ちしながら店の軒下へと駆け込んだ。

能力者であるスモーカーには忌々しく思える雨も、アラバスタの国民達には恵みの雨だ。
大人達は灰色の空を嬉しそうに見上げ、子供達は雨の中で笑いながら走り回る。

スモーカーは葉巻から紫煙を漂わせながら、一気に賑やかになった市場の通りを見ていた。

降り出した雨はそう簡単にはやみそうにない。
傘を持たないスモーカーは溜息を零して、新しい葉巻に火をつけた。

長引く雨に、騒いでいた子供達も大人達に手を引かれ、家の中に戻っていく。
やがて、ゆっくりと静かになっていく市場の通り。途端に強くなっていく雨音。

暫く雨宿りを続けていると、短い悲鳴をあげながらスモーカーのいる軒下に駆け込んでくるメイドがいた。
軒下に入ったところで、ふぅと息を吐いたメイドはそこで初めて先約がいることに気がついたようで、何度も目を瞬かせていた。

スモーカーは隣に入ってきたアスヒの為に1歩隣にずれて、彼女の姿を見る。
アスヒは照れくさそうにはにかみ、小さく頭を下げる。

彼女は大きな紙袋を1つ抱え、濡れて乱れた髪を撫で付けるようにして梳かしていた。
その指に収まる赤い指輪がやけにスモーカーの視界に止まった。

「海軍さんは雨はお嫌いですか?」

突然の質問。話しかけられるとは思ってはいなかったスモーカーは、多少驚きつつも、咥えた2本の葉巻の煙を漂わせながら、肩をすくめる。
肯定ととれるその仕草にアスヒはまたクスクスと笑った。スモーカーはもう1度アスヒに視線を向け、どうしてその質問を投げかけたのかを問いかける。彼女は微笑みを浮かべた。

「失礼。あまりにも嫌そうな顔をしていたので」
「…。好きにはなれねぇな」

水は能力者にとって弱点だ。それは雨も例外ではない。
海水に浸かっている時のように能力が全く使えなくなるわけではない。が、それでも雨にあたれば身体は異常に重くなる。

ただ黙って雨宿りをするのはつまらないと思ったのか、彼女は隣の海軍を興味津々に見上げていた。

「海軍さんはアラバスタ以外の方?」
「何故そうだと?」
「アラバスタの人は雨を嫌いませんから」
「……まぁ、それも、そうだな」

先程まで雨が降ってはしゃいでいた子供達を思い出すスモーカー。

この砂漠の国では本当に雨は貴重なものなのだ。
そんな中、スモーカーはアスヒが特別嬉しそうな顔をしていなかった気がして、言葉を投げかけた。

「あんたも雨も嫌いなのか?」
「え?」

そう聞かれるとは思っていなかったのか、アスヒは思わずスモーカーに聞き返してしまっていた。
そうしてから、アスヒはどこか柔らかな表情を浮かべて、次に苦笑を零した。

「まぁ…そうですね。雨ではせっかく買ったものが濡れてしまいますし、それに私の主は特別雨を嫌っておりますから」

アスヒは軽く目を伏せて「雨の日は始終機嫌が悪いんです」と、言葉を続ける。
不満そうな台詞ではあったが、柔らかな表情をしたままのアスヒは楽しそうでもあった。

「…。随分と慕っているんだな」

言外に主への敬愛を感じてスモーカーはそう零す。そう言われたアスヒはぱちくりと目を瞬かせたあと、顔をしかめて軽く首を左右に振った。

「慕ってなんかいませんよ」
「………へぇ」

言葉を聞いてそっぽを向いたスモーカー。
主を思い出し、柔らかな表情をしたアスヒが何故か気に食わなかったのだ。

そこでスモーカーは今回視察に来た理由を思い出す。

王下七武海のクロコダイルがこの国にはいる。

海軍は元海賊である七武海を快く思っているわけではない。海賊はどこまでも海賊だと思っているし、スモーカーもそう思っていた。
1つの所に長く留まることが少ない海賊だが、クロコダイルは長くこの国にいる。
王下七武海が何か海軍に悪影響を及ぼすことをしていないかどうか。今回の視察の主な理由はクロコダイルに対しての情報収集だった。

もちろん、表向きの理由はそこまで露骨に七武海を警戒したものではないけれども。

一般人からのクロコダイルの印象を聞くのも仕事のひとつだったことを思い出し、丁度よく2人きりになれているアスヒに、ふと思い出したかのような素振りで七武海の存在を問うた。

「そういや。この国には七武海がいると聞いたが…、どんな奴だ? 英雄と呼ばれているらしいが」
「ふふ。海軍さんにこんなこというのは失礼なのですけれど…、そうですね。あの方は誰よりも早く海賊を倒してくださいますから。
 お顔は怖い方ですけれど、素敵なお人だと思いますわ」

微笑みを零したアスヒを見ると、クロコダイルは大層民衆に気に入られているらしい。
だが、スモーカーはそれだけだとは思えない。海賊が好き好んで人助けをするとは思えない。

もう少し踏み込んでクロコダイルのことを聞こうと思ったスモーカーが葉巻を口から取った時、アスヒが先に口を開いた。

「雨があがりますわ」

声にスモーカーは空を見る。灰色の雲が辺り一面を覆っていたはずだが、雲はいつの間にか薄くなっており、雨足もぱらぱらとすぐに止みそうなものになっていた。
スモーカーとアスヒが会話を交わす間にも雨が収まっていく。スモーカーは少し顔をしかめた。

「……随分厚い雲だった割にはすぐに晴れたな」
「そうですね」

答えたアスヒだったが、驚いている様子や不思議がっている様子はない。もしかしたらアラバスタの雨はいつもこうなのかもしれない。
アスヒは微笑みを浮かべて、紙袋を抱え直した。踏み出した1歩をスモーカーはちらりと見る。

「良かったです。夕食の支度までには帰りたかったもので」
「それ、持っていくか?」

気が付くと、スモーカーはそう声をかけていた。

自分で言った言葉だというのに、その言葉が出てきたことに彼自身が内心驚く。
スモーカーは口から離した葉巻の火を消し、ゆっくりと言葉を選ぶように続けていた。

「その足。怪我してんだろ」

軒下に駆け込んでくる時、会話しながらも片足だけに乗せていた体重。そして今1歩を踏み出した瞬間。
気付いた違和感をそのまま口にすると、アスヒは大きく目を開いて、次に軽く目を伏せた。

「…もう大分前の怪我ですわ。慣れてますから」
「俺ももう少しクロコダイルのことについて聞きたい。
 都合のいいことに今日の予定はもうないんでな」

スモーカー自身、何故再びアスヒを引き止めてしまったのかわからない。

それでも、今、この雨宿りで出会ったアスヒと、このまま別れるのが酷く惜しかった。

締め付けられるような違和感を胸元に感じながら、スモーカーはアスヒに向かってゆっくりと手を差し出していた。
差し出された手に驚き、そして苦笑を浮かべた彼女は、背の高いスモーカーを見上げて、にこりと綺麗な微笑みを見せた。

その笑みを見て、一瞬息が止まったスモーカー。彼の差し出した手が微かに震えた。

「随分熱心に俺のことを探っているようじゃねぇか、スモーカーくんよぉ」

そこで、2人を遮るように声が聞こえた。

「クロコダイル様」

雨上がりに現れた主に驚きの声をあげるアスヒ。彼女から伸ばされかけていた手は、いつの間にか引かれていた。
スモーカーはアスヒの表情を見て、低く重く固い声を上げる。彼は察したのだ。

「顔見知りだったのか」
「うちのメイドが世話になったようだな」

アスヒが返事をする前にクロコダイルがすかさずそう言った。牽制するかのような雰囲気に、スモーカーの機嫌は急降下する。
だが不機嫌なのはクロコダイルも同じようで、殺気だつクロコダイルとスモーカーの間で、アスヒは戸惑いの表情を両者に向ける。

「あ、あの…、」
「迎えが来たみたいだな」
「え? あ、はい…」

クロコダイルが迎えに来るような性格ではないことを知っているため、アスヒは困惑の表情のままそう頷く。
それでもクロコダイルがその場にいて、そしてアスヒを待っている雰囲気のため、行かない訳にはいかない。アスヒはスモーカーに軽く会釈するかのように頭を下げた。

「では、また」

アスヒが1歩を踏み出すと、クロコダイルがすぐに背を向けて歩き出す。
その背中を小走りで追いかけ、少し歩いたところでアスヒはクロコダイルを見上げた。

舌打ちでも零しそうな程不機嫌な声を出すクロコダイルに、アスヒは言葉を控えて彼の後ろに続く。

ちらりと後ろを振り返ると、軒下にまだスモーカーがいるのが見え、アスヒは小さく微笑みを浮かべる。

こんなところでワンピースの主要キャラに会うとは思っていなかったため、彼女は思わず話しかけてしまったのだ。
目の前の主君の不機嫌さを見ていると、海軍である彼に不用意に声をかけるべきではなかったのかもしれないけれど。

「珍しいですね。クロコダイル様が雨上がりにお出かけだなんて」
「さっさと帰るぞ」

やっぱり話しかけるべきではなかったか。

アスヒは殺気すら浮かべているクロコダイルにバレないように口を尖らせながら、彼の後ろを離れないようについていった。


(通り雨の雨宿り)

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