『アナタの色を』(3年目)

普段、アクセサリーをつけない彼女は、唯一、真っ赤な指輪だけは常に身につけていた。

「助かりますわ。
 これを自分で手入れをするにも限界がありますので」

店内の商品を見つつ、アスヒは贔屓にしている商人に微笑みを浮かべる。
彼女は久しぶりの休みに馴染みの店に来て、指輪の手入れをしてもらっていた。

指輪の細かい汚れを落としている商人は、ふいにアスヒが手に取ったピアスを見て、顔を上げる。

「それにもこの指輪と同じ宝石が入ってる。どうだい? セットで付けたらとっても素敵だ」
「手が止まってますよ」

彼女はそう言葉を返して、赤いピアスをあっさりと台に戻してしまう。

毎回こまめに手入れには来るものの、新しい商品は一切買っていかないアスヒに、商人は肩を落とす。

アスヒは苦笑を零しながら、店内に輝くアクセサリー達を見渡した。
別に、好みのものがないわけではない。自身の好きなものも沢山ある店だったが、今は新しい指輪を買う気にはなれなかった。

「仕事に支障が出ても困りますから」

短く答えたアスヒの言い分に商人はにやりと笑って、次に丁寧に磨かれている赤い指輪を彼女へと見せた。

「これは支障にならないと?」
「それは特別」

綺麗な微笑みを浮かべて、指輪を指で突くアスヒ。

その綺麗な笑顔に一瞬見惚れる商人だったが、すぐに口を尖らせて考えを改める。
彼女のその笑顔はあくまでも上辺だけ、余所行きの笑顔なのだから。

自身の魅力を存分に活用してくるアスヒにはぁと息をつく商人。
アスヒはクスクス笑って、アスヒは再び視線を赤い指輪に向けた。

2年も前になるだろうか。褒美だと言って投げつけられた指輪を、自分でもおかしいぐらいに大切にしていると思う。
睡眠時と入浴時以外は殆どつけていたせいか、たまに外していると無性に不安になったりする。だからこそ今はこの指輪の代わりを持とうとは思わなかった。

そして考えるように数秒黙り込んでいたアスヒが不意に商人に顔を向けた。

自分は新しい指輪はいらないけれども、贈り物として考えたら。

「……。女性から男性に指輪を贈るのはいけないことでしょうか」
「クロコダイル様に?」

商人は笑みを浮かべながら問い返した。贈り主を一瞬で当てられたアスヒは一気に顔をしかめ、次に溜息をつき、やれやれといった仕草を取った。

「改めて聞くと得策ではないようです。やっぱりやめますわ」

クロコダイルは常に大きな宝石を飾った指輪をいくつも、尚且つ日替わりで付けている。
そのうちのひとつを贈ってみようか。と不意に思ったアスヒだったが、考えをすぐに改める。

一介のメイドが贈り物なんてして、どうなるというのだろうか。

「第一、彼の指輪のサイズも知りませんもの」
「都合がいいことに、指輪のサイズならわかるよ。
 奇遇なことにクロコダイル様はうちの店も贔屓にしてくれてるからね」

大げさに両腕を広げて笑顔を浮かべた商人に、アスヒは眉根を寄せる。
ここ数年この店に通っていたが、そんな話は一切されたことがない。…問いかけたこともないが。

アスヒは商人に顔を近づけ、店の中には誰もいないにも関わらず、囁くように素早く言葉を口にした。

「余計なことを彼に言ってませんよね?」
「もちろん」

にっこりと笑顔を返す商人に、彼女は心底不満そうな顔をする。
笑顔を浮かべ続けている商人だったが、実際、アスヒのことが不思議で堪らなかった。

クロコダイルからの褒美だと言って受け取ったらしきその指輪を、これ以上無い程大切に扱っている。
それなのにも関わらず、指輪を大切にしているという事実を誰にも、特にクロコダイル本人に知られたくないようだ。

観察眼の鋭いクロコダイルならば、アスヒがこの指輪を何年も持ち続けていることにはとっくに気が付いているだろうというのに、だ。

商人はアスヒの両肩を押して、奥の部屋へと案内する。
この先には普段、彼が普通の客には見せない、一級品ばかりが隠されている。
あのクロコダイルに贈るというのであればそんじょそこらのものでは満足されないだろう。

「まぁまぁ、とにかく見ていくだけでも」
「あら。商人の顔をしてますね」
「商人だからさ」

色々と思うことがある商人。だが、なんにせよ、物を買って行ってくれそうな上客を逃す訳はない。
王下七武海の下で働いているアスヒの稼ぎには期待出来る。そしてアスヒが守銭奴ではないことも知っていた。

次々と、一般の客には出せないであろう上物の指輪を並べていく商人に、アスヒは苦笑を浮かべながらも、輝く商品達に手を伸ばした。


†††


そして数分が過ぎた時、アスヒは持っていた指輪を静かに台に戻した。

「……やはりやめておきますわ」
「どうして」

椅子に座っている商人は頬杖をつきながら、問いかける。
広げた指輪はどれもこれも上物で、尚且つクロコダイルが気に入りそうなものばかりだ。

「私の好みは彼の好みと合わないようです」

長く溜息をついた彼女は、隠そうとはしているものの、どこか悔しそうな顔をしていた。

彼に贈り物をしようとは思ったが、彼女は自分の好みではないものを贈り物には出来なかったのだ。

「…。ちなみに良いと思ったのは?」
「これ」

アスヒが指さしたのは緑色の宝石を飾ったシンプルな指輪だった。
商人の顔が微妙なものになる。アスヒは苦々しい笑みを浮かべながら溜息をついた。

「コメントはいりませんわ」

クロコダイルが好んでつけているのは、大ぶりな宝石を飾った豪華な指輪だ。
アスヒが選んだようなシンプルなものをつけているのは見たことがない。

「慣れないことはしない方が良いようです。
 お時間を無駄にしてしまい、申し訳ございません」
「いいえ、お構いなく。また手入れにしに来ていただければ」

綺麗に磨かれた赤の指輪を慣れたように嵌めて、アスヒは席を立つ。
指輪の輝きに口づけをして、アスヒは次に商人に頭を下げた。

「では、また時間が空きましたら来ますわ」
「気長に待っているよ。君の次の休みは、いつになるのかわからないのだから」

商人の言葉に、アスヒは苦味の強い苦笑を浮かべた。


†††


カジノ側ではなく、珍しく直接屋敷に客人がいらっしゃった。ということで、メイド長であるアスヒは冷たい珈琲をポットに入れて客間に向かっていた。

数回のノックのあとに部屋に入室する。と、そこで、クロコダイルの客人ならば絶対に口を挟まないアスヒが思わず口を開いてしまった。

「貴方…!」
「やぁ。こんにちは」

朗らかな笑顔を向けたのは、アスヒが贔屓にしている宝石商人だった。

クロコダイル相手に商売しにきたであろう商人は、少し大きめのアタッシュケースをテーブルに乗せたところだった。
わかりやすく表情を変えたアスヒに、彼と軽く話をしていたらしきクロコダイルの視線が向く。

「知り合いか?」
「…指輪の手入れは彼に頼んでいるんです」

問いかけに固い声で答えたアスヒは、若干忌々しげな瞳を商人に向ける。対する商人は満面の笑みを浮かべていた。
顔を顰めたアスヒは商人に近付き、彼にだけ聞こえるように口早に囁きかけた。

「余計なことは言わないでくださいね、絶対ですよっ」
「はいはい」

適当に返ってくる言葉。不服げに彼女の頬が膨らむ。

だが、これ以上クロコダイルの客人に文句を言うこともできず、アスヒはクロコダイルと商人の前に珈琲を置いて、後ろ髪引かれる思いで、深々と頭を下げ、退室する。

扉が閉まり、アスヒの姿が見えなくなったところで、商人はクロコダイルに向かって、にっこりと笑みを浮かべた。
彼はクロコダイルがきっと気にいるであろう品を持ち込んだのだから。つまらなそうにソファにどかりと座っているクロコダイル相手に、商人は笑う。

「さて、クロコダイル様。今日はある意味特別な品がおひとつ」

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