『砂漠の通り雨』(3年目)
Fワニ。アラバスタ最速のカルガモ部隊に次ぐ速さを誇る、バナナワニと同種の巨大なワニだ。
ワニの背中は快適に過ごせるように日差し避けがついている。
アスヒとクロコダイルはそのFワニの背中に揺られながら、レインベースからエルマルへと向かっていた。
アスヒは髪を風になびかせながら、鞍の淵から視線を彷徨わせる。
彼女はどこまでも広がっている砂漠が物珍しいようで、時々目を瞬かせながらも飽きもせずに砂漠を見つめていた。
「ダンスパウダー?」
黙って砂漠越えをしていた2人だったが、不意に零されたクロコダイルの言葉にアスヒは思わず聞き返した。
何かの資料を見ていたクロコダイルは、一切アスヒを見ることなく言葉を続けた。
「まだ未発達の雲を成長させて、雨を人工的に降らせることが出来る粉だ」
昔。雨が降らない国の科学者が作り出した雨を生み出す粉。
それは近隣国に自然に降るはずだった雨をも奪ってしまうため、ダンスパウダーを巡り戦争が起こることもあった。
それ故に、世界政府はダンスパウダーの製造・所持を禁止した。
アスヒは説明を聞きながらも、クロコダイルが珍しく丁寧に説明してくれたことに驚きを覚える。
そしてここ最近、首都アルバーナ以外での降雨量が異常に少なくなっていることを思い出した。
「それを使ったんですか?」
彼女は視線を砂漠に戻し、クロコダイルを見ないままそう言う。嘲笑うかのように短く笑ったクロコダイルは新しい葉巻を咥えた。
「国王軍がな」
「……ソーデスカ」
クロコダイルが全ての元凶であることを知っているアスヒは棒読みで返事をしてから、主君の傍に寄って葉巻に火をつける。煙が一瞬だけ漂い、すぐに風に流れていった。
暫くすると走り続けていたFワニのスピードが少しだけ落ちた。
不思議に思ったアスヒが先へと視線を向けると、Fワニの進行方向の先に民家のようなものがあるのが見えた。
エルマルに到着するにはまだ早い。頭の中に地図を浮かべていたアスヒだったが、先にクロコダイルから声がかかる。
「オアシスか」
すぐに記憶を呼び起こすアスヒ。そして、ここでは降雨量が一気に減少したことに影響を受け、干ばつの被害が日々大きくなっているという話があるのを思い出した。
オアシスだと言っても、雨を確実に集めていかなければ、この砂漠の国では生きてはいけないのだろう。
アスヒはそれを思い出しながら、蔵の上からFワニの皮膚に触れる。
「端を通ってください」
Fワニの巨躯が最高速度でオアシスを走っていこうとしたら、民家の1つや2つを壊していきかねない。
そう思い指示を出したアスヒ。Fワニは小さく唸り声をあげて、スピードを落として僅かに進路をずらした。
横を通っていると、オアシスから声が聞こえてくる。蔵の淵に頬を乗せながらアスヒは目を伏せた。
静かなオアシス。その中で、突然叫ぶような声が聞こえてきた。
「水を、ください!!」
声を聞いてアスヒの瞼がゆっくりと開く。
目を凝らすと、オアシスの中心、人混みの中で母親らしき女が悲痛な叫び声を上げているのが見えた。
「子供が! 子供が凄い熱を…! 水を分けてください!!」
女は叫びまわる。泣きたくとも、涙一つ溢れないほど水が不足しているようで、女はかさついた唇で叫び続ける。
オアシスの住民が顔を出し始めたが、どこもかしこも水不足のようで、女が欲している水は手に入りそうにもなかった。それでも女は叫ぶ。
「お願いします!! 子供だけでも…!!」
「す、すまねぇ…。俺達の所にも本当に水がねぇんだよ…!!」
以前は栄えていたであろうオアシスに声が響き渡る。鞍の淵で頬杖をついていたアスヒは再び瞼を閉じた。
彼女の後ろにいて、同じくオアシスからの悲鳴を聞いている筈のクロコダイルは、一切の表情も変えないまま座っているだけだった。
ぽつり。
その時、砂漠の大地に雫が落ちた。
「………あめ…?」
誰かの呆然とした声に反響されたかのように、雫は次々と空から降り注ぎ、乾いた大地を湿らせていく。
「雨だ!」
「雨が降ってる!!」
「おい、早く桶をだせ! 子供の命がかかってる!」
数々の声が一気に湧き上がる。オアシスの人間達が一丸となって家々から入れ物を持ってきて空を見上げていた。
「神さま…!」
空を仰ぎ、両手を組み、神の恵みに祈り続ける人々。アスヒはFワニの上からそれを黙って見下ろしていた。
降り出してきた雨に、クロコダイルの眉根に皺が寄る。咎める声がアスヒの背中に鋭く当てられた。
「何しやがった?」
「何も」
即答するアスヒ。アスヒの背中を睨み続けているクロコダイルに気づき、アスヒは少しだけ振り返って表情を少し暗くさせて微笑んだ。
「…すぐに止みますよ」
「……。さっさと出せ」
苛々とした様子でFワニを睨みつけるクロコダイル。殺気に身体を震わせたFワニはすぐにスピードを上げ始めた。
天候を変える程の力を使ったのは初めてだったのか、アスヒは全身を襲う気怠さを溜息と共に吐き出す。
「この国は水がないとすぐに滅びますね」
彼女はただ思った感想を口にする。後ろのクロコダイルは不満げにひとつ鼻を鳴らし、アスヒの背中に苛立った声をかけた。
「余計なことすんじゃねぇよ」
「……これ以上、何かしようとは思いませんよ。
例え貴方が原因だとしても」
アスヒはクロコダイルが全ての原因だということを知っている。
それでもクロコダイルを止めようとは思っていないし、国王や誰かに告げ口をする気もない。
クロコダイルは目を細めながら葉巻の煙を吐き出した。
「愛国心のねぇ奴だ」
「この国の生まれではありませんので」
「クハハハ」
非情とも言えるアスヒの言葉に、クロコダイルはようやっと満足げな笑い声を零した。
アスヒはその声を聞きながら、長く息を吐いた。視線は砂漠の大地に向けられていた。
「……今は、貴方のいるところが私の世界ですよ」
小さく零された言葉。風にそのまま消えていくかと思ったが、ちらりと見えたクロコダイルの表情が険しいものになっていることに気が付き、アスヒは訝しげに眉根を寄せた。
「なんですか、その顔」
「…。面白ぇことを言うようになったもんだな」
「可愛らしさと愛くるしさを貴方様にご提供しようと思いまして!」
思わず大きな声になってしまったそれに、アスヒは異常に恥ずかしくなってしまって、呼気を吐き出してから再び砂漠の世界へと視線を戻した。
オアシスに降り注いでいた雨はアスヒ達が離れるとすぐにあがり、再び眩しい太陽を見せていた。
それでもあの数十秒だけの雨でも、子供の命ぐらいは救えたであろう。その後は、アスヒの知ったことではないのだけれど。
知り合いでもない、ただ同じ国民であるという理由だけで、アスヒがクロコダイルを裏切ることはないのだ。
走り続けるFワニに揺られて、クロコダイルとアスヒは砂漠の世界を移動する。
数週間後、そのオアシスは例を見ない長期的な干ばつの影響により、アラバスタから消滅した。
(砂漠の通り雨)