『お買い物とお出かけと』(4年目)
甲板の上から広い海を眺める。アラバスタで見られる砂漠の海とは正反対の世界をただぼんやりと眺めるアスヒ。
心なしかアラバスタにいるときよりも海の上にいる方が体調もいいような気がする。それは彼女が食べた実が関係しているのだろうか。
飽きもせずに黙って水平線を見つめていると、不意にアスヒの隣に小さな砂嵐が起こり、そしてそれはすぐに人の形になった。
突然現れたクロコダイルの姿に、アスヒに話しかけようと遠巻きに彼女を見つめていた若い海軍が蜘蛛の子を散らすようにさぁと引いていった。
「怖い人」
口元に笑みを浮かべたアスヒが海から視線を外さないままに言い、クロコダイルが舌打ちを返す。彼女は海軍達に気づいていたのだ。
「気づいてたんなら、さっさと追い返しやがれ」
「本当に話しかけてきたのなら、私もそうしてましたよ」
微笑みを浮かべるアスヒだったが、クロコダイルは不満げな表情を崩さない。
アスヒと海軍が関わることがとことん嫌なのだろう。クロコダイルはムスとした表情のまま新しい葉巻を咥えた。
すぐにアスヒがクロコダイルに寄り添って葉巻に火をつける。煙がすぐに風に乗っていった。
海軍の船に乗っていて、いつも以上に警戒しているからだろうか。クロコダイルの葉巻の消費がいつもよりも早い。
彼の健康について気にするつもりは一切ないが、このままのペースで葉巻が減っていけばアラバスタに到着する前に在庫がなくなってしまいそうだ。
アスヒが密かに葉巻の残り本数を数えている中、クロコダイルは不意に香った酷く甘い香りに気づく。
そこでクロコダイルはアスヒが飴を舐めていることを察した。降らせた飴はきちんと受け取ったらしい。
クロコダイルはじとりとアスヒを見ていたが、彼女は特に何も気が付くことはなく、風になびいた髪を撫で付けていた。
「海を眺めるのは物珍しくて好きです。ですが、今は砂漠が懐かしいですわ」
既にレインディナーズに愛着が沸いているアスヒがほぅと溜息をつきながら苦笑を零す。
その言葉を聞いてクロコダイルは一瞬顔を顰めたあと、低い声で言葉を紡いだ。
「……。アラバスタの前に寄る場所がある」
「え?」
このまま真っ直ぐにアラバスタに向かうものだと思っていたアスヒは思わず疑問の声を上げていた。
ムスとした表情をしたままのクロコダイルに、彼女はやがて小さく笑った。
「次からは軽く行き先だけでも教えてくださいね」
微笑んだアスヒをクロコダイルは鼻で笑った。
「てめぇはついてくればいいんだよ」
「横暴」
小さく反論の声を上げるとクロコダイルはクハハと笑って踵を返して歩き出す。
「落ちるんじゃねぇぞ」
背中にかけられた声にアスヒは微笑みを浮かべて短く返事をした。
†††
暫く船を進めていた時だった。ずっと甲板にいたアスヒが島を見つけた瞬間に、再びクロコダイルがアスヒの隣に現れた。
「ここで買うもんがある」
クロコダイルがそう言って自然とアスヒの腰に手を回した。
むすと視線をあげたアスヒだったが、後ろに海軍達が居ることを思い出して、大人しくクロコダイルに寄り添う。
クロコダイルに寄り添いながら見えた島が『知って』いる島だということに驚きを持つ。
じぃと物珍しいその島を見つめながら、アスヒは小さく呟きを零した。
「…水上都市、ですか」
「『水の都』ウォーターセブンだ」
そこは、いずれ『麦わらの一味』が訪れることになるであろう水上都市ウォーターセブンだった。
船の上からウォーターセブンの街並みを見つめるアスヒの視線の先。街の中心から水が流れ出し、街中に水路が張り巡らされていた。
水面のさらにその下には海に沈んだ昔の住宅が見え、一瞬それに見惚れるアスヒ。
ぱちくりと目を瞬かせた彼女は、凛とした表情を保ちつつも、瞳だけはキラキラと輝かせていた。
やがて船は造船所近くの港に止まる。ここで物資の補給もすることになっていたのか、海軍達が忙しなく降りて準備を始めていた。
「ついてこい」
クロコダイルは子供のような目をしているアスヒに声をかけて、船を降りて港を歩き出す。
ついてこようとした海軍達を、クロコダイルよりも先にアスヒが彼らを制した。
何をするかわかっていないが、海軍がついてくることをクロコダイルは良しとしないだろうからだ。
遠巻きにいる住民の視線が、王下七武海のクロコダイルに向く中、2人は港に隣接する造船所の中に入っていった。
木材を打ち合わせる金槌の音。沢山の船大工の活気ある指示があちらこちらで飛び交う。
どこからか響いてきた怒声にアスヒは一瞬だけ顔をしかめて、すぐにいつもの無表情へと戻した。
「うるせぇか?」
クロコダイルの声が喧騒に紛れながらアスヒに届く。
煩い場所が好ましくないアスヒは、クロコダイルににっこりと上品に微笑んでから「いいえ」と答えを返した。
クロコダイルがにやりと笑みを浮かべてから、アスヒの耳に顔を近づけて彼女にだけ聞こえるように囁きかける。
「もう少しそうやって猫かぶってろよ」
クロコダイルの言い方に一瞬ムッとなりそうになったアスヒだったが、目の前からやってきた男に気が付いて、目を細めた。
アスヒの記憶が正しければ男はこの街の市長、アイスバーグだったはずだ。
秘書のカリファを連れてやってきたアイスバーグは、浅い微笑みを浮かべながら、クロコダイルに向かって握手のために手を差し出した。
「よく来てくださいました」
「御託はいい」
握手の手をスルーしたクロコダイル。秘書のカリファの視線が一瞬厳しいものになる。アイスバーグはこの島の人間からよく好かれているのだから、邪険に扱うのは好ましくない。
周りで作業をしていた船大工達もクロコダイルのその様子に殺気混じりの視線を向けていた。
クロコダイルこそ猫をかぶるべきだ。と後ろから非難の目を向けるアスヒだったが、当のアイスバーグはたいして気にした様子もなく手を引き、同時に周りの船大工達にも軽く手を振った。
「ンマー、俺もその方が話が早くて助かる」
背を向け歩き出すアイスバーグと後ろに控えるカリファ。
クロコダイルの視線が後ろ姿のカリファに向いていることに気がつき、アスヒは一瞬だけムとなった。
「何を妬いてやがる」
「……。ご冗談を」
変化した表情を目ざとく見つけられ、クロコダイルはにやりとした笑みを浮かべる。アスヒは彼の言葉を即座に言い返した。
クロコダイルはそんなアスヒを鼻で笑ったあと、少しだけご機嫌になったようだった。
そしてアイスバーグに案内された場所には黒い棒状の鉄のようなものが何十本も並んでいた。
「注文されていた海楼石だ。1つ檻を作れるだけの本数がある」
アイスバーグの言葉がアスヒの記憶を一瞬刺激した。
確かクロコダイルは屋敷の中に侵入者を閉じ込める様の海楼石性の檻を作っていたのではなかっただろうか。
クロコダイルの視線がアスヒに移る。役割を理解したアスヒがアイスバーグに微笑みかけた。
「物を近くで見てもよろしいですか?」
「……。あぁ。気をつけてもらえればいい」
海楼石の棒に近付いていくアスヒとクロコダイル。
アイスバーグ達から少し離れたところで、クロコダイルがアスヒに問いかけた。
「本物か?」
「…偽物売るような方々ではないでしょうに」
呆れたような声を出しながら、アスヒは海楼石の棒に手を触れる。クロコダイルはわざわざこのためにアスヒをここに連れてきたのだろう。
細い手が触れると冷たい金属の中に微かに海の感覚を覚える。間違いなく本物の海楼石だ。
「クロコダイル様も触ってみます?」
冗談交じりにそう言ってから彼女は手を離し、次に触れる。クロコダイルは返事もしないまま、彼女を無視した。
反応を予想していたアスヒは笑みを零してから、撫でるようにして数十本の海楼石を数秒ずつ触れていく。