『スパイダーズカフェ』(5年目)

スナスナの実を食べたクロコダイルは、身体を砂に変化させて空を飛ぶことが出来る。

そしてミズミズの実を食べたアスヒもまた、身体を水に変化させて空を飛ぶことが出来た。

(だけど、この姿で砂漠越えはなかなか…)

彼女は今、誰にも見つからないよう遥か上空で、身体中の殆どを水に変えて飛んでいた。
砂漠の乾いた空気にも、微量ながらも確実に水分は漂っている。それを確実に捉えながら彼女は空をかける。

暫く空を飛び、遠く小屋が見えた時、アスヒは周りを注意深く警戒しながら、地面に降り立ち、身体を実体化させた。
分厚いマントで身体を覆ったアスヒは、これからは歩かなければいけないという事実に、酷く重い溜め息が溢れた。

「日焼けしちゃうわ」


†††


話を遡ること2時間前。突然厨房に入ってきたクロコダイルに、のんびりと紅茶を飲んでいる所を発見されたことから始まる。

「暇そうだな」
「でんでん虫を頂ければすぐに参りましたのに」

飲みかけの紅茶をおいて立ち上がったアスヒは、口を尖らせる。
クロコダイルはそれを鼻で短く笑ったあと、踵を返してアスヒに背を向けた。

彼の背中を追いかけるアスヒは、何を頼まれるだろうかと予想する。
彼がわざわざ厨房に来てまで頼み事をしに来たのだ。簡単なことではないだろう。

「手紙を届けて来い」
「どちらまでしょうか」

だからこそ、聞き返したアスヒの声は警戒心たっぷりだったし、意地悪く笑みを浮かべたクロコダイルに嫌な予感しかしなかった。

クロコダイルの私室に訪れ、地図を広げて示された場所に、アスヒは再び口を尖らせた。

「…Fワニで進んでも3時間はかかりますわ」
「今回Fワニは使えねぇ。誰にも見つからず、最速で行け」
「それは…、そういうことですか」

察したアスヒは顔を顰めたまま、長い息を吐く。

クロコダイルはアスヒに、ミズミズの実の能力を使って1人で行けというのだ。
予想でしかないが、BW関連の任務なのだろう。今までBW関連のことについて頼まれたことなどないアスヒは驚きつつも、不思議と喜ばしいと感じてしまう。

未だに不満そうな顔を浮かべつつも、先程よりかは若干乗り気でクロコダイルの話を聞き始めていた。

「どれくらいで行ける?」
「片道、2時間程でしょうか」
「1時間半で行け」

言葉を聞いて、アスヒは深く黙り込む。返事をしないでいると、クロコダイルはじとりとアスヒを睨み続けていた。

「………はい」

彼女は諦めて溜息と共に返事をする。全くもって人使いの荒い主だ。

「私服でいけよ」
「……早急に新しいお洋服を用意しないと」

メイド服しか持ち合わせていないアスヒが頬に手を当てて悩ませる。すると、視線を逸らしたクロコダイルが小さく声をかけた。

「用意してある」
「え?」

アスヒが問い返すも答えが得られないまま、クロコダイルは部屋を出て行った。きょとんしたしたアスヒが次にソファに置かれている女性物の服に目が止まる。
近づいて服を広げると、それはアスヒ好みの洋服で、彼女は目を瞬かせたあとでにっこりと微笑みを浮かべた。


†††


用意された洋服は深いスリットこそ入っているものの、それ以上の露出はなく、今はマントの下にあるそれはよくアスヒに似合っていた。

暫く歩いた先、ようやく小屋にたどり着いたアスヒは長く溜息をついたあとに扉を開いた。看板にはスパイダーズカフェと書かれていた。

「こんにちは」
「あら。ごめんなさい。今日は貸切なの」

中はバーカウンターと、奥にボックス席があるお洒落な店だった。

声をかけるとすぐに女店主が顔を見せて、すまなそうに謝った。
アスヒも少しだけ困惑の表情を浮かべたあと、言葉を続ける。

「ええと、人を待っているのですが」
「…そうなの」

女店主は一瞬だけ笑顔を凍らせた。僅かに不安を抱えていたアスヒは次には確信を持って、クロコダイルから元から伝えられていた言葉を続けた。

「はい。特別な方なので『今日1番の席を用意してください』」
「……。こっちよ」

表情を確実に変えた女店主は、アスヒを奥のテーブル席へと案内した。そこには腕を組み、険しい表情で座っている男がいた。
彼が今回の相手だと悟り、アスヒも男の前に腰を下ろした。ぱさりとフードを下ろして、肩についた砂を払っていると、男が口を開いた。

「女。ボスからの命令は?」

言葉に、アスヒはBWの封蝋がされた手紙を取り出して男へと差し出す。

「3日以内に全てを終わらせるように、と」

手紙の内容すら知らないアスヒが、伝えられていた言葉だけを男に語る。
男は手紙を確認したあと、その手紙をすぐに燃やしてしまった。情報を他に知られないためにも、手紙類はすぐに燃やしてしまうのだ。

それを見届けたアスヒは自分の仕事が終わったことを悟り、席を立つ。
これだけのためにここに来たことにも溜息が溢れるが、これからまたあの砂漠超えをして帰らなくてはいけないことを思うと殊更気が重い。

付きたくなった溜息を堪えて背を向ける。そしてその瞬間に満ちた殺気に気が付いた時には、アスヒは背後から腕を回されるような形で男に捕まっていた。

「Mr.1!!」

女店主が慌てて出てきて声をかける。悲鳴ひとつ上げなかったアスヒは、自分の首元に翳されている腕が刃物のように鈍く輝いているのを冷静に見つめていた。アスヒは小さく口を開く。

「驚きました」
「そうは見えないが」
「いいえ。とても驚いております。
 ただ、早すぎて常人には見えませんでした」

瞬きを繰り返したアスヒは正直にそう言って、後ろの男を見上げる。

彼が『覇気』使いであった場合は今の状況はとても危険ではあるが、そうでなければ能力者はアスヒの敵ではない。
「慢心は命取りになるぞ」と脳内で意地悪に囁いてきた主を振り払っていると、Mr.1と呼ばれた男がアスヒに問いかけてきた。

「あんた、ボスに会ったことは?」

…さて。なんと答えようか。主であるクロコダイルを特定されても困るアスヒは、それでも仕方のない嘘をつくのが面倒で、彼に肯定の返事をする。
すると突きつけられていた刃が少し動いて、アスヒの首に押し当てられた。耐え切れずに一筋血が流れる。

「ボスは俺達に何をさせているんだ? 目的は? ボスは誰なんだ?」
「ひとつめ、私は何も知りません。
 ふたつめ、残念ながらこれも私にはわかりかねます。
 みっつめ、それが今後の貴方様になにか影響いたしますか?」

表情ひとつ変えないまま答えたアスヒは、最後に本心からの疑問を返す。

彼は今までも顔も名前も知らないボスからの命令を忠実に受けていたのだ。
今更ボスが誰かとわかった程度で、命令を違えるのだろうか。

Mr.1は暫く黙ったあと、ゆっくりとアスヒを開放した。

喉元についた血に触れて抑える。放っておけばすぐに塞がる程度の傷だ。アスヒは再びフードを被って、男と女店主に上品に微笑みかけた。
Mr.1は険しい顔をしたままだったが、隣を抜けるアスヒをこれ以上引き止めたりはしなかった。

「成功を祈っていますわ」

最後に一言だけ告げて店を出るアスヒ。強い日差しに目を細めながら、いきなり命を狙われたことに溜め息が溢れる。
再び喉に手を触れさせると、傷口を覆うように薄い水の膜が張った。屋敷に戻るまでには完全に塞がるだろう。

「…本当、物騒な人ばっかり」

また暫く歩いて小屋から遠ざかっていったあと、彼女は身体を水に変えて再び空に飛び立った。


(スパイダーズカフェ)

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