『Ring』(1年目)

表のカジノは好きじゃない。

メダルの打ち合わさる音。歓声。悲鳴に、時々聞こえる怒声が煩くて仕方がない。
煩いのは、騒がしいの好きじゃない。欲望で目をぎらぎらさせている人間は好きじゃない。

裏のお屋敷は好き。表の喧騒を全て消し去ったような静けさと優雅さに溢れている。

雑用をするために数時間カジノにいたアスヒは、屋敷に戻ってきた瞬間に今まで隠していた嫌悪の顔を少しだけ零してしまった。
はぁと溜息をついて、身体に張り付いている気がする安い煙草の匂いを振り払う。
クロコダイルの吸っている葉巻のように値の張るものの匂いならば好ましくも思うが、彼らが吸うような安煙草の濃い煙の匂いは嫌いだった。

やっと静かな屋敷に戻れたことに喜び、そして廊下に誰もいないのをいいことに、うんと伸びをして気分を切り替えるアスヒ。

瞬間。鳴り響いた鋭い音に、伸びをしていたアスヒの身体は硬直した。

「……銃声?」

静かな屋敷には似合わない銃声が廊下を走っていった。ゆっくりと腕を下ろしたアスヒは表情を険しくさせて、この時間ならばメイド長がいるであろう厨房へと急いだ。
厨房の近くまで行くと、異変に気がついたメイド長が駆け足でアスヒに近づいてきた。メイド長の顔は険しく、足を止めないままアスヒに指示を飛ばす。

「アスヒ、貴女はクロコダイル様のお部屋へ」
「何があったんですか」
「乱暴なカジノのお客様がこちらまで入ってきたんです」

それを聞いた瞬間、アスヒの表情に不安が差す。カジノにも常に支配人がいる。それも大抵のゴロツキ程度ならば制圧出来る程の手練達が、だ。
その支配人達をも掻い潜って屋敷にまで侵入してきたということは、相当厄介な『お客様』らしい。

戦闘力など皆無なアスヒは迫り来る危険に顔を険しくさせる。
が、同じく戦闘力など持っていないだろうメイド長は微笑みを浮かべていた。

「私は残りの支配人と共にお客様を鎮圧致します」
「…。りょう、かいです」

鋭く微笑んだメイド長にアスヒは若干引きつった顔で頷く。

メイド長の手にはいつの間にか拳銃を握られており、いつもの優しげな雰囲気はない。
アスヒが知らないだけで、メイド長も余程の手練なのかもしれない。

アスヒは深く関わることを避け、メイド長に頭を下げてから、命じられたようにクロコダイルの部屋へと向かった。
侵入者がいるこの現状では七武海のクロコダイルがいる場所がどこよりも安全な場所だろう。彼女は執務室の扉の前でひと呼吸おいて、ノックを3回繰り返す。

「失礼致します」

声をかけながら部屋に入ると、ソファに座っているクロコダイルの姿が目に入った。
彼は職務の合間の休憩に入ろうとしていたのか、新しい葉巻を取り出した所だった。

「あぁ?」

予定のない時間に入ってきたアスヒにクロコダイルの視線が飛ぶ。
部外者を好まないクロコダイルの鋭い視線に、恐怖と呆れを半々ずつに抱きながら、アスヒは背筋を正して主へと報告をする。

「カジノのお客様が屋敷内にまでいらっしゃいました。只今、支配人とメイド長が対応中で、」
「ここかァ! クロコダイルの部屋は!!」

扉の前にいたアスヒを突き飛ばす勢いで入ってきたのは、腕に大きな傷を入れた男だった。

男から出来るだけの距離を取ろうと部屋の奥に入り、男を睨むアスヒ。
クロコダイルは何事もなかったかのように新しい葉巻をカットしていた。

「メイド長が対応中だったんじゃねぇのか?」
「……。そうお聞きしてましたので」

顔をしかめながら言葉を返すアスヒ。こんなにも早くメイド長と支配人達が倒されて、この男が侵入してきたとは思えない。
きっと、警護の網を潜り抜けてここまで来たであろう。クロコダイルと比べたら明らかに三下以下の海賊だったが、一般人のアスヒからしたら厄介極まりない。

だが、だからといって彼の元に仕えているアスヒが何もしない訳にはいかない。
戦闘力のないアスヒは必死に思考を巡らせる。が、この男に勝てる算段が思いつく訳もなく、それどころかアスヒが困惑しているその数秒の間にも男はクロコダイルに迫っていた。

大きな剣を構えながら、威勢をあげながら走る男。男もクロコダイルが格上だとは理解しているらしい。
1発で仕留める気をしている男の、獣のような威嚇の声にアスヒの肩が小さく震える。

そんな中、クロコダイルは一切動かない。それどころか迫り来る刃を見ようともしない。
勝利を確信した男は鋭い笑みを浮かべて、クロコダイルに向かって刃を振り上げていた。

「え」

驚きの声はアスヒ自身のものだった。

恐怖を抱き、動けなかったはずのアスヒが、いつの間にか1歩を踏み込み、男とクロコダイルの間に割って入っていた。
クロコダイルに背を向けて、両手を広げて。クロコダイルを庇うかのような姿勢をとったことに、男はもちろん、アスヒが1番驚いていた。

(ああ、もう。何やってんのよ、私)

こんなことしなくとも、七武海の、スナスナの実の能力者であるクロコダイルは無事だというのに。

相手が誰でも構わないとでも言うように、振り下ろされた切っ先。

アスヒは思わずぎゅうと目を閉じ、襲って来るであろう痛みを覚悟した。



「アスヒ!」

ノックと共に入ってきたメイド長は、干からびた男の横で腰を抜かして座り込んでいるアスヒの名前を叫んだ。

干からびた男。座り込んでいるアスヒ。そして、アスヒの前に立ち、紫煙を吐き出すクロコダイルの姿。
それらを見て、状況を察したメイド長はクロコダイルの前で深々と頭を下げた。

「申し訳ございません、クロコダイル様!
 私達の力不足により、ここまで侵入を許してしまいました…」

頭を上げないメイド長を、クロコダイルは見下ろす。彼は不機嫌そうにアスヒの前から離れ、再びソファに腰を下ろした。
メイド長は腰を抜かしているアスヒの傍に寄り、彼女に手を差し出す。アスヒはその手を取りながら、ゆっくりと立ち上がった。

アスヒの心臓は未だバクバクと鳴り響いて、煩い。今の数秒で死すらも覚悟したのだから、仕方のないことだろう。
メイド長はそんなアスヒに微笑みかけてから、再びクロコダイルに頭を下げた。アスヒも慌てて頭を下げる。

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