少女がいました。

少女が物心つく前に、少女の母親は死んでしまいました。

少女は父親にはたいへん愛されていましたが、離れて暮らさなければいけませんでした。

少女は1人で暮らし始めました。

少女はある時、救われ、家族と暮らすということを知りました。

少女は、ある男に恋をしました。


少女の名前はユースといいます。
大賢者ヨーカーンに拾われた、ただの恋する女の子です。


†††


私はその日、予備校の授業も終わり、夕暮れのエリダナの街を歩いていた。

エリダナには様々な人種が行き交っている。下手に咒式士にぶつかってしまって喧嘩を売られてしまわないように気をつけながら歩いていく。
今日はあと家に帰るだけだ。手には寄り道して手に入れたクレープを持っていた。なかなかに美味しいそれを食べながら、私はひとりごちる。

「うーん…暇だなぁ」

学校のテストも近いのか、誰も遊んでくれない。そして零した1人言も虚しく消えていく。

制服のポケットからハンカチを取り出し、頬を拭く。
店の硝子に映るあまり面白くはない自分の姿。そんなに好きでもない自分の姿。

ユース。それが私が『あの人』から頂いた名前。
あまり好きではない私だったけど、この名前は結構気に入っている。だってとても優しくて綺麗な名前だもの。

「……帰って復習でもしようかな」

欠伸を噛み殺し、完食したクレープのゴミをゴミ箱に捨てて、ふらふらと家に向かおうとすると見知った後ろ姿を見つけた。
口元が緩むのを隠して、彼へと歩み寄る。

予備校の眼鏡の先生よりも大きくて、厳つい人。性格も無愛想だし、目付き鋭いし。とってもとっても怖い人。

でも、私はとってもとっても、大好きな人。

「『イェスパー』!」

イェスパー・リヴェ・ラキ。

モルディーン枢機卿長猊下の十二翼将の1人で、右目は革の眼帯で覆っていて、鋭く黒い瞳をしている。
もしかしたら咒式士が集まるこのエリダナでもちょっと目立つその容姿。

私の声に、イェスパーも気付いてくれて、彼の足が止まった。イェスパーは横に並んだ私の頭をがしがしと撫でた。
乱暴!と手を振るうとイェスパーは男らしくにやりと笑った。

「ユース。予備校は?」
「さっき、終わったの。
 イェスパーはどうしたの? お仕事?」

私は思わずイェスパーの腕に自分の腕を絡める。久しぶりに会ったから、凄く嬉しい。

「任務は完了した。今は皇都に帰ろうとしている所だ」
「えーっ?」

不服そうに声を上げていると、イェスパーが私の学校鞄を持ってくれた。でも、私は頬を膨らませて文句を言う。

「せっかくエリダナにまで来たんだから、私の家でご飯食べていけばいいのに……」
「皇都でまだ別の任務がある。残念だがユースと夕食には行けない」
「ぷぅー」

たまにしか会えないんだから、ゆっくりしていって欲しいな…。私の家に泊まってもいいのに。
イェスパーは私の頭から手を離し、歩き出しながら私に言った。

「そんなに嫌ならば皇都に帰ってくればいいだろう」


1年前。皇都にユースは連れてこられた。

大賢者と呼ばれる十二翼将の1人、ヨーカーンがある日突然連れてきたのだ。
しかも何処から来たのかも、ユースもヨーカーンも誰にも言わなかったがために、ユースの素性は誰にもわからないままだった。

ユースについてわかる事は、ヨーカーンについてきて、そしてそのヨーカーンを慕っている。という事のみ。
数か月、モルディーンの心遣いで皇都に住んでいたが、何故か少女はエリダナに住む事を望んだ。
今はエリダナに住みながら高等学校と予備校に通っていた。


私は首を傾げながら、イェスパーを見上げる。イェスパーと一緒にいられる皇都も魅力的だったけれども、それよりも、私はエリダナにいたかった。

「うーん…。猊下様の所も楽しいんだけど…。やっぱり私、エリダナに住みたいから…学校も通ってるし」
「なら、仕方がないな」
「うーっ。でもでも、たまにはイェスパーと一緒にお出かけしたいなー? って思ったりして」

もっと一緒に居たいな。そう思っていると自分の頬が染まっていくのがわかった。

背の高いイェスパーを見上げる。私よりもずっと年上の男の人。最初は怖かったけど、だんだん好きになっていた人。

機械みたいだけど本当は優しくて。そこが大好きで。

「だ、だってイェスパーの事…好きだし」
「そうか」

顔を真っ赤にして口にした言葉を涼しい顔のイェスパーは流してしまう。

知っている。イェスパーは私を子供だと思ってる。まぁ…確かに子供なんだけどさ。
イェスパーは私の言葉を聞いてはくれない。私はぷぅとイェスパーの顔を見つめた。

「もう、本当なんだよ?」
「そうか。俺もユースが嫌いではない」

さらっと嬉しい事を言ってくれる。でも「嫌いではない」だなんて複雑で、そして狡い言い方。
私はイェスパーの数歩前に出て、顔を覗く。いつもと変わらない無愛想な顔だった。

「じゃぁ、スキ?」

イェスパーは苦笑を零して私の頭をまた撫でた。む。そうやって、また子供扱いする。
結局答えは得られないまま、イェスパーは頬を膨らます私にひとつ提案をした。

「ユース。次の列車まで少し時間がある。
 夕食まで付き合う事は出来ないが、散歩ぐらいなら時間がある」
「ホント?」
「あぁ」

微かにイェスパーが微笑んだ。私は笑い返して、納得したフリをする。

本当は悲しいし寂しい。

どんなに私がイェスパーを好きと言っても、イェスパーは私を子供扱いして相手にしてくれない。
伝わらない想い。伝わっても私はただ学生だし、イェスパーは侯爵の軍人さん。

でも、一緒にいたい。もっと、もっと。

「イェスパー、じゃあ、駅の近くまで行こうよ。長くお散歩できるように」
「駄目だ。ユースが家に帰るのが遅くなるだろう」
「大丈夫。イェスパーが考えているほど子供じゃないんだよー?」

今のこの時間。並んで歩いているだけでも私は幸せ。

「俺から見たらユースは子供だ」

イェスパーの言った言葉は少し傷付いたけど、イェスパーは本当に私を心配してくれているから…。

「それに……俺はユースの家まで送る。結局同じ事だ」
「え? 送ってくれるの?」

覗きこんだイェスパーの頬がほんの少しだけ紅い気がした。私の幸せ感が満タンです。

「やっぱり、イェスパー、大好きー」

笑いながら言った言葉がイェスパーにキチンと伝わる日が来ますように。
私は願いながらイェスパーの無防備な手を握った。イェスパーは驚いた顔をしたけれど、私の手を振りほどいたりはしなかった。


†††


「あー。兄貴、またユースちゃんの所に行ってたの?」

皇都内。イェスパーの双子の弟であるベルドリトが、兄の背にタックルをかました。
だが、微動だにする事無く、イェスパーはベルドリトを掴み、持ち上げる。

「またとはなんだ。……俺は任務の帰りに会っただけだ」
「えー? 兄貴、かなり、もげもげっと行ってるじゃんか」

妙な擬音語を使いながら、ベルドリトは楽しそうに手を振りながら笑い掛ける。
イェスパーは相変わらずの無表情でベルドリトをゆっくりと下ろした。

「たまたまだ」
「ふーん。
 あ、僕、さっき猊下にね、ピョルっと質問したんだ。そしたらね、猊下、こう言ってた」

ベルドリトはにやっと笑いながら、イェスパーの顔を覗きこんだ。イェスパーが不思議そうにベルドリトを見る。

「『今日、イェスパーくんに任務は任せてないよ?』って!」
「ッ」

イェスパーの顔が微かに染まった。ベルドリトは楽しそうに騒がしくイェスパーの周りを走り回る。

「ねぇねぇ、やっぱり今日はユースちゃんが心配で見に行ってんでしょー! 任務なんてなかったのにー。ぴょっこりん僕も行きたかったのにーっ」
「………俺は、別に」

顔を赤く染めたイェスパーを見ながら、ベルドリトはとんっと飛び跳ねながら携帯端末を手に取った。
楽しそうに黒い笑みを浮かべ、とある番号を打ってゆく。

「………何をしている?」
「めにゃめにゃユースちゃんに言っていい?」
「ベルドリト!」

怒鳴りベルドリトを追い掛け始めたイェスパーから、ベルドリトは笑い声を上げながら逃げる。

「なんでー? びょんっと兄貴がユースちゃんが心配で心配でしんぱーいで、見に行ったっていうだけだよー?」
「ベルドリト! 俺は別にユースを妹のようだと思っているだけで」
「やっぱり、心配だったんだ」

急に止まって兄の顔を見るベルドリトにイェスパーの足も止まる。
無言のイェスパーをベルドリトは高らかに笑う。

だが、次に握り締めた拳でベルドリトの頭に降り下ろされた。


†††


「あれ? ベルくんから電話?」

私は風呂から上がって、携帯が光っているのを見た。寝台に腰を掛けながら携帯を開く。

「留守電?」

珍しいなと思いながら開くと賑やかな声が聞こえてきた。

『――あーのーねーっ、ユースちゃん、兄貴がねーっ?』
『ベルドリト!! 止めろ!』
『恥ずかしいんだ!! 兄貴、もぎゅるんと恥ずかしいんだ!!』
『だ、ま、れ!』

ベルくんの笑い声と風を切る音。イェスパーの怒鳴り声。
そんな声を聞きながら私は笑みを浮かべる。そして、お風呂の前に通話していた相手との会話を思い出す。

『今日、イェスパーくんが珍しく有給まで使って、エリダナに行ったよー?』

猊下様がわざわざ教えてくれた事。
今日は彼に任務なんか無いって事。彼が私の様子を見に来てくれただけって事。

「もう…だったら休日に来て欲しいよねー」

私は幸せな苦笑を零しながら、きゃっきゃっと騒がしいベルくんからの留守電を聞き続けた。

「だから私はイェスパーが大好き。もう嫌いにもなれないから…困ったよ」

寂しくて、悲しくって、でもそれ以上に、それより何倍も幸せになれる。私の大好きな人。


(大好きな人)


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